1,紳士淑女のお茶会
ドロシー・ベレット伯爵令嬢は十五回目のお見合いの席についていた。
正確に言うと『紳士淑女のお茶会』という名の婚約前の顔合わせだ。
婚約前の顔合わせといっても、両家でお茶会の合意があった段階で婚約は成立したようなもののはずだった。成立しない方が珍しい。
その婚約前の顔合わせが、なぜ十五回目なのかというと、十四回目まですべて相手に断られたからだ。
「いやあ、あなたのような美しい女性がなぜ十四回も断られたのか不思議ですね。僕は絶対断ったりしません。二人で温かい家庭を築いていきましょう」
目の前の四十を過ぎた強欲そうな子爵は、脂ぎった笑顔を浮かべて告げる。
断られるたび、見合い相手のランクは下がり、もはや結婚してくれるなら誰でもいいという状態だった。
「それにしてもベレット伯爵邸は、噂以上の豪邸ですね。廊下に飾る調度品もずいぶん高価な物ばかりで、すっかり見惚れてしまいましたよ。ああ、嫁ぐ折に思い入れのある家財などがありましたら遠慮なくお持ちください。あなたのために屋敷を空にして待っています。玄関にあった金の壺なんか、嫁入りに持ってきてくれると嬉しいですね。ふほほ」
「……」
「ああ、それから持参金の方はいかほど用意して頂けるのでしょう? いえ、その額によっては、投資でも始めようかなどと、私のママンが言うものですからね。ふほほほ」
媚びた笑い方が気持ち悪い。
本人は隠しているつもりかもしれないが、金目当て以外のなにものでもない。
おまけに四十を過ぎて母親をママン呼びとか……。
ドロシーは小さくため息をついて口を開いた。
「本当に私でよろしいのですか? ああ、嬉しいこと。でも一つだけ先にお伝えしておかねばなりませんわ、子爵様」
ドロシーは美しいブロンドの髪を背に流し、エメラルドに輝く瞳でにこりと微笑んだ。
「なんでしょう、愛しいドロシー。どうぞなんでも言ってください」
ベレット家は伯爵位ではあるものの、事業で大成功をおさめ国内でも有数の資産家だった。
その資産を目当てに、お見合い話は断られても断られても舞い込んでくるのだ。
「実はわたくしは幼少より非常に憑かれやすい体質でございまして……」
「つ、憑かれやすい?」
子爵の顔色がさっと青ざめた。
「ええ。今も三体ほど側にいますの。ああ、子爵様の横にも一体……」
「ひいいいっ‼ ど、どど、どこに?」
子爵はきょろきょろと辺りを見回して怯えている。
「ほら、見えませんこと? 頭から血を流して、あらあら顔半分が獣に変化しかかってますわね。いけないわ。子爵様の肩に齧り付こうとしていますわ」
「ひ、ひいいいっ! や、やめてくれ! 祓ってくれっ‼」
子爵は立ち上がり、ドロシーに助けを請う。
しかしドロシーは残念そうに首を振った。
「ごめんなさいね。わたくし見えるだけで祓うことはできませんの」
「ひ、ひいいいっ! 助けてくれ~っ!」
子爵はお見合い中だということも忘れて、一目散に部屋から逃げていった。
残されたドロシーがほっと溜息をつくと、壁際に立つ侍女のミレーユが近付いてきた。
そしてドロシーの目の前で跪くと顔を上げ、にやりと微笑んだ。
「お見事でございましたドロシー様。毎度のことながら見事な逃げられっぷりでございます」
「それは褒め言葉と思っていいのかしら? ミレーユ」
ドロシーは足を組み替え、腹心の侍女に尋ねる。
「もちろんでございます。この国で見合い相手に逃げられることにおいて、ドロシー様の右に出る者はございません。ついに十五回目の破談という誰も寄せ付けぬ新記録を達成なさいました」
嬉々として褒めたたえるミレーユに、ドロシーは肩をすくめた。
「どうせ私と本気で結婚したがる殿方なんていないわよ。あんな相手にすら振られなければならないなんてね。まあいいわ。あなたの事前リサーチのおかげよ、ミレーユ。子爵様がオカルトものに弱いことを教えてくれたから、今回は楽勝だったわ」
毎回ミレーユが見合い相手の弱点を見つけ出してくれるので、断らせるのは簡単だった。
「諜報活動ならお任せ下さいませ。侍女達の横のつながりによる情報網は侮れません。今回は『オカルトを好む侍女の会』というサークルに子爵様の侍女がいたので様々な情報を流してもらいました」
「子爵はサロンで幽霊話を聞いただけで失神したのですってね。よほど苦手なのでしょうね」
「はい。子爵のお屋敷ではオカルト話は禁止となっていまして、オカルト好きの侍女は欲求不満のあまり、侍女サークルに入会したそうです」
ミレーユは様々な侍女のサークルに入っていて、侍女の人脈がすごいのだ。
「さすがにもうドロシー様に結婚を申し込む殿方は現れないでしょう」
「十五回も断られているわたくしに性懲りもなく結婚を申し込むなんて、お金目当ての貧乏貴族ぐらいよ。もうお見合いなんてこりごりだわ。そんな結婚をするぐらいなら、一生独身でいいと言っているのに」
その時、兄のヨハンが部屋に駆け込んできた。
「ドロシー! どういうつもりだ! あの四十を過ぎた子爵にまで断られるなんて!」
「あら、ヨハンお兄様。もう正式に断っていかれましたの? すばやい決断でしたこと」
