表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MY SWEET DARLIN'  作者: 来生尚
祭りの夜がやってくる
4/85

 もうすぐ、私が水竜の巫女になって一年目のその日がやってくる。


 水竜の大祭。


 今年は水竜の巫女として、様々な儀式をしなきゃいけないし、奥殿の中も大祭の為に飾り付けをしたり、祭壇を作ったりしなきゃいけない。

 前殿の装飾とか、諸々のことは神官がやってくれるけれど、奥殿はそうはいかない。

 巫女以外、この奥殿の中には入ることが許されていないんだもの。

 でも、本当に全部これ、やるの?


 目の前で神官長様がにっこりと笑う。

 水竜の大祭の儀式については、書物で読んだ事があって、どうすればいいかはわかっていたから戸惑いもないけれど、奥殿を掃除するところから始まって、祭壇を設置して供物を届けるのって、もしかしなくても重労働では……。


「色々大変だと思いますが、年に一度の大祭ですから、巫女も頑張ってくださいね」

 優雅に笑う神官長様を睨みつけたくなる。

 まず奥殿の掃除だけでも結構大変なのに。いっつもレツが邪魔しにくるから、なかなかはかどらなくて終わらないのに。

 でも、神官長様は去年まではやっていらっしゃった事なのよね。

 目の前の華奢な体の神官長様に出来て、私に出来ないってことはないわよね。

 神官長様に笑いかけようとしても、顔が自然と引きつる。これからの一週間を考えると、ぞっとする。それでもやるしかないんだけれど。


「……はい」

 そう答えるしかない。

 「じゃあ、あとは神官たちに聞いて頂戴」

 神官長様は長い衣を翻し、謁見の間を後にする。


 神官長様が部屋を後にするのを見てから、重い腰を上げ、傍に控えているシレルに目線を送る。

 朝のお祈りも食事も済ましたし、神官長様のお話も聞いたので、奥殿に行くという合図。

 シレルは直立不動の体勢を崩さず、頭を垂れる。

 そのシレルの前を通り、奥殿へと歩き出す。


 すれ違う神官たちが、立ち止まって頭を下げてくれることにも、もう慣れた。

 巫女として扱われる事が当たり前になっていくのは嫌だなって思っていたけれど、でも一年以上も神殿にいると、それが当たり前になってきて、普通になっていく。

 それに前ほど、巫女として扱われる事も、巫女を演じることも苦痛ではなくなってきている。

 「巫女の仮面」も崩れることなく、前殿にいる時には被り続けることが出来るようにもなった。

 まるで、巫女の仮面を被った自分が、自分自身のように思えてくる。


 長い廊下を幾度も曲がり、いったん自分の部屋に戻る。

 さすがに、巫女の正装のままじゃ大掃除なんて出来ないもん。


 部屋に入り、奥殿が見える窓のカーテンを閉める。

 見えないかもしれないし、見えないとは思うんだけれど、なんとなくレツに見られるような気がして、カーテン閉めないと嫌なんだもん。

 レツに言ったら、見るわけないって怒りそうだけれど。

 それに巫女の部屋をじろじろ外から見るような不届き者はいないとは思うけれど、一応、ね。

 バサっと、重たくて長ったらしい巫女の正装を脱ぎ捨てて、ベッドの上に投げる。

 代わりに神官たちが普段着ているのと同じ服を着て、巫女の正装をクローゼットの中にしまう。

 考えてみると、巫女の正装来ている時間より、神官たちと同じ服を着ていることのほうが多いかも。

 だって、こっちのほうが動きやすいんだもん。

 あ、でも神官長様が巫女だった頃は、巫女の正装を来ていることのほうが多かったような気がする。

 特にコレと言った決まりがあるわけじゃないみたい、さすがにこの辺りは。


 約一年間巫女をやってきて、最初に思っていたよりもずっと自由や時間がある。

 決められた事(朝のお祈りや祭宮にご神託を告げる)以外は、これをやれだとかっていうのは無い。

 だからこそ、水竜の傍にずっといられるのかもしれない。

 それと、一応は水竜を頂点として、水竜の巫女、神官長、神官と続く組織のように思っていたけれど、実際には神官長様が「水竜の神殿」という組織を統括していて、水竜と水竜の巫女はその組織には全く属さない。


