4月24日(金) 昼 眼帯の災厄5
追記 修正 05/28
深夜0時。
伊之助はベッドの上で時間を確認すると携帯画面を操作し、LINEを立ち上げる。相手の就寝時間はとっくに過ぎているが、あいつであれば起きていると妙な確信を抱いてメッセージを送る。
わずか30秒という時間で今度は携帯が震えた。
『やぁ、イノ。ようやく僕のことを思い出したのかな?』
人を食ったような話し方、電話の向こう側にいるのは元ルームメイトの高越。伊之助はこれから相談することも見透かされているようで、どこから会話を始めていいのか戸惑う。
『イノ。僕もそう多くのことを知っているわけじゃない。それに言葉にしたところで相手に伝わったとも限らない。そういう心構えは必要だと思うよ』
「……実は相談があるんだ」
『どっちだい?』
前置きと違う相手の先回りした対応に、伊之助は思わず愚痴を言いたくなる。
「篠山の方が先だ。噂のことは後回しでいい」
『……分かったよ。でも始めに言ったように僕はそう多くのことを知っているわけではないよ』
「そうだな。まずはあの日、俺は篠山になにか酷いことを言ったか、高越の意見を聞きたい」
初めて幽世の存在を自分の手で倒した翌日のことだ。あれ以来、伊之助の日常が狂い始めた。
『篠山がイノに酷いことを言うのはいつもの事だけど、君が彼女に酷いことを言った試しはない。それについては杞憂だよ。あえて挙げるなら君が無自覚であることが何より酷い』
「……意味がわからん。ただ、あの日を境に篠山との関係がおかしくなったのだけは分かる」
『そうだなぁ。イノは篠山に疚しいと思う気持ちはあるかい?』
「……ある。だけど、篠山が俺に接する態度を見てそう思うだけだ。思い当たる節はない」
『なるほど。なら、彼女が態度を変えた原因が"イノが姫浜椛に強引に迫ったと自分で告白した事"だという自覚はあるかな?』
――キミはさ。眼帯を付けた理由を私に言った時のことを覚えているかな?――
今朝聞いた篠山の問いかけがフラッシュバックする。
あの時の問いかけの答えが高越の言うソレだ。伊之助はそういう意図で話したつもりはない。だが、そう誤解されても仕方の無いような言い方はした。
「まさか、篠山は本気にしたのか? あのくだらない冗談を」
篠山はとてもクレバーな人間だ。いつだって自分が優位に立つよう振る舞い、当事者ではなく傍観者気取りをやめないニヒルな性格をしている。だから伊之助が何をしようと最後には「馬鹿だね」と切って捨てる、そういう安心感があった。
『そのくだらない冗談とやらが校内で一番ホットな話題なのだけど。それを無自覚にやっているとすれば、イノは一流の詐欺師かエンターテイナーになれる素質があるよ』
「……あの時は姫浜先輩に少し意地悪しないと気がすまなかったんだ。でも篠山が真に受けるのは完全に想定外だった」
『はははっ、本当にイノは察しが悪いね。篠山が怖いことくらい分かっていただろうに。でもそういうことなら仕方ない。僕が一肌脱いで噂の収拾をしておく。だけど、これっきりにしてくれよ。あれは心臓に悪い。僕は地雷原を歩くのは嫌いではないけれど、火のついた爆弾を抱えている女の子とおしゃべりするのは苦手なんだ』
「お前が苦手なことは人類、皆が苦手だよ。わざわざ言葉にする必要はないぞ」
『最初に言ったじゃないか。言葉にしたところで伝わるとは限らないって』
「……そーかい。噂の方は頼んだ、やり方は高越に任せるよ」
伊之助は携帯を耳元から話すとそのまま一方的に電話を切った。長々と話した割には得たものは少なく、けれど声のトーンはそれなりに重要だった。高越がいきなり電話をよこしたのにも頷ける。
