18:30 後編
世界は、新島南高等学校の屋上は、古宮祐大と朝風風花の間は、日常に包まれている。
それは傍から見れば、とても日常には見えないだろうが、少なくともこれは日常である。
ああ、震える。
待ち望んだ日常に。
いや、正確には日常ではない。日常か非日常かなど関係ない、死の世界を望んでいるのだから。
彼は鞘を、粗暴に投げる。
右手に持った"刃"は私の方を向かず、地面を向いてるが、
それでも、彼からは私を殺そうとする気迫を感じる。
俗に言う、"殺意"というやつだろうか。
実際に体験すると、それは漫画のような波状になって周りの敵に襲い掛かるわけでもなければ、それだけで失神などしない。
ただ、
彼の姿勢が、
彼の目が、
彼の腕、脚、そして、手と足先の向きが、
彼の持つ得物の切っ先の向きとその角度が、
私を殺すと、そう告げている。
きっとこれが殺意なのだ。
彼はまるで、人を殺すというのはそれだけで十分だとでも言うかのように、特別な構えなどせず、ただただ私を見つめる。
彼が一歩、前へと進む。
追い詰めるところまで、私は古宮祐大を追い詰めた。
彼がまた一歩、前へと進む。
ここで私を殺さなければ、古宮祐大は私という不確定事項を抱えながら、今後も人を殺すことになる。
彼がさらに一歩、前へと進む。
確かに、私は証拠を持ち合わせていない。
だが、私は古宮祐大が殺人鬼であると知っているし、例え闇夜に紛れて私が殺されても、遺書なんかで脅された云々と言えば、
"刺激の強い"ものが好きな方々は大きく騒いでくれるだろう。
彼は姿勢をやや前かがみに、一歩進む。歩幅は先ほどよりも広い。
古宮祐大が殺す数には5人という制約があるが、この状況でそれはありえないだろう。
現実として、制約を破ることのほうが、守ることよりもメリットが高いはずだ。
また一歩、進む。"刃"を右下に構え、刃先を私に向ける。
唯一疑問が残るとすれば、やはり何故昨日私を殺さなかったか、だ。
古宮祐大は機械ではない。
ゆえに、5人という制約に何の意味があるかも、気になる。
――――――震える。
さらに一歩、大きく進む。左手を右手に添える。私に、それを突き刺そうというのか。
でも、だが、そんなことよりも、この世界からさっさと消えてしまうことを、やはり優先すべきだ。
私は古宮祐大とは違う。
奇妙な5という数字を大事に守ることもなければ、そもそも殺人なんていうローリスクローリターンなことをしようとは思わない。
否。彼は構える場所を左下、脇腹の左へと、持ち手を変えずに移動する。
そして一際、大きく一歩を踏み出す。
――――――――思ったより、距離がない。本能的に、私の足は一歩後ろに下がる。
所詮は、古宮祐大も人間だったのだ。
いや、最初から分かっていたじゃないか。
殺人鬼なんてものは、人でなしではあっても、それ以外ではないと。
――――――震える。
首だ、と直感的に、彼の狙いにあたりをつける。
しかし、完璧に避けるには脊髄反射でももう遅い。
彼は最後の一歩を大きく踏み込み、そしてその刃を、私の首の右側面に。
遅い。私には軌道が見える。でも、その軌道が割り出されるのは、意識的に回避するにはとうに遅いタイミング。
なるほど。確かに人がものを振る測度など、たかが知れている。それもその場でではなく、移動しながらならばなおさらだ。
ではどうすることがベストなのか?
結局の所、振りを最小限に、そして相手に軌道を悟られないようにすること。この2つが大事なのだろう。
体が反応して、私はバランスを崩しながらも後ろに倒れこんでゆき、目をつむる。
彼は"刃"の振りは空を切る。
――――――いや、違う。
首が、正確には喉元が、熱い。
熱源に触ってみれば、なにやら液体が私の喉元についてる。
見なくてもわかる。きっとそれは、私の血液。
――――――震える。
死が、近い。今までにないほどに、死までの距離が近い。
地面に倒れこんだ私を、無機質な目で古宮祐大は見つめる。
「あ...あぁ....」
「――――――――――ごめんね、朝凪さん。」
震える。
彼は右手を持ち上げる。
震える。
彼は頭上で刃を逆手に持ち替える。
震える。
彼は左手を、右手に添える。
震える。
彼の目が、私の心臓を見据える
震える。
ああ、夕陽が、沈む。
私は、何に震えているの?
私は私に問いかける。
答えは簡単だ。―――――――――――――――――――――――
「僕は、死にたがりを殺すほど、暇じゃあないんだよ。」
―――――――――――何故?合理的ではない。
「正直さ、昨日の時点からそんな気はしてたんだ。」
―――――――――――何故?5人になんの意味がある?
「古厨市は随分と治安悪い場所になちゃったからね。そんな場所にわざわざ来る人なんて限られてる。」
―――――――――――何故?あなたは人を殺したいんじゃないの?
