8.絶望の中の光
食事後、海ちゃんは笑顔で帰っていった。
お父さんが『家まで送る』と言ったが、海ちゃんはそれを拒んだ。
どうやらお寿司屋さんから歩いてすぐの場所に、海ちゃんの家があるらしい。
先程までいた夫婦のお客さんも、いつの間にか帰っていた。
店内にはお客さんは一人もいない。
だから店内に残されたのは、私とお父さんとお弟子さんの誠也さんだけ。
時間もいつの間にか、午後十時。
そして海ちゃんを見送ったお父さんは、板場に立つことなく、何故だか深刻そうな表情でカウンター席に腰を下ろした。
同時にお父さんは『意味深な言葉』を呟く。
「空。話がある」
一瞬ピクリと体を反応させた私。
そういえば、『帰るの遅くなったことに関して、説教がまだだった』と、私は思い出す。
これから怒られるんだろうか。
私はゆっくり時間を掛けながら、お父さんの隣のカウンター席に座った。
真剣な表情だけど、どこか悲しげなお父さんの表情。
同時に『不安な表情』にも見せるお父さんを伺いながら、私は構える。
大好きなお父さんのお寿司も食べられたから、『どんな説教も受け入れてやる』と思って、心構えをしていたのに。
「お前、『学校でいじめられている』んだって?」
その一番触れたくないお父さんの言葉に、私は一瞬で動揺する。
そして全力で否定する。
「そ、そんなことないよ!
北條さんと小坂さんとは仲良くしているし。
ありえないって!」
「その『北條』と『小坂』に、いじめられているんだろ?」
いじめられている相手まで当てられて、私は言葉を失った。
と言うかお父さん、さっきの言葉は何?
『お前、友達少ないからよ。
お前の友達と言ったらあのヤンキー娘くらいだろ?
北條と小坂だっけ。
最近見てないけどアイツらも元気してるのか?』って。
・・・・もしかして、私を試していたの?
だとしたらなんで?
・・・・意味がわからない。
そんな意味のわからないお父さんに、今度は私が問い掛ける。
「・・・・どうして知っているの?
武瑠から聞いたの?」
「担任の松井先生が話してくれた」
意外な人物の名前に、私は少し驚いた。
「そう、なんだ。松井先生、知っていたんだ」
・・・・いや、『少し驚いた』と言うより、かなり驚いた。
私の担任の先生が『クラス内のいじめ』について知っていることに。
だって松井先生、いつも知らない顔してホームルームを行っているのに・・・・・。
・・・なんかズルいな、それ。
松井先生も、何がしたいのだろう。
「どうして言ってくれなかったんだ?」
お父さんの言葉に私は言葉を失う。理由は分からない。
そして何も答えない私を見て、お父さんは自分を責める。
「俺が頼りないからか?」
言葉が上手く出てこないから、いつの間にか私はうつ向き、首を横に振って否定する。
「じゃあどうして?」
「・・・・わからないよ」
いい加減な私の返事に、お父さんは腕を組ながら小さく二度頷いた。
その直後お父さんは胸ポケットから煙草とライターを取り出すと、煙草に火を付ける。
そしてお父さんは煙草を吹かしながら、何かを考えていた。
うつ向く私に時々視線を送りながら、営業時間を削ってでも、私と向き合ってくれる。
誠也さんは私達に気を使ってくれているのか、別の部屋で洗い物をしているみたいだ。
静まり返ったお店の中に、『洗浄機』と言う食器を洗う機械が動いている音が聞こえる。
その音以外は何も聞こえない。
・・・・強いて言うなら、私の『心臓の音』くらい。
お父さんに『私はいじめられている』と知られた以上、私は逃げれない。
