第五十九話 小娘と美女と浮気者
総一郎は斎鹿の頭をポンっと叩き、不敵な笑みを浮かべると小高い丘を頂上に向けて歩き始めた。頂上につくとエリスリトールがその後ろから錫杖を跪きながら恭しく総一郎へと渡した。総一郎は錫杖を右手で受け取り地面を1度叩く。すると、叩いた場所から丘を包むように光の波紋が様々な色へと変わりながら広がっていく。
「 公爵、何があるかわからん。 周囲に結界を頼む」
真剣な顔をした総一郎が懐から鉄扇を取り出し開くと、サリルトに目配せする。それをサリルトは無言のまま頷いた。
サリルトはローブの胸元からキャップと軸胴部が天色の万年筆を取り出し、空高くへと投げた。万年筆は回転しながら次第に強い光を放ち、辺りを強く照らす。斎鹿はその光の強烈さにぎゅっと目を閉じた。
「 お久しぶりね」
斎鹿が恐る恐る目を開け、声がする方へと目を向けると、妖艶な美女が宙に浮いていた。美女はエメラルドのアイシャドウをして二重の大きな空色の瞳で斎鹿達を見下ろした。透けるような白い肌、赤い唇、通った鼻筋、殿上眉、白菫色の真っ直ぐな髪をポニーテールにしてはいるが、毛先は足首まで広がっている。上衣のオフショルダーはネックラインの真ん中でスリットが鳩尾まで入り、豊満な胸の膨らみが見て取れる。長袖の袖口は大きく広がっており、斎鹿達からでは指先しか見えない。下衣は腰の部分に何度も巻かれた光沢のある青い布が足先まですっぽりと覆い、残りが肩に掛けられている。両手首には金色の細いブレスレットが3本つけられていた。そして、不敵な笑みを浮かべた妖艶な美女が両手をあげるとブレスレットは小さく鳴った。両手が空中で交差し離れると、そこからシャボン玉のような膜が辺りを包み込んだ。
「 オモルフィ…」
サリルトの声に視線を向けたオモルフィは、目が合うと赤い唇を光らせて艶やかに笑った。
「 相変わらずいい男ね、サリルト・アルファイオス」
オモルフィが空からゆっくりと降り、宙に浮いたままサリルトの首に両手を巻きつけ背後に回り込み、サリルの頬に1度キスをするとその肩に頬を寄せた。
その様子に目を瞬かせた斎鹿は、両手を力強く握ると身体をわなわなと震わせた。
「 このっ、浮気者!」
斎鹿はサリルトを睨むと、地面に落ちていた2㎝程の南天のような木の実を拾いあげ、大きく振りかぶりサリルトの額めがけて投げつけた。コントロールは確かなもので木の実は勢いよく額へと向かっていく。そして、サリルトの額まであとわずかにという所でジュッという音と共に掻き消えた。
「 わたくしのサリルトに何をするの」
オモルフィはサリルトの肩から顔を起こし、鋭い視線と低い声で威嚇する。斎鹿はそれにも負けまいとさらにサリルトを睨みつける。
「 生意気な…」
オモルフィは左手の人差し指を斎鹿に向けた。指先には500円玉程の光の玉が生まれ、時折バチバチと音を立てる。
オモルフィが口角を上げ、斎鹿に向けてそれを放とうとすると、横からサリルトの右手が人差し指を掴んだ。すると、パチンという破裂音と共に光の玉は消え、オモルフィの不機嫌な顔だけが残った。
「 なぜ止めるの? あんな無礼者は、」
「 彼女は私の妻だ」
目を丸くさせ、手を口をあてて笑い出したオモルフィは、サリルトから離れ、ふわふわと斎鹿へと近づいていく。腕組みをして不貞腐れた斎鹿に両手を腰にあて、顔だけを斎鹿に近づけまじまじと見つめた。と思うと今度は手を伸ばし、斎鹿の服の首元を引っ張り中を覗き込んだ。
「 サリルト… この子、まだ幼女じゃないの?」
そう言い放つと鼻で笑い、引っ張っていた首元を離してた。オモルフィは、サリルトの元へと戻り、左肩に両手を乗せもう1度頬にキスをした。
斎鹿はオモルフィの言葉に息を深く吸い込み、目を見開いて下唇を噛み、サリルトへとドスドスと音がしそうな足取りで近づいた。そして、右腕を両手で掴むと強い力で斎鹿の方へと引き寄せると、斎鹿はサリルトの前に立った。背中に隠された形になったが、サリルトの胸しか身長がない斎鹿の後ろではまったく隠れてはいなかった。
オモルフィは凭れかかっていたサリルトがいなくなり前のめりになったが、すぐに体勢を立て直すと斎鹿の後ろにいりサリルトに近づこうとした。しかし、斎鹿が両手を目一杯広げてオモルフィの向かう方に立ちはだかる。
「 おどき、小娘。 …サリルト、こんな野蛮な小娘、おやめなさいな」
オモルフィが立ちはだかる斎鹿の肩に手を置き、サリルトに向かって乗り出した。斎鹿はそれを払いのけ、サリルトに向き直るとオモルフィを窺いながらサリルトの腹を両手で押して距離を取ろうとする。
「 このわたくしの美貌と知性には誰も敵わないとは思うけれど…こんなちんちくりんな小娘より、もっとマシな人間の女ぐらい見つけられるでしょう?」
「…オモルフィ」
何時もより低い不機嫌なサリルトの声にオモルフィが心外とばかりに眉を顰めた。斎鹿はサリルトが動かないとわかると、オモルフィを鋭い視線を向ける。
「 私の妻に無礼な真似はやめろ」
「 だって! サリルト、」
サリルトは後ろから両手を伸ばし、斎鹿を抱きしめるように引き寄せた。
「 オモルフィ、頼む」
「 ……」
オモルフィは黙り込むと、涙目でサリルトを睨みつけた。
精霊は契約者に『命令』と言われたことは、契約者の命令による無意味な殺生、精霊自身又は契約者の命に関わること以外守らなければならない。しかし、サリルトは『命令』をしない。オモルフィはそんな彼が好きだった。しかし、今はそれが腹立たしかった。
「 男が1人に女が2人……なかなか面白い展開になってきましたね」
他人事のように片膝をつき、その上に肘を乗せ、顎を支えたまま頂上から様子を眺めていたエリスリトールは、総一郎の背中に向けてもう一方を伸ばす。掌から出た小さないくつもの光の粒は、総一郎の背中から身体の中に入っていく。
「 エリス、わかってるとは思うけど…」
「 わかってますよ。 今の所は大事な情報ですから外部には流しません」
( 今の所ってなんやねん…)
ありがとうございました。
参考:Wikipedia(民族衣装)、色辞典、ギリシャ語辞典