6.勇気
時刻は夜の八時を回っていた。
面会時間が終わったから、私は武瑠に『笑顔』を見せて、病室を出る。
そして家に帰る。
辺りは真っ暗。賑わっていない私の住む街には街灯は少ないし、明かりを照らす車も少ない。
この時間になれば歩く人も殆どいないから、なんだかまるで『私だけが住む世界』に来てしまったような感覚だった。
落ち着いているこの夜の街は、私は大好き。
家まで少し遠く、病院から歩いて二十分くらい。
バスも本数が少ないから、待ち時間や乗車時間を考えたら、歩いて帰った方が早い。
何よりお腹が空いたから、早く帰りたい。
早く帰って、お父さんのご飯を早く食べたい。
お父さんは『料理人』だから、お父さんの料理はどれもすっごく美味しいし。
今日の晩御飯はなんだろうか。
そういえば今日のお昼は、北條さんと小坂さんに私の弁当を捨てられたから、何も食べてない。
朝も食べずに学校に行ったから、本当にお腹が空いた。
よく考えたら、今日一日何も食べてない・・・・。
だけど、ご飯の前にお父さんに謝らないと。
『お弁当を落としてしまって、食べれなかった』って、ちゃんと言わないと。謝らないと。
お父さん、いつも朝早くから『私のため』に行動してくれるし。
毎日欠かさずに私のお弁当を作ってくれるし。
そんな『お父さんの気持ち』を踏みにじりたくないし。
だから『お弁当、今日食べれなかった』ってちゃんと伝えないと。
お父さんに申し訳ない。
・・・・・。
・・・・って、そうじゃないよね。
お父さんにも『今の現状』については何も話していない。
『私がいじめられている事』を、お父さんは知らない。
だからお父さん、今でも『北條さんと小坂さんとは仲良くやっている』と思っている。
『最近はあのヤンキー娘と遊んでいないのか?』なんて聞いてるし。
今日も『二人と一緒に楽しく遊んできた』と思っているだろう。
北條さんと小坂さんの話題になると、お父さんはすごく嬉しそうな表情を見せるし。
いつもひとりぼっちの娘に『友達』が出来たら、お父さんだって嬉しいと思うし。
・・・・でも武瑠にバレたんだ。
黙っていても、時間の問題。
いずれお父さんにもバレる。
『その二人にいじめられている』ことも、バレるだろう。
だけど、お父さんだけには言いたくない。
いつも仕事で疲れているし、お父さんには心配させたくないし。
何よりあまり他の人を巻き込みたくない。
なんていうか、今回は『私が犯した罪』のようなものだから、私から『助けて』なんてあまり言いたくないし。
と言うか、『いじめられて当然』っていうか。
ある意味これは、私への『罰』なんだし・・・・。
そんな事を考えていたら、近くから荒々しい男の声が聞こえてきた。
怖い威圧感を感じる男の声。
「おいこら!逃げんじゃねぇよ!」
『男は私に言っているのか?』と、一瞬だけ不安になったけど、どうやら違うみたいだ。
周囲を見渡しても男の姿はない。
だけど周囲を見渡していたら、私は近くに小さな公園を見つけた。
さっきの威勢のいい声は、恐らくこの公園の中からだろう。
公園の中には誰かがいるのが見えた。
私はその公園の状況を知るために、公園の中を覗いてみた。
公園を照らす外灯があるから、公園内は夜なのに、結構明るい。
そしてそこには、私と同じ学校の制服を来た女の子が、大きな体格の男三人に襲われていた。
髪を引っ張られ、殴られたり蹴られたり。一方的に攻撃を受け続ける女の子。
痛々しい彼女の姿に、私は思わず目をそらしてしまう。
そして、力なき小さな女の子の悲鳴・・・・。
「や、やめてください・・・・」
一方で暴行する男の一人は、女の子を睨み付ける。
「んだ?そんなことを言われても、お前が喧嘩売ってきたんだろ?
俺達、ただこの公園で楽しく遊んでいたのによ」
そう言った男は、女の子の腹を蹴った。
女の子はその場でぐったりして、倒れ込んでしまう。
その後も他の男に蹴られたりして、とても苦しそうな表情を見せている女の子。
抵抗する力すら残されていないのか、一方的にやられるだけ。
そんな女の子を見て、なぜだかふと『夏休み終わりのトンネル内の出来事』が、私の脳裏に蘇る。
脳内で、『暴行を受けていた北條さんと小坂さんの悲鳴』がこだまする・・・・。
と、とりあえず、誰か呼ばないと。
じゃないと女の子が危ないし、もしかしたら『怪我』をしているかもしれないし。
まずは警察だ。
警察に電話したことがないけど、『女の子が暴行受けている』って言ったら、
警察も来てくれるよね。
・・・・だったら早く携帯電話を取り出さないと。
確か鞄の中に閉まってあったはず。
絶対にあるはず。
・・・・・なのに。
どれだけ自分の鞄の中を漁っても、携帯電話が見つからなかった。
制服のポケットにもないし、スカートのポケットの中にもない。
ワイシャツの胸ポケットにもないし、どこを探しても携帯電話は見つからない。
・・・・もしかして私、武瑠の病室に置いてきちゃったかな?