「子爵に何を言ったのだ! 青ざめた顔で、この結婚だけは大金を積まれても勘弁してくれと、大慌てで帰っていったぞ!」
「まあ、残念ですこと。良い方だと思いましたのに」
ドロシーはわざとらしく残念な表情を作って答えた。
ヨハンはやれやれと頭を抱えた。
「まったく……。どうするつもりなのだ。お前は来月二十歳になるのだぞ。二十歳を過ぎた貴族娘は、見合い話もなくなる。このまま結婚せずにベレット家に残るつもりか?」
「お兄様も分かっておいででしょう? 私は結婚には不向きな女なのです」
幼少から男勝りで利発なドロシーは、三人の兄達の後追いをしながら育ち、女性だからと特別扱いを受けることをひどく嫌った。常に兄たちと対等であることを要求してきたため、まだまだ女性蔑視の風潮が残る貴族男性達の結婚観にそぐわない価値観を持ってしまったのだ。
慎ましい妻となって夫に尽くす人生というものが、どうにも向いていないらしい。
「まだ諦めるには早いぞ。中にはお前のようなお転婆を受け止めてくれる男性も世の中にはいるかもしれないだろう」
「まあ、そんな方がいまして? どこに? 今まで会ったお兄様の勧める十五人にはその片鱗も見当たりませんでしたけど」
最初の頃はドロシーも、こんな自分を好きになってくれる夫というものがいるかもしれないと希望を持ってお見合いにのぞんでいたのだ。
しかし初期の頃の見合い相手は、ドロシーが少しばかり自分の意見などを言おうものなら、生意気な女だと早々に断ってきた。家柄のいい男性ほど頭が固く、女性が自分に反論することを毛嫌いする。
『レディ。良き妻は自分の夢など持つものではありませんよ』
『良き妻は、夫を支え、子を育て、屋敷を管理できればそれでよい』
『次のお見合いを成功させたいなら、悪いことは言いません。自分の夢など語らぬことです』
お見合いを断るついでに、ありがた迷惑な助言まで残して去っていった。
中にはドロシーが少し相手の事業の問題点について言及すると、辛辣な言葉で捨てゼリフを残して去っていく者もいた。
『女の分際で私の事業に口を挟むなど生意気な』
『事業のことなど何も分からないくせに。偉そうに言うなら自分でやってみろ!』
その言葉に奮起して、実は三年ほど前に事業を一つ起こしている。
貴族女性を相手にしたオーダードレスの商会だが、思った以上に成功して、ベレット家の主要事業の一つになりつつある。
そうして事業の成功と反比例するように結婚は遠のいていったのだ。
そのうちドロシーの噂は広まり、家柄のいい貴族は申し込んでこなくなり、代わりにベレット家の資産だけが目当ての貧乏貴族ばかりが申し込んでくるようになった。
中には平気で『正妻はすでにいますので第二夫人として受け入れましょう。その代わりベレット家の事業傘下に入れて下さい』などと交換条件を突きつける者もいた。
ドロシー個人のことなどどうでもいいのだ。
やがて貴族の結婚とはこういうものなのだと達観した。
そうしてドロシーは結婚しない人生というものを目指すことにした。
侍女のミレーユもまた独立心の強い女性で、その考えに深く賛同してくれた。
この国の見合い制度の常識として、『紳士淑女のお茶会』の申し入れを受けた段階で、女性の側に断る権利はなくなる。親兄弟が受け入れたなら、令嬢は相手方が断ってくれる以外に破談の選択はできないのだ。
ゆえにミレーユと共に情報を駆使して、お見合いを断られる新記録を樹立し続けている。
「お前の縁談は父上から私に一任されている。妹の結婚さえも纏められないのかと私がお叱りを受けるんだ。頼むよ、ドロシー。そろそろ決めてくれ」
そんなヨハンの思惑もあり、ドロシーの新記録は更新し続けていた。
「もう諦めて下さいませ、お兄様。どうかこの屋敷の片隅でいいので住まわせてください。嫁いびりの小姑になどなりませんわ。事業だけに尽力して大人しくしていますから」
そう訴えるドロシーに、ヨハンはにやりと微笑んだ。
「ところが、だ。またお前に見合い話がきているのだ」
ドロシーはミレーユと顔を見合わせて呆れた。
「まあ! 性懲りもなく財産目当ての貧乏貴族がまた?」
しかしヨハンは首を振った。
「いや、今回はすごいぞ。今までで一番条件のいい相手だ」
「今までで一番条件がいい? 貧乏貴族ではないのですか?」
「貧乏どころか、うちより金持ちだ。資産目当てではない」
「うちより金持ち?」
胡散臭い話にドロシーは眉間を寄せた。
「聞いて驚くな? なんとルークス・ウィンザー公爵様だ」
「ルークス・ウィンザー公爵?」
「そうだ。王様の甥にあたるお方だ。しかもウィンザー家は商才があり、傘下に大きな商会を幾つも抱えている大金持ちだ。この縁談を決めれば、お前の株も私の株も上がるぞ。お前も『ベレット家の行き遅れ破談令嬢』などと陰口を叩いていたやつらを見返せるぞ」
ヨハンは意気揚々と告げる。
「……」
ドロシーは陰でそんな風に呼ばれていたとは知らず、結構傷ついた。
いや、つまらない陰口に傷ついている場合ではない。
こんな胡散臭い話があるだろうか?
