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僕と幼女の幸福な1ヶ月  作者: オクトパス
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12月2日(土) 不安の概念

 目が覚める。朝日が入ってこないので朝かどうか良く分からないが、時計は既に八時を指していた。ゆっくりと起き上がり、ちゃぶ台の上に置いてあった眼鏡を装着する。しかし、すぐ目の前に変な模様が見える。慌てて眼鏡を外すと、眼鏡には大きなひびが入っていた。フレームも微妙に曲がっている。眼鏡を直すにはかなり費用がかかる。これで我慢するしかなさそうだ。アニメや漫画のようにコマが変われば直っていた、とかなら良いのだけれど。


「あ、キョウ。おはよう」


「お、おお…おはよう」


 眼鏡は邪魔なので外して、立ち上がる。真奈はちゃぶ台の前に正座していた。起きたら真奈がいるという光景が僕は幸せだった。僕はそれだけで、自殺を思いとどまれる。


「あ…そういえばあの幼j…じゃない、女の子は?」


「私の膝の上」


「…ん?」


 僕は言われて真奈の膝を見る。そこには未来と言う名の幼女が気持ちよさそうにスヤスヤ眠っていた。いつの間にか僕の服から、女の子らしいぴったりの服に着替えていた。


「これ、昔私が着てたの」


「そういえばこんなの着てたな」


 僕は未来の体を一瞥する。髪の毛は腰まで伸びている。どうやら真奈が整えたようだが、それでもやはり艶やかでは無い。体の大きさは大体六歳、つまり小学一年生。


「ま、とりあえず朝ごはん食べよ。話は未来ちゃんが起きてから」


「それもそうだな」


 僕は真奈が持ってきてくれた弁当を食べる。子供の頃から慣れ親しんできた味だ。僕にとっての、お袋の味。


「…ん~ん…うー…」


 弁当を食べ終えたところで、呻き声のようなものが聞こえた。それも女っぽい声だ。真奈のものでは無いので、残る選択肢は一つ。


「あ、起きたみたい」


 真奈の膝で寝ていた未来が眠たそうに目をごしごし擦りながらゆっくりと起き上がる。僕が彼女の顔をちゃんと見たのはこれが初めてだった。くりくりの大きな目、腕には肉がほとんど無いのにもかかわらず、顔はぷにぷに柔らかそう。可愛らしい唇。不覚にも見蕩れてしまった自分が恥ずかしい。


「ここ…どこ…?」


 未来はさっきまでは眠そうだったが、我に返ると狭い部屋を隅々まで見渡し始め、そしてまた僕の顔に視線が戻ってくると、


「もしかして、ふしんしゃさん、ですか?」


 と、非常に人聞きの悪い言葉を放った。困惑する僕に、真奈は意地悪そうな笑みを浮かべる。


「まあ確かに不審者っぽいよねー。薄汚い恰好だし…なんか眼鏡かけてないと人相も悪いし」


「失礼すぎない?何度も『キモイ』とか言われた事はあるけどそれはちょっと…」


「ごめんごめん。調子のった」


 真奈はペロッと舌を出して手を合わせる。真奈のからかい癖はいつもの事なので仕方が無い。


 それは置いといて、今は未来の方だ。ずっとわけがわからないという風にちょこんと座ったままキョロキョロしている。とりあえずどうにかしないといけない。『拾ってください』とは書いていたが、別に育てろ云々とは書いていない。下手に幼女を家に匿っていたら確実に変人認定されて社会的に抹殺されるであろう。つまり、僕がやるべき事は一つ。


「警察に届けよう」


「えー?こんなに可愛いのに?」


「馬鹿言え。流石に幼…小さな女の子を家に置いておくのはまずいだろ。もしかしたら捜索願が出されてるかも知れない。それに身元ぐらいは特定した方がいいだろ」


「ふーん、キョウってこういう時だけは頭が冴えるね。テストの点は悪いのに」


「このぐらい常識だろ」


 ただまあ、捜索願が出されている確率はゼロに等しい。ダンボールで捨てておいてそれはあり得ない。だが、せめて身元は理解しておいた方がいい。最悪、ここに住まわせる可能性もあるのだから。


