シドウシャ
間宮 朔と奇異な容姿の女性が、奇妙な距離を保ったまま並んで歩いているのは、他人から見ればまた何とも滑稽なものだろう。しかし、面白くもないのは、こんなことになった朔本人以外の何者でもない。鎌で喉を捌かれる危険からは遠のいたものの、金縛りみたいな緊張感は解れるものではないらしい。
「どこへ行く?」
唯一、切り出せた疑問もどこか儚げだ。女も、質問に答えようとはせず朔を辛辣な視線だけで黙らせてしまう。
かと思えば。
「先程のような経験は、これまでに複数回あるか。」
「ない。」
内容を伴わない問いばかりを繰り返し、朔が否定するたびに暫く考える素振りを見せる。
「一つ、答えてもらえないか。」
「答えるかは、質疑による。」
・・・コイツ、表情が一ミリも変化しないな。整った顔立ちで、威嚇するような赤眼が怖かったが慣れると綺麗なものだ・・・笑えばいいのにな。
「『あれ』は何なんだ?」
「『あれ』とは、少女のことか?」
「ああ。」
「死を認められぬ人間の成れの果て、魂、思念体など解釈によって名称は異なる。」
それって世間一般的に、夏の風物詩とか、夏の特別番組とか、オカルトのジャンルに取り上げられる『あれ』ですか。
「幽霊ってこと・・・か。」
「個々人でニュアンスに差異はあるが、幽霊という認識でも私は構わない。」
待て、待て、待ってくれ・・・問題を消化どころか咀嚼させない気か、この女。幽霊というトピックで、盛り上がるのが別の意味で怖い。
「じゃ――。」
「質問は、一つまでと言った。」
「幽霊についての質問以外なら、いいか?」
どうやらコイツは、俺に危害を加える気など無いのだろう・・・と思うと心に余裕が生まれた。人間ってのは、つくづく単純な生き物だとも思って内心笑った。
「質疑による。」
「アンタは、人間か?」
「どう見える?」
「人間に見える。」
「そうか。」
「ついでに言わせてもらえれば、クォーターなのか?」
「そうだ。」
「なるほど。」
「それがどうした。」
「いや、日本人離れした顔してるなと思ってさ。」
「間宮 朔、楽しそうだな?」
自分でも驚くほど、素直に楽しいのだと自覚していた。いつもなら積極的に他人へ質問したりしない、絶対に。他人と必要以上に話さないし、関わらない、特定の奴ら以外とは友情といったものも築いてこなかったのに・・・今の俺は。
「アンタと話してるのが、ちょっと楽しいのかもしれない。」
眠いのか、俺は恥ずかしい気持ちを口にしていた。自分の質問が的中したのに、コイツは訝しげだった。
「不思議な奴だ。」
「アンタには負ける。」
「そうか・・・。」
無機質な横顔は、俺に何も語ってこようとはしなかった。静寂が訪れた街灯のみが照らしだす中、俺たちは再度黙々と歩き続けた。徒歩で十分の地点に、導かれた俺だが・・・。
「廃墟か、悪趣味だな。」
「・・・。」
心霊スポット、肝試し、ホームレスの隠れ蓑、もしかしたら猛禽類を合成する怪しげな研究をする秘密結社だったりしてな・・・ないか。
「間宮 朔、幽霊が怖いか。」
「うーん・・・。」
『さっきのは幽霊です』と言われて、唯々諾々になれず一応驚いてしまったが。『幽霊』って科学でも解明できない存在としか考えたことのない俺には、曖昧模糊な相槌でしか応答できなかった。
「逆に問うと、怖いとマズイのか。」
「自己に発生した畏怖は、恐怖に対して過敏に反応するようになる。」
「理論的に言ってくれるのは、ありがたいが。質問の正解じゃないと思う。」
廃墟としか思えない建物の廊下を俺は、羞月閉花、眼光炯炯、虚無恬淡とした女子と闊歩している有様。どうしてこうなったんだと自問自答してみたが、『大鎌で脅された』以外に簡潔な回答がない。
「怖いとね、お仕事にならないのよ。」
凝視しなければ気付かないであろう、数メートル先に俺と大鎌女以外の第三者が居ることに。声色からして女なのだとは分かったが、人と判別できる程度なので容姿までは把握できない。
