1話
「お前に異世界を征服してもらう」
そう言われた時、俺は一瞬聞き間違えたかと思った。
「……異世界?」
目の前にいるのは、俺の所属する悪の組織の長──アクデス。組織の象徴たる存在であり、この世界を影から支配する女だ。
黒を基調とした軍服をまとい、長い黒髪をなびかせながら、俺を見据えている。その冷たい瞳には、まるで感情がない。
「この世界はすでに我々のものだ。しかし、支配は一つでは足りない。次なる領域を求めるのは当然のことだろう?」
俺は、沈黙した。
アクデスの態度に気圧されているからというワケではない。
たた単に、彼女が説明した理由が全く理解できなかったからだ。
いや、普通……世界なんて1個手に入ればそれで十分だろ。
どこが、当然なんだ。
そんなことを俺が内心考えていると、アクデスは視線を逸らす。
「ゼロ、これを見ろ」
アクデスが顔を向けた方向には、液晶モニターがあり、アクデスは懐から手にしたリモコンのスイッチを押した。
モニターに電源が入り、1人の病衣を着た少女が映像に映る。
「ま、まさか……。リン、なのか?」
俺の唯一の家族である、妹のリン。
その姿を見て、俺は思わず名を呼んでいた。
しかし、どうやら映像は録画らしく俺の問いかけに残念ながらリンは答えなかった。
「えっと、お兄……ちゃん。私は、見ての通り……お兄ちゃんのおかげで、元気になりました。エティス先生が言うにはもう少しで退院できるそうです……」
マ、マジか。
今まで、僅かばかりの面会しか許されなかったリンがもう少しで退院出来る……だと?
「けど、退院するには……お兄ちゃんがイセカイ?というのを頑張ってセイフクしないとダメなので、認められないらしい……です。なので……イセカイでのニンムを、えっと……がんばって……ください。お兄ちゃん」
リンがそう最後のセリフを言うニッコリと微笑んだ。
い、癒やされる……。
しかし、次の瞬間にはアクデスが、再びリモコンのスイッチを押しモニターの映像は消えてしまった。
俺は、もう少し妹の姿を見たかったという気持ちをなんとか抑え、モニターの電源を落としたアクデスの方を見る。
アクデスは、特に気にした様子はなく平然とした態度で話を続けた。
「お前の妹は無事回復した。だが、お前への貸しはまだまだあるからな」
「……」
「だから、異世界征服の任務を無事達成したら、お前の妹の退院手続きを認めてやることにした。条件としては、これ以上のものはないだろう?」
「まぁ……そうだな」
アクデスは、俺の返答を聞くと、少し笑みを浮かべる。
悪の組織とは言えど、医療設備は完璧。
俺はかつて、病弱な妹を助ける為アクデスと取り引きを交わし悪の組織の戦闘員になることを選んだ。
そして今、アクデスは妹を解放することを約束した。
ついに、妹に自由を与えることが出来る……。
となれば、俺は戦闘員としてただアクデスの命令に従うのみ。
「うむ、期待しているぞ」
アクデスは、そう言うと背後にある円環状の装置を振り返り見た。
「あそこにあるのが異世界転移装置だ。あれを使い、お前を異世界に送り込む」
「……成功率は?」
「100%とは言えないが、少なくとも肉体が消し飛ぶことはない」
くそっ、100%じゃないのかよ。
「安心しろ。万が一、失敗したとしても、お前の今までの戦闘データは記録してある」
サラリと恐ろしいことを言うアクデスに、俺は小さく息を吐いた。
いつものことだ。
「それで、ゼロ。この任務に準備は必要か?」
「いや、この装備だけで十分だ」
俺はすでにこの身一つで戦うことに慣れている。剣は腰に。戦闘スーツも着用済み。問題はない。
俺は、アクデスの横を通り過ぎ転移装置の上へと乗る。
「では、頼んだぞ。戦闘員ゼロ」
「……仰せのままに」
俺の返答を聞き終えると、アクデスは装置のスイッチを押した。
機械の音は意外にも静かで、次第に淡い光が強くなると、ものの数秒で俺の全身を包み込んだ。
……体が転移したような感覚は、まだないか。
おそらく、転移には少しばかり時間がかかるのだろう。
そう思いつつ、俺は目を閉じ転移の瞬間を今か今かと待つ。
そして、次の瞬間──
「っ……!」
一瞬の浮遊感が俺の体を襲うのだった。