第12話 王都からの使者
第12話 王都からの使者
工房の朝は、いつものように穏やかだった。
防御システムが完成してから一週間、三人は以前より安心して過ごせるようになっている。システムの動作報告によると、既に数回の「迷子」を工房付近で確認したが、幸い全て第二層の段階で諦めて撤退してくれた。
「今日も平和ですね」
エリアが朝食のパンを焼きながら、心から安心したような明るい声で言った。焼きたてのパンの香ばしい香りが工房に広がる。
「平和なのは良いことよ」
セレスがお茶を飲みながら答える。しかし、カップを持つ手がわずかに震えていた。
「でも……」
セレスが言いかけて、カップをソーサーに置く。その小さな音が妙に響いた。
突然、防御システムの警告音が静寂を破って響いた。
「第一層が反応しています」
レオンが慌ててパンくずを払いながら表示パネルに駆け寄る。
画面に映る数字に目を見張った。
「接近者は……五人。しかも、動きが普通じゃないようです」
レオンの声が心配そうになる。三人が画面を覗き込むと、森の中を進む五人の人影が、まるで一つの生物のように整然と移動している。
エリアの手が無意識にレオンの袖を掴んだ。
「これは……」
セレスの瞳が鋭く細められる。
「軍人ね。間違いない」
彼女の声に、普段の知的な優雅さとは違う、冷たい緊張感が混じった。
エリアの声が震える。
「軍人?なぜ軍人がこんなところに?」
彼女の顔が青ざめていく。
「分からないけど……」
セレスがコントロールパネルに手をかけた。
「良いことではないでしょうね」
空気が一瞬で張り詰める。防御システムの警告音が、まるで心臓の鼓動のように響いていた。エリアの手がレオンの袖をしっかりと掴んでいる。
「第二層を起動しますか?」
セレスの細い指が、スイッチの直前で静止した。その指先がわずかに震えている。
「まだ待ちましょう」
レオンが深呼吸してから言った。心を落ち着かせようとしているのが分かる。
「相手が軍人なら、正式な用事かもしれません」
エリアがレオンの腕を両手で掴んだ。その手が小さく震えている。
「正式な用事って、どんな?」
「政府からの技術査察とか……」
しかし、セレスが首を左右に激しく振る。その美しい髪がさらさらと揺れた。
「あり得ないわ。正式な査察なら事前に通知が来る。これは絶対に非公式の行動よ」
彼女の声に、確信と怒りが混じっていた。
レオンの背筋に冷たいものが走った。
「非公式って……何のための?」
「秘密調査」
セレスの声に、普段の落ち着いた知性とは裏腹の恐怖が滂んでいた。
「もしくは……技術の強制接収」
その瞬間、エリアの顔から血の気が引いた。彼女の手がレオンの腕をさらに強く掴んだ。
「強制接収?そんなこと、本当にできるの?」
「できるのよ」
セレスの整った顔立ちが石像のように硬直した。彼女の瞳に、過去の苦い経験が浮かんでいる。
「国家機密に関わる技術、特に軍事転用可能な技術なら……法的手続きを無視してでも」
レオンの脳裏に、これまで作った魔道具の数々が浮かんだ。【魔力調整リング】、【魔力障壁ペンダント】、そして防御システム……確かに、どれも軍事転用が可能だ。
彼の顔が青ざめていく。
画面の中で、軍人たちが確実に、一歩一歩工房に近づいてくる。
「どうしましょう?」
エリアの声がかすれて震えている。彼女の瞳が水っぽくなっていた。
「第二層を起動するわ」
セレスの指がスイッチに向かう。
「でも……軍人相手に幻影なんて、本当に効くの?」
「効くと思うわ」
セレスが答えた。
「どんなに訓練を受けた軍人でも、古代レベルの魔法的混乱には対処できないはず」
スイッチが押された瞬間、工房全体に微かな振動が伝わった。
画面の中で、軍人たちが急に立ち止まる。
「隊長?道が……」
「何だ、これは……地図と全然違う」
「コンパスも狂ってます!」
五人の軍人が明らかに混乱している。さっきまで真っ直ぐ工房に向かっていたのに、今は同じ場所をぐるぐると彷徨している。
「効いてる……」
エリアが大きく胸を上下させて、ほっと息をついた。緊張で凝り固まっていた肩がわずかに緩んだ。
しかし、セレスの美しい顔に浮かんだ表情は、仮面のように暗く硬いままだった。
「でも、あの人たち……簡単には諦めないわよ」
彼女の声に、何か苦い経験に裏打ちされた知識が滲んでいた。
画面越しに聞こえる隊長の声が、三人の心臓を凍らせた。
「隊長、これは魔法的な妨害と思われます」
「魔法妨害か……」
隊長の声に動揺はない。まるで予想していたかのような冷静さだ。
「プランBに移行する。対魔法装備を使用しろ」
軍人たちが一斉に装備を変更し始める。銀色の小さな装置を胸に装着していく。
レオンが眉をひそめた。
「魔法対策装備?そんなものがあるんですか?」
「あるのよ」
セレスの顔が青ざめている。
「軍用の魔法無効化装置。ただし、とても高価だから特殊部隊にしか……」
彼女の言葉が途切れる。
