転生して世界を救った。と思ったら夢だった。はずだった。
「これで、終わりだ!魔王!」
俺は、光り輝く聖剣を無防備になった魔王に対し、渾身の力で振り抜いた。
「がはっ……もはやこれまで、か。人間ごときに我が野望が阻まれるとは」
「お前は、力の使い方を間違えたんだ。それが俺みたいな対抗力を生み出した。そしてお前はそれに負けた。それだけだ」
「くく、我が秘術は世界を変える力、だが……同時に破滅の力でもあったわけか」
魔王は塵となり消えていく己の体を眺め、俺の目を見る。
「お前の勝ちだ、勇者よ……そろそろ目覚めるがよい」
「……何?」
目覚める?何の話だ?
その瞬間、消えていく魔王の体がまばゆく輝き出した。それは俺の視界を白く染め上げ……
「はっ」
ここはどこだ。俺は確か魔王を倒して、それから……。
「それから、どうなったんだ?」
たしかに魔王は倒した。世界は救われたはずだ。だが倒した後の記憶がない。
周りを見渡す。清潔感のある白い部屋。俺はその中心でベッドに寝ていたようで、これもまた白い掛け布団が目に入る。そしてベッド際にはテレビと目覚まし時計。さらに見上げればベッドを囲むようにカーテンレールがある。
「……病院?」
それも、地球の?
状況が呑み込みきれず、ぼうっとしていると部屋のスライドドアががらがらと鳴った。
「成田さん、おはようございま…す……」
「え、あ、はい、おはようございます?」
「……」
「……あの」
「はっ!先生を呼ばないと!あ、先輩!田上先生を呼んでいただけますか!成田さんが目を覚まされたんです!」
廊下から聞こえるバタバタという忙しない音。状況から察するに、俺はこの病院で昏睡状態になっていたのか?
そうこうしていると、さっき挨拶した人物……おそらく看護師の女性が部屋に戻ってきた。
「すみません、成田さん。意識ははっきりしていますか?」
「えっと……はい。俺……どうなってたんですか?」
「ながらく昏睡状態だったんですよ。詳しいことは担当の先生がいらっしゃってから話しましょう。ひとまず安静にしてください」
そういわれるとこちらも待つしかない。いったい、俺の身に何があったんだ?
結論から言うと、俺は1年前に交通事故にあってから、目覚めずにいたらしい。怪我はいくらかの骨折くらいで、脳に目立った影響は見られなかったが、何故か目覚めなかったのだとか。目覚めた今でも原因は不明らしい。今は五体満足なのが救いか。記憶や意識の混濁がないかも確かめられたが、問題はないようだ。少なくとも医者の視点では。
交通事故のことは記憶に残っていた。自転車に乗って路側帯を通行しているときに何故か車が横から突っ込んできたのだ。昏睡状態になったとは言え目覚めたので、ヘルメットをしていたのが良かったんでしょう、と医者は言っていた。だが、俺の記憶では交通事故で死んで異世界に転生したはずだった。そして勇者になって魔王を討伐したのだ。
「夢……だったのか?」
寒々しさすらある広い病室に寂しく響くモノローグ。昏睡していた期間は一年、俺の異世界の冒険は記憶ではたしか三年ほど。異世界だから時間の流れが違うんだ、魔王を倒したから褒美として生きていたことにしてこっちの世界に戻してもらえたんだ、と言う風に考えることもできるが正直わからない。俺の四肢は細く弱弱しい病人のそれであり、あの聖剣を握るには頼りない。
「夢…でも現実だったとしても、関係ない……か」
俺にとっては現実の経験だったとしても、この体にその経験は残っておらず、他の人からはただ事故にあって生還した人としてしか見られない。つまり、あの冒険の日々は無かったも同然なのだ。
「なにか……何か残っていないのか、あの世界の、何か……」
パッと見装備品などの物はない。ならば、技術……そもそも体が満足に動かない、確かめるにして体力を戻さないと何もできない。
「……なら、魔法はどうだ」
魔力を励起させる感覚を思い起こす……
「いっ!……げほっ!ごほっ!」
全身に激痛が走った。体が拒否反応を起こしているのか……?やはり体力を戻さなければならない。
「でも、反応した、な……」
反応した、ということは魔力、あるいはそれに類する何かがこの体にある?あるいは単に変な力み方をしたのが良くなかっただけか。
「……リハビリ最優先か」
本格的に確かめるためには、なにより体力を戻さなければならない。それが今俺に下せる唯一の判断だった。