だからこそ、覚悟を決めて、『素直にお父さんに話してもいい』と私は思う。
お父さんなら必ず『味方』になってくれるはず。
・・・・でも、それを拒む『馬鹿な自分』がいる。
『お父さんに心配させたくない』と思う、『意地っ張りで、馬鹿な私』がいる・・・・・。
そして意地を張っているから、『またお父さんに心配されている』と言うことに、『十六年』しか生きたことのない私は、まだ気が付かない。
「空、今が苦しいか?」
・・・・私は小さく頷いて、返事をする。
どうしてもここだけは、嘘をつけない・・・。
「そうか・・・・」
お父さんはそう呟くと、近くにあった灰皿に自分が吸っていた煙草を捨てる。
同時にお父さんは声を張る。
「誠也!ちょっとこい!」
「はい。なんですか?」
すぐに慌てた表情の誠也さんがやって来た。
誠也さんの手には、まだ洗剤の泡が付いている。
そんな誠也さんに、お父さんは『私を救うため』だけの、『意味の分からないこと』を言ってくる。
『娘である私のこと』だけを考えてくれた、お父さんの提案・・・・。
「誠也、明日『休み』をやるから、空と一緒に遊んでこい」
明日休み。
その言葉を聞いた誠也さんは驚く。
さっき『明日の仕込みはこれをやろう』って、小さく呟いていた誠也さんなのに。
「えっ?大丈夫なんですか?それに空ちゃんも『学校』が」
私も誠也さんに同意見だ。
明日は水曜日。
祝日でもなんでもないから、当たり前のように学校があるのに。
『遊んでこい』とか意味分からないし。
『勉強は大事』って、お父さんは私にうるさく言っていたはずなのに・・・・。
一方でお父さんは、誠也さんの肩を叩く。
「なーに心配すんな。
明日は『ババア』と一緒に店を回すよ。
誠也、お前も息抜きしてこい」
誠也さんは納得したのか、大きく頷いた。
「わかりました。
ってか、『ババア』って・・。
キヨさん怒りますよ?」
「気にすんな。『孫の一大事のため』なら、たまには板場に立てるだろうしよ」
「まあ、『今年で七十五歳のおばあちゃん』には見えないっすもんね。
って、噂をすれば・・・・」
突然お店の扉が開く。
『お客さん』かと一瞬思ったが、現れたのはこのお寿司さんの『創立者』である、私のおばあちゃん。
誠也さんの言う通り、今年で『七十五歳』には見えない美柳キヨ(ミヤナギ キヨ)おばあちゃんだ。
ちょっと変な存在感漂う、男勝りのおばあちゃん。
まるで『魔女』みたい。
「おや。今日はもう店閉めるのか?」
「そんなことよりババア、話があるんだけど」
息子であり、かつての『一番弟子』だった私のお父さんの言葉に、おばあちゃんは怒りを露にする。
「ババアとは何だい!
それが『実の母親』に言う台詞か!」
「『自分がババアと呼ばれる事』と、『孫が学校でいじめられている事』、どっちが大切だ?」
「・・・・孫が学校でいじめられている?」
おばあちゃんは真剣な表情を見せると、すぐに私の元までやって来た。
同時に私に問い掛ける。
「空!お前、学校でいじめられているのか?」
おばあちゃんの言葉に、私の脳裏にまた『嘘の言葉』が過った。
だから慌てて『嘘の言葉』を組み立てる私だけど・・・・。
・・・・もう『嘘』を付いても意味ないよね。
ここは『素直』にならないと。
「・・・・えっと、・・・うん」
「なぜそれを早くアタシらに相談出来んのじゃ」
おばあちゃんが言う、『お父さんと同じ質問』に私は戸惑ったが、代わりにお父さんが答えてくれる。
「言えるわけねぇだろ?
どうせ空の事だから、『家族に迷惑掛けたくない』とか、『心配されたくない』と思っていたんだろ?
