1話
元々は原稿用紙200枚前後で考えていた小説なのですが、小分けにして投稿していった方が読む方がわかりやすくていいよ。と勧められたので、小分けにして投稿しております。元々連載小説のつもりで書いていないこともあり、歯切れの悪いところで切れている可能性もあります。その際は、キリのいいところで切れているところまで連続で更新致しますので、ご了承ください。
推敲を重ねたいので、物語の矛盾点や誤字脱字などございましたら遠慮なく仰ってください。よろしくお願いします。
妖怪や幽霊、神さまと言ったオカルトの類は滅多やたらには姿を現さないものだと、子どもの頃は思っていた。あれは空想のものであって、出会うことはないと。夢に見たこともあったが、生まれて26年。妖怪や幽霊は見たいと思いながらも出会ったことはない。
出会ったことがあるのは『お客様』という名の出会いたくもない神さまだけである。
そもそも、お客様は神様なら、店員様は何様になるのだろう。神の下は誰なのだろう。人だろうか。
ならば、その神様とやらは平日人になっているのだろうか。人と神のハイブリット。いやはやヘラクレスかよ。すげぇな、お客様。あるいはギルガメスか? ギルガメスは三分の二が神様なんだったか。ならば週3しか働いていない奴の方が神様なのか? すげぇなおい、お客様。
そもそも、神の方が賢い、上なのだろうか? 神ってむしろ俺らにお恵みをくれるありがたい存在ではなかっただろうか。いや、それも違うか。むしろ試練を与える存在なのか。うん。お客様は神様だわ。あいつら迷惑をかける存在なの申告しているのか。ハハハ――。
「ハハハ――」
三条大橋で缶コーヒーを飲みながら、周りの騒がしさに嫌気を刺して溜息を吐く。
「何考えているんだろう。俺……」
暗くて見えないけれど、耳を澄ませば、酔いつぶれたジジイ達の叫び声の奥に、鴨川のせせらぎが聞こえている。その音だけが心地良いのにおっさんたちや若者の叫び声がうるさい。酒飲んだ程度で何をそんな楽しそうにしてやがる。嘔吐物はエチケット袋に出せって習わなかったのか。あれ? 俺は習ったっけ。そういった授業はなかったな。あれ? そっか。なかったか。
「何考えているんだろう。俺」
また大きく溜息をついた。まだ残っている缶コーヒーを煽る。
しかし、それもなくなって、はぁと溜息まじりに橋の手すりに缶コーヒーを置く。
昼間に飛び回っている鷹や早朝にいる烏はどこに行ったんだろうか。あいつら、サンドイッチばかり取らずに、ここらのおっさんのカツラでも取って帰ってくれないだろうか。烏もこの有象無象の人間どもの雄叫びが嫌いなのだろう。
恐れられているよりも鬱陶しがられている気がする。
後ろからどんちゃんどんちゃんと騒ぎ声が響く。うるさい。前のめりになって、目を閉じる。叫び声の奥に聞こえる川の流れに耳を傾ける。
その様子を見て、酔っ払いのおっさんが俺の肩をさすり始めた。酒臭いからやめてほしい。
俺は目を開けて、その相手に「大丈夫ですので、ですので」と対応して、引きはがす。
そして、いなくなったのを確認すると、また川に耳を傾ける。
金曜日ともなると、この町は活気にあふれる。土曜日は大半の会社がお休みだ。土曜日も働くのはフリーターや、休日に来る神様をお迎えするサービス業の者のみ。人から神に天上ったおっさんたちによる凱旋が、この河原町では繰り広げられている。多くの人を踏みにじる、荒ぶる神の凱旋が始まるのだ。
「先輩。そろそろ戻らないと休憩時間終わりますよー」
後ろから言葉が聞こえる。振り返ると、見知った顏の青年が微笑みながら俺の顔を見ていた。
腕時計を見ると、休憩時間がまもなく終わろうというころだった。
「大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だよ。坂上くん」
