3,お見合い当日
それから数日して、約束の日時にウィンザー公爵はベレット邸にやってきた。
『紳士淑女のお茶会』は令嬢宅に男性が訪問するのが基本だ。
「ルークス・ウィンザーと申します。此度は御招待をありがとうございます。大変申し訳ないが、この後、大事な商談が控えているので半刻ほどで失礼する無礼をお許しください」
癖のないサラサラの金髪に、ブルーグレーの瞳が印象的な、確かに美しい男性だった。
しかもバカ息子というよりは、非常に聡明な雰囲気で礼儀正しい。
侍女の評価を話半分に聞いていたドロシーだったが、第一印象は評価通りのような気がした。
ただし、一言目から断る気満々の文言だ。
さっさと終わらせて商談に向かいたいという気持ちが全面に出ている。
これはあざとぶりっ子などするまでもないのでは? とドロシーは壁際で見守るミレーユを見た。
しかしミレーユは期待を込めて、ぐっと親指を立てている。
特訓の成果を見せろと言わんばかりだ。
仕方なく、ドロシーは練習通り両手を祈るように組んで、小首を傾げた。
「あらあ、寂しいですわあ。今日は朝からレース編みをして、ハープを奏でながら公爵様がいらっしゃるのを今か今かとお待ちしていましたのにい。ドロシー、泣いちゃうかも」
我ながら寒い。
これはスカラ家のダイアナ嬢がお見合いの席で言っていたらしい言葉をアレンジしたものだ。
ミレーユがレイナから聞き出して台本を作ってくれた。
「……」
公爵は少し目を見開き、唖然としている。
やはり即席ぶりっ子が気持ち悪かったのかもしれない。
「あなたは……噂では女性ながら事業を立ち上げ、忙しく働く職業婦人だと聞いていますが」
まずい。公爵もドロシーのことを調べていたらしい。
「あ、あら……。お恥ずかしいですわあ。ほんの片手間でかじっているだけですわ。職業婦人だなんて、ドロシー困っちゃう」
ドロシーはテーブルの上に人差し指で円を描きながら、公爵を上目遣いで見上げた。
これはデビス家のオードリー嬢が四六時中やっていた癖らしい。
「片手間で? それにしては随分素晴らしい業績を上げているようだ。女性ならではの視点と発想が面白い。実は前々からあなたと話してみたかったのです」
「え……」
なんか嬉しい。
そんなことをお見合い相手に言われたのは初めてだった。
ちょっと嬉しい表情になったドロシーに、ミレーユが壁際から次の作戦に行けと言わんばかりにエールを送っている。
ドロシーは気を取り直して両手の親指と人差し指を合わせてハートを作った。
「まあ、嬉しい。公爵様はドロシーのことを分かって下さるのね。うふ」
これはホーリス家のアマンダ嬢の口癖だ。
アマンダ嬢が言うと可愛いのだろうが、ドロシーが言うと蕁麻疹が噴き出そうになる。
「……」
公爵はしばし無言のままドロシーを見つめる。
そのブルーグレーの瞳に見つめられると、全部見透かされているような気になる。
(まずいわ。さすがに気持ち悪過ぎたわ。吐き気でももよおしたのかも……)
しかし、公爵は信じられないことを口走った。
「可愛い……」
「は?」
聞き間違いだろうと思った。しかし。
「こんな可愛い女性に会ったのは初めてだ。なんて素敵な女性だ!」
「ええっ‼」
びっくりだ。
どこが女性を見る目がある、だ。
この程度のぶりっ子に騙されるなんて、チョロすぎだ。
チョロいどころか、ただのバカだ。
「い、嫌だわ、公爵様。可愛いだなんて、ドロシー困っちゃう」
顔を引きつらせながらテーブルに円を描くドロシーだったが、公爵はそのドロシーの手を両手で掴み取り、真剣な表情で見つめる。
「あなたこそ、私が探していた理想の女性だ! 素晴らしい!」
ドロシーは手を掴まれたこともあり、すっかり動転していた。
「ち、ちょっとお待ち下さい! こ、これは違いますの。私は本当はこんな話し方ではないの。本当の私は可愛げがなく、ずけずけ本音を言い、金儲けの算段で殿方を言い負かすような出しゃばり女なの。だから……」
ミレーユに言われたことをそっくりそのまま告げるドロシーに、公爵は突然「ぷっ」と笑い出した。
「え……?」
肩を震わせて笑っている公爵に、ドロシーは訳が分からなくなる。
「はは……は……、いや、失礼。あなたがあまりに一生懸命ぶりっ子を演じているものだから、ちょっとからかってみたくなりました」
「な‼」
まだ笑いが止まらない様子の公爵に、ドロシーは恥ずかしさと腹立たしさで真っ赤になる。
「いや、可愛いと思ったのは本当ですよ。はは……必死さが滲み出ていて、いじらしくさえ思いました」
「よ、よくもそんなことを……」
なんて失礼な人だろうとドロシーの怒りは頂点に達していた。
「そこまでして私に断ってもらいたかったのですか? あなたは私では不服なのですか?」
ルークスに問われ、ドロシーは怒りの余りすっかり本音を吐き出した。
「ええ。そうよ! あなたのように意地悪で傲慢な人は大嫌いなの! 分かったら、さっさとお帰り下さい。大事な商談があるのでしょう? お互い時間の無駄ですわ!」
「はは。なるほど。私の仕事に理解のある人のようだ。では商談の時間が迫っていますので、遠慮なく帰らせて頂きます」
そうして、公爵はすんなり帰っていった。
公爵が出て行くと、すぐさまミレーユがいつものように側に跪いた。
「お見事でございました、ドロシー様。ぶりっ子作戦は見破られていたにしても、十六回目のお見合いも見事に玉砕致しました。おめでとうございます」
しかしドロシーはまだ憤然とした表情で怒りがおさまらなかった。
「なんなの! あの失礼な人は! この敗北感をどうしてくれるのよ!」
「さすがは九回もお見合いを断ったウィンザー公でございます。手ごわい方でございました。ですが、断らせてしまえば結果オーライでございます。結局ドロシー様の作戦勝ちだったということでございますわ。自信をお持ちくださいませ」
「そう。そうね。私の思惑通りだものね。私の勝利ということね」
その時、兄のヨハンがいつものように部屋に駆け込んできた。
「ドロシー! どういうことだ!」
ドロシーは先ほどまでの敗北感を隠して、余裕の笑顔を作った。
「あら、お兄様。ウィンザー公はもう断っていかれましたの? 残念ですこと」
しかしヨハンは、そんなドロシーの手をぎゅっと掴んだ。
「何を言っているのだ。よくやったぞドロシー! まさか四十男の子爵にも引っかからなかったお前が、ウィンザー公を射止めるとは! すごいじゃないか!」
「え?」
ドロシーは上機嫌の兄を呆然と見つめた。
「ど、どういうことですの? お兄様? 公爵はお見合いを断っていかれたのではないのですか?」
「私もそう覚悟していたのだが、なんと、公爵はこの話を進めさせて欲しいと言って帰っていかれた。数多の美女たちが、けんもほろろに断られて涙をのんだというのに、まさかお前を気に入って下さるとは。これは運が向いてきたぞ」
「まさか、そんな……」
ドロシーは何の冗談だろうかと思った。
「信じられないことに、お前のことを気に入ったとおっしゃて下さった。だが、まだ先は長いぞ。この調子でうまくやって公爵様と結婚まで突き進むのだ。頼んだぞ、ドロシー」
「……」
ドロシーの破談記録は十六回目で途絶えることとなった。