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MY SWEET DARLIN'  作者: 来生尚
祭りの夜がやってくる
6/85

 水竜の大祭。

 年に一度の、水竜への感謝と、そして豊作を祈念するお祭り。

 国中が華やぎ、祭りの雰囲気に酔いしれる。

 それは水竜の神殿でも、大差ないみたい。


 いつもどおりに起きて、いつも通りに礼拝堂で朝のお祈りを済ませたけれど、昨日とはまるで違う雰囲気の礼拝堂に驚いた。

 華美に飾られている祭壇や、神官たちの来ている服の折り目がいつも以上にしっかりしていることに、今日は特別な日なんだと、改めて感じた。

 夜には、神官たちにも一杯のお酒が振舞われるらしい。

 それを楽しみにしているような会話も聞こえてくるし、神官たちの表情も心なしか明るい。


 規律と戒律を大事にしている神官たちも、お祭りの日は楽しみだったみたい。

 あのシレルでさえ、そわそわと落ち着きなさそうにしていた。

 そういう私だって、何だかワクワクするような、ドキドキするような気持ちが隠せない。


 お祭りの日は、何か特別な事があるような気がする。


 一年前の「水竜の大祭」は、恐らく神殿中の誰もが楽しむなんて事は出来なかっただろうけれど、今年は心の底から楽しめるようになればいい。

 なにせ本祭の日は通常の行事とは別に、巫女が誕生する為の儀式も行なっていたし、その次の日から代替わりした新米巫女が、大祭の行事を取り仕切るんだから、恐らく神官たちだって、どうなることか気が気じゃなかっただろうし。

 事実、神殿中に緊張感が漂っていた。

 私自身も、つつがなく大祭を終わらせるということに、細心の注意を払っていて、とてもじゃないけれど周りの様子を見るなんて余裕が無かった。

 今年は絶対に楽しまなきゃ。せっかくのお祭りなんだし。


 ただ、大祭の期間中は実は殆ど奥殿にいけないから嫌。

 水竜の大祭に関わる儀式も当然あるし、それ以外に、一般の人に礼拝堂を開放する三日間の間、当然姿は見えないように配慮されているけれど、礼拝堂で大祭のお祈りを何度もしなければいけない。

 数時間に一度、礼拝堂でお祈りをしなきゃいけないってことは、一日の大半を前殿で過ごさなきゃいけないってことになる。

 計算してみたら、奥殿から一番離れた西門に面した礼拝堂と、南東に位置する奥殿の間の往復には、着替えたりなんかを含めると、かなりの時間がかかることがわかった。

 せっかく奥殿に行っても、レツの顔を見たら即前殿に逆戻りになりかねない。


 礼拝堂は、一般の人に開放される事も計算されて作られたんだろうけれど、本当に奥殿からは遠いし、道順も複雑すぎる。

 正門から入ることが出来る、主に祭宮にご神託を託すために使われている、神官長様の執務室と、大祭の時に開放される礼拝堂は、前殿の中でも切り離された空間といってもいい。

 広大な敷地を持つ水竜の神殿の中でも、外部にせり出すように作られていて、ある意味、奥殿と同様に前殿からは切り離された部分になっているといっても過言じゃない。

 そんな場所と神殿の最深部をちょこちょこ行き来するのは、やっぱりちょっと無理がある。

 だから、せめて水竜の大祭の儀式が始まるまでは、奥殿に引き篭もっていよう。



 昨日なんとか自力で設置した祭壇と、祭壇の前にある供物の横を通り抜け、奥殿へ通じる橋を渡る。


 何度見ても、本当に自画自賛したくなるくらいの出来だと思う。作り慣れてないから、さすがに時間はものすごくかかったけれど。

 でも確か、去年は無かったような気がするのは気のせいかしら。

 水竜の巫女誕生の儀式には不要だから?

 それともやっぱり、先の巫女でもある、あのか細い神官長様には、無理があったから?