俺は後輩に微笑み返して、橋に置いていた缶コーヒーの空き缶を持って、二人で現場に戻る。
「いらしゃすぇー」
「いらっせー」
「ありがとうどぜいもーす」
「ありがとうござまーす」
もはや自分でもなんと言っているのか忘れている掛け声を何度も行いながら、皿洗いに従事する。多くの神さまたちはこちらがどれほど忙しいかを把握していない。
「烏丸くん! それ終わったらホール手伝ってもらえない?」
「はい! かしこまりました!」
すぐに皿洗いを終えて、手を拭いて、一度身だしなみを整えた後、ホールへ行って、食べ終えた神様の皿を回収してゆく。だが、神様はこちらなんて見ていない。聞こえるか聞こえないか程度の音量で「終えた皿下げさせていただきます」と形式ばった挨拶を終えた後、神様たちが食べた残骸を拾ってゆく。
残されたパセリ。エビの尾、未使用のレモン。食べ方が汚いのか、机にべったりとついた焼き鳥のタレが目について少し苛立ちを覚える。後で拭くのは私たちなのだけれど。
「でさでさぁ。今度のハロウィンどうする?」
「またコスプレしようよー」
「なんのコスプレ? エヴァ、綾波やろうよ」
「スケベー」
「なんでだよ。絶対に似合うって絶対」
どこかのテーブルからゲラゲラと笑い声が響く。まだ七月だというのに、何を話しているのか。
「あのかぼちゃってなんていうんだっけ?」
「ジャック・オー・ランタンだろ」
女子の疑問に、男がドヤ顔で答える。いや、作業をしているので顔は見えないのだけれど、声だけでも自信満々な笑みが浮かんでいるらしいことがわかる。そこまで自信満々になるほどのことではないであろう。
「ごゆっくりどうぞー」
俺は食器を全て回収して、厨房まで戻る。俺の代わりに坂上が必死な顔をして食器を洗っていた。俺はそいつの横に回収した食器を渡す。
「ぎゃー! また増えたー!」
客には聞こえない程度の叫び声だが、こういう泣き言をしっかり言うことが坂上の処世術らしい。ちょっとでもこの状況を茶化していないと疲れが増すのだそうだ。
「さあ、働け働けえ。この社畜ー」
「そうだよー。頑張って坂上くうん」
俺もそんな坂上に従って演技くさく、憎まれ口を叩いて笑う。
常連の女性、酒井さんも俺につられてゲラゲラと笑う。
この店はオープンキッチンになっており、一人飲みのお客さんと店員が話すこともある。
酒井さんは、そんな常連の一人だ。坂上くんはこの飲兵衛美人である酒井さんに惚れている。色っぽい応援を糧に坂上くんの手が百なるので、万々歳である。
俺は布巾を取って、先ほどの席に戻る。
男女の話題はハロウィンから夏休みになっていた。
「海行きたいねぇー。海!」
「もぉー、猿渡くんさっきからスケベなことしか考えてないでしょー」
「そんなことねぇって!」
「でも海行きたいよねぇ」
「行くならやっぱりお盆か?」
「いやぁ、混むだろう」
「大丈夫だって、白浜でも行こうよ」
「誰運転すんの?」
日程の話がまるで出ない大雑把な観光プランを立てている間に、こびりついたタレをしっかりとふき取り。戻る。
他人の話を拾い聞いても、最後までは聞けずに終わってしまう。いつも物足りなさを感じて仕事をする。
「烏丸くうーん! 芋焼酎と烏丸くんが作ったタマゴ焼き。おねがい」
「あいよー。オーダー通しておくんでちょっと待ってくださいねー」
キッチンに戻ろうとした直前で常連の酒井さんに捕まって注文を聞く。この人はいつもこの店にいて、酒をガバガバ飲む。伝票にはちらりと見ただけでも10杯は超える量を注文して頂いている。非常にありがたい常連である。この方こそ神様だ。我らの店の神様、酒井大明神様だ。
常連や大学生、仕事終わりのサラリーマン。さまざまな神様を見渡して、俺はキッチンに戻る。