「マダム。」
大鎌女が、軽く会釈する相手は『マダム』って名前なのか・・・外資系の集団なのか、変な宗教団体の勧誘だったら、どうしようとか今になって思い始めた。これが、後悔先立たずってやつだな。
「あら、キスショット久しぶり。」
「ご無沙汰しております。」
クォーターの割には、日本語が流暢なんだな・・・などと感心していると。
「朔君とは、何時間ぶりだろ。」
・・・始めましてじゃないのか、それも親しげで呼びなれたような口調。今日、会ったマダム的人物は望の小母さんくらいのもんだ。
「もう忘れちゃったの、やっぱり女として魅力ないのかな私。通販で、フェロモン強化の香水付けてみたんだけど・・・。」
パチンと音がしてから、刹那、暗い廊下に明かりが充満して俺の目を眩ます。目を細めて明るさに慣れるのを待って瞼を開くと。
「なるほど。」
電灯のスイッチをつけたのは、菅原 紗希。保健室常駐の先生で、今朝俺に熱中症と診断を下した人だ。
「つまんない反応だな。もっと驚いてよ。」
「鎌で危急存亡の事態まで追い込まれた後には、大概のドッキリにも驚かないだろ。」
でないと、寿命が短縮して短縮して短縮してって仕舞いには絶命してしまい兼ねないだろ。
「率直に言います。」
「お、告白?」
徒に艶美な笑みで、俺にありもしないことを言わせようとしてるな・・・湊が口説く理由なんとなく理解できたのが無性に悔しく虚しい。
「平々凡々の俺に何をさせたいのか。」
「世界中に散らばった七つの玉を――。」
「何をさせたいのか聞きたいんですけど。」
語気を強めてみたが、飄々とした先生の態度を見れば分かる反省してないことが。
「私たちと除霊しなさい。」
命令形かよ・・・つか、急転直下過ぎだろ。
「除霊と言われても不可能。俺は、霊感なんか微塵も――。」
「無い、とは言わせないぞぉ。キスショット(この子)から報告は受けてるんだよ。女の子の霊が見えたんだって?」
いつの間に・・・。
「それも、影響だとか干渉だとか完全に反射したんだって?ちょっとした逸材だね。」
「待ってくれ、話が飛躍しすぎて分からない事だらけだ。」
先生独りが、意気揚々と語っているが破天荒な流れに俺の頭がカオスだ。主語や述語が酷く虫食い状態で、このまま説明を聞いても支離滅裂だろう。
「ちょ~っと、駆け足過ぎたかな。明日からは、また夏休みだしタップリ朔君には私たちのことも分かってもらえると思うな。」
「帰ります。」
「キスショット。」
サッと銀白色の刃物が俺の喉元を狩ろうとしている、それはキスショットの・・・大鎌だった。これは、刃物恐怖症でなくともビビる。
「お茶くらい出すからさ。」
裏に含みのある満面の笑顔が、俺に選択を迫る。生か、死か。
「っ――拒否権は。」
「無い。」
俺の問いに、キスショットが低く冷徹な声で否定した。ならば、道は一つだろ。
「除霊とやらに、手を貸す。」
「きゃっほーい、GJキスショット!!」
「いえ、マダムほどでは。」
・・・待てーいッ。
「なんなんだ?」
半ば呆然というか、放心状態の俺をほったって女どもが有頂天になってるんだが・・・。
「あはは、私が人を殺す命令を出すと思ったの?」
思わせるような演技したのはアンタだろう、まがまがしい笑い方されたら誰でも信じるだろうが。
しかし、思いがけない発言をキスショットがした。
「演技だったのですか。」
「え?」
先生が、凍りつく。
「お前、先生が冗談でも命令したら俺を殺るつもりだったろ・・・今だから訊くが。」
「ああ。」
危ねぇ、躊躇いも無く言いやがった・・・もう少しで俺が現世から除外されるところだった。
「殺されたら、一生呪ってやる。」
「その脅しは、通用しないわよ。」
「なんで・・・ああ。」
自称『成仏推進協会』の奴らじゃ、悪霊も雑魚キャラか・・・。
「常識欠如してんのか、お前。」