あと武瑠がいるから、『お姉ちゃんとして頑張らないといけえねぇ』と思っていたんだろ?」
お父さんの視線は、おばあちゃんではなく私だった。
『優しい表情』で私を包んでくれるお父さん。
そして言葉の出てこない『情けない娘』を励ますように、私の頭を撫でる。
「・・・ったくよ、やっぱりそうじゃねえか。
言い当てられて、だんまりか?コノヤロウ。
父親を舐めんじゃねぇぞ。
いつもお前の事を考えているから、『お前の考えている事』なんてお見通しなんだよ」
・・・・そういえばさっき、私と海ちゃんを助けてくれたのもお父さんだっけ。
『娘がまだ家に帰ってないから』って理由で、お店の営業時間中にも関わらず、私を探してくれるし。
『普通の親』って、そんなことは一切しないはずなのに。
ホントに、意味分からないよ・・・・・。
「おっ、また泣きやがった。
相変わらず泣き虫な空ちゃんだな」
お父さんに言われて気が付いた。
『また私、お父さんやおばあちゃんの前なのに泣いている』ってことに。
涙なんて見せたくないのに。
ホントに、お父さんとおばあちゃんは、いつもズルい・・・・。
「ってなけでババア、空と誠也は明日『デート』しに行くから、『空のため』に店を手伝え。
まさか『もう寿司は握れねぇ』とか言うんじゃねえよな?」
お父さんの言葉に、おばあちゃんは小さく笑って答える。
「『空のため』なら、喜んで握ってやるわ。
将大も、腕が落ちてないか見てやる」
「上等だクソババア。
アンタの時代より、『売り上げ』は上がっているんだからよ」
そう言って、意地を張るお父さんとおばあちゃん。
何だか子供みたい・・・・。
それに『空のため』って・・・・・。
ホント、ズルい言葉だ。
「どうだ?空。
こんなにもお前の『味方』になってくれる人がいるんだ。
少しは俺達を信用してくれないか?」
確かにお父さん達を、全く信用していなかったのは事実。
信用していなかったから、お父さんに『嘘』をついていた訳だし。
だけど、その前に一つ確認したいことがある。
気になることがある。
「でも明日は水曜日だよ。学校もあるし」
「お前は『大好きな誠也と遊ぶ』のと、『学校でいじめられる』の、どっちを選ぶのだ?」
まるで私の言葉を待っていたかのような、お父さんの言葉。
即答だった。
そしてその言葉を聞いた私は、ふと脳裏に『今日の出来事』が再び浮かんだ。
学校内での、クラスメイトからの私へのメッセージ・・・・。
当たり前のように、教室の外に机や椅子は投げ捨てられ、お昼休みにはお父さんが作ってくれたお弁当を捨てられたり。
体育の授業の後は水をかけられたり、その他にも『嫌なこと』ばかりされた、今日の辛過ぎる一日。
それがまた『明日も続く』と思ったら、『学校なんてどうでもいい』と思った。
中学三年生の時に『受験勉強なんてしなきゃ良かった』と思う。
・・・・でもこれは私が選んだ道だ。
『簡単に逃げたくない気持ち』がある。
「・・・・逃げたら、解決なんてしないよ」
私の言葉にお父さんは笑う。
「あはは!確かにそうだな」
お父さんは続ける。
「だからこその、『息抜き』だ。
長いトンネルになるかもしれないからこその、息抜き。
水泳でも『息継ぎ』しないと溺れてしまうだろ?
それと一緒だ。
それに『辛いときに頑張って良かった』と思える日は必ず来る。
なあ?俺にコキ使われている誠也くん?
お前も早くこんな店出て、『独立したい』と思っているんだろ?」
突然名前を出された誠也さんは苦笑いを浮かべる。
「あはは。なんかすっげー爆弾投げつけられた気分・・・・」
そう言った誠也さんも、お父さんのように優しく私を元気付けてくれる。
「空ちゃんは俺が守るよ。
だから空ちゃんも、『苦しいとき』があったら俺に相談して来てよ。
相談してくれないと、俺も空ちゃんを守れないだろ?」
相談か。確かにそうだ。
「うん・・・・・」
今日はお父さんが助けに来てくれないけど、本来は自分が『助けてほしい』と言わないと、誰も救ってくれない。
黙っているだけじゃ、自分の味方は増えない。
と言うか、本当は心の底では『助けてほしい』と願う自分がいるのに、なんで変なプライドが邪魔するんだろう。
ホント、自分が『バカ』だと思わされる・・・・。
「よーし。
ってことで、今から空と誠也は、明日行く場所でも決めてろ。
後片付けは俺とババアでやっておくからよ」
いつの間にか『ババア』と言う言葉が定着しているおばあちゃんは、驚いた様子を見せた。
そしてお父さんに抵抗する。
「は?アタシはしやんぞ!」
「うるせえ。
黙って『空のため』に洗い物でもしてこい」
・・・・またその言葉。
本当にお父さんはズルい。
おばあちゃんも大人しくなるし。
「そう言われたら、何も言い返せねぇな」
空のため。
まるで『魔法の言葉』のように、おばあちゃんは行動してくれる。
すぐに洗い物がある裏方に消えていくおばあちゃん。
お父さんも、『かつての師匠』を手玉に取っていると感じたのか、『悪そうな笑顔』が止まらない。
相変わらず『性格の悪いお父さん』だと私は再認識。
私もいずれは、お父さんみたいになっちゃうのかな?
