デアイ
「朔ちゃん、さくちゃん、さぁくちゃん、さぁくちゃぁん。」
「ん、あ・・・。」
寝起きは最悪。それも、数十分しか眠っていないと知ったとなれば尚更だ。不覚にも寝てしまったなら、満足するまでは眠っていたい・・・。寝ぼけ眼で、不満足の原因を齎した奴の面を見た。
「もぅ、恨めしそうな顔になってる。」
「なんだよ、たい焼きの講習に来たのか?」
「違うよ、お母さんが「良かったら、お昼食べに来ないか朔君に聞いてきて」って言うから。朔ちゃんは私をどぉ思ってるの?」
頬を膨らませながらも、小母さんの口真似をしている。これが意外と良い線いってると思う、口真似だけじゃなく行動も真似てれば落ち着いて見えるだろうに。
「聞きたいのか。」
「やっぱ、言わなくていい。朔ちゃん、私をたい焼きヲタクだとかマニアだとか考えてるでしょ。」
そこまで自己分析出来て、たい焼き信者止めないなんて末期症状だな。だが、今、そんなこと言ったら金切り声でブゥブゥ耳元で騒がれると面倒臭い。
「俺は、お前をヲタクなんて思ってない。」
「思ってないの?」
なんでコイツは、潤んだ瞳で俺を見上げてるんだ。心が一般人より澄んでるのか、たい焼きの材料で出来上がってるのか・・・呆れるくらい素直だ。とりあえず、丸く治まったみたいだし相川家の昼食を呼ばれることにしよう。
そう思い、起き上がろうとした瞬間だった。
「そぉだ、見て見てぇッ♪」
「ダッ――。」
俺が体勢を起こすのと同時とも言えるシンクロ率で、望が携帯電話を握った拳を突き出してきた。その拳は、ものの見事に俺の寝呆けっ面を捕らえた。俗に言う、クリティカルヒットになったワケだ。
「おいっ、望。」
「見てッ朔ちゃん、昨日発売のたい焼きの香りのするストラップ、可愛いでしょ『焼きたてタイ焼き君』。」
・・・溜息なんかで収拾の付かない俺は人間として小さいだろうか。他が小さいと言おうとも、俺の中では自制できない。
「前言撤回。お前は、たい焼き狂、たい焼き症候群の仲間だ。」
「たいやきふれーく・・・たいやきしんどばっと・・・?」
駄目だ。暴言を吐いても言葉の意味を知らない人間には、善悪区別付かないからメンタルダメージを与えられないのか。諦めた俺は、依然、ポカンとした望を部屋から追い出し、私服へ着替え始めた。
「~~♪」
扉越しに望の鼻歌が聞こえる。間違いなく、『焼きたてタイ焼き君』とやらの匂いを嗅いでたい焼きの世界に浸っているのだろう。
「朔ちゃん、フレークとシンドバットの意味教えてよ。気になるぅ。」
ズボンを穿いていると、望が意味を訊いてきたので渋々ながら答えようとも思ったのだが・・・。
「そんなに聞きたいか。」
「聞きたい、教えて、早くぅ。」
「じゃ、そのまま土下座してたら教える。」
「殿この通りです。」
誰が殿だ。恥ずかしい演技が、次々が出来る心意気だけは羨ましくあるな。いっそ、水泳部辞めて演劇部に転向したほうがいいのかもしれない。
扉の反対側で、望が土下座したであろう物音がしたのを見計らって扉を開けた。力加減は、俺のみぞ知るとでも言っておこう。
ゴッ――。
「う゛――っ。」
普通に生活していれば発することの無い鈍い望の呻き声が聞こえた。どうやら、予定では扉の面でやるつもりだったのが扉の角が当たったらしく望が涙目になるばっかりで反抗してこない始末だった。
暫らく埋まっていた望が、何か呟いているのが聞こえて俺はしゃがんだ。
「朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ朔ちゃんのバカ・・・」
いじけてしまった望は、呪文でも詠唱するように延々と俺に馬鹿と言い続けている有様だ。元は俺が悪いのだが、素直にごめんとは言いにくい。しかし、よく噛まないな。
「あうっ。」
言ってる傍から。
「どうした。」
「舌噛んだ・・・これも全部朔ちゃんのせいなんだよぅ。」
「それは悪かったな。小母さん待ってるだろうから早く行こう。」
「ちょっと、それだけぇ?朔ちゃんの人でなし。」
「たい焼きプラス二個。」
「十個ッ。」
「いや、せめて五個。」
「じゃ、あいだとって七個。」
「七個か、腹壊して診察代まで集るなよ。」
「そんなことしないよ。」
・・・こんなことで、解決できるコイツはたい焼き中毒者、たい焼き依存症、たい焼き奉行、たい焼き愛好家などなど。お前の将来は明るい、たい焼きのクリーム如くな。
「なんだかんだ言って、久しぶりに小母さんの料理食べる気がする。」
「今度は私の手料理食べてみるぅ、食べてみたいっしょ?」
