第6話 いざ出発
窓の外から割れんばかりの喝采が聞こえてくる。
閉め切られた部屋の中でこれだけなのだから、外にいたら耳がおかしくなるのではないだろうか。
いよいよ出発の日を迎え、出発式に参加する俺たちは各自与えられた部屋で待機させられていた。
例に漏れずリュカと同室に案内された俺は、浮つく気持ちを鎮めながら最終確認を行っていく。
昨日コンラートから渡された『時の箱庭』の中に荷物が揃っていることを確認し、それを腰のホルダーへ取り付けると、変な箇所はないか鏡で確認する。
すぐに取り出せるよう伸縮性のゴムで口が絞られているのだが、ヨハンの案なのか別の誰かなのか、誰の物か一目で分かるようにそれぞれ異なる色の糸で外布に刺繍が施してあった。
(赤、か)
縁をぐるりと囲むように刺された刺繍糸は臙脂色で、黒竜の鱗から作られた漆黒の軽鎧にアクセントになっている。
一見価値のある物だと分からないように外布は普段冒険者が使うような袋を摸し、麻布を使用してあるのだが、刺繍があるためあまり安価には思えない見た目となっていた。
そして、首元や足元――軽鎧で覆われていない端々から覗くのは藍色。
レースや刺繍など豪快に入れたがった仕立て屋の女性とかなりの時間をかけて話し合い、見事シンプルさを勝ち取った俺は大変満足している。
色も汚れが目立たない濃い目の色を希望したのだが、リュカが藍色を猛プッシュしてきたことでこれに決まった。
最後の抵抗なのか、完成品には襟や袖に金色の糸で刺繍が刺されていたが、まあ許容範囲内だろう。
彼女の提案してきた案を呑んでいたら、今頃俺はサーカスのピエロよろしく、ド派手な衣装で涙を流さなければならないところだった。
一通り確認し、鏡から離れた俺は背負っている剣へと手をやり、そのまま抜剣した。
この動きもこの剣に変えてから何度も繰り返し行ったもので、今では違和感も感じなくなっている。
唯一、不安があるとすれば、この剣でまだ魔物を斬ったことがないことか――
鋭い輝きを放つ刀身を見つめていると、後ろからリュカの戸惑うような声が聞こえてきた。
「兄ちゃん。僕、おかしくない?」
白銀色の鎧に身を包み、腰に聖剣を佩いたリュカ。
彼の後ろにある窓から射し込む朝の光を反射し、まるで後光が射しているように見えた。
「かっこいいぞ! よく似合ってる」
「ほんと? へへっ」
俺と同じオレンジがかった茶色の髪を揺らして、恥ずかしそうに笑うリュカ。
俺の軽鎧もそうなんだが、俊敏な動きがとれるようにかなり軽量化されていて、まだ体が小さいリュカも問題なく着こなすことが出来ている。
「忘れ物はないか? 式に参加したらもうここには戻って来ないらしいから、持ってく物は全部詰め込んでおけよ?」
「大丈夫だよ。ちゃんと確認したから!」
俺の言葉に、リュカが左腰に取り付けた『時の箱庭』をポンッと叩いて見せる。
デザイン的には俺のと似ているものだが、使用されている糸は金色で、今のリュカの装いにピッタリだった。
「カイ様、リュカ様。そろそろお時間ですが、準備はよろしいでしょうか?」
「……はい。大丈夫です」
扉をノックする音のあとに続いたコンラートの問いに、リュカが頷くのを見て返事をした。
「では」と俺たちが出やすいように扉を開いて待つコンラートに礼を言いつつ部屋の外に出ると、ちょうど部屋から出て来たばかりのアンジュと出くわした。
「あ……リュカ様、カイ様。本日から、よろしくお願い致しますわ」
「あ、ああ。よろしく……?」
「よろしくね。アンジュさん」
俺たちを見てアンジュは一瞬顔を強ばらせたが、すぐにぐっと顔に力を込めるとカーテシーをしながら流暢に挨拶をしてきた。
数日前とは大違いの様子に、思わず呆気にとられる俺とは逆に、リュカは人好きのする笑顔でそれに返していた。
ヨハンはこの短期間で一体何を――いや、彼女がちゃんとコミュニケーションがとれるようになったのだからいちいち詮索すまい。
きっと何か大きな心境の変化があったのだと心の中で納得していると、アンジュが不思議そうに首を傾げていた。
「あ、アンジュは水色なんだね」
「え? は、はいっ! 昔から好きな色なので」