その後もずっと、ずっと、夜が更ける間、神様を満足させるための雑務をこなし続ける。
神様が減っていく頃には、もう日が上り始めていた。
「お疲れさまでーす」
先に仕事を終えた人たちが去ってゆく。
「いやぁー疲れましたねぇ」
床掃除をしている俺に対して、坂上が話しかけてくる。俺はモップを動かす手を止めずに彼の方を見る。彼はモップの柄に顎を乗せて、明るく笑いながら溜息を吐く。掃除しろよとは言えないほど、俺も疲れていた。
ヘロヘロの身体で掃除を終えて、俺たちよりも疲れ切った店長の河原さんに終了の報告をして、俺達は店の外へ出る。
早朝の頃の、霧がかった少し薄い色の新京極商店街を、坂上と歩く。
早朝でなければ人もゴミのように多いこのアーケード街も俺達の足音が響くほどに静かである。この静けさがまたたまらなく心地よい。その静寂を突き破るように坂上の「いやぁ」と伸びた溜息のような声が響く。これもまた心地の良い音である。
「今日も多かったですね。汚ゲロ様」
「そうだなぁ。ゲロゲロ」
「ゲロゲロー」
汚ゲロ様とは、言葉の通り、己の制御もつかずに吐いてしまう愚か者のことである。彼らの大半は吐きそうになってしまい、トイレに駆け込んで間に合わないということが多い。その際の駆け込み方が急いでいる蛙のようにも見えると、坂上がつけた我らのバイト先に伝わる隠語である。俺たちは疲れている時は彼らを小馬鹿にしながらゲロゲロと鳴くのだ。
話している最中に坂上が煙草を取り出し、近くの公園を指さす。京極通には公衆便所などもある小さな公園がある。私と坂上くんの夜勤が同じ時、決まってここで一服してから帰るのだ。彼はまだ19歳である。
「先輩よく耐えられますよねぇ。この職場」
煙草を吸いながら坂上が答える。急の言葉に思わず首を傾ける。
「ほら、先輩、酒もたばこも吸わないじゃないですか。よく耐えられるなぁって。俺、煙草吸わなきゃやってられないですもん。後酒井さん」
坂上くんは顔をニヤケさせながら、火をつけた煙草を吸って、口から大きく煙を吐いた。
「おい、未成年」
「勘弁してください」
ヘラヘラ笑いながら坂上は煙草の灰を地面に落とす。
緩んだ頬で上空を見つめる坂上の目にはあの酔っぱらった酒井さんの姿が映っているのは明白であった。
「お前は本当に酒井さんが好きだな」
「だって美人じゃないですか。明日も来ますかねぇ」
「来るだろ。毎日来ているし」
「明日も先輩シフトありますもんね」
「俺がいてもいなくても来るだろう」
「いやぁ、でもあの人先輩が作るタマゴ焼き好きだからなぁ。おんなじ材料で作ってんのに……」
「そこはほら……経験と技術だ」
「あぁー、先輩面してるー」
「してもいいだろ。俺はお前よりも先輩だ」
「いいなぁ。俺も早く気に入られる料理作って酒井さんにわがまま言われたい」
坂上はそう言った後、口から煙を輪っかをいくつも上空へ飛ばした。
いつものように、公園でダラダラと映画やら大学やらの話をして、坂上の煙草が一本消えたタイミングで彼は立ち上がって、家へ帰っていった。
彼の背中を見送った後、俺もそのまま歩いて家に帰る。これが夜中働く私のルーティーンである。
早朝の京都は夏でもほんの少し涼やかな気がする。だが、辺りに見えるゲロ、ゴミ、俺たちと同じような朝帰りの大学生がちらちらといる。過去の自分もそうであったが故に彼らを見ると少し微笑ましくなってしまう。
バスが通り過ぎる。ここのバスはまったくというほど時間は守らないのに、この時刻にもう動いているのか。ご苦労なことだ。と感心する。
見かけたコンビニを見てよぎったフライドチキンの誘惑を断ち切って、三条大橋を渡る。
帰ったら何をしようか。まずは爆睡だろうな。その前に風呂に入りたい。あぁー、レンタルしていたビデオが今日までだった気がする。