「手料理によるな、インスタントかレトルト系統なら・・・それ以外はパスだ。」
「なーんでぇ。」
お前の料理・・・いや、家庭科スキルの程度が知れてしまっているからだ。鍋を爆発させたり、カオスな混合色のスプーンを融解する強酸性の汁作ってみたり、までは行かないにしろ過半数不味いと判別が可能な範囲でのレベルだ。
「もし、仮に俺がお前の手料理を食べるときは変なアレンジは絶対にするな。」
「変なって、ヒドくない?」
「酷くない、未来の婿の為に忠告してやってんだ。」
「(それって・・・えぇえぇぇぇぇぇぇェェッェッェエェェェェッェェェェ!!)」
なぜ望が頬を赤らめてるのか意味が分からない。しかし、たい焼きとは違う妄想世界に逝ってしまったことだけは長年の勘で分かる。
「そ、それは置いとこ。」
憑依から解かれたように、望が大声で話題の切り替えを要求してきた。切り替えも何も、完結した会話を蛇足付けてまでグダグダ続ける気も無いので『ああ』と相槌を短く打った。
が、しかし、俺たちは既に相川家へと到着してしまっている。
「お邪魔します。」
玄関で挨拶を軽く済ませて、リビングに行くと望の小母さんがホカホカと湯気の上がる綺麗な形のオムライスを盛り付けている最中だった。俺に気付いた小母さんは『いらっしゃい』と優しげな笑顔で迎えてくれた。
「朔君、オムライスには何をかけるの。ケチャップ、デミグラスソース、クリームソース?」
「ケチャップで。」
「私は、クリームソース派。」
相川家とは十年以上の付き合いになるのだが、お邪魔する度に小母さんの家事スキルに磨きがかかっているように感じる。家政婦か、それに準じた職業にしていたんではなかろうか。していたと言われても、微塵に疑いはしないと言い切れる。むしろ、していないことに驚いたほどだ。驚愕の事実は、家事万能の小母さんから何一つ受け継がなかった望のことだった。遺伝とは、複雑なものだ。
「如何わしい顔してるよ、朔ちゃん。」
「お前、如何わしいって言葉の意味熟慮して使ってるか?」
望が、クリームソースにオムライスをこれでもかと絡めてから頬張るのを見て俺も同じのにすれば良かったかなとか思いながら俺も『いただきます』と添えて食べ始めた。
「旨い。」
この場合、どちらの選択肢にもハズレなんかないことを悟った。って、なに感慨に浸ってんだ俺は。
「食べたねぇっっ!」
なんだ・・・追い詰められた真犯人がボロを出したのを見逃さない探偵みたく鼻に付く言い方は。
「はいはい、食った食った。」
俺が素直に認めると小母さんが苦笑している。そして、当の本人は幼い子供みたく満足したのか誇らしげに『ふふん』と感無量の鼻息を漏らす。それを投げやりに見やると。
「じゃ~ん。」
じゃ~ん・・・じゃねぇ、一体全体どうしてお前は宿題である夏季休暇の全課題を俺に見せ付け暢気な顔をしているのか・・・どこまでも果てしなく分からん奴。
「って、この環境保全ポスター今日提出だったろうが。」
「ひえぇぇっ、怒っらないでよ・・・いろいろ、私なりの事情があったんだよぅ。」
「全国のたい焼きを堪能するために小遣い前借して、日本中を駆け巡ってたことが・・・ねぇ。」
たい焼きが携わると、とことんアグレッシブな性格してやがる。
「なんで知ってんのぉ。あ、お母さん話したんでしょぉ・・・もお。」
「いや、小母さんが口滑らせなくても、容易に想像できた。」
「なんで?(もしかして、朔ちゃんと私は以心伝心!?)」
「デカい旅行鞄引っ提げて『たいやき~たいやき~待っててね♪』なんて小恥ずかしい音痴な歌リピートされてりゃ、たい焼き食すツアーか、たい焼き職人目指す奴かに限定されるからな。」
打って変わって硬直して石化したたい焼きフリークは、スプーンをカランと皿の上に落とした。
「私、歌ってた?音痴だった?」
自覚無かったのか・・・半分そうではないかなとは予測していたが事態は思いのほか深刻らしい。たい焼きヲタクと弄ってきた俺だが、ここまで進行すると病的だ。若干、いたたまれない気分になる。俺は、折角小母さんの作ってくれたパーフェクトオムライスだったが掻き込み胃に流し込んだ。
「ごちそうさまでした。思い立ったら吉日、望、徹夜しても宿題を全クリさせるぞ。」
「ちょ・・・準備がまだ・・・。(朔ちゃんが燃えてるよ、教えてくれるのは心強いけどスパルタなんだよねぇ)」
徹夜必至、覚悟必死の望だった。
時間は経て・・・日は明け、望の五分ほど進めてある目覚ましの針は午前2時34分を示している。宿題の進行状態を言おう、九割弱を殲滅完了しているのだが・・・。
「だぅ~ん・・・。」
