第三十八話 口づけは檸檬味?
「この度は、連れが大変ご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げる」
「 あ、いや…こちらこそ」
「 では…失礼する」
総一郎は無表情のサリルトの冷たく鋭い視線と低い声に、口元を引き攣らせたどたどしく言葉を返すことしか出来なかった。サリルトは総一郎を一瞥し、テーブルに金貨を1枚置くと座っている斎鹿のパーカーの帽子を猫の子のように掴み、そのまま立たせるように引き上げた。
「 げぇっ」
斎鹿は勢いよく首が服で締め付けられ蛙のような声を出し、手をばたつかせ抵抗をしたがサリルトは気にせずに斎鹿を出口へと引っ張っていく。強引に引っ張るので後ろ向きになり千鳥足のようにふらふらと歩くしかない斎鹿は総一郎へと視線を移し、苦笑いを浮かべて右手を上げ小さく振った。
総一郎もそれに応えるように右手を軽く上げ笑顔を浮かべ頷くと、斎鹿は両手の掌を合わせて総一郎へと許しを請うた。そして、その後すぐに店から斎鹿とサリルトの姿は見えなくなった。
総一郎は見えなくなるのを確認すると、斎鹿の水が残っているコップの取っ手へと手を伸ばし、そのまま一気に口へと運んだ。口元に笑みを浮かべ、先程のサリルトの顔を思い出した。
「 案外普通の男やったなぁ、サリルト・アルファイオス公爵」
持っていたコップを自分のコップの隣へと置くと、窓の外を見るように頬杖をつき意味深な笑みを浮かべていた。
店内の客の話し声や料理の皿にナイフやフォークがあたる音が騒がしく響く中、ガタッと椅子をひく音が総一郎の背中から聞こえた。
「 あなたがあのお嬢さんにちょっかいを出したからではないですか? 結婚前に花嫁を誘惑しようだなんて…そんな子に育てた覚えはありませんよ」
「 育てられた憶えないわ。 そもそも何でお前がおんねんっ」
総一郎は腰を捻り後ろを向くと、椅子の背もたれに手を置いて170㎝前後の男が総一郎を見下ろして立っていた。男は色素の薄い茶色の髪を白い紐で顔の横で束ね、紺色の燕尾服とズボン、薄紅色のベストを着用し、白いウィングカラーのシャツと黒い赤紫色のネクタイをして足には黒い紐革靴を履き銀縁の眼鏡をかけた上品な紳士だった。
「 休日はいつもなら部屋で寝て終わりなのに…こんな所まで来て。 何かあるんですか?」
「 ふん! 最悪無慈悲な教育係には言いとぅない。俺だって年頃なんやから色々あんねん、い・ろ・い・ろ」
男は椅子をテーブルの下に戻すと右手で拳をつくり、扉をノックするように総一郎の数回頭を叩いた。
「 …何をしてもいいですが、軽い頭をもう少し重くしてからにして下さい。まぁ、最悪無慈悲の教育係の言うことは聞かないとは思いますが…」
男はそのまま出入り口の扉へと歩き出し、途中で擦れ違った店員に代金とチップを渡した。総一郎はそのまま男が出ていくのを眺めていたが、大きくため息を吐くと立ち上がり金貨を一瞥し大股で店を出ていった。
斎鹿の服を掴んで引っ張っていたサリルトは、出た店からすぐ近くの店と店の間の細い路地に入り込んだ。サリルトは斎鹿の顔の両脇に手を置き逃げられないようにすると、冷たい目で斎鹿を見下ろした。
「 お、怒ってんの?」
「 怒っていないと思っているのか。何だ、あの男は?」
サリルトは斎鹿の顔に自分の顔を近付けて詰め寄るが、斎鹿はサリルトの整った顔に耐性も出来ているので動揺はしなかったが、やはりいい気はしない。斎鹿は両手でサリルトの胸を思い切り押すとサリルトから逃れるように顔を背けた。
「 あの人、総一郎さんね、私と一緒で日本から来た人なんだって言ってから…」
斎鹿は怒りを抑えられていないサリルトの顔にだんだんと声が小さくなっていくのを感じていた。サリルトは斎鹿の『ソウイチロウ』という言葉にさらに眉をしかめる。
「 …なぜだ」
「 何が?」
サリルトは胸の奥に何かが引っ掛かっているように感じていた。それが何なのかはサリルトにはわからなかったが、その胸の引っ掛かりは斎鹿の言動が原因であることははっきりと理解していた。
「 …なぜ、あいつは名で呼ぶ。私はまだ呼ばれたことがない」
「 なんでって…」
「 私たちは夫婦だ。名前で呼ばなければおかしいだろ」
「 夫婦って…」
「 名を呼べ」
「 …いや、ちょっ」
サリルトは右手で斎鹿の顎を掴むと力任せに前を向かせ、横を向いていた斎鹿の目は強制的にサリルトと目を合わせることになった。しばらく見つめ合っていた2人だったが、サリルトがだんだんと顔を斎鹿へと近付いてくる。斎鹿は嫌な予感を察知し、サリルトの腕の間から何とか逃げようとするが逃げられない。
「 ちょっと‼︎ いや‼︎ 変態、馬鹿、馬鹿、変態‼︎」
斎鹿は悪態をつきながら両手でサリルトの両頬を挟んで押し退けようとするが、サリルトも負けずに顔を近付けようとする。
「 名を呼べ」
「 呼んだらやめてくれるの⁉︎ サリルト、サリーちゃん、サリルトさーん‼︎」
サリルトは目を見開き近付けようとしていた動きを止めた。
斎鹿がサリルトと名前を呼ぶのを聞いた途端、胸の奥の引っ掛かりから解放されたような気がした。 サリルトは気付かぬうちにその無愛想と呼ばれる顔に、まだぎこちない笑みではあったが笑顔を浮かべていた。
斎鹿が安堵のため息を吐いて文句のひとつでも言ってやろうと上を向いた時、口に柔らかな感触を感じた。思いがけないことに思考が停止した斎鹿がされるがままなっていると、サリルトは斎鹿の両肩に手を置き引き寄せると口の中を侵略した。サリルトはさらに貪るように深い口づけを続ける。
それが斎鹿にとってファーストキスだった。
ありがとうございました。
2014/11/02 編集致しました。