「だから、そんな場所に朝風さんが一人でいた時点で、おかしいと思ったんだよ。」
「――――ねぇ、古宮。」
「何、朝風さん?僕の推理はあってたかな?」
「あんた、なんで人を殺すのよ。」
「それ、今聞いちゃう?」
「今、この場で聞きたいわ。言わなかったら、あなたに1日でヤり捨てられたって言いふらす。」
「朝風さんに、言いふらす先の人なんていないと思うけど?」
正直、図星である。
「――――余計なお世話よ。」
「まあ、うん、そうだね。じゃあ僕がそれになってげようか?」
「は?私が、あんたみたいなキチガイと?」
「キ、キチガイ・・・。朝風さんに言われるとは思わなかったなぁ。」
「私は人を殺してないけど、あんたは何人も人を殺しているじゃない。」
「いや、僕と朝風さんは、なんだかんだ似たもの同士だと思うよ?」
「それは、どういう点で?」
声に、真面目さを含ませる。
「自分の理想のために、常識を逸脱できる所、かな?」
「私は逸脱してないけど?」
「朝風さんは確かにそういう行動は、まあ、"比較的"取ってないけど、頭の中はそうじゃないでしょ?」
「それは何?頭の中では、あなたみたいに人間を血まみれにしたいと思ってる女に見えるってこと?」
「いやまあ、半分くらいそうじゃないかとは思うんだけど」
「酷い言い様ね。私はそこまで人でなしではないわ。」
「でも、頭のおかしい死にたがりに言われるとは思わなかったよ。
―――――まあ、とにかく、僕は行動で理想を突き詰めてるし、朝風さんは思考で理想を突き詰めてるでしょ?」
殺人が、理想を?私には理解できそうにない。やはり古宮祐大は何かおかしい。
「それは否定しないけれど、あなたの行動のどこが理想を突き詰めてるのよ?」
「そりゃあ勿論、僕が人を殺す理由が―――――――――――
「ただ、"強くなりたかったから"だからかな。」
強く、なりたかった?
人を殺すことで?
なるほど、非合理的だ。意味不明だ。前後の関係が全く理解できない。
いや、きっと本人は理解しているが、誰にも理解させる気がない。
例え万人にそれが現実的でなくて、実益が低くて、価値がないといわれても、きっと彼はやめない。
そして私も、絶対にやめない。
結果として起こしたアクションは違えど、本質はきっと似ている。
「おかしいと思う?まあ、普通は思うよね。でも、僕はこれが正しいと思うんだ。」
人殺しを正しいと思う、その精神。
一般常識と自分との"差"を分かれる人間。
「...それじゃあ、なんであんたは、1週間に5人しか殺さないの?」
「え、だって、殺しすぎたら誰も近寄らなくなっちゃうじゃないか。
5人にとどめると、自分は大丈夫なんだ!みたいな人が肝試し程度に来て便利なんだ。」
なるほど、なるほど、なるほど。
「あんた、とんでもないロクデナシね。」
「社会性のかけらもない朝風さんに、言われたくないな。」
私たちは、きっと
「――――――――――――――ねえ、古宮、せっかくだから、私と付き合わない?」
似ている。
「僕は、朝凪さんを殺す予定はないよ?」
「それは今週1週間の間でしょ?それに、殺されるのが目当てじゃないわよ。」
「イマイチ話が見えないや。僕は朝風さんみたく考えられないから、単刀直入に言ってほしいな。」
―――――遠回しに、ディスられた。
「簡単に言うと、私があんたを手伝ってあげるってことよ。」
「それはつまり、僕のご機嫌をとって殺してもらうってことかい?」
「いいえ、さっきから言ってるけども、それは"主目的"ではないわ。」
「狙ってないわけではないんだね?」
「そりゃあそうよ。それに、あんたが逃げないようにする意味もあるんだもの。」
「もはやそれって鎖か何かなんじゃないかな?」
「そんなに私が不満?」
「不満というか、不安。」
「あら、自称にはなってしまうけど、私は顔も成績も、どちらかというと羨ましがられる方だと思うのだけれど。」
「大勢の前で私を殺してって言われたら、腹立たしさで本当に殺してしまいそうだからだよ。」
「私にとってはハッピー、みんなは殺人鬼が分かってハッピー。win-winね。」
「肝心の僕が損しかしてないじゃないか...」
「――――うん、まあでも、わかったよ。その話を受けよう。これ以上帰りが遅くなるとアレだからね。」
「あら、今日は朝帰りの予定だと思ったのだけれど?」
「朝帰りなんかしたら、幸せで殺人をやめてしまいそうだなぁ。」
「やっぱり早く帰りましょう。不純異性交遊なんて断固反対よ。」
「つまり朝風さんはどっちなのかな...」
夕陽はとっくの昔に沈んでしまい、周りは異様に暗い。
昼間の日常が終わり、非日常が始まる。
夜間の非日常が終わり、日常が始まる。
古宮祐大は非日常の権化であるそれをしまい、
朝風風花は内に秘めた狂気を鎮める。
ここもまた、日常が存在するが、
これから二人の日常は、非日常へと変わることを、二人は知らなかった。
明日はお休みします。
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