「まあ正論だね。じゃ、着替えて交番行く?」


「ああ…そうだなー」


 と、僕が立ち上がると、未来が服の裾を軽く引っ張ってきた。こうして見るととても小さな身体という事が分かる。頭が僕の腰くらいまでしかない。僕も昔はこんなに小さかったのか…


「交番…やっぱり不審者さんなの?」


 ジト目で未来が言ってくる。こ、これは…幼女に上目使いのジト目をされているっ…!いかん、何かに目覚めそうだ…テレビやパソコン、そして俗世から離れてきた俺には刺激が強すぎる…!


「何馬鹿な事考えてんの…さ、行くなら早く行こうよ」


「…っ…ああ、そうだな」


 本当に馬鹿な事を考えていた。幼女パワー恐るべし…とかまだどうでもいい事を考えながら服を着替えた。その間、未来はじっとこちらを見ていた。背丈的にどこを見ていたのかはお察しください。


●●●


 外に出た。眼鏡をかけてないので少し足元が不安定だ。つぎはぎだらけの汚いダッフルコートだが着ないよりはマシだ。しかしそれでも今日は寒い。まだ十二月の筈だが…とりあえず寒い。一方の真奈はカーキ色のダウンジャケットを着込んでいるので見てるだけで暖かそうだ。未来の方はと言うと、小さい冬服が見当たらなかったので大量の毛布に身を包んでいる。転んだら危なそうだ。というか、テルテル坊主っぽい。


「あれー?交番ってどこだっけ…」


「ていうか交番ってあったか?」


 そもそも学校に行く以外に外に滅多に出ないのでこの辺りの地形には詳しくない。引きこもりだからコンビニに少し買い物に行こうとして一日中迷う事もたまにある。


「これはもう…未来に直接訊くしかないか」


 僕は腰の位置にいる未来を見下ろす。というか、自然に見下ろす形になるので少し違和感がある。具体的には首が痛くなる。ので、一旦止まって未来の頭の位置に合わせて屈む。


「なぁ?未来ちゃぁん?君、苗字は何だい?」


「ひっ…」


 怯えられた。軽くショックだ。そんな露骨に嫌そうな顔しなくても…( ゜Д゜;)(こんな)顔してたし…


「その言い方じゃ不審者だよ…」


「そ、そうなのか。人に話す事少ないし…特に小さな女の子には…」


 学校では孤立しているので、たまに生徒に呼び出された時に少し喋るぐらいだ。まあ一方的に罵詈雑言を浴びせられて反論の余地なく殴られるのだが…


「しょうがない、代わりに私が訊くよ。未来ちゃん、苗字は何て言うのかな?」


 真奈も屈んで未来に問う。すると、未来は軽く首を傾げた。


「苗字は…分かんない…」


「ああ…分かんないのかぁ…」


 真奈は一瞬困った顔をするが、すぐにいつもの誰にでも愛されるような笑顔に戻った。


「じゃ、じゃあ…自分の家は分かるかな?」


「んん…分かんない」


「なら…何であんな雨の日に外にいたのかな?」


「分かんない…」


 未来は少し申し訳無さそうに俯く。声は段々泣きそうになっていて、目も涙目だ。


「真奈も泣かせてんじゃん…」


「うーん…色々一気に訊きすぎたかな?」


 真奈は軽く頭を掻き、立ち上がる。未来が泣きそうになった理由は分からない。美人すぎるお姉さんに問い詰められて混乱したのか…それとも、誰かに口止めでもされたか…口止めされる理由なんて知らないけれど。きっと…


