第四十一話 日が暮れて
家庭教師が部屋に戻った時には教え子2人は消えていた。いや、『消えていた』のではなく『逃げていた』が正しい。
長年結婚をしたくないと言っていた弟がついに運命の女性と出会い、結婚したいと言い出したのはまだ昨日と記憶に新しい。そんな2人のために、姉として出来ることを考え異世界から来た彼女のために礼儀作法を教えようと家庭教師として厳しく接した。しかし、残念ながら弟夫婦(仮)には姉の愛は伝わらなかったようだ。
「 んもぉ、困ったちゃんねぇ」
シアンは生徒用の椅子に腰掛け、右手の親指と中指を擦り合わせてパチンと音を立てた。高いキィという音と共に扉が開き、セバスチャンが頭を下げる。
「 御用でしょうか」
「 この部屋を元に戻してちょうだい。 せっかくのお部屋だったけれど…生徒が消えてしまっては使えないわぁ」
やれやれとシアンは立ち上がりため息を吐いた。
「 かしこましました」
セバスチャンは深く頭を下げ、目を細めて穏やかな顔に笑顔を浮かべた。シアンが自分も着替えようとその場から離れようとした時、何か柔らかいものを足で蹴ってしまったことに気付いた。不思議そうに視線を下げる。
すると、そこには危ない足取りながらも懸命にここまで歩いてきたのだろうサリィが、腹を上に向けて足をばたつかせている。
「 まぁ‼︎ ごめんなさいねぇ、サリィ」
シアンがサリィを抱き上げて腕に抱き、その小さな頭を撫でると、サリィは気持ち良さそうに目を細めた。サリィは斎鹿と一緒に昼食を取ろうと頭の上に乗っていたが、昼食会が始まる前に斎鹿の採寸をしたポニーテールのメイドが餌を与えるため、別室へと連れて行ったのだった。それからメイドの報告によると籠の中で丸くなって寝ていたはずだが、どうやら斎鹿を捜して危ない足取りでここまできてしまったようだ。
「 サリィ、残念だけどぉ…斎鹿ちゃんは今いないのよぉ」
サリィはきょとんとして顔で首を傾ける。その仕草は愛好家がいるのが頷ける程愛らしい。
「 ふふ。 さぁ、一緒に待っていましょうねぇ」
シアンの言葉は何の鋭さも持っていないにも関わらず、その目は獲物を待ちわびるように楽しそうに鋭く光っていた。
買い物をし終えた斎鹿達は太陽の光がわずかに赤みを帯びた頃、ダイヤル式の赤電話こと箱型亜空間移動居住空間転送機・改のある場所へと向かっていた。
そんなに離れたつもりはなかった2人だったが存外にもかなりの距離を歩いていたらしい。辺りには帰り道を急ぐ大勢の人や片付けを始める店が多くなってきていた。
右手首に巻かれたブレスレットも赤い太陽に照らされ煌めいている。
「 日が完全に落ちる前には戻れる」
「 もぅ帰るの?」
「 治安も完全にいいとは言い切れない。それに」
「 それに?」
「 …本当に忘れているのか。 姉上がこれ以上は黙っていないだろう」
斎鹿は片手で持っていた肩掛けバックのベルトをぎゅと握った。そして、背中に何かわからない冷やりとしたものがあてられたような感覚に襲われた。
「 お、恐ろしいっ」
「 逃げだしただけでもご立腹だ。 帰ったらご機嫌取りが先決だな」
サリルトは片手を顎にあてると考えたような顔をし、まだシアンを想像して身ぶるいしている斎鹿を振り返った。しかし、その顔を見るなり諦めたようなため息を吐き再び前を向いた。
「 ねぇねぇ、何か手があるの?」
「……ないことはないが」
サリルトは言い難そうに視線を彷徨わせ言い淀んだ。
「 なに? 」
「 斎鹿は嫌がるだろうが…」
「 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ⁉︎ 生きるか死ぬかなんだよ⁉︎」
「 大袈裟だが、近いことはされる。精神的に」
「 ……嫌でも、なんでも我慢します!」
サリルトは斎鹿の態度に思わず俯いてため息を吐く。今まで無愛想と周囲に言われてきたが斎鹿の前では感情をつい表に出してしまう。それはサリルトにとって考えられないことだった。
彼は側近として王に仕えているが周囲には悪意が満ちている。隙を見せればそれは国の危機へと繋がってしまうことをサリルトはわかっていた。だからこそ感情を抑え何事にも冷静に行動せねばと自分に言い聞かせてきたのだ。
サリルトは感情を表に出している自分を再び戒め、斎鹿へと言い放った。
「 仲睦まじく、は斎鹿は無理だろうが、名前で呼ぶだけでもかなり違うだろうな」
「 さっき決めた呼び名?」
「 そうだ」
「 それならまぁ…」
斎鹿は考えるように天を仰ぎ、シアンに笑顔で怒られるよりはマシ、と判断して頷いた。
「 …ルー」
斎鹿の声は小さかったがサリルトには確かに聞こえた。サリルトは先程戒めたにも関わらず、顔にはわずかに笑みが浮かんでいた。
ありがとうございました。
2014/11/03 編集致しました。