キスショットとやらの瞬きの回数が一般人平均より少ないんではないかと、野暮なことを考えつつ皮肉を言ってみる。が、赤い瞳の視界には廊下の風景しか映っていないのだろう、俺は興味を惹く対象として見えていないのだろう。
「年頃の女の子に、痛烈な毒吐くのね朔君。この子はね、純真無垢なだけ。」
・・・他人の命令を有言実行するのが、その四字熟語の意味なら文句無いよ。
朔が反映されない不満を飲み込んで数秒後、廊下の突き当たりに辿り着いた。そこには、骨董屋で『中世の貴族を魅了した、歴史的国宝かぁ凄いな・・・でも、別に必要ないな』などと言われて創業からずっと売れ残ってしまいそうな扉が填っていた。
「完全に洋風だな。」
「神社みたいな渋い純和風を想像してた?」
お化け屋敷みたいなお札だらけのを想像していたとは発想が稚拙すぎて言えないと口を噤んだ朔、その傍らキスショットは朔を興味津々といった感じで様子を窺っていた。キスショットの仕草に、菅原はニヤッとしてウインクするとキスショットは何事も無かったように朔から目を逸らし、扉を開けた。
「お好きな席にどうぞ、寛いでね。キスショットも」
「お構いなく。」
「お気遣い無く。」
ハモる二人を、微笑ましそうに菅原は眺めてからキッチンのほうへ消えた。
菅原 紗希の部屋自体は、二十畳と想像と比較して意外と狭いものだが、インテリアというのか家具や生活道具に至るまでモダンな洋風で統一されて落ち着いた雰囲気だった。
改めて二人きりになると、会話が自然と出来なくなってしまったのか朔は数回キスショットへ目配せしてから唇を何度かパクパクさせて押し黙ってしまった。
「間宮 朔、思念体による干渉について疑問があるようなことを言っていたが。」
「・・・ああ、干渉の説明、あと具体的な例でもあれば助かる。」
口火を切ったのはキスショットからだった。高校二年の男女が交わす会話内容とは程遠いオカルトの延長に朔はガッカリのような安堵したような複雑な面持ちだった。
「霊魂と霊魂が共鳴することに起きる身体的、精神的異常のことを霊的干渉と言う。」
「それで・・・。」
「以上。」
「終わり?」
「ああ。」
恰も、道理に適っていることを主張するキスショットに朔は頭を抱えた。後々、分かってくることだがキスショットは口下手で説明も下手なのだ。しかし、情報の吸収力は尋常ではないもので同じ失敗は二度しない。
「二人とも、すっかり打ち解けたね。なんの話かな?」
紅茶の香りがする湯気が上がる陶器のポットとティーカップを三つお盆に乗せて、キスショットの隣に座った菅原。
「思念体からの干渉と影響を説明していました。」
国語の問題を答えるように、簡潔に完結されたから何一つ分かっちゃいないが・・・。今更、首を横には振れない。振ろうものなら、首を落とされるやもしれんからな。
「分かってないでしょ。」
菅原が、そう言って注いだ紅茶を飲み始めた。
「いや・・・。」
チラッとキスショットの方を見てみると、五杯目の砂糖を投入している時だった。って、コイツも甘党なのか・・・まさかだがたい焼き(クリーム)が好きなんじゃ・・・。
「あ・・・ああ。」
思い出した・・・コイツ、昼にたい焼きとタコヤキを買ってた奴だ。
「お前、たい焼きとタコヤキ全部食べたのか・・・?」
このとき初めて、キスショットがキョトンと驚いたような表情を見せた瞬間だった。意外と可愛い。
「たい焼きは好きだが、食べ終わった後、塩気を欲してしまうからタコヤキを買って調節しているのだ。」
「お前、分析家みたいな口ぶりで言ってるが要約するに両方食べたいって食意地だろ・・・望かよぉ。」
って、睨みやがった。なんなんだよ、批判されると劣等感感じちゃうタイプか・・・面倒臭い。
「たい焼きは、クリーム好きなのか。」
「クリームなど、邪道。私は、白餡が好きなのだ。」
それ言ったら、お前も邪道だろうがよ。コイツらにとっては、黒餡はサブメニューにカテゴライズされるのか。