「しょうがない…交番に行くしかないな」


 という事で、結局僕らは交番に行く事になった。真奈のスマホで調べた結果、意外に近くにあったのですぐに向かった。交番には一人の警官が眠たそうに座っていた。


「すみませーん」


「…?はいはい、何かな」


 僕が呼ぶと警官は慌てて立ち上がって、こちらにやって来た。何だか頼りなさそうな顔だな…


「あの…この女の子…迷子らしいんですけど、家とか分かります?」


 僕が未来の方を見て言う。すると、警官は露骨に面倒臭そうな顔をして頭を掻きむしった。うわー…頼りにならなさそうだ…


「…ん…?この顔、どこかで見たような…確か、昔…いや、もっと大きかったか…」


 警官は突然真面目な顔になって未来の顔を見つめる。幼女を見つめるおっさん、というなかなか酷い絵面だが警官なので問題は無い。


「昔ってどのくらいですか?」


「ぐぬぬ…確か…ここに赴任してきた時だ…赴任してきたのが五年前ぐらいだから…」


「は?」


 未来はまだ正式な年齢は不明だが恐らく五歳ぐらいだ。五年前なんてほぼ生まれたての赤ちゃんだ。顔なんて今とは全然違うだろう。よって、恐らく違う人だ。やっぱり頼りにならないなぁ…


「…まあ、迷子だっていうならこっちで預かるけど?」


 警官はまた面倒な表情になって言った。確かに頼りなさそうだが、それでも警官なのだからちゃんと仕事ぐらいはしてくれるだろう。僕らが預かるよりは警官の方が安心だろうから…


「ちょ、ちょっと待ってください」


 突然、下の方から声が聞こえた。未来だった。額に汗を浮かべ、慌てたように叫ぶ。


「私…じゃなくて…ボ、ボクは迷子なんかじゃありませんっ!この二人の子供です!」


 …は?


「え、子供…?この子たち、高校生ぐらいに見えるけど…違うの?」


 警官に疑問の視線を浴びせられるが、言葉が出ない。何故、未来はそんな嘘を吐いたんだ。もしかすると、やはり彼女は…そう考えると、ここは彼女の考えに乗っかった方がいいのかも知れない。だが、そんな事よりも…『ボク』って言った?今、ボクって言った?まさか…ボクっ娘?幼女とボクっ娘が合わさって最強に見える…!


「…そうですね。僕らは親です」


「えっ!?キョウ、何言って…」


 真奈が慌てたような表情になる。だが、そんな事にはお構いなしだ。出会った時から決まっていたんだ。僕には未来を『守る』義務がある。この世の不条理と理不尽から…


「でも、さっき迷子って言ったよね?」


「そ、それは間違いです。すみませんでした。本当に何でもありませんので、失礼します」


 僕は早口でまくし立てた後、すぐに回れ右をした。そして、未来の手を強く握り、早足でその場を去った。真奈も困惑していたが、結局何も言わずに交番を去った。流石、物分かりの良い人だ。


●●●


 家に帰る。家に入っても暖房もストーブも無いので外とほとんど気温が変わらないので、帰ってもコートは脱げない。むしろ外より色々着る。そこら辺に転がっている毛布をあるだけ体にかける。こうなるともう動けない。ただ、部屋の中はいつもより人口密度が大きいので心なしかあったかく感じ…たりはしない。


「で、色々よく分からないんだけど…」


 帰ってすぐに真奈は困惑顔で言う。それもその筈だ。僕らは未来の親という事になってしまった。つまり僕は父親、真奈は母親。子供を産むというのはつまり…いかん、それ以上考えていては…


「…あの警官には任せておけないって思ったんだよ。それに、この娘、多分…」


「えー…別に私はいいんだけど…既に夫婦みたいなもんだし」


 既に夫婦…ふうふ…ふうふふふふふ…顔がにやける。


「未来ちゃんの親は大丈夫なの?」


 真奈は心配そうに未来を見る。だが、問題は無い。この娘は親から逃げなくてはならないのだから。僕と同じように…まあ、推測の範囲内でしかないのだけれど。


「問題無い。未来が望んでいるのはここにいる事だ。そうだろう?」


 そう言うと、未来は黙って首肯した。ちなみに未来は部屋の隅っこで体育座りをしている。そういえば、部屋ではほとんど喋っていないのに、交番では大声で叫んでいた。あんな声が出せるとは思っていなかった。