武瑠と一緒に携帯電話で写真を撮って遊んでいたし。
だったら私の携帯電話、武瑠の病室に忘れてきてしまったかも。
私の携帯は武瑠が持っているのかも・・・・。
だとしたら、最悪だ。
これじゃあ連絡出来ないし、交番も近くにはない。
さっきから誰一人と、この辺りを歩いていないし、誰も助けを呼べない。
・・・・そして、こうして私が戸惑っている間も、女の子は暴行受けている。
小さな声で悲鳴を上げている。
『助けて』って聞こえる・・・・。
・・・・でも、仕方ないよね。
私じゃ何にも出来ないし。
助けることなんて私には出来ないし。
向こうは『喧嘩の強そうな男が三人』で、私なんて『喧嘩なんてしたことない気の弱い女子高校生』なんだし。
真っ正面から行っても、勝てるわけないんだし。
『女の子と同じ運命』になるだけだし。
ってか、よくよく考えたら、この前のトンネル内の出来事も、私が助けに行っても何にも意味ないし。
私も同じように『痛い思い』をするだけなのに・・・・。
・・・・だから、また逃げてもいいよね?
北條さんと小坂さんに嫌われたように、逃げてもいいよね?
だって私、もう人として『最低な人間』なんだし。
友達を見捨てるような『最悪な奴』だし。
と言うかそもそも今回の女の子、全く知らない子だし。
何より私には関係ないし。
今度こそ関係ないし・・・・。
そう、『関係ない』のに・・・・・・。
・・・・・・。
「やめてください!」
無意識だった。
いつの間にか『公園の中』に足を運んだ私は、そう叫んでいた。
『自分の存在』を、男達に知らせるように。
そして震えた声で私は続ける。
「その、女の子に暴力なんて、絶対にダメだし。その・・・・」
目の前の男達が怖すぎて、自分が何を言っているのか、自分でも理解出来ない。
言いたい事はあるのに、目の前の男達が怖すぎて、上手く伝えられない。
相変わらず情けないな私。
助けるなら堂々としないと、ナメられるだけなのに。
例えば、こんな風に・・・・。
「お前、コイツの仲間か?」
突然私の髪を引っ張る男。
そして左右に頭を揺らされる。
私も思わず悲鳴を上げてしまう。
「ひゃっ!痛い!」
「生意気だな、お前も。気に入らねぇぞ」
私の髪を引っ張る男は、怖い顔で私を睨んでいた。
『逃がすかよ』とでも言うような、ただただ怖い顔。
そして『これから私も殴られる』と言うことは、痛いほど理解した。
と言うか、こうなることは理解していたのに、どうしてこんなことに、首を突っ込んでいるんだろう。
どうして『勝てない土俵』に上がるんだろう。
私、勝てないから逃げようとしたはずなのに。
・・・・なんで?
やっぱり、北條さんと小坂さんを見捨てた『あの一件』があったから?
ここで逃げたら『今度は目の前で倒れている女の子にいじめられる』と恐怖を抱いたから?
・・・・まあでも、今はそんなことはどうでもいいか。
とにかく今は『目の前の出来事』に集中だ。
私の髪を引っ張る男をどうにかしないと。
だけど、『どうにかしないと』って、どうやって?
私、喧嘩なんてしたことないのに。
力も無いのに。
「とりあえず歯を食いしばれ。
お前気に入らねぇから、一発殴ってやるよ」
「い、いや!」
涙を浮かべながら、私の髪を掴む男の手に私は抵抗する。
結局『助けて』って、馬鹿みたいに誰かに祈る私。
・・・・だけど直後、近くから聞き覚えのある声が聞こえた。
何度も聞いた、私の大好きな声。
同時に私は身震いする・・・・・。
「おうおうおう!
