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MY SWEET DARLIN'  作者: 来生尚
仮面の下
3/85

 ササへ


 ササが水竜の巫女になったって聞いて驚いた。

 祭宮様が村に行った理由は、水竜の大祭の視察のためだと聞いてたから、まさかササが巫女になる儀式に立ち会うためだなんて思っていなかったから。

 俺は、ササにあの日「結婚して欲しい」って言った返事を貰うことは出来なかったけれど、言った事は後悔していない。

 本当に、俺はずっとササと結婚したいって思っていたんだ。

 だけど、俺が村を出たいと言った時に、引きとめたってどうせ行くくせにって言ったお前の言葉の意味、今はよくわかる。

 例えば俺が何て言っても、きっとお前は巫女になることを辞めたりはしなかっただろう。

 あの時、引き止めて欲しいと言った俺は身勝手だったし、子供だったと思う。

 そんな風にササの気持ちを試そうとしたんだから。


 ササが巫女になって、半年が経って、やっとお前にこうやって手紙を書くことが出来る。

 もしかしたら、今頃お前は俺のことなんて忘れているかもしれないな。

 俺は、村を出てからの間も、お前が巫女になってからの間も、ずっとお前のことを忘れた事はなかったよ。

 本当はお前が巫女で無くなる日を待ち続けたい。

 だけれど、それはお前の望まない事なんだよな。

 巫女の期限は、何年と決まったものじゃないって聞いた。

 その間待っていると言って、結局待てなかったら、またお前との約束を破る事になるし。

 だから、俺は待たないって決めた。

 それだけはちゃんと伝えようと思ったんだ。

 もう、ササにとって俺は過去の人間かもしれないけれど、こうやってちゃんと区切りをつけたかったんだ。

 会う事の出来ないササに、気持ちを伝える方法がこうやって人づてに手紙を出す事しかないのは、なんか寂しいけれど、でもお前の選んだ道だから、俺も応援している。

 立派な巫女になってください。




「ルア……」

 短い手紙が、心を強く揺さぶって、巫女の仮面がうまく被れなくなる。

 忘れてなんかいなかった、ずっと負い目を感じていた。

 ちゃんとあの時の返事をしていなかった事を。

 巫女になるからしょうがない、っていう言い訳で自分の気持ちを取り繕って、本当はルアの気持ちなんて考えようともしていなかった。


 自然と溜息が漏れる。

 区切りをつけなきゃいけなかったのは、私のほうだったのに。

 書こうと思えば、ルアに手紙を書くことも出来たのに、それをしようとしなかった。ルアから逃げていた。

 それがルアを傷つけていた事を、この手紙で初めて知った。


 初めて貰ってルアからの手紙が、別れの手紙なんて、何だか皮肉すぎる。

 ずっと何年も待ち続けていた手紙は来なくって、最後の最後にこうやって手紙が来るなんて。


「……巫女」

 ウィズの控えめな言葉に、はっと我に返る。

 気持ちがルアの手紙に引っ張られていて、ウィズのことを忘れていたわけじゃないけれど、つい素の自分に戻ってしまっている。

「あ、ああ。ありがとうございます。わざわざ祭宮様に手紙を持ってきていただくなんて、申し訳ないです」

 笑おうとしても、顔が引きつってうまく笑えない。

「無理に笑わなくていいですよ。私の他には誰もいませんから」

 さらりと言い放ち、ウィズは足を組み、腕を組みなおす。


 こうなる事を予想して、神官長様に二人きりで話したいと言ったのかもしれない。

 色々な物事を先回りして考え、行動しているみたい。


「忘れられませんか。彼のことが」

 何気なく言っただけなのかもしれないのに、心に踏み込んでくるような気がして、ものすごく嫌な感じがする。

 普通に話が出来たらいいと思っているのに、どうしてこんな風に揺れる時ばかり踏み込んでこようとするんだろう。

 私が話したいことはこんな事じゃないのに。

 それに、ルアのことで揺れているのなんて、見せたくない。

「忘れる必要があるとは思いません」

 本当は、こんな事だって話したくないのに。

 ウィズの顔を見ないで、手元の手紙だけを見つめる。


「彼は私の大事な幼馴染です。忘れる必要なんてないと思います」

 でも本当は少しずつ、神殿での生活に慣れるうちに、ルアのことを思い出さない日が増えている。

 ルアが約束の日に戻ってこなくて、忘れたい、忘れようと思っていた時には、決して忘れる事が出来なかったのに、今はほんの少しずつ、ルアのことが思い出になり始めている。

 だけれど、完全に忘れ去る必要なんて無いと思う。

 大切な幼馴染の一人である事には変わりないんだから。


「ではなぜ、そのような顔をされます」