「うーん、私はいいんだけどね…じゃ、そうと決まれば色々準備が必要だね」


 やはり真奈は未だに納得していないようだが、許可は下りた。しかも何だか乗り気である。そういえば最初はここに置いておこうとか思ってた感じだった気がする。しかし、真奈が納得しないのは分かっていた。僕の時もそうだった。最初は一人暮らしに反対していたし…


「準備って具体的にどんな?」


「えー、親とか警官に言っておいて考えてないのー?」


 真奈は挑発的な笑みを浮かべる。あの時はほぼ何も考えずに口に出したので一つも考えていなかった…自分の事で精一杯なのに子育てなんか出来るわけも無い…ここは真奈に任せるしかないな…


「…考えて…ないです」


 すると真奈はやけに勝ち誇ったような笑みを浮かべて、拳を腰にあてて仁王立ちになる。何だか嫌な予感がするぞ。真奈はお節介だ。そして負けず嫌い…ここだけ聞くと非常に厄介な性格に見えるが、この性格のおかげで僕は救われたのだ。文句は言えない。


「ま、とりあえず服は買わないとね。私のお下がりだと悪いし」


「そうかあ?似合ってると思うけど」


「ダメダメ!さ、もっかい出かけるよ。とりあえず服と…少しぐらいおもちゃも買って…あ、ついでにキョウの眼鏡のレンズも買える?」


「僕の眼鏡はついでか…ま、いいけどさ。それよりお金は?」


「大丈夫だって。私のお金を使うから。キョウのお金はこういう事に使う物じゃないしね」


 それは正論だが、全部自腹というのも流石に悪いだろう。いつか聞いた話だと、真奈はお小遣いはこの年で千円しか貰えていないらしい。服とかおもちゃなんて買ったら財布がすっからかんになるだろう。僕が未来を泊めると言った以上、僕にも責任はある。


「大丈夫だよ。レンズ代ぐらいは僕が払うし、隣町のデパートに行くんなら電車代だって出すさ」


「え…それは…悪いよ」


「大丈夫だって。そろそろ『協力者』からお金も届けられるだろうし…先月は思ったより出費が無かったからお金も余ってるし」


「うーん…そこまで言うなら、お願いね」


 真奈は渋々、と言った感じだが了承してくれた。『協力者』というのは、僕が一人暮らしを始めてから僕の元にお金を送ってくれる人の事だ。正体は不明だが、恐らく僕の知っている人だろう。それも、一人暮らしをすると分かっている人。毎月、高校生が持つには結構な額が送られてくるが、大体が高校の学費に吹っ飛ぶので自分に残るのは最低限の食費や銭湯代や…だ。


●●●


 で、色々あってデパートまでやって来た。電車代は約束通り僕が出した。高校生二人と小人一人なので意外と金がかかってしまった。未来はあれ以来ずっと黙っているが、普通に大人しく付いてきた。とりあえず手のかかる娘では無いようだ。手がかからないようにされただけかも知れないが。


「やー、久々だねー、ここ」


「俺は軽く十年ぶりだぞ」


 そう、最後にここに来たのは小学校に上がる前ぐらいだ。なので、ここら辺の地形はもうほとんど覚えていなかった。


「なんか…ほんとに親子みたいだね」


「…確かにそうだな」


 周りには土曜日という事もあって沢山の家族、カップルがいる。その中にいると確かに家族っぽい。本当にこれが家族だったらよかったのに…実際は全員一切血も繋がっていない。