そんな『性悪お父さん』は、また私の背中を押してくる。
「空、苦しかったら無理に頑張るな。
お前の人生は長いんだからよ」
お父さんは続ける。
「嫌でも世界は回っているんだ。
『明日』は来るんだ。
だったらその『明日』をどう楽しく過ごせるか。
それが『人生を楽しむコツ』だ。
もし『明日が嫌』なら、逃げてしまえばいいだけの話だ。
簡単だろ?
分かったか空?難しく考えるな」
明日も世界は回っている。
確かにそうかもしれない。
『明日を良くしよう』と今日を頑張ったら、必ず『良いこと』がやって来るだろう。
生きている以上、必ず『明日』はやって来るんだし。
と言うか、嫌でも『明日』はやってくんだ。
『嫌』って言っても、世界は待ってくれないんだし・・・・。
だったら『辛い今』は、『幸せな明日』にしないといけない。
それを変えられるのは、『自分自身』しかいないんだし。
『自分の人生』は、自分で変えなきゃいけないんだし。
そう考えたら、私も負けていられない。
自分に負けてられない。
「・・・・うん!」
力強い私の返事。
それと『私の笑顔』に、お父さんは安心してくれた。
そしてお父さんも笑みを見せて、いつものようにふざけだす。
「よし。誠也も分かったか?」
少し驚いた様子で答える誠也さん。
「あー、はい。
って、俺は将大さんに不満なんてないっすよ」
「本当か?嘘臭いな」
「仮に不満があっても、空ちゃんがいる限り、俺も将大さんに付いていきますから」
「おおそうか。だったらもう空を『嫁』にしてやってくれ」
空を嫁?
・・・・お父さん、何恥ずかしいことを言っているのさ!
「お父さん!誠也さんには『彼女さん』がいるんだし」
私は大声で否定するも、何故だか誠也さんは笑顔だった。
同時に誠也さんは『めちゃくちゃ恥ずかしいこと』を誠也さんは言ってくる。
「まあでも、空ちゃんが『俺のお嫁さん』になってくれたら、俺は嬉しいんだけどね。
空ちゃんが『奥さん』なら、いい家庭が築けそうだし」
誠也さんは私の肩を叩いて口説いてくる。
・・・・そういえば誠也さんも、お父さん同様に『性格が腐っている』んだっけ。
一方の私は、顔を真っ赤に染めて否定する。
「へ、変なこと言わないでください!
彼女さんが怒りますよ!」
「大丈夫。最近仕事でお互い会えないから、もうすぐ別れる予定だし」
「ちょ!ダメですよ!」
「ダメじゃない。
明日のデートが楽しみだな。
空ちゃんが行きたいところなら、どこでもいいよ」
『・・・・何を言ったら、誠也さんは納得してくれるのか』と考えたけど、それは『私を笑顔にさせるだけの罠』だと気が付いた私は、何も答えなかった。
ホント、意味わかんないよ・・・・。
こうして、私と誠也さんはカウンター席に座って、『明日の遊ぶ場所』を探した。
私の住む街は田舎街だけど、少しなら遊ぶ所もあるから、お互い行きたい所を口にする私と誠也さん。
何だか、『明日何をするか決める』って少し楽しいかも。
少しだけど『幸せな気分』になれた気がする。
そして暗闇の中の私の人生、『一筋の光』が見えた気がする。
だから・・・、この『光』を見失わないように、私は生きていく・・・・。