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4月19日(日) 夜 明けない夜1

追記 修正 05/25 5/28 5/30

 深夜の学校。

 そこは昼間とはまったく別の場所だと錯覚するほど、静かで、人気がなく、色彩に欠けている。

 そんな感想を抱いてしまったからだろうか――、この学校の生徒である飯野いいの伊之助いのすけが、この時間、この場所にいるのはとても不自然な事のように思えた。そんな風に感じる場所へ彼をおもむかせる理由はとてつもなく重要で、いっそ死すら覚悟させた。

 彼の目的は週明け期限の課題テキストの回収。

 日曜、それも深夜に学校に忍びこむほど状況は切迫していた。


 ――もっとも、それは彼の中でだけの話だ。提出期限を破ったところでペナルティがあるわけでも無いし、担当の教師もそれほど厳しいわけではない。ただ、彼がそれを許せなくなっただけだ。


 そんな彼の事を友人はかつてこう喩えた。

『馬鹿をつけても足りないほど正直すぎる。そのくせ、ジェットコースターのようにとてもスリリングだ』


 伊之助に自覚はなかった。

 特に後半部分に関して言えば極めて近しい友人にしか指摘された事はない。ただ、今回、寮から抜け出し学校へ忍び込むと宣言した時もルームメイトに似たような事を言われた。


 深夜の学校にいる――、理由はどうであれ、この状況下にいるという事がルームメイトの指摘したい事であり、伊之助の性格の特殊性を如実に顕していた。


 それにしても――、と伊之助は考える。

 深夜の学校の怖さは尋常ではない。

 こうしてただ歩いているだけでも、リノリウムの床を鳴らす足音が精神的にくる。ぶっちゃけ、怖い。

 いかにも何か出てきそうな雰囲気に喉を鳴らす。――と、その瞬間、視界の隅で何かが動いたような気がした。

 怖い。

 しかし、よく見れば窓ガラスが何かを反射しているだけだった。

 正体不明の原因を暴いた伊之助の心に平穏が訪れ、同時に一瞬はその平穏を脅かした窓ガラスをキッと睨んだ。そして、このまま無かったことにするのもシャクに思い、せめてその正体くらいは拝んでおこうとさっきの窓に近づき調べる。

 その正体――、原因は向かい側にある旧校舎の窓、そこで光が定期的に明滅しており、この窓ガラスはそれを反射しているだけだった。


 伊之助は首を傾げる。

 本来、旧校舎は昼間も立入禁止となっていた場所のはずだ。


 しかし、こうして光が明滅しているということはそこに何者かがいる理由にはならないだろうか?


 不意にこみ上げた好奇心が伊之助の理性を封殺する。

 彼は当初の目的も忘れ、ただ衝動に任せて階段を駆け下りた。

 旧校舎の入り口の前にたどり着いても光の主がその場を離れた様子はない。

 伊之助ははやる気持ちを抑えながら、今一度自分が何をやっているのか問い質す。


 ――けれど、揺らがない。


 こうして立入禁止の立て札や侵入禁止用のタイトロープが張り巡らされている旧校舎のへの入り口を見ても、なぜか"知りたい"という欲求が理性や恐怖を上回る。

 伊之助はためらいもせずロープをくぐり、なだらかなスロープを伝って旧校舎の扉の前へ。

 旧校舎といってもそれほど古くは無い。外観も木造ではなくコンクリート造のそれだ。

 彼の前に立ち塞がる扉も金属製の重厚そうな外見をしており、鍵でもかかっていようものならここで諦めがついた。

 けれど、何者かが誘うように伊之助がかけた手は扉をあっさりと押し開いた。

 そして、そのまま何の疑いもせずに伊之助は旧校舎へと侵入する。

 侵入した先はぽっかりとした空間だった。かつては昇降口として機能していた場所も下駄箱が撤去され、ただの見通しのいい空間となっている。


 伊之助は注意深く辺りを窺うが、周囲に気配はなく、己の呼吸の音だけしかしない。未知への興奮から知らずうちに笑みを浮かべて土足で校内へ上がる。

 目的地は光が明滅していた場所――、旧校舎の3階だ。まずはそこへ行く為の階段を探す。残念なことに昇降口付近に階段は置かれておらず、正面には中庭へと抜けるドアと左右へ長く続く廊下があるだけだ。


 特に深い考えもなく伊之助は右手伝いに廊下を突き進む。幸い、窓から差し込む月明かりで足元の視界は十分に取れていた。

 突き当たりにある階段を見つけ、そのまま2階へ上がろうと何段か上ったところで踊り場から何かが蠢く音を拾った。しかも、最悪な事に踊り場には雲が月を遮り十分な光源が無く、物音のする場所に何があるか確認は出来ない。