「じゃ、これからどうするんだ?」


「そうだね…私と未来ちゃんは服を探しに行くよ。採寸もしないといけないしね。だから…キョウはおもちゃでも探しといてよ。お金は渡すから」


「おお…結局別行動なのか…」


「じゃあ一緒に行く?」


「…いや、いい」


 僕に服を選ぶセンスなんて無いし、おもちゃなら昔、父親に沢山貰ったので一応選ぶ事は出来るだろう。逆に真奈の方は家が厳しくておもちゃやらゲームやらで遊んだ事は無いので選べないだろう。適材適所というものだ。


 僕は真奈から一万円貰って二人と別れた。未来は相変わらず無言だった。一つも楽しそうな顔をしない。でも女の子なんだから服を買えば喜ぶんじゃないだろうか。などと考えながらおもちゃ売り場に辿り着いた。


「何買えばいいんだろう…」


 このデパート自体かなり大きいのでおもちゃ売り場もでかい。おもちゃも大量にあるし、昔とはおもちゃも変わっているのでさっぱり分からない。周りでは子供の泣き声が聞こえる。おもちゃを買って貰えずにだだでもこねてるのだろうか。


「とりあえず僕が知ってるような奴でいいや…未来の好みも分からないしな」


 高校生が一人でこんな所をうろついているのは異様なのか、かなり視線を集めている。だが、視線と嘲笑には慣れている。僕はお構いなしに一万円で買える範囲でおもちゃを取っていく。女の子らしくアイロンビーズ…頭を鍛える為ならルービックキューブ…とりあえずビー玉転がし…適当にトランプとUNO…昔よく父親とやった将棋…ジェンガもいいな…一万円で買えるのはこれぐらいだ。僕はそれらを籠に入れてレジまで運ぶ。


 ふと、棚に綺麗に並べられているぬいぐるみに目が行った。女の子ならぬいぐるみが好きだろうな。しょうがない、自腹で買ってやるか。高いけどな…


 買い物を終え、真奈に合流する為に服売り場へと向かう。正直、こういう時にスマホなどの連絡手段が無いのは不便だ。買い物袋も色々買ったおかげで結構な重量だ。どれか一つでも喜んで貰えればいいのだけれど…


「あはははは!超ウケる!」


 突然、女の笑い声が聞こえてきた。しかもどこかで聞いた事のある声。無論、真奈のでは無い。真奈はこんな汚い笑い声は出さない。声の主を見ると、そこには男女二人組のカップル…ああ、あれは僕の『一応』クラスメートだ。付き合っていたとはたまげたなぁ…まあ今時の高校生はそういうのが盛んだからな。


 というか、その笑い声は僕の方に向けられているではないか。カップル二人はこちらをチラチラ見て嘲笑する。やがて、男の方がこちらにやって来た。私服は僕のような古臭いやつじゃ無く、バッチリ流行を押さえている。流行なんて知らないが。


「よう。えーと、冬野か。ごめんな、名前忘れてたわウェーヒヒヒwwwww」


「ああ、そうなのか。僕も君の名前は覚えてないよ」


「はぁ?マジで言ってんの?クラスメートの名前を覚えてないなんて酷いなぁ?ひ、ひひひ、ウェヒャヒャヒャwwwww」


 なんて下品な笑い方だ。まあ、やる事も下品で下劣で外道なのだからしょうがないかも知れない。


「つーかさぁ、ひひひ、お前なんでこんな所来てんの?あ、そおかあ!彼女さんと来てるんだなぁ?ひひひひひひwwwww。しかし彼女さんも可哀想だよなぁ、こんな奴とさあひゃひゃひゃひゃひゃwwwww」


 僕はレジ袋を握っていた拳を更に強く握る。やめろ、真奈を笑うな。僕は笑ってもいいが、彼女だけは…


「真奈を…笑うn「おーい!キョウ!」


 僕が抗議しようとしていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。僕を『キョウ』と呼ぶのは彼女だけだ。