急に話を振った俺に戸惑ったみたいだが、それが『時の箱庭』に施された刺繍のことだと分かると花が綻んだような笑顔を見せた。
【聖女】として教会が用意した衣装なのか、純白のローブに身を纏った彼女は可憐だが、どうしても防御力を気にしてしまうのは冒険者の性だろうか。
見たところ剣や盾なども持っていないようだし、これで出発しても大丈夫だろうかと不安視する俺に気付いたのか、リュカが優しく聞いてくれた。
「はい、大丈夫です! この服は特殊な糸で織られていて意外と丈夫なので……ほら!」
あろうことかアンジュは『時の箱庭』からハサミを取り出すと、止める間もなくそれを自身の腹部に突き刺して見せた。
確かにハサミは腹に刺さることなく止まったが、こっちの心臓が縮むかと思った。
妙に活発になっているみたいだし、本当にヨハンは何をしたんだ。
「いきなりそんなことしたらびっくりするから、もうしちゃダメだよ?」
「はぁい」
幼い二人のやり取りに、ふっと笑みが零れる。
横を見ると、コンラートも目元を緩ませていた。
さっきの驚きで緊張していたことなどすっかり忘れた俺たちは、コンラートに連れられ城のエントランスへと向かい、先に来ていたゲオルグとヨハンと合流した。
二人とも騎士や魔導師としての正装を身に付けていて、いつもより凛々しく見える。
王様から名を呼ばれ出席者に紹介されたあと、用意された食事をとってすぐに旅へ出ることになる。
ぐっと拳を握り、今にも開かれようとしている扉を見据えていると、その拳を小さく温かい手がそっと重ねられた。
「……リュカ?」
「カイ兄ちゃん。――行こう」
その瞬間扉が開き、眩しい程の朝日と共に俺たちの体を溢れんばかりの喝采が包み込んだ。
【勇者】であるリュカを先頭に、【聖女】アンジュ、ゲオルグ、ヨハン、俺と続く。
国中から集まったのではないかという大勢の民衆に囲まれ、俺たちは第一歩を踏み出したのだった。
◇◇◇
「あー……つっかれたわ。もう今日はここで野宿しようぜー」
朽ちて横たえた丸太にどっかりと腰を下ろしたゲオルグが、疲労に顔を歪ませて天を仰いだ。
言葉だけを聞けば随分魔物を倒し、世界の平和に貢献したようにも思えるが、ここはまだ王都から出てすぐの森。
太陽だってまだ燦々と輝いているし、肝心の魔物だってまだ一匹も倒していない。
それなのに何故俺たちがこんなにも疲れているかというと、原因は数時間前まで参加していた出発式にあった。
長いこと渇望された【勇者】だということで、民衆の興奮は最高潮を迎えていた。
まるで既に【魔王】を倒し終えたかのように喜び声を上げる彼らに、用意された食事を碌に食べる暇さえ与えられず揉みくちゃにされたのだ。
なんとかいくつかの料理を『時の箱庭』に入れ、這う這うの体で会場を抜け出したのだが、それが王都を出るまで延々と続き、ずっと笑みを張り付けていた頬は引き攣り喉がからからに乾いてしまっている。
本来入る予定のなかった森へ逃げ込み、人目を逃れたことでやっと肩の力を抜くことが出来た俺たちは、各々『時の箱庭』から食料を取り出し、昼食をとることにした。
(まだ頬がぴくぴくする……)
持って来た水で喉を潤し、引き攣る頬を揉んでいると、デザートのオレンジを食べていたヨハンがゲオルグの言葉を否定した。
「ダメだ。まだここは王都に近すぎる。式から帰る酔っ払いに囲まれたらたまったもんじゃない」
疲れすぎてすっぽりと表情の抜け落ちたヨハン。余程揉みくちゃにされたのが懲りたと見える。
その横ではぐったりと四肢を投げ出し虚ろな瞳をしたアンジュが、ヨハンの言うことに何度も首を縦に振っている。
「この森には魔物はいないんですよね? ならこの際もっと奥、間違っても人が来ない場所に行って休むのはどうですか?」
他にも木の上で休む案や、むしろ逆をとって王都に戻り宿をとる案なんてのも出たが、誰も次の町まで向かおうなどと口にしなかった。
結局リュカの案を採用し、その日は森の深部に流れる川べりで早めの野宿をすることになったのだが、【聖女】の《結界》により夜間の見張りで争うことなく眠りにつくことが出来た。