 奥殿と前殿。

 二つの神殿の間に、お互いを分かつ長い通路があるように。



「ちょっとレツ! 邪魔しないでって言ってるでしょ」

 柱を磨いていた雑巾が手元を離れ、まるで蝶のように空を舞う。

 雑巾の蝶を追いかけるように手を伸ばしても、まるで手を避ける本物の蝶のように、ふいっと身を翻して飛んでいく。


 毎度毎度、レツは飽きるって事を知らないのかしら。

 やる事がワンパターンすぎる。

 掃除をしてれば雑巾を、手紙を読んでいれば手紙を、いつもこうやって空に舞わせる。そして、レツ自身も宙に舞って喜んでいる。


「これじゃあ、大祭に間に合わなくなるでしょう。イタズラはやめて」

「やーだよ」

 もう。レツのバカ。

 立ち上がって、空を舞う雑巾を掴もうと手を伸ばして、行く手を遮ったり、掴もうと頑張ってみる。

 けれど、何度やっても触る事すら出来ない。

 レツにからかわれている事もそうだし、早く掃除しなきゃ間に合わなくなるし、ホントむかつくっ。

 幾らやっても、雑巾の蝶を掴まえることは出来ないみたいだから、今日は雑巾がけは諦めるわ。

 その代わり、床を掃いて清めておこう。


 どうせすぐに邪魔されるんだろうけれど、ちょっとずつやれば大祭に間に合うかもしれないし。

 ああ、間に合うかもなんていうのじゃだめ、無理やりにでも間に合わせなきゃ。


 ホント巫女見習いの時にやたら掃除されたわけがよくわかるわ。

 水竜の神殿の奥殿に入れるのが唯一人なら、その中を管理できるのもまた唯一人ってことになる。

 つまり、日常の手入れ、すなわち掃除は巫女がやらなきゃいけないってこと。

 だからこそ、見習のうちに徹底的に叩き込まれるんじゃないかしら。


 レツだってその気になれば、あっという間にその力で神殿くらい掃除しちゃいそうだけれど、あの子がそういうことに興味持つわけもないし。

 それに、多少汚くっても、気にも留め無そうだもん、この神様は。

 多少……どころじゃないかもしれない。

 本人は実体がないんだから、汚れていようが害がないわけだし。


「サーシャ、掃除なんてどうだっていいじゃん。今日は何して遊ぶ?」

「ダメよ、あと一週間で大祭なんだから。毎日ちょっとずつやらないと、大祭に間に合わなくなるでしょ」

 床を掃きながら、宙に浮くレツを叱る。

「別にどーだっていいよ、大祭なんて。ボクがやってって頼んでるわけじゃないもん。そんなことよりさ、昨日の続きしようよ、なんだっけ、かくれんぼ?」

 叱ってみたところで、聞く耳すら持ってくれない。

 のんきにかくれんぼなんてしてる時間ないのに。


 レツの顔を見て怒ろうって思って、さっきまで雑巾が飛んでいた辺りを見るけれど、レツの姿がない。

 床にぽつんと雑巾が転がっている。


 あれ、レツがいない。


 奥殿の中を見回してみても、レツの姿がどこにもない。さっきまで無邪気な声がしていたのに。

 ほうきを右手に持って、とりあえず雑巾が落ちている場所に歩いていく。その間も周りを見回してみるけれど、レツがいない。

 雑巾を拾い上げようと、屈んで雑巾に手を伸ばす。


「……レツ?」


 本当にどこに行っちゃったっていうんだろう。

 こんな風に突然姿が見えなくなると、ものすごく不安になる。

 水竜の声が聴こえるっていう、巫女の力がなくなっちゃったんじゃないかって。


 神官長様の、前の巫女様が言っていらっしゃった、「巫女は水竜のお力を借りているだけで、巫女には特別な力なんてないって」言葉の意味がなんとなくわかる。

 うまく言葉にする事は出来ないけれど、水竜であるレツの声を聴けるかどうかっていうのは、レツとの相性みたいなものもあるみたいで、それを基準に巫女を選んでいるみたいなんだけれど、水竜がどこかスイッチを押さないと、「聴ける」という感覚が開かない。

 それが水竜のお力を借りるっていうことだと思う。

 だから、レツがもういらないって言えば、私は二度とレツの声を聴けなくなる、レツを見ることが出来なくなる。


 体中に寒気が走る。


 それに、水竜の大祭は、新しい巫女が生まれる日でもある。

 もしかしたら、私が知らないだけで、新しい巫女が選ばれているかもしれない。

 私はそんなご神託受けてないけれど。


 足元が崩れ落ちたような、眩暈がする。

 レツの声が聴こえなくなるのが怖い。レツが見えなくなるのが怖い。


「レツ、レツ! どこにいるの?」

 お願い、いらないなんて言わないで。


「レツ!!!!」


 奥殿の中に響き渡るくらいの声で、レツの名前を叫ぶ。

 何で? 何でいないの、レツ。

 ぐるりと奥殿の中を見渡しても、やっぱり姿が見えない。

 気配すら感じない。


 本当に、巫女じゃなくなっちゃったのかもしれない。

 もうレツの声を聴く事も、レツを見ることも出来なくなっちゃったのかもしれない。

 何で?遊んであげなかったから?