「あら、二人とも顔見知りなの?初めてみたいな雰囲気だと思ったのに。」
俺たちの顔を交互に見て、菅原は自分の勘が外れたことに関してゴチた。
「残念ながら、初対面じゃない。だからといって、知り合いというものでもない。そもそも、友達が友達に鎌振り上げますかね。」
やはり俺は人間としては、かなり器の小さい部類だろう。自分でも、言わなくてもいいのに治まりがつかなくて皮肉を言いたくなる性分らしい・・・。言い過ぎたと思って謝ろうにも、相手陣営も壁作っちゃってて俺の良心を蔑ろにしようとしている。ジト目で俺を見てるよ。
「ほーら、空気重くなってる。朔君も男の子なんだから、女々しいぞ。キスショットも、言い返さないと駄目よ、想いを伝える手段は言葉と・・・あと二つくらいしか手段無いんだしね。」
キスショットの空になったカップに、なみなみと紅茶を注ぎいれながら菅原が俺とキスショットに説教しだした。言葉と、あと二つってなんだか気になるんだが、キーワード放置するんだなこの人・・・。
「改めて訊きたい、俺に何をさせたいワケ。幽霊とか思念体とか諸々、オカルト関係全般が不確定要素ばっかりで意味が分からないんですけど。」
「私たちが逐一、教えてあげるのもいいけど。この分野に至っては、朔君が見て、触れて、話して、失敗して反省して、自分の道を見つけないと始まらないからねぇ。と、言っても無責任だと思われたくないからね。はいっ、これ。」
菅原に手渡されたのは、黒塗りの本皮製のシステム手帳だった。軽く、パラパラと捲ってみたが文字がびっしり書いてあるのは半分くらいで、あと半分はまっさら空白だった。
「指南書なんて基本だけ、あとは自分の言葉で纏めてね。」
「先生、言いたくないですけど不親切ですね。」
「そう言うだろうと思ってたわよ、だからキスショットをチューターにさせてあげます。」
「チューター?」
チューターとは、指導つまりチュートリアルと呼ぶ行為を施す教員を、この場合指すらしい。簡単な見方をすれば、キスショットが先生、俺が生徒、キスショットが上司、俺が部下、キスショットが番長、俺は舎弟と言った感じだろうか。
「・・・私がチューターですか。」
「そうよ。何か不満?」
「いえ。」
不満というより、俺に興味なしと言ったところだ。つか、紅茶に砂糖を入れる量が半端なく多い気がする・・・俺にはそっちのほうが十倍気になる。
「しかし、私には彼を育成する環境条件が不十分です。」
「朔君が学生ってこと?」
静かに頷くキスショットに、フフンと鼻を鳴らす菅原。
「じゃ、朔君学校やめて。」
「ええええええええええええ、無理、犠牲者は俺か。」
「朔君の反応も想定済みなんだ。」
菅原の命令ドコまでが冗談なのか、本気なのか判別付かない・・・。
「では、訊きましょうか菅原先生、貴女の計画を。」
「キスショットも入学すればいいの。ね、一挙解決。」
もし今ビデオ再生中なら、一時停止しただろう。
「分かりました。」
何が分かったのか、安易に了承しているキスショットが紅茶を飲み干した。コイツは、ミステリアスとか不思議ちゃんなんて生易しい天然じゃない・・・馬鹿だ。先生の提案は、是が非でも頷く気満々じゃないか。
「だったら、話が早いわ。明日にでも、編入の手続きしておくからね。校長先生にも、私から推薦しとくからキスショット貴女は入学の制服とか教材を揃えてちょうだい。いい?」
紅茶に苺ジャムを混ぜながら菅野は、依然イエス回答するキスショットへ指令を言い渡している。この人たち、それにしても紅茶の消費率が高いな・・・どこかの紅茶工場と提携している組織ではなかろうか。
「朔君、この娘をよろしくね。」
一方通行の質疑応答の果てには、やっぱり正解なんてなくて滾々と不満と疑問が湧き上がってくる。幽霊の話かと思えば今度は、外国人の転校のご相談ときたもんだ・・・もうどうにでもなれ。