5.弟
私が向かったのは、学校から少し離れた『山崎総合病院』と言う、様々な医療機関が揃った大きな病院だ。
ここに来ない日は、一度もない。
その病院に着いた私は、すぐに入院している患者のいるフロアへ向かった。
エレベーターに乗って、目的地である『西棟四階のフロア』に急ぎ足で向かう。
そして『美柳武瑠』と書かれた病室に、私はノックもせずに病室の扉を開けた。
『武瑠に早く会いたい』と言う気持ちを膨らませながら、笑顔で病室に入っていく『美柳家の長女』の私。
病室のベットの上には、ゲーム機で遊ぶ私の弟である武瑠の姿があった。
武瑠はゲームに夢中なのか、私の存在に気が付いていない。
そんな『呑気な武瑠』に、私は声を掛ける。
私は自分の存在を知らせる。
「武瑠。ただいま」
武瑠はすぐに私の存在に気がついてくれた。
同時に私に笑顔を見せてくれる。
「姉ちゃん!おかえり!」
私は自分の家のように鞄を地面に置くと、ベットの横にある椅子に腰掛けた。
そして『笑顔』を見せる武瑠の表情を、再度確認する。
「またゲームばっかりして。今日の検査はどうだったの?」
私の言葉に、武瑠は少し間を置いてから答える。
「あー、うん。よくはなっているってさ」
「そうなんだ。よかった」
武瑠の言葉を聞いて安心した私は、武瑠に向けて笑みを溢す。自然と笑顔になる。
学校にいるときと、全然違う表情を見せる私。
美柳武瑠。
ゲームや漫画が大好きな、小学生三年生の男の子。
正義感の強い、私の可愛い弟。
そして医師から『余命一ヶ月』と宣告されても、笑顔を絶やさない強い男の子・・・・。
今年九歳の誕生日を迎えた武瑠は『末期のガン』と宣告された。
ガンの進行はかなり進んで、余命が延びることはないらしい。
抗がん剤治療の副作用で武瑠の髪は抜け落ち、武瑠は常にニット帽を被っている。
殆ど自分で歩くことも、起き上がることも出来ず、 誰かの補助なしでは歩けない状態だ。
指先だけが少し動く程度らしい。
でも武瑠、『笑顔』だけは絶やさなかった。
どんなに辛くても、私を見ると笑ってくれた。
元気のないお姉ちゃんを励まそうとしてくれる、『頼りになる弟』だといつも思わされる。
本当は、私が武瑠を笑顔にさせなきゃいけないのに。
そんな武瑠に、情けないお姉ちゃんの私は問い掛ける。
今の武瑠に聞きたい気持ちがある。
「・・・武瑠は、今どんな気持ち?」
・・・・こんなことを武瑠に聞くのは、どうかと私も思う。
今の武瑠は、私より辛いはずだし。
私以上に『辛い思い』をしているはずだし。
でも少しでいいから、『ダメなお姉ちゃん』を慰めてほしい。
今の私には、武瑠が必要なんだ。
ちょっと私も『限界』を迎えているし、正直言って今が辛過ぎるし・・・・・。
一方の武瑠は、また笑った。
さっきと変わらない、小学生の無邪気な笑顔。
「姉ちゃんが一緒だから、嬉しいよ。
オレ、凄く幸せだし」
武瑠は少し間を置くと続ける。
「そう言う姉ちゃんはどうなんだよ?
幸せなのか?」
『幸せ』と言う言葉が心に引っ掛かったが、私は答える。
「あー、うん。武瑠の顔が見れて幸せだよ。
ずっと一緒に居たいし」
武瑠には、『今の私の現状』について話していない。
理由は『武瑠の辛い顔』が見たくないから。
『お姉ちゃんが学校でいじめられている』って知ったら、絶対に武瑠は『怒って悲しむ』と思ったから。
武瑠には最後までずっと笑っていて欲しいし。
でも武瑠、昔から頭がいい。
私の『秘密の心の扉』を簡単にこじ開けてくる。
「・・・・オレが死んだら?」
武瑠の意地悪な質問に、私は少し動揺しながら答える。
「そ、そりゃ悲しいよ。武瑠なしじゃ私、正直生きていけない」
「なんで?」
言葉に詰まった私だけど、なんとか言葉を組み替える。
「『なんで?』って、『武瑠のことが好きだから』に決まっているんじゃん。
大切な弟が死んじゃったら、悲しんじゃうじゃん。
武瑠は私の味方なんだし」
「お姉ちゃん友達は?『ホージョウ』と『コサカ』だっけ?