 一体、どんな顔をしているというのだろう。

 ルアに対する後悔が、顔に出てしまっているのだろうか。


 でも、もうこれ以上はウィズに踏み込んで欲しくない。

 巫女になった日に決めた事、それはウィズにはもうみっともないところは見せないという事。


「私が成すべき事を成さなかったからです。祭宮様」

 手紙から目を上げ、ウィズに目を向けると、困ったような戸惑ったような顔をしている。

 もう笑うことすらしない、私もウィズも。


「成すべき事とは?」

 自嘲的な笑みが、自然と出てしまう。

 ウィズの問いに、答える気は無い。


「祭宮様、彼に返事を渡して下さいますか」

 私が今ルアに出来る事。

 それは、ルアと私の間の幼馴染に戻す終止符を打つ事。

 お互いを開放してあげなくちゃ、先に進めない。

 私はもう神殿で生きていく決意をしている。それをちゃんともう一度自分の言葉でルアに伝えたい。


 ウィズの返答を待たず、席を立ち、日頃神官長様が執務でお使いになる机に座る。

 その席からは、ウィズの背中が見える。


 ルアの事を思い出さなくなった代わりに、よくウィズのことを思い出す。

 巫女になってから、ウィズが来る日が嬉しかった。

 うきうきして、レツにからかわれた事もあるくらいに。

 だけれど、しばらくして気がついてしまったから。ウィズの目が神官長様に向けられている事に。

 神官長様と楽しそうに話し、嬉しそうな笑顔を浮かべるウィズを見るのは辛いから、今はウィズに会う事が辛い。

 ウィズの背中に、気がつかれないように溜息をつき、ペンを取る。


 ルアに送る手紙。

 きっとこれが最初で最後の手紙になる。




 ルア、王都での暮らしはどうですか。

 私が水竜の巫女になったこと、やっぱり知っていたのね。

 水竜の大祭の日、本当はちゃんと自分の口でルアに言わなきゃいけなかったのに、何も言わないままになってしまってごめんなさい。

 最初、家で会った時にちゃんと説明すればよかったね。

 あの日、嫌な思いも沢山させてしまったと思う、ごめんなさい。


 私は水竜の巫女として、出来る限りの事をしていこうと思う。

 今はまだ巫女になったばかりだから、それだけで精一杯。

 私ね、初めて自分でやりたい事が見つかって、それが水竜の巫女なの。

 だからごめんね、今はそれ以外のことは考えられない。

 もっと早く、ちゃんと私からルアに手紙を書けばよかったね。


 沢山傷つけてゴメンね。

 いつかまたルアとカラと三人で、笑って会える日を楽しみにしています。




 悩みながら書いた手紙に封をして、ウィズの前の椅子に座り、ウィズに手紙を差し出す。

「これを、彼に渡してください」

 手紙に視線を落とし、それからまっすぐな目でウィズが静かに手紙を受け取る。

「お預かりいたします」

 カサっという音と共に、手紙がしまわれる。


 これで、私とルアの恋も、本当におしまい。


 巫女を辞めたときにまだ好きなら、って巫女になった日に考えていたのに、こんなにあっさりと区切りがつけられちゃうんだ。

 私にとってルアってそんな簡単なものじゃなかったはずなのに。

 あんなに忘れられなくて苦しかったのに、どうして今こんなに簡単に終わらせる事が出来るんだろう。

 でも、ちくちくと胸が痛い。

 もしも私が巫女に選ばれなかったら、ずっとルアといられたのかな。


「……ササ」


 ドキン、と胸が鳴る。

 その声が、その呼び方があの時と変わらない。

 私を呼ぶ声は、私の心を揺り動かす声。

 ほんの少し前までルアのことを考えていても、たった一言、名前を呼ぶだけで、心を掴んでしまう。

 ずっとルア以外の誰かが、心を支配するなんてこと無いと思っていたのに。

 そして、いつもいつも、弱っている時にばっかり現れる。

 本当にずるいよ、ウィズ。


 でも、同情されるのは嫌。

 今はまだ、「ウィズ」に頼るときじゃない。本当に行き詰まったわけじゃない。

 この痛みは、私が耐えなきゃいけないもの。

 例えルアを傷つけても、巫女になりたいと思ったんだから。


「大丈夫?」

 その問いに首を縦に振り、ウィズに精一杯笑いかける。水竜の巫女の笑みを。

 ササにはまだ戻らない。私は水竜の巫女を演じ通す。

「何がですか? 幼馴染から手紙が来ただけですよ」

 立ち上がり、ウィズに背を向ける。


 窓辺に立つと、深い木立が見える。

 あの木立の向こうには、あの日の私がいる。小さな広場で迷っている私が。


「巫女になる時、決めたんです。私は私の意思で巫女になることを選んだのだという事を忘れないと。巫女になることで失うものがあっても、決して後悔しないと、決めたんです」

