5月 2日(土) 朝 智謀浅短5
「キミは今、自分が何をしたのか分かっているのかい?」
「生憎、素人なもんで知らないね」
地脈、地表を伝う篠山へと伸びる光を絡め取ろうとしたのはほんの思い付きだった。だが、実行してみてよく分かった。伊之助は無限に湧いてくる力を持て余していた。霊子回路を繋げた時と似た多幸感、比べ物にならない程の力は伊之助に万能感を与える。
「キミには過ぎた代物だよ」
「篠山にだってこんなのは必要ないじゃないか」
篠山のナリをした化物は目をぎらつかせ、裂けるほどに口を開き、いままで漂わせていた余裕をすっかり失っていた。まだ椛の一撃のダメージが抜け切らない伊之助に飛びかかるが、寸でのところでかわされた。
「まだ間に合うさ。それを手放さないと大変な目に遭うよ?」
「ブーメランって意味、知ってるよな。篠山」
追いすがる篠山に背を向けて伊之助は地表を疾駆する。狙うのは2本目の地脈。
「キミはこの町をまるごと吹き飛ばすつもりかい?」
「じゃあ、聞くけど篠山。アンタはこれで何をやり遂げるつもりだったんだ?」
「私? 私は――」
「ほら、空っぽなんだよ。たかが異常気象、たかが地震。そんなものの集合体が何かを成し遂げようとするわけがないじゃないか」
2本目の地脈を篠山から奪い取ると同時にその負荷に嘔吐しそうになるのを堪える。伊之助は口の中に広がる鉄の臭みと酸っぱさに唾を吐いた。予想以上にこれは不味い。恐らく、本来は人の領分で扱う代物ではないのだ。
「今時、地震ごときでうろたえるような日本人はいやしねーんだよ。異常気象だって理屈が解明されて未知じゃない。雹が降るのが異常気象? この時期なら当たり前のことなんだよ」
篠山が放つ拳打を相手にダメージが残らないよう受け止める。本来はこれに何らかの奇怪現象が付属されているのだろうが、地脈から膨大な支援を受けた伊之助にはそよ風のようなもので気に留める必要さえなかった。
意趣返しに篠山を覆う影の3割ほどを霧散させる。あまりに一方的なやられ方を前に篠山の紅い瞳に怯えのような感情が灯る。篠山もこんな表情もするのかと場違いな感想伊之助はを抱いた。
「わた、私は請われてここに……」
「何する? どうする? 前に化けて出たのがいつかはしらねーけど、最近の若者は肝座ってるんだ」
「なら、現にこうして呼ばれた私はいったい何者なんだ?」
「気の迷いだろ? 遠路はるばる世界を超えてご苦労なこった」
最後の地脈に手を伸ばす。
頭でアラームが鳴り響いていた。危険だぞ、と。死ぬぞ、と。当然のことを警告する。けれど伊之助には止められない。
「悪ぃ。ちょっと最後までいけなさそーだわ、あと頼むな。関谷」
ゴールを篠山を助けることに決めたから、そこにどんな障害、己の死が待っていようと止まれない。伊之助はそういう性格だから止まらない。
「飯野君。アナタ……」
地脈の力を篠山から奪う。すべての供給源を失った彼女は静かに頭を垂れた。
ステップ3達成。
丁度、足元に転がっていた椛の刀の柄頭を踏みつけ勢い良く跳ね上がった刀身を右手で受け止めると、伊之助はそれを己の首筋に添える。
暴走車を止めるには車ごと運転手を破壊させるしかない。いま車に乗っているのが伊之助で自分の中には大量のガソリンが注ぎ込まれている。結局、伊之助がやったことは篠山から自分に破壊対象を切り替えただけだ。なんて無様――、
「……頃合か」
あとは彼女に取り憑いたものを払えばおしまいで、きっと希天が上手くやってくれる。伊之助は際限なく送り込まれる力に意識を乗っ取られる前に終わらせようと――、そう決意した時、サスケがそう囁いた。
「いつか説いて聞かせたであろう、我は防具だと。防具とは主を害意から守るものだ」
何を言っているのだろうか。薄らいでいく意識を何とか繋ぎとめて声の主、左手に握られた木刀に視線を向ける。その真意が何なのかと首を傾げる。
「なぁ、相棒。我は攻撃性を失い、代わりに得たものがあったと言うたことを覚えているか?」
「ああ、覚えている。爪や牙を失った人間が代わりに知恵を得たように、攻撃性を捨ててでも得た特別な力があるんだろ?」
すっ、と伊之助を圧迫していた力の奔流が掻き消えた。同時に体の感覚も失う。まるで誰か別人に操られたように体の自由が利かなくなった。
「我が得たものはコレだよ。人間を一瞬にしてあるレベルまで引き上げ戦えるようにする道具」
伊之助の声で伊之助ではない誰かが喋る。そして右手に手にしていた刀を地面へ落とした。
「霊装という武器として産まれ、武器であることを否定され、防具という自我を確立した我であったが……」
緩やかに方向転換して、向き合ったのは中庭の中央にあった大岩だった。
「唯一無二で得た力は使い手自身を乗っ取り兵器にする。……使い手の自我を攻撃する能力であった。滑稽であろう、結局は武器という概念から逃れなんだ。そこらに浮かぶ怪異と変わらぬただの化物よ」
頬を伝うモノがあった。これはどちらが流したのだろう?