「寝るな、終わんないぞ。」
「もぅ、集中力が限界だよぅ。」
ったく、一から読書感想文書くほうがコイツには難易度Sだろうな。元々、文章を読み書きする習慣がない・・・つか、関心が皆無なのだ。そんな奴が、芥川賞受賞作品を読破してやろうと燃えていた、燃えてはいたが燃焼速度は尋常ではなく燃え尽きて灰となった。そもそも文章を読み終えてから控えているのは、休憩ではなく、感想の文章を創作しなければならないという文章の拷問だ。
「本なら、ぶ厚い本皮表紙じゃなくても、ラノベでいいだろ。この際、文章に数えるなら絵本でもいいだろ。」
ムクと上体を起こした望は、瞳に異様なメルヘンオーラを纏っている。思考パターンが単純な分未来が透けて見えるようで不安になった。そいつが、香水なのか甘ったるい匂いがする根源とも言える本棚を開放した時点で確信に変わった。
「絵本も、本の内だね!」
・・・嗚呼、類は類だが、あくまで種族の問題であって年齢制限の問題は解消していないのだ。どうしてお前の本棚には、三匹の仔豚、親指姫、シンデレラ、白雪姫など以下同群が勢ぞろいしているのか。
「書くのは良いけど、かなり背徳的な評価を得るだろうな。」
絵本で、作成した作文は果てしなくシュールに違いない。たい焼きの専門誌並みに、マニアの心しか捉えないであろう・・・たい焼き。
「お前さ、たい焼き関連の小説は読まないのか。」
「たい焼きを主題にした小説なんか知らないよ、あってもたい焼きの歴史にまつわるあれこれで・・・そっかぁ!!」
深夜に五月蠅くして、『すみません』と心中謝った。どっちにしろ、読書感想文も終わったも同然だし、任務を全うしたことだし、相川宅で風呂も済ませたし、俺も早く就寝したい二連夜徹夜ってのは学生であれキツい。
「俺、帰るからな。お前も、書くだけなんだから無理すんなよ。」
「心配してくれるの嬉しいけど、文才に開花したから書き上げちゃうよ。」
まるで、期限に追われている小説家がラストスパートかけてる台詞みたいで笑った。自分で、文才が開花したとか豪語しているしな。
「そうかい、じゃお先に。おやすみ。」
「うん、おやすみぃ。」
おそらくは、たい焼き列伝が所狭しに散りばめられた。下手な専門誌より、豪華に知識の詳細が描かれたものになるのは、明白だ。それが、果たして文章として成り立っているか、支離滅裂なのかは些か疑問なところだが。
『お邪魔しました』と小声で言い残し、相川家から俺の家へと戻ることにした。したのだが・・・ちょうど俺の家と望の家の間には一本の街灯がある、その仄明るい場所には高校生ぐらいの女子が直立不動、それも俺を目だけが追っている不自然さなのだ。普通の人間は、声掛けないですれ違うだろう。当然、俺も眼も合わせず足早に家へ戻ろうとしたさ。
「間宮 朔。」
皮膚が粟立つのと、これが悪寒だというものに気付きながらゾッとするような低音の効いた女の声に振り向いた。絶句した、絶叫など出てこないほど目の前の光景に打ちのめされた。俺よりも少しばかり背丈が小さく、スレンダーな身体つき、服装は夜色のスーツに赤色のネクタイ、傷んでいない光沢ある漆黒の黒髪に、カラーコンタクトなのか紅い眼、小細工の無い整った顔立ち、夜の散歩には不釣合いなほどのオーラが女を包んでいた。
しかも、その左手に鎌が、農作業する小っさい鎌じゃない。死神の象徴とも、言われるような代物が握られている。
「間宮 朔、今、何を見た。」
「・・・。」
「黙秘すれば、斬る。」
斬る、キル、どっちでもいい。現状、言っても言わないでも殺されそうな雰囲気なんだが・・・コイツの訊いている『今』というのが少し過去を指すことは理解できるが今が強烈過ぎて過去の追従が出来ない。
「ま、まずは鎌を下ろしてくれ・・・。」
「なぜだ、質問に答えろ。」
俺の言い分は、受理されない。それどころか、急かしてくる態度に拍車がかかった気がする。言ったところで助かる見込みは未知数だが、言わないと確実に殺される・・・。
「高校生くらいの女子を見ただけ・・・だ。」
「どこにいた。」
「ちょうど・・・街灯のトコだ。」
『そうか』と言いながら、女は鎌を下ろして俺に向かって歩を進める。俺は、逆に後退したいと願うが体が反応しない。夏の湿度と暑さに加えて、畏怖の感情で冷や汗をかき、喉がへばり付いて呼吸すら不規則だ。
「ナンバー7 間宮 朔、適合者確認。」
「は?!」
「来い。」
「ああ・・・。」
午前2時51分、俺が何かの適合者に選ばれた瞬間だった。不本意ながら、俺はその詐欺とも言える勧誘を鵜呑みにしてしまった瞬間でもある。