「…ふーん、あれがな…まあいいや。じゃ、また今度学校で会おうぜうひゃひゃひゃひゃひゃwwwww」


 それだけ言うと、カップル二人は哄笑しながらどこかに行ってしまった。良かった…普通に殴られるぐらいは覚悟していたのだが。


「あれ、誰?」


 真奈と未来がこちらにやって来て言う。二人は別に手を繋いだりしていなかったが、未来は普通に付いてくるので問題無いのだろう。それに、多分手を繋ごうとして未来に拒絶されただけかも知れない。


「まぁ…知ってる人だ」


 勿論、友達なんかじゃない。生憎僕はクラスの皆が友達、などという思想は持ち合わせていない。クラスメートだとも僕は思っていない。そして、最早知り合いですら無い。ただ、顔を知っているだけ。ただ、それだけ。


「ふぅん…そうなんだ。それよりさ、どうどう?この未来ちゃん。可愛いでしょ?」


 言われて僕は未来の方を見やる。確かに別れた時とは身につけている物が違った。さっきまでは急に用意した為か、特に柄も模様も無い服だったが、今は違う。ピンクの可愛らしいダウンジャケットにフリフリのスカートと白のタイツ…まるで人形のようだ。


「というか、着せ替え人形だな」


「そだね。他にも色々服、買ったんだ。毎日同じだとつまらないだろうしね」


「金かかったんじゃないのか?」


「まあ、ね」


「…悪いな」


 僕は軽く頭を下げる。やはり真奈ばかりに負担を押し付けるのは心が痛む。だが、真奈は慌てたように僕の頭を無理矢理上げさせる。


「いいんだって…好きでやってる事だし。それに、キョウの考えに付いていくって、昔決めたし」


「…そうだったな…じゃ、用も済んだし帰るか」


「待った待った。眼鏡、直すんでしょ」


「ああ、そういえばそうだった」


 すっかり忘れていた。レンズ代にしようとしていた代金もぬいぐるみに使ってしまった。結局、真奈に頼らないと僕は生きていけないんだな…


「ところでどんなおもちゃ買ったの?」


「ああ、そうだな…見てよ、未来が好くかどうかは分からないけど」


 そんな他愛の無い会話をしながら、僕らは眼鏡売り場に向かった。未来は折角服を着替えたのに楽しい顔一つしなかった。心を閉ざしてしまっているのだろうか。心を闇で覆われているのだろうか。だったら…僕が闇を取り除かなくてはならない。光に変える事は出来なくても、闇を消し去るだけなら…


●●●


 昼食をファストフード店で食べ、眼鏡をバッチリ直して家に帰った。家には一切の現金が無くなってしまったが、丁度ポストに『協力者』からの仕送りが来ていた。相変わらずとんでもなく分厚い封筒だ。この中には大金が入っている。どこの誰かは分からない。でも、感謝をしなくてはならない。このお金が無いと生きていけないのだから。


「え、銭湯に未来と!?」


 家に帰ってから突然真奈が提案していた。今日はデパートでほぼ一日潰したのでもう午後六時。丁度、いつも銭湯に行く時間なので、準備をしていた時の事だ。


「そ。裸の付き合いって言うでしょ?」


「いや、それは…犯罪にはならないだろうか」


「大丈夫だって。基本ああいう所は小学生ぐらいまでなら男湯だろうが女子も入っていいでしょ?」


「まあ、確かにそうだが…」


 僕が渋っていると、真奈は突然僕の耳元に顔を近付けてきた。甘い香りがする。昔から匂ってきた匂いだ。この匂いを嗅ぐと何故か安心してしまう。


「それに…キョウに銭湯にいる間に色々情報を聞き出してほしいしね」


 僕は相変わらず座り込んでいる未来に視線を向ける。未来は視線を合わせようとしない。僕は観念し、未来の元に歩いていき、彼女の頭の位置まで屈む。


「一緒に…入るか?」


 未来は黙って首肯した。しょうがない。理性を保てなくなる可能性があるので出来るだけ未来を見ないでおこう。じっと見ているとそれこそただの犯罪者だ…というか、幼女を見て理性を保てなくなりそうな自分が情けない。


●●●


 僕はタオルと寝間着を持って銭湯に向かう。いつもは一人だが、今日は未来を連れている。未来も真奈に今日買って貰った寝間着を持ってきている。六時とはいえ、冬だと既に真っ暗だ。本物の不審者に遭ってしまったらマズい。そうだ。これは未来を悪の手から守るだけ…決してやましい気持ちは無いっ!


