4月20日(月) 昼 夜からの使者2
追記 修正 05/25 05/28
「あの、それでどこまで行くんですか?」
伊之助は後ろを振り返ることなく進む姫浜先輩の背を追いかけ、すこし早足になって隣に並ぶと自分に比べて肩くらいの高さしかない彼女へ訊ねる。
「うん、部室まで。言ったでしょ、昨日の夜のことで話があるって」
「部室……昨日の……夜……?」
「あれー? まだピンと来てないのかな。昨夜の旧校舎のことなんだけど」
旧校舎という単語で伊之助の脳裏に浮かぶのは昨夜の恐怖体験。それに伊之助に生徒手帳を落としたという記憶は無い、ひょっとしたら気を失う直前に出会ったあの人影がこっそり抜き取ったのかもしれない。
伊之助は懐にある生徒手帳に手を当てながら空を仰いで眉間に皺を寄せる。
「その様子だと心当たりがあるみたいだね。よかった、人違いじゃなくて」
ほんわかとした笑みを浮かべる姫浜先輩に伊之助は思わず顔を赤らめる。
「さて、着いた。さぁ入って」
「入るって、ここに?」
「そそそ。私達の部室なの、さぁ」
姫浜先輩はガラリとドアを引いて伊之助を中へ入るよう促す。
廊下から覗く範囲で見える分に不気味な要素は無い。ゴクリと喉を鳴らしてから部室とやらへ入りそのまま部屋の中央へ進む。
そして伊之助の後を追うように姫浜先輩が部屋へ入ると、
――ガチャリ
「え?」
内鍵ではあるが鍵のかかる音に驚いて、伊之助は思わず声を出してしまった。
「うん?」
「いや、そんな風に無害そうな表情を浮かべてもダメですよ。どうして鍵閉めたんですか!」
少しの間があって、ぽんと手を打つと姫浜先輩は鍵を外した。
「いや、いつもの癖でね。そうだよね、私みたいなのと2人きりで密室だったら怖いよね」
「怖くはないですよ、むしろ嬉しい。ちがう、そうじゃない! 癖ってなんですか?」
「あはは……。この部の活動内容が特殊でさ、部外者に聞かれると不味いこともあるんだよね。……昨日の旧校舎、幽霊に出会って大変だったでしょ」
「そうなんですよ、ほんともう、死ぬかと……」
伊之助は姫浜先輩の何気ない会話に乗せられて口を滑らせ、そしておやと首をかしげた。目の前の彼女は昨日、伊之助が体験した出来事をまるで見てきたかのように語り、それを当然のように肯定する。
少なくとも――、と伊之助は思考を切り替える。
昨日の出来事は非日常であり、普通であればルームメイトの高越のように信じず、からかうネタにしかなり得ない。しかし彼女はそれを否定せず共有する。おかしい、とてもおかしい出来事が起きているようで不安を覚えた。
「飯野君、どうかした?」
「いえ……、あの姫浜先輩。ところでお話ってなんでしょうか?」
伊之助は部屋を見渡しながら話題を露骨に変える。
コンクリむき出しの壁に中央に長机が2脚、パイプ椅子が5脚が打ち捨ててある。ずっと放置されている訳でもなく最近まで誰かが使っていた様子がある。部屋の隅には段ボール箱などが積み上げられていて、そちらの方は長らく使われた様子はない。
一向に話が進まず、伊之助が不審に思って姫浜先輩へ視線を向けると、彼女は言いにくそうにもじもじと豊かな双丘を寄せ上げていた。無論、当人にそのつもりはないのだろうが、胸の前で手を突き合わせるという格好をとった結果そんな風になってしまっているのは恵まれたボディのなせる業といったところか。
伊之助はその胸に視線が引き込まれるが一対一という状況でガン見するほどの度胸はない。ぐっと目を瞑り雑念を打ち払うと、冷静になって彼女の言葉を頭の中で再生しなおす。
「……この部って言ってたからには何かの部活動なんでしょうけど、その勧誘でしょうか?」
「そう、そうなんだよ。察しがよくて助かっちゃうなぁ」
伊之助の助け舟にぱあっと瞳を輝かせると、つつーと彼に近づきその手を取りへらりと笑う。その無邪気で年上とは思えない幼い表情に伊之助はとにかく癒された。
(これが歩くマイナスイオン製造機か……)
伊之助は利き手を人肌で包まれたまま噂の実態を目の当たりにして納得した。
それにしても姫浜先輩のパーソナルスペースは狭い。
初対面の異性を相手にこれをやれる人間はそうはいないだろう。そして、やられた方も無事では済まない。伊之助が恥ずかしさのあまり居心地悪そうに上体をわずかにそらすと、敏感にそれを察したのか彼女は慌てて手を放した。