 もう一度、前殿側に設置されている祭壇を振り返って、巫女になった日のことを思い出して見るけれど、やっぱりあの風景の中に祭壇なんて無かった。

 何でなんだろ。

 水竜の巫女が生まれる儀式をする時には、祭壇なんて必要ないからなのかしら。


 そんな事を考えながら橋を渡りきり、奥殿の扉を押し中の様子を伺うと、奥殿の中央にちょこんと、目をつぶってレツが座っている。

 寝てる、というのとはちょっと違って、瞑想しているように見える。


 集中しているレツの邪魔にならないように、静かに扉を閉め、遠目からレツの様子を見守る。

 しばらく見ていてもレツの様子に変化がないので、そっと扉の前に座り込む。

 座る時に、昨日の作業で日焼けした腕が、長い袖に擦れてひりひりと痛む。

 けれど、これで声を上げたらレツの邪魔をしてしまうから、声を出さないように眉をひそめて我慢する。


 こんな風にレツが何かに集中しているのを見るのは、初めてかもしれない。

 いつもご神託を言うときでさえ、ふっと思いついたかのように話しだすし、それ以外の時も、落ち着いて長時間何かをしているということもない。

 カードゲームで遊んでいる時なんかには、類まれな集中力を発揮しているような気もしないでもないけれど、その時でもこんな風に張り詰めた空気は出していない。


 静けさだけが支配する奥殿は、まさに神聖な場所というべき荘厳な雰囲気を漂わせている。

 それはレツの体から発せられているようにも感じる。

 幾重にも伸びる光の帯がレツを包み、そこが水竜という名の神の座すところだと、目に見えないモノたちが教えているような気がする。


 いつもの子供のレツじゃない。

 何百年も生き続ける「人ならざるもの」がここに、いる。


 レツと、レツを取り巻く雰囲気に、座り込んだまま一歩も動けなくなってしまう。

 一年間のレツとの毎日が、本来は、ここは水竜以外立ち入ることが出来ない場所だって事を、心の隅に追いやってしまっていた。

 あまりにも当たり前のように、毎日奥殿の中に入ってきていたけれど、そんな気軽な場所じゃない。

 この国の信仰の中心で、本当は人が入る事は許されていない場所。

 たまたま水竜の巫女だから、ここに入ることを許されているけれど、それだって唯一人にしか与えられない権利。


 水竜の巫女であるっていうことすらも、自分の中でどこか希薄になっていたように思う。

 最近はご神託を聴く事も無かったので、レツの遊び相手程度の認識になってしまっていた。

 それじゃいけないって、今目の前にいるレツが、無言のうちに語りかけてきているような気がする。


 レツが、今何を考えて、何をしているのかはわからないけれど、ただ邪魔しないようにそれを見ていることしか、私には許されていない。ううん、もしかしたらそれすらも拒まれているのかもしれない。