そのまま寝る気にはなれずに、伊之助は部屋を出ると階段を下りてロビーへ向かう。意外なことにロビーには明かりが点いていた。
「あれ、飯野君だ。まだ寝ないの?」
伊之助がその姿を見つけるより先に声の主、椛がソファーに座ったまま振り返ってこちらを見ていた。
彼女は風呂上りなのか、髪を1束にまとめてプラスチックのバレッタで結い上げている。
「ちょっと友達に課題を出されたので気晴らしに来ました」
「……そうなんだ。よかったら相談に乗るよ?」
椛の表情に警戒はない。すこし暑そうに手団扇で首元を扇いでいる。
伊之助は覚悟を決めると対角線に位置するソファーへと腰を下ろした。
「こう見えても1年長く生きているからね。好きなだけ頼っていいよ」
椛は白地のチュニックとピンク地のショートパンツ、素足にサンダルというラフな格好で、机にばら撒いたスキンケア用品や雑誌の中からペットボトルを手に取ると口へ含む。
「えーとですね……。姫浜先輩、俺に何か遠慮してますよね。昨日から」
「ンゴホッ、おふぅ……。えーと、何のことかな?」
「誤魔化すのならもう少し上手くやって下さいよ。こっちもだいたい見当がついてるので、いまさらはぐらかしても無駄ですけどね」
伊之助は隅っこに追いやられていたティッシュを椛に放り投げると、彼女が会話出来る程度に回復するのを待ちますと態度に表すようにソファーに背を預ける。
「……ゴホン。それで飯野君は何が言いたいのかな?」
椛が身だしなみを整え、気取った物言いで問いかけてきたので、伊之助は沈黙し、ソファーに浅く座りなおすと再び彼女の視線に向き合う。
「正直、今回のことについては俺の浅慮が原因なので、姫浜先輩は被害者ですよ。篠山にどう迫られたかまでは知りませんけど、それだけは理解してください」
「……うん? うん。私は悪くないってことだね」
「です。無理矢理、霊子回路繋いだ時に右眼が紅くなったことあったじゃないですか。眼帯で隠した時にその理由を冗談半分で姫浜先輩のせいにしたんですけど、どうもそれがよくなかったみたいです」
ピキリと、空気の割れる音が幻聴したが、伊之助は構わず言葉を続ける。
「篠山には俺から言っておくので、姫浜先輩からの文句はこっちで引き受けます。それで許してもらえませんか?」
伊之助は出来うる限りの誠意を込めた言葉で伝えたつもりだが、椛からの反応は薄い。彼女は首をかしげたままピクリともしない。ただ瞬きの回数だけが一定のリズムを刻んでいる。
「……先輩?」
伊之助が異常に気付いて声をかけたときには遅かった。椛は見る間に顔を赤くさせ口を開き、閉じて、そのまま頬をふくらませて伊之助を睨む。目じりには涙すら浮かんでいる。
「私、結構傷ついたんだからね? 性悪女だなんて、いまどきドラマでも言わないような言葉で罵倒されて。迂闊にも少し泣きそうになったんだから。他人に涙見せるなんて小学生以来だよ。それでも向こうは容赦しないし。私も飯野君を巻き込んだ事については悪いと思ってたよ。でもね、希天ちゃんや藍ちゃんの事を考えたらなりふり構ってられなかったんだよ。しょうがないじゃない。これでも部長だし、皆女の子なんだもん。怪我させたりできないじゃない。藍ちゃんなんて名家中の名家だよ。どう接したらいいかも分かんないし。あーもう! 全部、飯野君のせいだからね!」
怒涛の勢いでまくしたて、椛がすべてを喋り終えた時には、いつの間にかソファーから立ち上がり、いつの間にか机の上に乗っかって、机の角、つまり伊之助の目と鼻の先で瞳を潤ませ肩を上下させて息を荒くしていた。