「……レツ」

 急に置いてけぼりにされたみたいで、自然と涙が込み上げてきて、しゃくりあげる声が、奥殿の中に響く。

 袖で一生懸命涙を拭うけれど、それでも涙がどんどん出てくる。

 両手で顔を覆って、涙声が奥殿に響かないようにする。

 泣き声だけが響いていると、ますますレツの声が聴こえなくなったような気がして怖いから。

 水竜の声が聴こえない、水竜が見えないっていうのが普通だったのに、いつの間にか水竜の声が聴こえて、水竜が見えるっていうのが普通になっている。


 水竜の声が聴こえる、というのが特別だから、こだわっているわけじゃない。

 レツと離れるのは嫌。

 私、ずっとレツの傍にいたい。




「何で泣いてるの、サーシャ?」

 袖を引っ張られる感覚に、顔を覆っていた手をどけると、目の前でレツが、きょとんとした顔で立っている。

「かくれんぼが嫌だったの?」

 申し訳なさそうな顔で見上げるレツを見て、ほっとする。

 良かった。私、まだレツの声が聴こえる。レツが見える。

 巫女の力が無くなった訳じゃない事に安心して気が抜けて、レツの前に座り込む。

 よかった、まだ巫女なんだ、私。


「サーシャは本当に泣き虫だなぁ」

 レツの、決して触れることの出来ない手が、ポンポンと頭を叩いて、それからゆっくりと首に回される。

 子供が甘えるような仕草なのに、なんだか抱きとめられたみたい。


「ボクはここにいるよ」


 優しく告げるレツの手が、髪を撫でてくれているような感覚がする。

 いつもは子供みたいなレツなのに、すごく大人の人みたい。

 触れることは出来ないけれど、すごくあったかくて、心が解けていく。

 きっとレツは心の中を読んで、そう言ってくれたのかもしれない。

 レツのその一言にほっとする。


「だから、一緒に遊んでね、サーシャ」

「うん、うん、遊ぼうね、レツ」

 レツの肩に顔を埋めるようにして頷く。

 どうしてこんなにもレツの声が聴こえなくなるのが怖いのかはわからない。

 遊ばないからって、巫女代えるとか言われるよりも、レツが楽しいって思ってくれるくらい、一緒に遊んだほうがいい。



 ん?



 頭の上からレツのクスクス笑う声が聴こえる。

 その笑い声に、涙が一気に引っ込む。


 もしかして、レツの作戦?レツに一杯食わされた?

 レツから体を離し、覗き込むようにレツの顔を見ると、明らかにいじわるそうな顔で笑ってる。


 からかわれた!?


 可愛さあまって憎さ百倍。

 なんかもう、真剣に声が聴こえなくなるのが怖いとか考えて、泣いてた私ってバカ?


 こんのクソガキ。何クスクス笑ってるのよ。

 からかってたんだ、腹立つー。

 絶対、大祭が終わるまで遊んでなんかあげないんだから。


「で、かくれんぼでいい? サーシャ」

 勝ち誇ったように笑うな。

「そうね、大祭が終わったらね」

 笑い返したつもりだけれど、顔がひきつっているに違いない。

 それでも一応優雅に笑い返したつもり。

「えー!? さっき遊ぶって言ったじゃん。本当にサーシャってバカがつくほど真面目だよね」

 頬を膨らませて、レツが怒る。

 かわいこぶったって無駄なんだから。さっきの意地悪い笑い方で、全部わかったんだからね。


「じゃあ、大祭の準備が終わったら遊ぶ? レツが手伝ってくれたら、早く終わるのになあ。レツが一緒にやってくれたら、それだけ沢山遊ぶ時間も出来るけど」

「ホントに?」

 レツの目が輝く。これはもしかして作戦成功かな。


「なんて、言うわけないだろ。ボクを奉る祭りで、何でボクが準備しなきゃいけないわけ?」

 しらーっとした目で、冷たく言い放つ。

 やっぱり子供のように見えても、数百年の年季が入っている相手じゃ無理かあ。

 近所の子供みたいに、うまくお手伝いしてもらうってことは出来ないよね、やっぱり。


「手伝わないけど、邪魔しない。だからさっさと終わらせてね、サーシャ」

 相手のほうが一枚上手だったかあ。

 でも、邪魔しないって約束を取り付けただけでも、十分進歩だわ。

 気が変わらないうちに、どんどん掃除しちゃおうっと。

 水竜の大祭までは、あと一週間。レツが邪魔しないなら、何とかなりそうな気がする。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