第11話 幻術
いくつかの分かれ道を曲がった頃、その異変は現れた。
いつどこから敵が現れるか分からず張り詰めた空気の中、前を歩くヨハンの乱れた呼吸の音が次第に大きくなってきたのだ。
最初は緊張感からかと考えたが、それにしては様子がおかしい。
通路の脇にあった――元々は墓の主がいたであろうスペースで足を止め、真正面からヨハンの顔を覗き込んだ俺の喉からヒュッと短い音が鳴った。
「お、おい……なんで、そんな……――」
俺の呟きでヨハンを見たリュカがハッと目を見開いたのが視界の隅に映る。
全身から脂汗が噴き出し、まるで雨に打たれたかのように湿っている。
旅に出てから随分と薄れた隈が型どる瞳は虚ろで、こちらを向いているのにどこか遠くを見ているように視線が定まっていない。
本人も自覚があるのか、俺の態度に答えるように血の気の引いた唇を僅かに持ち上げ自嘲気味に笑ってみせた。
「……はっ…………君たちは……何ともないみたいだね。……大丈夫。まだ、ちゃんとこれが幻覚だって分かっているから」
「いや大丈夫って様子じゃないだろ!」
「……今は、こんなこと、構ってる暇ないでしょ……? 早く行かないと、二人、が……っ」
「おい!?」
言い終わらない内に頭を抱えてしゃがみこんでしまったヨハン。
本人は大丈夫だと言っているが、流石にそれを信じる程馬鹿じゃない。
どんな幻覚を見ているのかは分からないが、いつもは取り付く島もないくらい冷静なヨハンがこれだけ苦しんでいるのだから相当酷いものなのだろう。
幻覚を見せている相手を倒さないことには解決しないことは分かっているが、苦しむヨハンをこのまま進ませるわけにもいかず、少しの時間ここで休憩をとることにした。
リュカにヨハンを見ていてもらい、俺は通路側で敵が来ないかを見張る。
しばらくして二人の元へ戻ると、ヨハンは少しばかり落ち着きを取り戻したようだった。
肩を貸して立ち上がらせると、再び歩き始める。
幻術にかかるのに何か法則があるのかと、今度は俺が先頭で真ん中がヨハン、最後にリュカという並びになったが、進めども幻覚を見る気配は一向にない。
何故俺とリュカが幻術にかからないのか、もしくはヨハンがかかり過ぎているのかは不明だが、再びヨハンが苦しみだしたことで、俺は思案の渦から意識を引き戻した。
「――……って、おいて……ないで……っ」
「おい、しっかりしろ!」
「ヨハンさんしっかり!」
錯乱したままうわ言のように繰り返すヨハン。
今度は俺たちの言葉も届かない程深く幻術にかかってしまっているようだ。
「やめて……! ……がい、だからっ……」
「っ……くっそ、すまん!」
このまま騒いでいたら敵に見つかるのも時間の問題。
俺は暴れだしたヨハンの腹にパンチを食らわせると、意識を刈った。
静かに崩れ落ちるヨハンを抱き留める。
リュカから困惑したような……どこか責めるような視線が向けられるが、気付かない振りをした。
「うぅっ…………にい、さん……」
意識を失ってなお苦しんでいるのか時たま苦しげな声を漏らすヨハンを背負い、俺たちは止まることなく足を進めた。
「――……だろうがっ! いい加減…………っ!?」
しばらく歩き続けていると、何事かを怒鳴るゲオルグの声が聞こえてきた。
耳を澄ませば小さくだがアンジュの悲鳴のようなものも聞こえる。
彼らが無事だったことに安堵するも、この先に敵がいることは必至。
緩みかけた気持ちを再度引き締め、慎重に近付いていく。
どうやらこの通路は開けた空間に繋がっていたようだ。
通路の壁に隠れ中を覗くと、壁に取り付けられた蝋燭の火がぼんやりと彼らの闘いを照らし出した。
所狭しと床に散らばる屍食鬼の残骸の向こう側――アンジュを盾にして立つのは、屍食鬼の王・屍食鬼王。
こちらを背にして闘うゲオルグが何度も斬撃を繰り出そうとするが、アンジュに配慮しての攻撃は当たらない。
彼女の後ろから魔法を放つ屍食鬼王側が圧倒的に有利だ。
ゲオルグもアンジュも幻覚に悩まされている気配はないが、このままだと負けるのは時間の問題。
静かにヨハンを下ろし、オリハルコン製の剣を抜いた俺は加勢に行く体勢に入る。
「……リュカ。分かってるな?」
「…………うん」
勝てないと思えぱ逃げること。
俺の念押しに不満げながらも頷いたリュカの頭をくしゃっと撫でる。
(屍食鬼も数体残ってるが、狙うは屍食鬼王のみ!)