「あっと、ごめんね」
「いえ、でも勧誘されるにしても先輩が何部に所属してるか知らないんですけど」
「あ! そうだねぇ、一応は特別課外活動部ということになっていてね」
「なんすか、それ。聞いた事ないんですけど……」
何より胡散臭い。と口に出しかけてなんとか踏みとどまる。
彼女もそれを察したのか、愛想笑いを浮かべて気にしてないと伝えてくる。そして意味ありげに咳払いをすると深く息を吸った。
「昨日の夜、君は不思議な体験をしたよね?」
「……旧校舎の」
「本来は……、まぁ細かい事はこの際いいや。私達の部活動はああいうのを相手にしているの」
「はぁ? 幽霊を相手にですか、ホンキで?」
伊之助は今度こそ声に出してしまった。
非常識が見えたことを共有しあうことは出来る。けれどそれと向き合うというのは話が別だ。それは相手と同じ土俵に立つということで、つまり非常識そのものになってしまうということだ。
だからこそ、伊之助は姫浜先輩の言葉に思わず反応し、それは正気かと、それが失礼だと思うのも忘れて問いただす。
「まぁ、普通の子はそうなるよね」
「普通って……」
「察しがいいね。そうやって言葉の端々を拾ってくれる頭の回転の早い子は好きだなぁ」
伊之助は両手の五指を突き合わせて上目遣いで自分を覗く彼女の表情にときめいて、自制して、そして軽く深呼吸する。
「はぁ、ありがとうございます。でも姫浜先輩は普通じゃないっていう風に聞いて取れるんですけど」
「私はそういった家系の生まれなんだよ」
「そういったって……霊媒師とか神主さんみたいな奴ですか?」
「うーん。そういう表立って名乗ることはしないかな。必要悪的なところがあるから」
「必要悪ってヤクザ的な?」
「近いけどもう少し警察寄りかな。所属はDark‐LawじゃなくてNeutral‐Law」
「警察っていうか、私的軍隊みたいなもんですか……」
「飯野君は理解が早くて助かるなぁ」
そうやってほんわかと浮かべる笑顔は会話の内容とはかけ離れ過ぎていて、伊之助の中にチグハグな感傷を思い起こさせる。
「姫浜先輩は俺に特別……」
「特別課外活動部」
「そうそう、その特別課外活動部に勧誘してるわけですよね」
「そうだよ」
「俺は普通の子のつもりなんですけど、この部に勧誘するっておかしくないですか?」
「どこが?」
にこにこと笑う先輩を前に伊之助は次の言葉を見失った。
そして伊之助は思考を再起動させると、先輩の切り返しの言葉と自分の発言を頭の中でたっぷり3回ほど繰り返してから、いま自分の抱いた疑問が的外れでないことを自信に持つ。
「姫浜先輩は特別な家系の生まれなんですよね?」
「いやだなぁ、さっき説明したでしょ」
「はい、すみません。で、俺は普通の家系の生まれなのでこの部に勧誘される理由がなくないですか?」
再び時が止まる。
今度こそ意図が姫浜先輩に伝わったと伊之助は確信した。
けれど彼女に伊之助を解放する意思はない。どうアプローチをかけたものかと少しだけ考え、一番簡単な方法を思いついた。
「んー、飯野君は昨日、旧校舎に入ったでしょ?」
「はい。その代わり出られませんでしたけど」
伊之助は意外な方向からの質問に少しとまどいながら素直に答える
「普通の子は夜の旧校舎には入れないんだよ。これで納得できた?」
「はぁ……、は?」
「だからね。結果的にだけど、昨日の夜、旧校舎を歩き回ったという事実が君を普通の子ではないと証明しちゃったんだ。しかもこの業界は万年人手不足だから、青田買いするような真似で恐縮なのだけど、こうやって素質ある君を部員に勧誘しているんだよ」
最後に理解できた? と可愛く首をかしげて微笑みかける先輩へ今度こそ伊之助は言葉を失う。
「……そうそう。私の口から言うのは非常にはばかられるのだけど、入部が嫌なら学園の理事長に直接かけあってね」
「理事長って、ここ公立……」
「うん、だから文部科学大臣に直接お願いね」
遠回しに拒否権など無いのだと言われたようなものだった。
伊之助は呻くように「分かりました」と、なんとか声に絞り出すと姫浜先輩に促されるままにパイプ椅子へと座る。