「れん!」
「うおっ!静かに入って来いよな……」
デイリールーティンのリハビリを終えて病室で本を読んでいると、病室の扉が勢いよく開き、一人の女性……というか、俺の友人が入ってきた。
「葉子、久しぶりだな、日本に帰ってきたのか」
「君が目覚めたと聞いたから最低限いろいろ片づけて跳んできたのさ。まったく、一年も眠るなんてねえ」
彼女は橋田葉子、海外の大学で研究職に就いている数学者兼工学者だ。その界隈では有名らしい、俺はよくわからんが。(俺の主観では)約三年ぶりに会った彼女は、変わらず陽気な笑顔を浮かべていた。
「わざわざ見舞いのために帰ってきたのか、ありがとうよ」
「ふふん、見舞い品として君の好きなりんごも持ってきてあげたよ」
そう言って葉子は保存容器を取り出す。こいつ、わざわざうさぎの飾り切りにしてやがる。
「やはり、こういうシチュエーションならこれだと思ったのだが、どうかな?」
「まあ、んなこったろうとは思ったが」
「この場で剥くというのも考えたんだがねえ」
「職質にでもあったら果物ナイフで一発アウトだろ」
「ああ、従ってこうなった。ほら、口を開けるんだ」
そう言ってうさぎりんごを差し出す葉子。まさかこいつ……
「お、おい、自分で食えるぞ」
「そう言わずに、さあ、あーん」
くっ、粘っても意味はない、というのは経験上わかっている。こいつめ。観念して口を開く。
……ちっ、美味いな。
「……で、俺はまあ、リハビリも順調でこの通りだが、お前は最近どうなんだ」
「うん?あーまあね、うん、ふふふ」
何にやけてるんだ、こいつ。
「なんだよ、何かいいことでもあったのか?」
「聞きたいかい?」
「どうでもいいや」
「まあまあまあ、聞きたまえよ君い」
うっざ。とはいえ本当にいいことがあったらしいな。そういう時の反応だ。
「実はねえ、世界を変える数式を作り上げてしまってねえ」
「うん?」
魔力が励起する。体中を魔力が巡り、そして、俺の目にもう一つの現実を映し出した。
橋田葉子
ロール:魔王
「は?」
「何を言っているんだ。と言う顔だねえ、まあそれも当然の反応か」
それもそうだが、そうではなくて。なんだよ、なんだよこれ。
「まあ、正確にはこの数式が解ければ世界が変わる、というほうが正しいが。そしてそれを成し遂げるのが目下私の目標なのさ」
「そ、そうか、俺にはよくわからんが、頑張れよ」
「勿論さ、さて、実はこの後も用があってね、短い時間だったがも出なければならない。まあ、しばらく日本にいるから、また来るよ」
そう言って葉子は出ていった。
葉子が……魔王?
「成田錬さん、あなたは今月いっぱいで退院です」
「そう……ですか」
「ええ、リハビリも極めて順調ですし、この様子なら問題ないでしょう」
そう言って笑顔を浮かべる担当医師。そして俺の目にだけ見える表示。
田上正太郎
ロール:医師
「もうしばらくは経過観察をしますが……特に後遺症などは見られませんし、形式的なものです」
「はい、先生、ありがとうございます」
「リハビリを頑張られた成田さんの努力あってのものです。それでは、今日の診察はこの辺りで」
田上医師に一礼をして、診察室を出る。
病室までの道すがら、これまでのことを思い出す。あのステータス表示じみたものは、葉子が面談に来たあの日から、魔力を体に巡らせることで自在に見れるようになった。と言っても表示されるのは名前とロールとやらくらいで、他に役立つことはない。更に言えば、魔力を使ってできるのはそれだけで、魔法は使えなかった。体捌きなどに関しては、体がついていける範囲でなら再現できることが確認できた。やはり、あの世界での経験は夢ではなかったのだろう。
「だが、ロールってなんだ?」
ロール、おそらく役割。田上医師のロールは医師であったし、看護師や他の患者のロールも折々に見ていたが、「看護師」、「会社員」、「大工」など、そのままその人の職業を表したようなものばかりだった。
「だが、それなら葉子は「学者」とか「研究者」のはずだよな」
葉子のロールは「魔王」。そして……
成田錬
ロール:勇者
「どうしろってんだ?俺に葉子を倒せとでも」
ふざけている。というか、あの世界でもないのに魔王だの勇者だのってのはどういうことだ。だが、ひとつ、ひとつだけ気にかかることはある。あえて言えば勇者の勘のようなものだ。
「たしか、今日来るんだったよな」