 未知への興奮は次第に違うものへと置き換わる。それは旧校舎の3階にあった光に魅入ってからずっと忘れていた感情。


 ――恐怖


 闇の奥で蠢く未知の何かをきっかけに、彼の体内でソレが爆発的に増殖した。

 伊之助は何かがゆっくりとこちらへ近づいてくるのを聴覚が報せるのを知っていた。けれど、中途半端に昇りかけた階段で立ち止まったまま動かない。

 恐怖心が伊之助のすべての行動を優先してからだを支配していた。呼吸の仕方すら忘れるほど息は乱れ、喉はひりつくように渇く。

 そうして伊之助がパニックに陥っている間にも、闇の奥で蠢くモノはゆっくりと伊之助に迫っていた。


 伊之助が身動きの取れぬまま、ただ闇を見つめていたのは時間にして1秒だろうか、1分だろうか。

 雲間を抜けた気まぐれな月明かりが周囲を照らし、踊り場で蠢くモノが闇の中から引きずり出す。


 それは異形だった。

 例えれば上半身だけの人間。けれどその顔からは男女はおろか、目や鼻のようなものすら判別できず、ただケロイド状のただれた皮膚が張り付くのみで、何かを求めるようにぽっかりと開いた口からは呻き声が漏れている。


「けひゃり」


 伊之助と目が合った瞬間、それは確かに口の端を上げ笑った。

 恐怖でガチガチになった伊之助は動けない。眼球だけが、次いで空を舞った化物を追う。彼に接近した化物を避けるという思考は浮かばない。ただ諦観の念を抱いたまま執行の瞬間を待つ。

 けれど、相手の温情かそれともただ侮っているだけなのか、伊之助の頬をかすめるだけに留めて相手は1階の床へとぺちゃりと音を立てて着地した。


 伊之助は遅れておとずれた頬の痛みに思わず手を添え――


 ――ぬるり、と。


 伊之助の右手に汗ではない生暖かい液体の感触が伝わる。

 それは何なのか、血だ。

 血とは何だ――、怪我をしたのだ。

 怪我をした理由は――――、化物だ!


「うわぁ、うわぁあああああああああ!」


 畳み掛けるような思考の連続で、伊之助の喉から吐き出された絶叫。

 壁に跳ね返った己の声で我に返る。

 そして伊之助は迷わず化物から背を向けた。この場に留まることだけを避けようと――、とにかく化物のいる1階ではなく上を目指した。

 全力で階段を駆け上がり3階へ。

 まずは人に助けを求めたかった。

 まだ光の明滅を行っていた人物が3階にいるかもしれない。ただそれだけを頼りに階段を駆け上った。


 階段を上りきったところで息切れし足を止める。

 呼吸を整えながら階下の様子を窺うが、何かが追って来る様な気配はない。あとは廊下を突っ切れば目的の場所にもたどり着ける。

 だから、出会ってしまった。


 どうして光の明滅が人のいる理由だと確信してしまったのだろうか、と伊之助は後悔した。

 光が明滅する理由なんてほかにもたくさんあるのに……、例えば鏡の反射、例えばガラスの照り返し。


 例えば――人魂。

 伊之助の眼前に映るのはまさにソレだった。

 青白い炎の揺らめきが糸に垂らされているわけでもなく不自然に浮かんでいた。

 怪異と呼べばいいのだろうか、人間の普遍的な理解を上回る現象が目の前で起きていた。

 彼がとっさに人魂から背を向けると同時に背後から何かが追ってくる気配がした。


「嘘だろっ、旧校舎、怖い。無理。なんで!?」


 無意識に視界が捉えた階段――、それはその先に例の上半身だけの怪物を難なく想起させた。

 伊之助は本能的に目先に捉えた階段への移動を拒否。

 "ロ"の字の造りの旧校舎を階段の突き当たりで角を左へ曲がる。その先の渡り廊下は両側から差す月明かりで光源には事欠かない。運のいいことに廊下の終わりまで見通せ、ついでにその先に下り階段があることも確認出来た。

 再び猛ダッシュをしかけようと前傾姿勢を取った瞬間、首の後ろにチリチリとした感覚が伊之助の気に障る。

 とっさにヘッドスライディングの要領で伊之助が渡り廊下にからだを預けると、その直後に彼の頭の真上を人魂が駆け抜けていった。


(嘘だろ、漫画の主人公かよ。下手すれば……)


 ただ、ぞっとした。伊之助の思考の行き着く先は、人魂に背中を焼かれていた可能性。


 だからこそ行動は迅速に。

 伊之助は這うようにして立ち上がると、人魂を掻い潜りながら渡り廊下の奥にある階段を目指す。


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