 動く事も出来なくて、しばらくレツの様子を見ていると、ゆっくりとレツが目を開け、その瞬間、抗えないような圧倒的な力がふわっと拡散する。


「サーシャ、いたんだ。声、掛けてくれればよかったのに」

 いつものレツよりも少し大人びたような口調で、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。

 立ち上がり、ゆっくりと目の前に歩いてくるレツは、ほんの少しだけ、成長して大人になったみたいな表情をしている。

「大祭の間、ボクはここで沢山の人の声を聞くんだ。神殿に来る人も、来ない人も、沢山の人がボクに祈っている。だから、ボクはその声を聞かなきゃいけない」


 遠くを見通すような目は、私のことを見ていない。

 もっと沢山の色々なものを見ている、深い泉のような瞳の奥が輝く。


 ああ、水竜の目だ。

 私がお仕えする、たった一人の「人ならざるモノ」

 その瞳が、私の心を支配する。

 祭りだと浮かれていた心を、引きずり戻すように。


 レツが口元を少し上げ、ほんの少し微笑んだような顔で、ゆっくりと手を伸ばす。

 実態のないその指先が、体の中に溶け込んでいく。


「サーシャ、祭りの間はここに来なくていい。君は君の役割を果たしておいで」

 それは、巫女としての仕事。巫女として儀式を執り行う事、そして……。

「そう。ご神託を告げること」


 レツの瞳の中に小さな光が見える。

「今年は豊作にするよ。絶対にね。荒れ狂うような天気も無ければ、大河が氾濫を起こす事もない。そう祭宮に伝えておいてね」

「はい」


 「行っておいで。ボクの威厳が傷つかないように、いつものように自信満々に振舞う事を忘れずにね」

 レツの目線が、奥殿の扉に向けられると、扉は音も立てずに大きく開かれる。

 扉を振り返っている間に、レツは数歩離れたところに移っている。


 三日間、この大きな奥殿で一人っきりになっちゃうっていうのに、どうしてそんな清々しささえ感じるような顔をしているの。

 確かに忙しいかもしれないけれど、でも頑張れば何度でも戻ってこられるのに。

 本当は、一人になるのが嫌だったりしないのかな。


「そんな心配そうな顔しなくったって、だいじょーぶだよ。祭りが終わったら、嫌っていうほど遊んでもらうからね」

 ふっと自然に笑みが零れる。

 いつもよりほんの少しだけ大人っぽく見えるのに、でも中身はいつもどおりだ。

 そのギャップがちょっぴりおかしい。

 立ち上がり、扉に手を掛けレツを振り返る。レツは相変わらず、にっこりと笑っている。

 その笑顔を見ると、心がすっと軽くなる。


「いってらっしゃい」

「いってきます」




 前殿の自分の部屋に戻ると、部屋の前にシレルが立っている。

「どうぞ」

 部屋に入る時に、シレルも一緒に入るように促す。

 こうやって待っているということは、何かしらの用事あるっていうことだろう。


 部屋に入り、窓の前に置かれた椅子に座ると、シレルが直立不動の体勢から、跪いて一礼をする。

 そんな事しなくてもいいって、何回言っても聞いてくれない。

 せめて、椅子は他にもあるんだから、椅子に座ってくれたらいいのに。

「何かありましたか?」

 跪いて頭を垂れるシレルに、問い掛けると、シレルは顔を上げ、真っ直ぐな瞳で見返してくる。

「祭宮様がおいでです。巫女様にご挨拶をということでしたが、いかが致しましょうか」


 祭宮カイ・ウィズラール殿下。

 思っていたとおり、やっぱり大祭に合わせて来たのね。


「儀式までの時間は、あとどのくらいあるかしら」

「民を礼拝堂に入れる時間までは、まだかなりの時間がございます。しかし、儀式を始める時間までは、あと一時間程度です」


 そんなに経っていたんだ。

 奥殿にいたのは、ほんの数十分のような気がしていたけれど、でも何時間も経っていたなんて、思いもしなかった。

 一体どのくらいの間、レツを見ていたんだろう。


 シレルの言葉を聞き、今ウィズに会う時間があるかどうか考える。

 これから大祭用の服に着替え、礼拝堂での儀式を行なうとしたら、ウィズと会うのはちょっと難しい。

 一度、神官長様の執務室に行き、それから礼拝堂に行くと考えたら、今出ても間に合わないくらいかもしれない。

 しかし、王家の代表である祭宮を蔑ろにしていいのだろうか。


「困りましたね。儀式まではあまり時間が無いようですから、今お会いするのは難しいようですね」

「祭宮様は、お時間が無いようでしたら、夜にでもご挨拶をしたいとの事でした。いかが致しましょう」

 ウィズのその提案を、今は快く受け取ることにする。

 挨拶、と一言で言うのは簡単だけれど、祭宮に会うのだから、さすがに「こんにちは」「ごきげんよう」で済ますわけにはいかないから。

「では祭宮様に、今日の儀式が全て終わった後に、と伝えて下さい」

「畏まりました。では、失礼致します」

 立ち上がり、シレルが扉の向こうに消える。

 廊下を規則正しく歩く音が遠ざかり、辺りから人の気配が消える。


 早く、準備しなきゃ。私がいなければ、水竜の大祭は始まらないんだから。

 椅子から立ち上がり、シレルの着ていたのと同じ神官の服を脱ぎ、今日の為にと用意された真新しい巫女の正装に身を包む。

 いつもの巫女の正装よりも、金糸で沢山の刺繍が施してあり、人前に出たときに万が一にでも顔を見られないよう、幾重にも重ねられたベールが別に用意されている。

 普段よりも多くの装飾品を身につけ、ベールを身に付け鏡を覗くと、まるで別人のような自分がそこに立っている。

 薄い布で隠された表情。

 動くとひらひらと動く袖と裾。

 いつもの巫女の正装よりも、もっと深い色の生地と、それを引き立たせる金糸。

 その全てが自分を巫女として、より引き立たせる為なんだと、誰に言われなくてもわかる。

 その期待に応えなくてはいけない。

 レツにも言われたとおり、きちんと自分の役目をこなさなくては。

 胸元に輝く青い石を見つめ、ちゃんと出来ますようにと、心の中で小さく祈りを捧げる。

 その祈りもまた、レツの耳に届くのかもしれない。


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