「特殊部隊……つまり、あの人たちは」
「エリート軍人よ」
状況が一気に深刻になった。
「どうしましょうか?」
レオンが不安そうに聞く。
「第三層も準備しておきましょう」
セレスが提案する。
「でも、相手は軍人よ?攻撃したら国家反逆罪になるかも……」
「反逆罪?」
「軍人への攻撃は重罪よ。最悪の場合は死刑も……」
エリアが震え声になった。
「死刑って……」
「でも……」
レオンが困ったように答える。
「第三層は非致死性のはずですから。それに、不法侵入に対する防御ですし……」
「正当防衛って言っても……」
画面の向こうで、軍人たちが装置を装着し終える。
その瞬間だった。
混乱していた軍人たちの動きが、急に整然となった。
「くっ……」
セレスが悔しそうに呟く。
「対策されたわね。でも……」
画面をよく見ると、軍人たちはまだ完全には回復していない。時々立ち止まったり、首を振ったりしている。
「旧式の装備ね。最新型なら完全無効化できるけど、あれじゃあ七割程度の効果しかない」
「七割でも十分厄介ですね」
レオンが画面を見つめながら言った。軍人たちが、今度こそ確実に工房に向かって前進している。
「第三層を起動しましょうか?」
「待って」
セレスが手を上げた。
「まずは話し合いを試してみる。相手の正体も確認したいし」
セレスが工房の外部スピーカーを起動する。マイクに向かって、できるだけ冷静な声で話しかけた。
「そこの方々、何の用でしょうか?」
軍人たちがぴたりと立ち止まる。
隊長らしき男性が前に出て、大声で答えた。
「グランディア王国魔導技師団特別調査班である!未確認技術の調査のため、住人の協力を要請する!」
魔導技師団……レオンとエリアが顔を見合わせた。
「技術調査ですって?」
「この地域で確認された未確認技術について調査を行う。住人は任意同行してもらう」
エリアの身体が震え始めた。
「任意同行って……」
「『任意』って言葉を使ってるけど」
セレスの声が低くなる。
「実質的には強制連行よ」
「どうしましょう?」
「拒否しましょう」
「拒否?」
「協力する義務はないわ。それに、彼らに法的権限があるかも疑問よ」
セレスがスピーカーに向かった。
「申し訳ありませんが、お断りします。正式な令状をお持ちでしたら改めて」
「令状は不要だ。国家機密に関わる緊急事態として処理する」
隊長の声が厳しくなった。
「緊急事態?」
「該当地域で確認された技術は、国家安全保障に関わる可能性がある。調査に協力しないと、反逆罪適用も検討する」
「反逆罪って……脅迫じゃない」
セレスが怒った。
「法的根拠のない脅迫は重罪よ」
しかし、相手は軍人だ。法的な議論が通用するかどうか。
「最終警告だ。三分以内に出てこなければ、強制突入する」
隊長が時計を見た。
「強制突入?」
「やるわね……」
セレスが悔しそうな表情を浮かべた。
「どうしますか?」
「第三層を起動しましょう」
レオンが困ったように決断した。
「でも……」
「不法侵入に対する防御行動ですから……」
レオンが申し訳なさそうに答える。
セレスがうなずいた。
「そうね。向こうが先に違法行為をしてるわ」
第三層の起動スイッチを押した。
途端に、工房周辺の空気が変わった。
「何だ?」
軍人たちが警戒を始めた。
「隊長、魔力レベルが急上昇しています」
「迎撃システムか……全員、戦闘準備」
軍人たちが武器を構えた。
しかし、第三層のシステムは彼らの想像を超えていた。
「うわっ!」
一人の軍人が突然動けなくなった。麻痺魔法が効いたのだ。
「隊長!魔法攻撃です!」
「落ち着け!対魔法防護を……」
その時、隊長も含めて全員が同時に倒れた。睡眠魔法が発動したのだ。
「効果がありました……」
レオンが安堵の表情を見せる。
「軍用の魔法対策装備でも、古代技術には対処できないみたいですね……」
セレスが感心した。
「よく分からないですが……何とかなったようです」
レオンが困ったように答える。
約十分後。
工房から数キロ離れた森の中で、五人の軍人が目を覚ました。
「隊長……ここは?」
「転移魔法か……」
隊長が立ち上がりながら周囲を見回す。見覚えのない森の中だった。
「まさか、空間魔法まで使えるとは……」
部下の一人が呟く。
「報告書が大変なことになりますね」
「ああ」
隊長が苦い表情を浮かべた。
「『古代技術継承者』の可能性が高いと報告するしかないな」
工房では、三人が画面を見つめていた。軍人たちが撤退していく様子が映っている。
「とりあえず……今回は何とかなったようですね」
レオンがほっと息をついた。
しかし、セレスの表情は晴れない。
「これで終わりじゃないわよ」
「え?」
「今度はもっと本格的な部隊が来る」
セレスが振り返る。その表情は、これまでで一番深刻だった。
「古代技術対策の専門部隊、もしくは……」
彼女が言いかけて止まる。
「もしくは?」
「王国最高位の魔導技師が、直接来るかもしれない」