「やあやあ錬、寂しくなかったかい?」
「いや、特に」
「またまたあ」
椅子を引っ張り出して座る葉子。そして葉子はカバンの中をごそごそとまさぐり始めた。
「うん?また何か持ってきたのか?」
「ああ、ちょっとね。私の勘が君に見せた方がいいと言っているんだ」
そう言って取り出したのは一冊のノート。
表紙には葉子の文字で、「次元超越方程式」と記されていた。
「もしかしてこれ、この前言っていた?」
「ああ、世界を変える数式さ」
ノートを開くと、各ページにびっしりと理解不能な数式が書き連ねられている。
「つってもな、俺にこんなもの見せられても……っ!?」
以前、葉子が面談に来た時と同じ感覚、無意識に魔力が励起し、もう一つの現実を見る目が数式を認識する。ああ、なるほど、これは世界を変える数式、世界を変える力だ。あの魔王を破滅させた力だ。
「……何か感じたようだね?」
「なんだ……その、勘のようなものなんだが……これは、良くないものだ。できればその……」
お前に持っていてほしくない。
そう告げる。不安げに、しかし真剣に。
すると葉子はなぜか優しい笑みを浮かべた。
「そうか、君もそう思うか」
そして、俺の手からノートを受け取ると、カバンの底にしまった。
「この研究は凍結しようと思う」
「はっ?なんで……」
「だって、君はそうしてほしいのだろう?」
「いやまあ、そうだけど。でも……いいのか?」
世紀の発見のようなものじゃないのか。
「いいんだ。正直私もね、いやな感じはしていたんだ。これは今の人類の手に余るものだ、とね」
「そう……なのか?」
「ああ、もし君が何も言わなければ研究を進めるつもりだったが……あんな表情をされてはねえ」
「えっ」
「いやあ、君、今までに見たことないくらい不安そうな顔をしていたよ?そんなに私のことが心配だったのかい?」
こ、こいつここぞとばかりに……!
「世界の変革を見たくなかったと言えば嘘になるが……まあ、変革はいいことばかりでもないしね、これでいいのさ、ただし」
葉子は鷹揚な態度で、俺の目を見据えた。
「私にこんな決断をさせたんだ、責任、取ってくれるね?」
結局、あの後葉子は本当に研究を凍結してしまった。もともと俺以外には構想を話していなかった研究らしく、打ち切ること自体にはたいした困難はなかったそうだ。そんなものを完全なる部外者に話すなという話は置いておこう。ちなみに俺のあの能力はあの後も残っているが、もう勇者だの魔王だのという存在とは出会っていないし、役に立ったことと言えば、「盗賊」と表示された万引き犯を捕らえたくらいだ。この能力については、異世界での体験含め葉子には打ち明けた。葉子は、「君の主観ではそういう体験をした、ということだね?まあ、今残っている能力だけなら「第六感」のようなものか。人となりが直観でわかる、という人は稀にいるからねえ、そのようなものと考えればまあ、そこまで不思議ではないよ。客観的には君は「人を見る目があって、運動神経が良い」くらいの人間でしかないさ」と言っていた。まあ、魔法も使えないしな。
「なあ、錬、ご飯はまだかい?」
「はいはいちょっと待ってな、もうすぐできるから」
退院後、さすがに入院前の職に復帰することも難しく、俺は葉子の身の回りの世話をすることになった。研究に没頭したい葉子に、家政夫として雇われた形だ。ついでに能力を買われて、葉子の身の回りの人事差配にアドバイザーとして口を出すことになった。
「れーん、お腹すいたー」
「昼食を抜いて研究室に籠ってるからだろうまったく……ほらよ、我が魔王様」
「魔王様?お姫様の間違いだろう?」
「え、自分で言うか?」
「はっはっは、だって君は勇者様だろう?だったらお姫様と結ばれなきゃねえ?」
「だいぶ古いコテコテのファンタジーならな、最近はもっとバリエーションがあるぞ?」
「おや、そうなのか、たまにはそういうのに触れる時間も持とうかな」
「おう、そうしてくれ、研究室に籠ってばかりじゃ人生華がないからな」
こうして、勇者は魔王の心臓を射止め、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし、ってな。
初めまして、秦来栖と申します。
本作が処女作となるのですが、楽しんでいただけたのなら幸いです。
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