第22話 初めての喧嘩
村長宅の一室。
簡素なベッドの上でほぼ裸の状態で向かう俺とゲオルグ――
誰か、どうしてこうなったか教えて欲しい。
魔物化した蛾を討伐するため、村長に聞いた葡萄畑に向かった俺たち。
聞いていた通り魔物は好戦的ではなくて、ヨハンたち後衛組の魔法でサクサクと倒していけた。
――途中までは。
一体の蛾が息絶える寸前に上げた断末魔によって、最初に犠牲にあった畑の方向から飛んで来た大型のそれによって、状況は一転した。
全体的に茶色い通常の蛾と違い、それは森に同化するように深い緑色。体長は通常の型と比べて二倍程度はあるだろう。
羽ばたく度に舞う大量の鱗粉は今までの比ではなく、紛うことなく彼らの上位種なのだと全身で表していた。
その姿を認めてすぐにヨハンたちが攻撃を仕掛けるが、これまで面白い程に効いてきた《火魔法》の効果は薄く、数度の羽ばたきだけであっという間にその距離を縮めてきた。
魔術の使えない俺やゲオルグに狙いを絞ったらしく、大量の鱗粉を撒き散らしながら迫ってくる蛾。
最初こそゲオルグは体躯に似合わぬスピードで躱し、俺も剣に炎を纏わせて降り注ぐ鱗粉を焼き消していたが、そんな方法が長く続く訳もない。
ついに左手に鱗粉を浴びた俺は身を守る戦い方を止め、全身に鱗粉を浴びながらその巨体を倒した。
すぐにヨハンの魔術で全身を洗い流して貰ったのは覚えている。
その後ゲオルグが勢い良く飛び着いてきて背骨が――
(うん、折れたな。で、痛みで意識を失ったと……)
今は痛みはないから、多分アンジュが《回復魔法》を使ってくれたのだろう。
そこからなんでパンイチで同衾することになったのか説明が欲しくてじいっと半目で見つめていると、ゲオルグはバツが悪そうに視線を逸らして「あー」とか「これは、だな」とか歯切れの悪い口調で話し始めた。
「ええっと、お前、どこまで記憶ある?」
「背骨が折れたとこ」
「いや、それはっ……すまん!! お前が俺を庇って犠牲になったと思ったらつい」
「あー……まあ、それはいいから。それからこうなるまでを教えてくれ」
犠牲になるも何もむしろゲオルグに殺されかけた訳だけど、そこは反省しているみたいだから触れないでおく。
平伏さんばかりのゲオルグに頭を上げさせ、これまでの説明を求めると、つまりはこういうことだった。
ヨハンの魔術で鱗粉を洗い流したのはいいが、服に残っているかもしれないと庇われた責任を感じたゲオルグが俺の服を剥いて川にダイブ。
冷たい水に浸かったことで震え出した俺を温めるため、先に村長宅に戻って来たと。
ヨハンたちは残りの蛾の駆除と、薬になる卵を集めるためにまだ外で頑張ってくれているらしい。
この状況に至った理由が判明して、どっと疲れが出た俺は、心の底から大きな溜息を吐いた。
「いやあのさ、他に方法なかったのかよ。一瞬お前との関係を見直さなきゃなんねえかと思ったわ」
目覚めて早々裸の男に抱き着かれていると気付いた俺のパニック具合は凄かった。
いや温かかったけど、精神的に背筋が凍ったわ。
「俺は魔術も使えねぇし、これが一番手っ取り早かったんだっつの。騎士団じゃ結構見る光景だぜ」
「……うわぁ」
ムキムキの男たちが抱き合って眠る姿を想像してしまって、顔を顰める。
魔力がないと仕方ないのかもしれないけれど、あまり遭遇したくない状況だ。そもそもそんな状況が結構あるのもおかしい話だが、そんなに多いのなら何か他の方法を探すべきなんじゃないだろうか。
「大体、お前が無茶な行動するから悪ぃんだろうが。どこか感覚がおかしい場所はねえか?」
「いや、大丈夫。いつも通りだよ」
ベッドの横に放り投げられていた『時の箱庭』から出した私服に着替えていると、ゲオルグが心配そうに動きを観察してきてやりづらい。
とりあえずズボンだけでも穿いて、大丈夫アピールすることにする。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だって。心配してくれてありがとうな。けどこれが一番被害が少ない方法だったわけだし、そんな気にすんなって」