「……すみません。俺のせいで余計な問題抱えさせちゃって」
伊之助は椛の豹変振りに圧倒され、それでもからだは自然と頭をさげる。次いで出たのは謝罪の言葉。
伊之助の父が、祖父が、叔父が何度も繰り返し言っていた口癖。――女性には謝れ。謝れ。相手が満足するまで謝れ。余計な事は言葉は要らない、謝れ。
「本当にすみません!」
先人の知恵を拝借し、実行する。この行動には疑念を抱かない。伊之助は無心でその時を待った。
それが1秒だったか、1分だったか、伊之助には分からない。
ただその時は来た。
椛が我に返り、とりあえず机の上から下りると元いたソファーに戻る。そして両手で顔を隠してソファーの中で悶えた。ひとしきり悶え切ると、ソファーに座りなおして努めて冷静に言葉を紡ぎだす。
「……え、と。ごめんね。飯野君、私は」
「姫浜先輩は悪くないです。最初に言ったとおりです。男に二言はありません」
しかし、椛が喋り終わらないうちに伊之助は顔を上げ、全力で彼女を擁護する。その勢いには自分自身も若干引くほど気持ち悪い。
「やー、でも……。冷静に考えたら途中からは完全に八つ当たりだったし」
「冷静に考えなくていいです。だいたい俺のせいなんで」
伊之助は再び椛が謝ろうとするのを早口で遮る。言葉では伝わらない自分のの陳腐な見栄を張ろうと足掻く。
「……もういいよ。わかった。飯野君は意地悪なんだね」
「早めに理解してもらえて嬉しいです」
「皮肉だよ?」
「分かってますよ。だから皮肉で返したんじゃないですか」
その頃にはもう両者の間にわだかまりはなかった。
一夜明けて冷静になればまた少し後退するだろうが、前以上に酷くなる事もないだろうと伊之助は楽観的に考える。
「じゃ、俺は部屋に戻りますね。相談に乗ってもらえて助かりました」
「それも皮肉だよね。どういたしまして、とは言うけどさぁ……」
困ったように眉根を寄せて伊之助を見上げる椛の顔は言葉よりもずっと明るい。
伊之助も心底助かったと、ここに下りてきた時よりもだいぶ肩の力が抜けていた。
お互いにおやすみの挨拶をかわすとその後は無言のまま、1人は階段へ、もう1人はソファーでくつろぐ。
そして翌朝、学校。
「篠山、答え合わせしようぜ」
「……薄情な飯野クンだ。おはよう」
「おはよう、篠山」
いつも通り席に着くと、篠山がからだをよじってこちらへ振り返る。
「残念だけど飯野クン。私はもう答え合わせをするつもりはないよ」
「じゃあ、和解したって事で……」
ズザッっと音を立てて、伊之助の肩口を掴む手があった。
「放せ、篠山」
ちょうどクロスする形で篠山の右手が伸びているせいで、篠山の表情は伊之助からは見えない。だから一向にその手を放さない篠山にも、何も答えない篠山にも、こんな風に必死になっている篠山にも、どんな態度を取るのが一番いいのか伊之助には分からない。
「……このまま」
「ん?」
「このまま終わらせると私が負けたような気がするよ。飯野クン」
伊之助から手を放し、いつもの表情と姿勢を取り戻した篠山が不服そうに呟く。
「……分かった。俺に出来る事があれば何でも命令を聞くよ。それで仲直りさせて欲しい」
「なら、許す」
「あんがとさん」
篠山はそのまま前に向く。チャイムは鳴ってないが教諭はもう教壇に立っている、いつも通りの日常だ。
伊之助はあくびを噛み殺しながら夜を思う。
刺激的なのは夜だけでいい。夜は旧校舎に忍び込んだあの日を境に分水嶺を超えてしまった、もう同じ場所には戻れない。だからせめて昼の間だけは同じ場所にいたい、この場所を守りたい。失った残り半分の平穏を大事にしたい、そう思う。




