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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

投込阿弥陀堂の僧〜巷説紅紋婆の末路〜

作者: 中村屋一九

「ーーと! に! か! く!! あんな化物に店先に立たれちゃ気味悪くてやってられないよ。幽霊か物の怪かなんてどうでも良いが、これ以上居座られちゃ他の旦那衆に要らぬ噂立てられちまう!」

「まぁまぁ、一旦怒気を抑えてくんなまし。旦さんがそれじゃ、伝わる物も伝わりんせん」



 天下徳川太平の世、色街花街ここは吉原。傾城の箱庭で、出された白湯と変わらぬ茶を啜りながら、阿弥陀堂の僧、清秀と連れの子坊主は番頭の話に耳を傾けていた。


 なんでも、ここ数日丑三つ時の店先に物の怪の類が立つらしい。


「話をまとめると、先一昨日から丑三つ時になると幽霊か物の怪、それも女のそれが出ると?」

「おうさ、間違いねぇ。初めて見たときゃ酒かっくらって酔ってちゃいたが、髪はボサボサ着物もボロボロ、しょんべんの腐ったような臭いに、はだけた肌にゃ紅い紋がいっぱい広がってやった。おまけに呪いの言葉をぶつぶつと。これが物の怪じゃなきゃ、何が物の怪だってんだ!」

「それが紅紋婆と?」

「廓の噂話じゃ有名でありんしょ? 『さし』に立たれちゃ店が傾く。ここも年貢の納め時かもしれねえでありんすね?」

「おい、太夫。滅多なことを言うもんじゃねぇぞ。こちらとて忘八と罵られようが、花街支えてんだ。それに、お前さんも年季明ける前に夜鷹にはなりたくねぇだろ」

「そんな物の怪聞いたこともありませんがね〜」


 息巻く旦那こと番頭、どこか余裕げな遊女太夫、話は聞くが訝しむ僧の清秀、三者三様の反応を見せながら話は続く。


「聞くも聞かぬも実際毎夜来てんだから困ってんだ。ほんと、どうにかしてくれや。それともなんだ? 人集めて石でも当てれば良いっつうのかい? 初めて会った時みたいによ」


「石が当たったの?」


「おっ……おうよ……」


 紅紋婆に石が当たったと言う話題に、今まで黙っていた連れの小坊主が不意に言葉を発した。 

 その言葉は子供のようにも大人のようにも、男のようにも女のようにも、不思議な響きをし、面食らった番頭は思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。


「……」

「あん時きゃびっくりして尻もちついてたが、思わず手元にあった石を投げてやったら確かに当たった。なんの反応もなかったがな」

「……」

「なんでい? ダンマリかい? さっきまで太夫にもらった唐菓子を後生大事に食べてたくせに気味悪い」

「…………清秀」



 小坊主は旦那の悪態に目もくれず、隣に座る清秀に静かに耳打ちした。


「旦那さん、今回の話受けさせてもらいますよ」

「おおぉ! 流石は阿弥陀堂の住職だ。ちゃちゃっと経文でも上げて調伏させとくれ。よぅし!! そうと決まりゃ準備開始だ。奴が出そうな時間になったらお堂に使いをやるから来ておくんな」


 話は終わりとばかりに番頭は、ドタドタと大きな足音をたて部屋から出ていった。

 三人になった部屋には静かな時間が流れ、太夫の持つキセルと口から紫煙がゆっくりと格子のついた窓に向かって流れている。


「ほんと……忙しい人でありんすねぇ」


 ポツリと呟き一つ。今一度吸い口に紅い唇を押し当て、妖艶な目つきで未だ居座る坊主達を見つめる。


「なにか心当たりでもありますか?」

「さぁ? どうだろうねぇ。あちきも五歳で苦界に来んしたし、見たくないものも数多に見てきんした。ただそれだけのことでござりんしょ」

「ありがとうございました」

「主さんが客で来るなら、もっと良い茶を出しなんす」


 太夫も話は終わりと、外に目をやり手持ち無沙汰に三味線を弾き始めるとともに、清秀達もその場を後にした。






 ーー夜の帳が落ちた吉原、一日千両の煌めきも闇に消え、丁を歩く人二人。

 清秀と小坊主は薄明るい行燈を頼りに目的地を目指す。既に丑三つ時、使いに呼び出され、宵闇に紛れる姿はどちらが物の怪か?


「いますね?」

「あぁ、いるな」


 聞いた通りの姿で女が佇んでいる。二階を見上げる横顔に月明かりが掛かると、削げ落ちた鼻と虚な目で声無き声をあげている。


「清秀、あれは物の怪か?」

「親父殿? あれは物の怪ではありません」

「では、人か?」

「ここで人の道理を説くつもりはありませんが、人だったものでしょうか?」

「人でなしか。悲しいものよな。人には人の道理が、獣には獣の道理が、そして、物の怪(われわれ)には我々の道理がある。まったく……石になど当たらんよ」


 親父殿と呼ばれた小坊主は、紅紋婆と呼ばれた人でなしに近づき、まじまじと見始めた。


「病の類か。全身を蝕まれ、脳まで犯されておるわ。同胞なら助けてやることもできたが、ままならん。正気を失っても古巣が恋しいか」

「買われ、使われ、捨てられる。風流病などと梅の花を身体に咲かしても、人としての生は全うできぬ。廓の業は深いですね」

「清秀、終わりにしてやれ」


 いつの間にか本当の姿、老齢な狐の小坊主と、猛々しい狐の物の怪に戻った清秀は、結んだ印相の隙間からふぅっと息を吹きかけた。


 途端に燃え上がる紅紋婆。苦悶の表情も浮かべず安らかに、綺麗な着物に、艶めく髪の毛、玉のような肌に戻った狐火が、ただハラハラと夜空に散華した。


「『生きて苦界、死して投込阿弥陀堂』か......阿弥陀様も笑っておるよ」


 物の怪は、あきれ混じり呟いた。





「さぁさぁ、今日から営業再開だ! 要らぬ噂を立てられちまったが、霊験あらたかなお坊さんのおかげで、化け物は死んじまったよ。寄ってらっしゃい! 寄ってらっしゃい!!」


 お天道様が輝き照らす仲の町通りに威勢のいい番頭の声が響く。色街花街ここは吉原、もはや噂は過去のもの。


 しかし、死んだ噂は新たな噂を呼んだ、『あの店は夜な夜な火の玉が飛ぶらしいぞ』とーー



ーー投込阿弥陀堂の僧〜巷説紅紋婆の末路〜、完ーー

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