新たな者達
僕がゴキブリになってから1ヶ月が過ぎた。僕が彼女に殺されかけてから特に進展はない。僕はあれ以来一度も彼女に姿を見せてはいない。
これからどう行動すればいいのか悩んでいたとき、自分の名前を呼ぶ声がした。今、彼女は家にいない。一体誰が僕の名前を呼んだのか。そう思いながら辺りを見渡すと、いわゆる天使と呼ばれる姿をした少年がいた。僕は君が声をかけたのかと確認する。
「そうです。私は貴方をゴキブリにした者の使者です。少しこれからのことについて色々と説明しようと思いまして」
今頃になって説明か、と僕は顔をしかめる。
「早速説明するので、そんな顔をしないで聞いてください。まず貴方がゴキブリとして活動できるのは一年間です。既に1ヶ月経っているのであと11ヶ月ですね。しかしこれはあくまで基準です。貴方のもとの体が無くなった場合や今の姿で殺されてしまった場合はそこでおしまいということになります。そして最後の彼女との接触から次の接触が1ヶ月以上あいた場合も人間に戻る意思がないとみなし、そこでおしまいです。食事などの心配は一切要りません。死ぬまでは何も食べなくても寝なくても大丈夫です。あとは彼女がゴキブリの貴方をみてゴキブリではなく貴方として認識したとき貴方は人間に戻ることになりますが、この認識はもしかしてといった確信をもっていないものも含みます。そして人間に戻るというのは意識がもとの体に戻ることを意味します。このときゴキブリであったときの記憶や感情、そしてそれに関連するすべての情報を失います。説明は以上ですので失礼します」そう言うとその天使の姿をした少年はパッと消えていなくなってしまった。
分かったようで何も分かっていない気がするこのもやもやとした感じ。すっきりしない。でも彼女が今の僕の姿に確信を抱かせなくてもいいということは思っていたよりはハードルが低い。飛び越えられるかと聞かれたら何も答えることは出来ないが。
それより彼女との何かしらの接触をしなければならない。姿を見せてから2週間は経っている。とりあえず次の行動を考えなえればならない。
少年が僕に説明をしてから3日経った。彼女にどのようにアプローチすればいいか分からないままでいる。むやみに姿を現しても命を危険にさらすだけだ。かといって何もしなければ何の進展も起きないし、何より人間に戻ることが叶わずに終わってしまう。
そんな風に悩んでいる僕に声をかける者がいた。僕はまたあの少年かと思いながら振り向くとそこには少年ではなく、1匹のゴキブリがいた。つい驚いてしまう。
「えっと・・・どちらさまですか・・・・」警戒しながらも声をかける。相手は怪訝な顔をする。
「おかしい奴だな。どちらさまって見ての通りだけど」
「いや。名前とかを尋ねているんですが」
「な・・まえ?なんだそれ。言っていることがよく分からないんだけど、そのなまえってのは何なの」
「えっと・・自分を表す言葉というか。相手が自分を呼ぶときに使う言葉のことですね」
「・・・・。よく分からないな。相手が俺を呼ぶときは特に言葉はないな。『よっ』とか『久しぶり』ってのがなまえになるのか?」どうやらゴキブリ界には名前という概念がないらしい。
「それは名前じゃないですね。名前はもういいです。それより何のようで話しかけてきたんですか」
「それはついさっきこの家にきたばかりで食べ物の場所とかよく分からないから、もし知っているなら教えてもらおうと思ってさ」
「あ、そういうことですか」どうしよう。僕はお腹が減らなかったからゴキブリになってから食事をしていいなし、少年の説明で食事をとらなくれも大丈夫といことだったから、食料に関することは何も知らない。
「すみません。僕もよく分かっていなくて」
「そうなのか。それなら一緒に探さないか。いつもそうしているんだけど」
ゴキブリとの協力プレイか。中々できない体験ではあるが、僕にはそんなことをしている暇はない。悪いが断るという選択肢しかない。
「いや僕は一人で探します」
「そうか。じゃまたどこかで会ったとき食べ物の在り処とか色々教えあおう」そういうと名前ももたないゴキブリは僕にお尻を向けて食料を探しに行った。
俺はゴキブリになっただけではなくコミュニケーションもとれるのか。言葉だけじゃなく表情もばっちり分かったな。これは何か役に立ったりするのだろうか。
それより俺はゴキブリにまで敬語を使うなんて。どうして虫にまで気を遣っているのか。虫になってまで気を遣う必要があるのか。抜け切らない社畜魂が悔しい。