 ウィズが、成長して戻ってこいって言ったから。

 後悔なんてしない。絶対に。


 それに私はレツに会いたかったんだもの。レツに会いたかったから水竜の巫女になったんだもの。

 ね、レツ。


 ――へえ、そうだったんだ。ボクってサーシャに愛されてるなあ。


 笑うレツの声が聴こえる。

 この声が聴こえるだけで、私は本当に幸せ者だわ。

 たった一人、神である水竜の声を聴くことが出来るんだもの。

 レツの声が心を満たしてくれる。この決断が間違いではなかったと教えてくれる。


「……巫女がそうおっしゃるなら」

 溜息をつく声と、カタン、とウィズが椅子から立ち上がる音がする。

 床を踏む音が部屋に響き、背後で止まり、振り返る。

 ウィズが祭宮じゃない、ウィズの顔で困ったような顔をしている。


「巫女の幼馴染が言っていましたよ。巫女は絶対に弱いところは見せないって。本当に彼の言うとおりだ」

 その言葉に思わず苦笑してしまう。

 ルアは一体どんな風に私のことを話したんだろう。


 ウィズもまた、苦笑いのような笑みを浮かべる。

「私、そろそろ奥殿に戻りますね」

 レツにペンと紙を持っていく約束をしているし、これ以上ウィズといると、ウィズの傍にずっといたくなるから。

 例え、ウィズの心は神官長様に向かっていると知っていても。


「巫女、まだもう一つお渡ししたいものがあるんです」

 ウィズがごそごそと何かを取り出す。

 目の前に開かれた掌の上には、水の色をした小さな石がついたネックレスが置かれている。


「これは?」

「巫女がいつまでも強くいられるように、私からのプレゼントです」


 窓から入ってくる陽の光に当たって、水の色をした石がキラキラと輝いている。

 透明で輝く石は、心の中の汚いものを浄化してくれるかのように見える。

「ありがとうございます」


 本当に嬉しい。

 こんな風に気に掛けてくれることが。

 傷つく事も、そして甘えることも拒絶する事も全部わかっていて、でも力づけてくれる。

 いつもこうやってウィズは力をくれるから、傍にいて欲しくって、ちゃんと私を見ていて欲しくなる。

 いつか本当に傷つく日がくるかもしれないのに、そんな悪い未来が来ないような錯覚をしてしまう。


 胸の内を悟られないように、そっとウィズの手には触れないように、ルアの手紙を持っている手とは反対側の手で、ネックレスを受け取る。


「それ、石が大きすぎて加工する時に半分にしたんですよ、片割れはここに」


 ウィズが器用に、自身の着ている長い袖を捲り上げる。

 同じように輝く石が、そこにはある。

 ウィズの腕に光る、複雑に装飾を施されたブレスレットの中に、同じ色の石が埋め込まれている。


「それとこれ、二つで一つなんです」


 心臓が止まりそうになる。

 ウィズの顔から目が離せない。

 深い意味なんてないのかもしれないけれど、でも、でも……。


 ――サーシャ!!早く戻ってきてよ。ボク一人で遊ぶの飽きたよ!


 突然頭の中に響き渡る声が、現実に引き戻す。

 そうだ、レツを待たせているんだから、早く戻らなきゃ。


「すみません、水竜がお呼びなので、戻りますね」

 一礼をし、水竜の巫女の笑みでウィズを見返すと、ウィズが大きく息を吐いて笑う。

「水竜には敵いませんから、どうぞ」

 両手を広げ、おどけるように笑い、騎士の礼をして扉の方へ腕を向ける。

 そんな仕草に、自然と笑みが零れる。


 ――ササ、待って! 祭宮に伝えて。


 扉の方に歩き出そうとしたところで、レツの声がまた頭に響く。

 反対側の窓、水竜の神殿の奥殿が見えるほうの窓を振り返る。

 レツの気配が窓越しに届く。


「巫女?」

 ――祭宮に、用があればこっちから呼ぶから、ちょこちょこ来るなって言っといて。


 ウィズの声と、レツの声が同時に耳に届き、レツのちょっと怒ったような顔が目の前に浮かぶ。

 そっか、何も答えなかったのは、こうやってウィズが来ることが嫌だったからなのね。

「水竜が、用がある時はこちらから呼ぶ、とのことです」

 ちょこちょこ来るな、をどうやって伝えたらいいのかわからなくて、前半部分だけを伝える。

 きっと、それだけでウィズには十分わかっただろう。ウィズの眉根がぎゅっと歪む。

 でもそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間には祭宮の優雅な笑みを浮かべる。


「では、御用がございましたら、お呼び下さい」

「ええ。では失礼致します」

 祭宮の笑みに巫女の笑みで返し、ウィズに一礼をし、扉に手を掛ける。

 振り返らずに、扉の外に出て、大きく一度深呼吸をする。


 いっそ巫女の仮面が張り付いたまま、剥がれなくなればいいのに。

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