あのまま戦っていても防戦一方だったし、攻めるには誰かが犠牲にならなきゃいけなかったんだ。
それが今回は俺だっただけ。
替えのいないリュカやアンジュを守れて、幸い俺にも障害は残らなかった。これ以上にない結果だ。
だからそんなに気にするな、といつもより小さく丸まった背中を叩くと、まだ悔しそうではあったが一応は納得してくれた。
「それで俺たちはこれからどうしたらいい? リュカたちと合流するか?」
「いや、ここで待っていろと言っていた。……俺が行ったところで役には立たねえだろうからな」
「たまたま今回は相性が悪かっただけだろ。いつも大活躍なんだからちょっとくらい休憩してもバチは当たんねえよ」
まだ服を着切っていないゲオルグの腹は綺麗に割れていて、これまでの努力の量が伺える。
俺の腹も割れてはいるが、比べて恥ずかしくなる程の見事な腹筋だ。
落ち込んでやり返してこないのをいいことに、ゲオルグの腹に軽く拳を撃ち込む。堅い。
何度か繰り返して遊んでいると、頭上でふっと笑う気配がした。
「はっ、そんな軽いパンチじゃ全然効かねえなぁ!」
「……ふーん、それじゃあこれはどうだッ」
「は? ……ぐあっ!? や、やめろバカ……ひぃっ」
腕を腹から横に移動させ勢いよく擽ると、ゲオルグは身を捩って笑い悶え始めた。
大男のゲオルグを俺の手で転がせる楽しさに夢中で擽っていると、彼の悲鳴に似た笑い声を聞きつけて勢いよく扉が開かれた。
「…………兄ちゃん?」
扉を開いたのはリュカだった。
急いで戻って来たらしく、額には薄らと汗が滲んでいる。
そりゃそうだよな。兄弟が訳分からん鱗粉浴びたと思えば意識失って、これが俺でも何がなんでも急いで戻って来る。
それなのにその相手は心配を余所に楽しそうに笑っていて――リュカから向けられる白けた視線に、俺の背中からも冷汗が噴き出す。
リュカの怒りを刺激しないようゲオルグに乗り上げるような体勢から身体をゆっくりと戻し、そろそろと正座した。
浮気なんてしたことがないけれど、多分、この気まずさだ。流石の俺もここで戯けるようなことは言えない。
笑い過ぎて涙目になっていたゲオルグも大人しく俺の横に座ってリュカから視線を逸らしている。
「……はあ。何やってるのさ、本当に」
リュカの後ろから室内を見たヨハンが呆れたとばかりに頭を抱えている。
その後ろではアンジュがゲオルグの半裸に瞳を逸らして――いやチラチラと……ガン見している。
「す、すまん。本当に……出来心で」
(ゲオルグの筋肉が凄すぎるから悪い。目の前にあんなものがあれば誰でも手を出す)
心の中で自己肯定する俺に、リュカが冷ややかな視線を向ける。
「出来心で、……何?」
「だって……だって笑うたびに筋肉が動くんだぜ!? 楽しいだろッ!!」
逆切れとも言える弁明に、リュカの眉がぴくりと動く。あ、これ火に油を注いだな。
「怒りたい気持ちも分かるけど、まずは薬飲ませてからにしなよ。まあ、必要なさそうだけどね」
助け舟を出してくれたヨハンが部屋の冷えきった空気に物怖じせず入って来ると、俺に白くてどろどろとした液体の入ったコップを差し出してきた。
薬には卵が必要だと言っていたから、この中にはあの蛾の成分が――
「う゛っ……」
そう考えただけで胃液が上がってきて、飲める気が全くしない。無理だ。若干臭いも生臭い気がするし……
特段身体に異常もないのだし、無理して飲まなくてもいいんじゃないかと期待を込めてヨハンを見ると、とてもいい笑顔で見つめ返してきた。
「君たちが遊んでいる間に僕たちが苦労して取って来た薬だよ。きっと美味しいと思わない?」
ドエスだ。
視界の隅でちょろちょろ動くアンジュを見ると、全力で頷く首振り人形みたいになっていた。このヨハンを何度も経験してきたのだろう。
一縷の望みを胸に横のゲオルグをちらりと窺うと、歯を食いしばって目を固く閉じていた。
飲んだ方がいいのは分かる。何も彼らは嫌がらせのために飲ませようとしている訳じゃないんだ。例えそれがいい笑顔でも!
