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ゴキブリになった僕  作者: 秋和翔
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 僕がこのままここにいるだけではきっと同じだろう。何も進むことはなく、ただ時間が過ぎ、僕は元の体に戻ることなく終わってしまうのだろう。

「そうだ。僕の病室に行こう。そこで僕が僕であることを示すんだ。やり方なんて分からないけど、身体に近づくことで何か起こるかもしれないし、ここにいるよりはきっと繋がりや関連性なんかに気付きやすくなるはずだ。よしそうと決まったら・・・・」

 僕はすぐさま用意をした。といっても用意するものなど何もなく、ただどうやって外に行くかを思案するだけだ。そういえばあのゴキブリ君はどこから来たのだろうか。窓の隙間とか換気扇なんかから入ってきたのだろうか。彼がどうであれ、今の状態で窓や換気扇から外に出て病院を目指すなんて危険で非効率な手段はとりたくない。もっと安全に簡単に病院まで、僕の病室まで行く方法はないのだろうか。思考をめぐらすが、中々妙案が浮かばない。

 僕が思考停止の一歩手前まできたとき、あるものが目に留まった。彼女のカバンだ。そうだ。彼女のカバンに忍び込みさえすれば、そのまま僕の病室まで安全に簡単に行くことが出来るではないか。なぜこの考えが浮かんでこなかったのだろうか、相変わらず僕は頭が固い。彼女が次に僕の見舞いに行くのは明後日。そのときに僕は彼女のカバンに入って、そのまま病室に行けばいい。


 次の日の夜、僕は彼女がいつも使っているカバンに入った。緊張・・・というわけではないが体中から脂汗が出ていた。それは僕の体を月明かりを反射させるほどで、僕の体はいつも以上の光沢を放っていた。僕は心で彼女のカバンや持ち物を汚していくことに謝りながら、バレることがないように奥へと進み身を潜めた。

 夜が明けてアラームの音が聞える。彼女はいつも通りに支度をし、カバンを持って家を出た。いつもと違うのはそのカバンの中にゴキブリが入っていることぐらいだろう。彼女が外に出て、しばらくはカバンの中に隠れていた僕だったが、外の様子がどうしても気になってカバンをよじ登り顔を出した。

 場所は地下鉄へと向かう階段を下りている中途だった。僕は初めてこの階段を下りたときのことを思い出す。あの時は初めて一人暮らしの彼女の家に行って、久しぶりに緊張して帰るときほっと胸をなでおろしたけど、この階段に来る頃にはまた彼女のことが恋しくなっていたっけ。

 彼女は改札を通り地下鉄で病院の最寄り駅に降りる。病院内の売店で水とおにぎりを2つ買い、エレベーターに乗り5のボタンを押す。そして5階で降りると慣れた様子で僕の寝ている病室に向かい、「来たよー」と明るく声を出しながらドアを開ける。返事はもちろんない。彼女は小さくため息をつくと、ベットに近づく。僕は事故以来初めて自分の姿をみた。いや、鏡や水面を介さずに自分をみるという点では生まれて初めてある。

 今の僕の瞳に映る僕は痩せていて活力がなく魂ここにあらずといった感じだった。魂が一つかつ分割できないもので、それがゴキブリの僕だと仮定するならば当たり前のことなんだけれど。

 彼女はベッドで寝ている僕の頬を優しく撫でながら寂しそうな表情をする。病室に来るたびに彼女はこんな顔をしているのだろうか。早く頬を撫でる彼女の手を握りしめてあげたいと強く思った。

 彼女は机にカバンを置き、窓を開け、椅子に座った。彼女は何か喋るわけでもなくただ僕を見ていた。僕はカバンから出てベッドの下に隠れた。

「8ヶ月・・・。もう8ヶ月。いつまで待てば起きてくれるの。ねぇ、待つのは疲れた。早く、早くしないと待ちきれない。私いっちゃうよ。ここにいる意味が・・・・分からないんだもの」

 彼女はそんなことを小さく小さく呟いた。そんなとき優しい風が吹いた。温かく包み込むような風だった。彼女も僕と同じことを思ったようだった。

「こんなに温かくて優しくて包み込むような風なんて久しぶり。まるで誰かに抱きしめられているような気がする・・・。いや、もしかしてこれって。そうよ、きっとそう。これはメッセージよね。僕はここにいるって。すぐに行くわ」

 彼女はそう言いながら窓に近づいていった。僕は嫌な予感がしてベッド下から出て彼女を追いかけた。しかし僕が追いつくよりも先に窓枠に手をかけ足をかけ、外に飛び出していった。そして鈍い音が響いた。

 僕は状況がのみ込めず目の前が真っ暗になった。

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