 と、自分を正当化して未来の手に僕の手を伸ばす。すると、サッと避けられた。僕は諦めずに手を繋ごうとするがその度に避けられる。僕の事を親と言った割に随分な嫌がられ方だ。


「…不審者にあったら困るだろ?」


「うっ…」


 未来は軽く呻き声をあげ、怯えたような顔になりながらもおずおずと僕に手を伸ばしてくる。何か複雑な気分だ…だが、僕はその気持ちをぐっと抑えて未来の手を握った。小さくて細いのに、どこか温かく柔らかい手。ずっと握っていたくなるような感触だった。


 銭湯に着く。家からは歩いて五分程度だ。いつもいる管理人のおばちゃんに挨拶して、男湯の暖簾の前に立つ。そして、未来の方を見る。


「…未来、ほんとに男湯でいいのか」


「…ん」


 未来は首肯する。しかしまあ、感情の起伏の少ない娘だ。まったく、少しは笑えばいいのに。折角の可愛い顔が台無しだ…と思っていたら、未来の顔が朱に染まっている事に気付いた。恥ずかしいのか…僕まで顔が熱くなってきてしまった。


 脱衣所に突入する。この時間は人が少ない。そして運良く今日は僕ら以外に誰もいない。幼女を連れて高校生が銭湯にいるなんて怪しい光景、人に好機の視線を向けられるのは目に見えていた。実際、さっき管理人のおばちゃんに白い目で見られたし。


 適当な場所を選んで服を脱ぎだす。眼鏡も取る。ふと、未来の方を見る。未来も着替えを始めようとしていた。視力が悪いせいで全然お着替えが見れない…っ!ここまで視力の悪さを呪った事は無い。とりあえず下着以外を脱ぎ、一瞬躊躇するが、一気に下着を脱いでタオルを腰に巻く。隣からは衣擦れの音が聞こえ続ける。どうするかなぁ…これ。


「脱いだよ」


 未来が言う。僕は目だけを未来に向ける。うん、よく見えないけど未来の体は既に肌色になっているので全裸になっているのだろう…視力が良かったら今頃死んでた。ここまで視力の悪さを祝った事は無い。


「じゃ、入るか」


「…うん」


 銭湯に突入する。湯気が漂っていて視界が悪い。とりあえずシャワーで体を流す。久々の外出なので体も汚れているだろう。未来も黙って体を流していた。そして、湯船に入る。周りは青いタイルで囲まれており、壁には大きな富士山。いい湯加減だなぁ…今日は疲れたから尚更気持ちいい。


 未来も湯が熱いので暫く躊躇していたが、脚を浸けた後、ゆっくりと体を湯に入れた。それから数分間黙って二人、湯に浸かる。何だか妙に居心地が悪い。突然隣にはげたおじさんが座って世間話を始める時よりも居心地が悪い。どうすっかなぁ…何か話さないとなぁ…


「わた…ボク…さ」


 未来が突然口を開く。僕は未来に視線を向ける。未来から話すなんて、何を言うつもりだろう。


「ボク…実は…後…」


「後、何なんだ…?」


 未来は、富士山のてっぺんを見つめる。僕も未来から視線を外して富士山を見る。とても雄大で…僕の、父の姿のような大きな山…


「ボク、実は後…一か月しか生きられないんだ」


 …は?


「余命…一か月なの」


 …意味が分からない。僕は再び未来の方に視線を戻す。未来は表情一つ変えずに次の言葉を紡ぐ。


「昨日から一か月だから…残り今日を入れて三十日…」


 やけに大人っぽい声音で、やけに大人っぽい仕草で…未来はそう言った。

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