そんな人が、なぜ十五回もお見合いを断られたドロシーに申し込んでくるのだ。
ドロシーはきらりと光る鋭い目で兄を見つめた。
「お兄様。何かわたしに隠しておいでですわね?」
ヨハンはぎくりと肩を震わせた。
「い、いや、隠し事など……」
「正直に言って下さいませ。ウィンザー公爵とは六十を過ぎた年寄りですか?」
「い、いや。二十九歳だ」
「二十九? 再婚の子持ちですか? それとも第二夫人? まさか第三夫人ですか?」
「いやいや。相手も初婚だ。子供もいない」
ますます怪しい。
公爵の地位を持ち、二十九まで売れ残っている方がおかしい。
「誰にも相手にされないほど見目の悪い方なのですか?」
「いや。人並以上に美しい男だ。結婚を望む令嬢はたくさんいる」
そんな人がドロシーに結婚を申し込むなんて、あきらかにおかしい。
夜な夜な美女の生き血をすする吸血鬼か、満月のたびに変身するオオカミ男か。
「お兄様。正直におっしゃって下さい。何か問題がある方なのですよね?」
「う……実は……」
兄は観念したように告げた。
「ウィンザー公爵も次が十回目のお見合いらしい。お前ほどではないが、あちらも破談続きの難しい方らしい」
「十回目……。やるわね……」
ドロシーはほんの少し、好敵手に出会ったことに興味をおぼえた。
「お父上はすでにお亡くなりになられているが、お母上が婚期を逃す息子を心配してあちこちにお見合い話を持ち込んでいるらしい。しかし公爵自身がことごとく断ってしまうという話だ」
「お話を聞く限り、どうやら甘やかされて育った我がままマザコン息子のようですわね」
よほど人間性に問題のある性格破綻者に違いない。
そんな相手と今後の長い人生を共に過ごすなんてまっぴらごめんだ。
「どれほど家柄の良い美しいご令嬢と見合いさせても、気に入らぬと断るらしいのだ。お困りになったお母上が、その息子と同じぐらい破談続きのお前と見合いさせてみたら、案外気が合うのではないかと思いついたらしい」
息子を心配した母心といえども、ずいぶん失礼な話だ。
そんな理由で申し込むお見合いがあるだろうか。
ドロシーは呆れたように首を振った。
「なんと短絡的な発想かしら。バカ息子ほど身の程知らずの高嶺の花を望むものですわ。私とお見合いしたところで破談の記録を更新するだけですのに」
「私も実はそう思ったのだが、せっかくきた良い話だ。私は受けるぞ! 断る理由なんてない。万が一でも縁談がまとまれば、儲けものだ。これまでで最高の装いでのぞむのだ、ドロシー」
ヨハンはすっかり乗り気になっているらしい。
申し込む方もたいがいだが、受ける方もどうかしている。
しかしこうなれば、ドロシーの意見など聞いてくれるはずもない。
一任されているヨハンが受けると決めたなら、お見合いをするしかないのだ。
ドロシーはため息をついた。
「分かりましたわ、お兄様。ではドレスを新調してもよろしいわね?」
破談続きの腹いせか、最近ドレスの新調さえ「無駄金だ」と出してくれなくなっていた兄に、ここぞとばかり交換条件をつけた。ドロシーの事業傘下の店で最高級ドレスをオーダーしてやることにしよう。
「おお。もちろんだとも。お前もさすがにやる気になったか。最新の流行ドレスをオーダーするがいいぞ」
ヨハンはすっかり満足して部屋を出ていった。