「地脈を操るものをが世を去れば再び正しい持ち主へと、この大岩へと還るであろう。さて、相棒。いま地脈を操っている物は――我よな?」
(サスケ。ふざけるなよ、サスケ!)
声に出せないのがもどかしい。これから起こる出来事を止められない自分が情けなかった。
「武器として産まれ、防具として自我を確立した。ならばせめて最後まで守らせてはくれまいか?
短い間ではあったが良き使い手に巡りあえて楽しかった。
ああ、本当に楽しかったなぁ……、主殿」
散々、人には武器の振り方を説いておきながら、サスケの操る伊之助は不恰好に無様に無遠慮に、武器の損耗などまるで気にしない振り下ろし方で大岩に木刀を叩きつけ、大岩を穿いて粉々に砕け散った。
そして遅れてやってくる衝撃と振動、目に見えない力の奔流が周囲を満たし夜を明るく照らす。最も近くにいた伊之助はその天災にも似た強力な力に吹き飛ばされ、そのまま意識を失った。
■
伊之助が目を覚ますと、東から昇る朝日を眺める誰かの後姿が見えた。
「あ、気付いたよ。希天ちゃん、藍ちゃん」
覗き込んでくる椛の顔の近さに思わず顔を赤らめる。というよりも、状況がつかめない。
後頭部にはクッションのように柔らかく暖かなものがあり、前頭部にも柔らかいものが当たっているし真上には椛の顔。
「ようやくお目覚めね。よくこんな場所で長々と気絶出来るものね。これで2回目よ、アナタ」
「寝顔の写メ、あとで送っておきますねー。はー、なんにせよ無事でよかったです。イノ先輩」
両脇から顔を覗かせる希天と藍が口々に好き勝手なことを言う。
「どう……なったんですか?」
左手に力を込める。左手にあった筈のモノは無くなっていて、ただ握りこぶしが作られるだけだった。意識を失う前の出来事が夢ではなかったのだと実感する。
「君と話をしたいってあの子が……」
椛はそういって視線を朝焼けの少女へ向ける。
「ささ……や、ま?」
「残念ながらキミのいう篠山ではない。この霊災の原因のようなものだ」
「元々、飯野君が地脈の制御を奪い返したことで彼女は消える運命だったみたい。最後に君と話がしたいっていうから、見逃してあげてたんだ」
「……篠山は無事なんだよな?」
「保証する。キミにひとつだけどうしても聞きたくてね。無理を言ってこの体を借りているというわけさ」
「答える義理はないけどな」
「ではこれから言うことはただの独り言になってしまう。だが、それでいい。いや、それがいい」
逆光で篠山の姿は輪郭しかつかめず、どんな表情をしているか伊之助には見えなかった。ただ口調はいつも通りの篠山で、芝居がかって鼻のつく言い回しだ。
「私は人々の願いから生まれたんだ。でも、それは正しく望まれたわけじゃない。そんな私に意味などあるのかな? いや、自然現象に意味を求めてもしかたないのかな」
少し悲しそうな声音だった。いつかの篠山の姿が重なる、あれは仲直りをした時だったか――、だからという訳ではないが彼女の言うことの1つくらいは聞いてやろうとそう思えた。
「願われた……」
視線を感じた。
「願われただけでいんじゃねーの? そうやって怖いって思ってるのが独りじゃないんだ、そういう満足感を与えてやるのがお前の役目だろ。ほら、意味はあったじゃないか」
「――ッ、つくづくキミはイカれてるよ」
こんなにも素直じゃないストレートな言葉は初めてだった。だから伊之助はおかしくて笑う。けっして大きな声ではないけど、近くにいる仲間が悟るくらいの大きさで。
「でも、キミの言葉があればこの先も何とかやっていけそうだ」
朝焼けの少女はその場にゆっくりと腰をおろし、頭を垂れた。
だから、顔を伏せたままの体勢で放った最後の言葉は聞き取れなかった。そして糸の切れた操り人形のように、篠山はその場に崩れ落ちた。