屍食鬼王を倒せば、――いや、こちらに攻撃魔法を放つ以外の余裕がない程追い詰めれば、ヨハンを苦しめている幻覚も解けるはず。
俺はもう一度リュカへ視線を向けると、勢いよく走り出した。
位置的に屍食鬼王に見つからないというのは無理な話。ならば少しでも敵の懐に近い位置へ。
「遅くなった!」
「カイ!? リュカまで来たのかよ!」
横に並び立った俺たちに驚いた声を上げるゲオルグ。
近くで見ると身体のあちこちに傷を負っていて、思っていたより劣勢を強いられていたことが分かる。
奴に囚われているアンジュは意識を失っているらしく、ぐったりと頭を下げているが外傷は見当たらなかった。
「おやおや、やっぱりここは最良の巣穴ですねぇ。放っておいても餌自らやって来てくれるのですから。それにしても私の幻術がこうも効かないとは……ん? んんん? あなたたちの持っているそれはっ――!?」
「は? え、なに?」
「おいたわしや、おいたわしや。前々【魔王】ともあろうお方がそのようなお姿になってしまわれて!!」
やたらと饒舌な屍食鬼王に圧倒される俺たち。
さっきまで敵に見つからないように静かにしていた分、余計にうるさく感じる。
「前々……【魔王】、って……?」
「あなたたちの腰にあるそのナイフですよ! ガルーダ様はとても勇敢で部下にも、もちろんご自分にも厳しいお方でした。それはもう、とてもとても!」
「は、はあ」
「それが前【魔王】様に王位を引き渡してからというもの、そのお姿を見た者はおらず……よもやこのようなお姿でお会いするとは……」
屍食鬼王はしばらく大仰な素振りで嘆いてみせ、一見隙だらけのようにも見えた。
けれどゲオルグが斬撃を繰り出すために僅かに体重を移動させると、屍食鬼王はすぐに足元の地面が盛り上げ妨害してきた。
「んんん……そうですねぇ。よくよく考えれば、これはガルーダ様からの最期の叱責なのかもしれません。長年の腹心である私をあのように軽視する若造を見返してやれと。――【勇者】を殺して」
不意に向けられた腐った瞳にリュカの肩が跳ねる。
同時に弟に向けて飛ばされた毒液のようなものを魔法で弾き飛ばす。
「リュカ、後方から援護しろ! 絶対前に出るな!」
「わ、分かった!」
魔法で攻撃を防ぎながらじりじりと奴との距離を詰めていく。
隙を見て何度も攻撃を繰り出すが致命傷には及ばない浅い傷だけが残っていく。
(それでも――!)
ゲオルグ一人で闘っていたときより人数の増えた今の方が有利なのは確実だろう。
俺とゲオルグは息を合わし、剣で魔法でと休む暇なく攻撃を繰り出していく。
「ぐぅっ……!?」
お互い傷だらけで向かい合う俺たち。
いつの間にか後ろに回り込んだ屍食鬼の振り下ろした腕が俺の腕に深く傷を付けた。
振り向きざまに屍食鬼を倒し、急いで血を出して菌が入り込むのを防ぐ。
屍食鬼王がそれを見逃すはずがなく、ゲオルグの攻撃を避け、俺へ向けて風魔法を放ってくる。
「――くっ、」
「兄ちゃんっ!!」
「来るな!!」
防御魔法を放つ暇もなく転がって避ける俺に、後ろかろリュカが走り寄って来ようとしたのが分かり、急いで制止する。
敵が本当に狙っているのは【勇者】であるリュカ。
ここで焦って隙を見せれば取り返しのつかないことになる。
俺の大声に驚いたように動きを止めたリュカを屍食鬼王が忌々しげに睨む。
そしてまた俺に攻撃魔法を放とうとした屍食鬼王だったが、その上から大量の水が降り注いだ。
「《雷球》!」
次いでヨハンの声と共に繰り出されたのは初級の雷魔法。
本来なら雷魔法の中では威力の少ないそれが通用することはない。けれど水を浴びた屍食鬼王は感電し、一瞬の間動きを止めた。
言葉はなくともヨハンの攻撃の意図に気付いた俺たちは、一斉に間合いを詰め、ようやくとどめを刺すことに成功した。