「やっぱり借りにいって見ないといけない抑圧があるからレンタルビデオは厄介だなぁ! 今度からネット動画サービスでも使おうかな。あぁーでも、見たい映画とか入っていなかったら嫌だなぁ。坂上が言っていたオリジナル番組もなんだかんだレンタルとか中古でDVD出るし、結局入っても見なかったら毎月の金額が勿体ないんだよなぁ!」
誰もいない安心感か、声に出しても仕方のない独り言を天の上の神様にでも噛みつくように吠える。当然誰も聞いていない。
ばしゃん。
独り言を吠えていると、鴨川から何かが跳ねる音がした。流石にこんな早朝では、等間隔を形成するカップル共の姿もない。暇をつぶしに石を川に投げたとは考えづらい。
俺は思わず橋から川を眺めた。何もいない。きっと魚が跳んだのだろう。
いや、違う。それにしては大きい音だった。まるで男が思いっきり水辺を踏み込んだくらいの音。川で誰かがこけた時のような音だ。
「いやぁ、寝ぼけていたな」
現に、俺の周りには誰もいない。今の音を聞いた人は、俺以外にいないということだ。
ならば答えは一つ、疲れすぎて幻聴が聞こえたに過ぎない。
「はぁ、汚ゲロ様を見すぎちまったかなぁ。ゲロゲロ」
溜息を吐く。
改めてゆっくりと眺めた鴨川の流れは、ずっと見ていられるだけの魅力があった。水の流れる音もまた、心を落ち着かせてくれる。
ちょっとだけ、下へ降りてみよう。今ならカップルに混じって一人でみじめに川の音を聞くような恥ずかしさも、話し声やトランペットがうるさくて川の流れがかき消されることもない。俺はそっと鴨川へと降りてゆく。
下へつくと、川の音が大きく響く。この音を聞いているだけで落ち着く。
「あぁー! やっぱ川の音はいいよなぁ!」
誰も聞こえていないのをいいことにまた吠える。
「ゲロゲロ」
目を閉じながら汚ゲロ様の真似をしてみせる。川に向かって、エリマキトカゲみたいなポーズで足踏みをしてゲロゲロと鳴く。人がいたらまずはできない。
川の音と自分の声しか聞こえないので、自分が本当に蛙にでもなった気分に浸り、小さくゲロゲロ。と鳴いた。
「……ゲロゲロ。……」
しばらく遊んだ後、改めて何をやっているのかとバカらしくなったので、そっと目を開ける。
「あっ」
「あ?」
目を開けると、目が合った。川で目が合ってしまった。
誰もいないと思っていたのに、相手がいたのだ。川の中に。向こうは目を丸くして動揺した様子でこちらを見ている。こちらも動揺したように、目を丸くする。蛙ごっこをしていた俺は、鏡を見ているんじゃないかと思った。お互い目を丸くして、数秒向かい合う。
目の前には、真緑の、蛙が人型になったみたいな、化け物がいた。
「……か、蛙男?」
「やべ!」
蛙男は俺の言葉と同時に川を走っていった。しかし、鴨川は浅いので、姿を消すことが出来ずに、橋の下までバシャバシャと音を鳴らしながら走る。
「ま、待て!」
なぜか俺は蛙男を追いかけた。疲れたヘロヘロの身体で追いかけた。向こうも慌てているのか、なぜか泳がずに走る。川と並行になるように河川敷を走って追いかける。橋が近づく。このままでは埒が明かないと思った蛙男はようやく冷静さを取り戻したのか、身体を川の中へ沈め、泳ぎ始めようとする。
「ま、待って! あっ」
その時だった。蛙男を追って、川に向かって走ろうとした時、足がもつれた。身体が斜面になっている河川敷を転がる。
「えっ?」
突然こけて転がってくる俺に驚いた蛙男の声だけがした。そのまま、転がって、川の中に沈んでゆく。
あれ? 三条大橋の下の川って、こんな深かったけ?
動揺と、こけたときの痛みで俺は川の水を飲んでしまい、呼吸が出来ず、意識が朦朧としてゆく。
――この日をもって、烏丸勇仁(26歳)は死亡した。