「うぅ……飲む。飲むよ……」
ヨハンからコップを受け取り、肺の中の空気を全て吐き出す。
色だけで言ったら回復薬の方がヤバい色なんだ。きっとこれも予想を裏切って爽やかでフルーティーな味なはず!
目を閉じで一気にそれを呷る。
どろどろとした喉越し、鼻を抜ける生臭さ。期待を裏切りまるで川の底のヘドロを飲んでいるかのような不味さに、何度も吐きそうになりながら全て飲み込んだ。
ここで吐き出したら目の前のヨハンやリュカに掛かる。
(これ以上失態を冒してはならない……ッ!!)
その一心で飲み込んだ俺に、そっと水の入ったグラスが差し出される。
「ヨハン……っ」
救いに手を伸ばして飲み干すと、口の中のヘドロ環境が随分緩和された。
涙目で縋り付こうとする俺に、ヨハンがそっと距離をとる。うん、今俺の息臭いよな。
魔術でもう一杯グラスに水を出してもらって、やっと一息つけるようになった。
今俺は達成感が半端ない。
不味さから爛々と見開かれているだろう視線を上げると、冷ややかな表情から一転、なんだか今にも泣き出しそうな表情でリュカが顔を歪めていた。
「リュカ……? っぐぅ!?」
怒られている手前、慰めようと無意識に上げた腕を引っ込めようとした俺の胸にリュカが勢いよく抱き着いてきた。
今は拙い。逆流してしまいそうだ。
「魔物もいなくなったし、今日は泊まっていっていいってさ。…………リュカは君のために頑張ってたよ」
本当に仕方ないと言った様子でヨハンがそう言って退室して行く。
その流れに乗ってそそくさとゲオルグも出て行ってしまい、部屋には俺とリュカだけが残された。
ぱたんと閉められる扉の軽い音に、どうしたものかと頭を痛める。
これまで俺とリュカは喧嘩らしい喧嘩はしたことがなかった。俺のすることなすことに目を輝かせて喜んでくれたリュカ。俺もそんな弟の喜ぶ顔が好きで、どうしたら喜んでくれるかを模索する日々だった。
今回の旅に参加すると決めたのも弟の笑顔を守るためで、――決してこんな風に泣かせたかったわけじゃない。
「……ごめんな、リュカ。心配かけてごめん」
「っ、どうして兄ちゃんは――!」
「うん、ごめん」
縋り付くようにして静かに泣くリュカの頭を撫でて、落ち着くのを待つ。
多分リュカは俺がいなくなってしまうと思って、不安を感じていたのだろう。
まだ大人に保護されるべき歳のリュカが声を出さずに泣いている。そのことに酷く胸が痛んで、頭を撫でる腕にも力が入った。
泣き疲れて穏やかな吐息が聞こえてきたのを確認して、ほっと息を吐く。
きっと俺が死んだら、弟はこうして悲しんでしまうのだろう。だけど俺の決意は変わらない。
それがリュカのためになるのなら危険にだって飛び込むし、例えそれで死んだとしても後悔することはない。
「……ごめんな、リュカ」




