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赤道  作者: につき
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赤道(詩)についての覚書

これは解説などというおこがましいものではなくて、わたし自身のための覚書として残しておくものであって、ついでに投稿してしまおうという浅ましい行為でもあります。


【幻想】

 ここでいう幻想とは、思いや考えであるが、それは一面的なものであったり、もっと根源的なものであったりする。

 一面的なものの例では、前から歩いてくる人が知らない人であるという幻想がある。もしかしたら知人の知人であったり、どこかで何かの関連があるのかもしれない。それが本当であった時、見知らぬ人はそうでなくなり、その考えは幻想となる。つまり、そのような可能性を無視することで我々は世界を単純化デフォルメしている。当然、そうしなければ脳で処理しきれない情報爆発が起きてパニックになるからである。これは我々が幼少より身に付けた処世術というよりもっと原始的なフィルタリングであるが、本来これは対症療法的な処理であって根本的な解決ではない。もっとも全てのifを看破することなど出来ない。現在時点では。しかし、過ぎた日々のifだったことは全て明らかになっている。つまり、全てのifは今この瞬間に明かされていく。全ての幻想は今この瞬間に暴かれていく。そして残った実際だけが過去と呼ばれる。我々は霧の向こうからやって来るifの群れを、きっと羊の群れだと思いたがるが、そこにはそうでないものも混じっている。目前に至ってはっと気付き、狼狽えてしまう。

 根源的なものの例を挙げれば、わたしという幻想がある。これは後述する実存と深く関わるが、まずわたしは実存していることにする。そしてわたしという実存を「わたし(実存)」と呼ぶことにする。それから、わたしという意識、自我は形のない思考体であって、「わたし(実存)」から湧き上がる水煙のような曖昧糢糊なものである。これを「わたし(幻想)」と呼ぶことにする。つまりは自我などは曖昧なものであって、光の方向によってさまざまにプリズムのように色を変えていく。この「わたし(幻想)」のまとめ役のような核に、「わたし(実存)」が深く関わる。「わたし(実存)」の意思のような方向付けのようなものが、「わたし(幻想)」を求心する重力となっている。これは或いは遺伝であり、或いは育ちである。犬に育てられた少女が犬の己を自我として持ち、やがて教育で人間であることを取り戻したのちに、遺伝である己の自我の核を思い出すように。

 「わたし(幻想)」は、「わたし(実存)」が消えると同時に消える。つまり、終末と常に向き合っている。そして同時に世界の全ても消える。わたしにとって、わたしのいない世界は無いのだから。しかし、世界は実存し続ける。その意味では、「わたし(実存)」もまた幻想である。「わたし(幻想)」には、そのことをどうすることも出来ない。幻想は実存に触れることは出来ない故である。


【実存】

 全ては実存する。そうなのだ。全ての思い、物、触れることの出来る物、出来ない物、感じることの出来るもの、出来ないもの全てが。その瞬間、幻想の中で幻想は実存している。幻聴を聞く者にとっては、耳を塞いでもそれが聞こえるように。幻覚を見る者にとっては、目を開けばそれが見えてしまうように。抗えない事実として全ては実存する。例え誰かにとっては嘘であっても、それを信じるものにとっては真実であるように。

 しかしながら、真実として実存する世界と(これを「実存世界」と呼ぶことにする。)、幻想として実存する世界(これを「幻想世界」と呼ぶことにする。)とがある。前述の幻聴や幻視や嘘などは「幻想世界」の最たるものである。「わたし(幻想)」もまたそのカテゴリに含まれる。或いは貨幣経済もそうである。実体を持たず価値だけを約束された貨幣の対価として実体のある労働や、物、サービスが贖われる。そして「実存世界」とは、世界そのもの。宇宙。そして花の一輪。蜂の羽音。美しい歌声。「わたし(実存)」は「実存世界」の確かな一部であり、「わたし(幻想)」は、そのことの実感を通して「実存世界」の全てと繋がる。「わたし(実存)」は一であるが、「わたし(幻想)」はその一を通して全である「実存世界」)と繋がり、全であることを知る。そして「わたし(幻想)」は全を感じるが故に、一である「わたし(実存)」を担保する。しかしながら前述のように、わたしが消えれば世界は消える。その意味では世界は幻想なのだ。


【赤道】

 我々は左右対称ではない。我々の肉体と共に魂は幻想と実存に分かれ発達していくのだ。いつの間にか分かれていく自と他として。この生まれ落ちる前からの理を破ることをわたしは幻想する。わたしを縦に真っ二つに裂くように赤道が走り、濛々たる蒸気の中で実存と幻想は溶け合い不可分となる様を。真理とは自他不可分であるのだから。そして実存は真理であり、「わたし(幻想)」はそれを見つける者であるのだから。

我ながら理屈っぽいなーとは思いますが。備忘録的に。

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