女の子をいじめてそんなに楽しいか?お前らは」
公園の外から聞こえた男性の声。声の持ち主の姿は、暗くてよく分からない。
そんな声に対して、女の子を蹴っていた男が、その声の持ち主の元へ向かう。
怖い顔で声の持ち主を威嚇する。
「なんだこのクソじじい!」
そう言って男は声の持ち主に拳を作って襲い掛かる。
ボクサーのような鋭いパンチ。
が、残念ながら返り討ち。
男は綺麗に投げられて、宙を一回転。背中を地面に勢いよく叩き付けられる。
「うわっ!」
そういえばお父さん、大学時代に柔道の全国大会で優勝したんだっけ。
時々近くの中学校の柔道部に指導に行っているんだっけ。
「『クソじじい』にやられるテメーらは、一体なんなんだ?」
笑いながら男達に言葉を掛ける男の人は、私のお父さんだった。
私達を助けようとしてくれた先程の声の持ち主で、細身の体型だけどお父さんの腕力はスゴい。
あとお父さん、恐ろしく怖い。
私の髪を引っ張る男を、『狼』みたいな顔付きで睨んでいる。
「お前らもコイツと同じ目に遭いたいか?
喧嘩してもいいけど、五体満足で帰れると思うなよ。
娘にひどい目に合わせているのだからよ」
「うるせークソジジイ!
やってやんよ!」
私の髪を引っ張る男は手を離すと、お父さんの元へ向かう。
それともう一人の男も同時に走り出すと、お父さんの不気味な笑顔を目掛けて殴りに掛かる。
けど・・・・。
・・・・一分後。
三人の男達は砂まみれの服装のまま、私達やお父さんに向かって土下座をしていた。
さっきまで『ライオン』のように恐かった三人は、お父さんのおかげで『借りてきた猫』のように大人しい。
「す、すいませんでした!」
一方のお父さんはさっきの『殺意のこもった表情』ではなく、私や武瑠に見せる『満面の笑顔』を男達に見せていた。
まるで『言う事を聞かない可愛いクソガキ達だな』とでも言うように。
「おう!分かればいいんだ。
もう悪いことはするなよ。
次やったら、マジで命はねえかもしれねぇし」
最後のお父さんの言葉に、男達と私は身震い。
『規律を乱す者』や『約束を破る者』には、凄く厳しいお父さんだから、『本当に実行しそう』だと私は感じたから。
そして男達は逃げていく。何だかカッコ悪い背中だ。
・・・・こうして静かになった公園内。
お父さんは一息吐くと、私に視線を移す。
「さてと・・・・」
これからお父さんの『説教』が始まるだろう。
こんな時間になっても連絡を入れずに帰らなかったから、お父さんに怒られるだろう。
私に向けて『雷』が落ちるだろう・・・・。
でもお父さんの言葉の前に、私は聞きたいことがある。
「ってかお父さん、どうしててここに?」
私の質問は『愚問』のように感じたのか、お父さんは小さく首を傾げた。
いや、もうただの愚問・・・・。
「『どうして?』って、お前に『説教』をするためだ。
ったくよ、連絡なしでこんな時間までふらつきやがって。
お前の携帯電話に連絡したら、何故か武瑠が出るし」
「せ、説教・・・」
私は慌てて公園内にある時計で時間を確認すると、いつの間にか『八時半』を回っていた。
高校生とはいえ、こんな時間まで連絡なかったら、お父さんは心配するよね。
・・・・だから私は構えた。
『ゲンコツでもなんでも来い』と、『お父さんの怒り』を受け入れようとしたけど・・・・。
「とりあえず無事でよかった」
その言葉と同時に、何故だかお父さんに頭を撫でられて、私は『不思議な気持ち』になった。
お父さんもホッとした表情。
そしていつもお父さんには『素直じゃない私』だけど、いつの間にか小さく頷く。
同時に『目の前の男の人がお父さん』だと理解した私は、安心する・・・・。
「うん・・・・・」
・・・・ってか、恥ずかしい!
女の子も見ているんだし、頭を撫でないでほしい。
もう子供じゃないんだし・・・・。
「そっちの子も大丈夫か?」
そっちの子と呼ばれた女の子は、少し驚いた様子で答える。
「あっ、はい!私はこの通り元気です!あはは」
そうは言うが彼女、傷だらけだ。
私と同じ高校の制服もかなり汚れている。
笑顔も見せているが、多分無理矢理笑っているだけ。
本当は凄く辛いはず。
そんな女の子に、お父さんは提案する。
「よし!お前さんも一緒にウチに来い。
寿司くらいなら奢るからよ」
「えっ?そんな、悪いですよ」
「いいからいいから。
『空の友達』なら、いくらでもサービスするからよ」
『空の友達』・・・か。
ふと女の子と目があった。
中学生にも見える童顔な彼女は、確か私と同じクラス、だったような・・・・・。
地毛だと思うけど、少し赤みの掛かった茶色の長い髪を、二つにまとめている女の子。
いわゆる『ツインテール』だっけ?
凄く可愛くて似合っている。
そんな彼女の名前は、なんだっけ?
・・・・話したことないから、分からないや。
と言うか、それで『友達』か・・・。
もう、わけが分からない・・・・・・。