そいつらがいつも一緒にいるじゃん。
オレが死んでも、お姉ちゃんには『友達』がいるじゃん」
ホージョウとコサカ。
北條さんと小坂さんのことだ。
何度か武瑠に話したことがあるから、武瑠もその名前を知っている。
・・・・知っているからこそ、私の声は震えてしまう。
「ほ、北條さんと小坂さんは、仲良くしている、よ。相変わらず仲良し・・・・」
二人のことを話すと同時に、今日の出来事が脳裏に甦った。
辛過ぎる、『今日一日の学校の出来事』が再び私を襲う・・・・・。
登校したら、私の席を窓から落とされたり、お昼休みには、お父さんが作ってくれたお弁当を捨てられたり。
あと体育のバスケットボールでは、チームの北條さんに、必要以上にパスを渡されたり。
まるで『ドッチボール』のように、私が受け取れないパスばかりしてくるし。
私の手や体、少しアザになっているし。
それと体育の後は、『チームが負けた罰』として、ホースで水を掛けられた。
鞄に入っている私の体操服は、実はまだ少し濡れている。
・・・・だから私、辛くて自然と声が暗くなって、表情も暗くってしまう。
本当は、『武瑠を勇気付けよう』と思って、ここに来たのに。
・・・・なんで私、こんな顔を見せているんだろう。
やっぱり情けないよね私・・・・・・。
いつの間にか私の目には『涙』が溢れ、視界がぼやけ始める。
武瑠の前なのに『私は何やっているんだろう。
なんで泣いているんだろう』と、自分を責める。
ってか、『泣く資格』なんてないのに。
友達を見捨てたのだから、いじめられて当然なのに。
・・・・そんなお姉ちゃんを見た武瑠の表情は変わらない。
目の前で泣き始める私を、深刻な表情で見つめている。
「泣き虫な姉ちゃん。
いっつも泣いてるよな」
「ご、ごめん」
武瑠の言葉に、私は慌てて涙を拭う。
頑張って笑おうとするも、うまく笑えない。
そんな私は更に追い詰められる。
ある意味、九歳の弟に手のひらで踊らさせる。
「もしかして、学校でいじめられているから?」
武瑠に言い当てられて、私は言葉を失った。
同時に涙もまた溢れ出す。
でも当てられた以上、否定することは出来ない。
今の私には、『強がること』すら出来ない。
だから私、『今の気持ち』を素直に答えた。
吐き出すように武瑠に伝える・・・・。
「私、今が辛い。早く死にたい。
大好きな北條さんと小坂さんにいじめられて、どうしたらいいのか、分からない・・・・」
私の言葉に、武瑠はポタポタと落ちる『私の涙』を眺めながら、驚いた表情を浮かべていた。
まあでも、お姉ちゃんが『いじめられている』って知ったら、ビックリするもんね。
お姉ちゃんが『死にたい』って言っていたら、心配してくれるもんね。
「バカ姉ちゃん!
なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!」
怒る武瑠の表情に、私は思わず目を逸らした。
同時に小さな声で謝る。
「ごめん、武瑠・・・・・」
そして私は窓の外の暗い夜の景色を見ながら、『本当に心の底から情けないお姉ちゃんなんだ』と呟きながら、何度も自分を責めた。
同時に涙をまた一つ落とす。
本当に私、バカみたい・・・・・。
だけど、武瑠は『情けないお姉ちゃん』を励ましてくれる。
チャームポイントである『笑顔』を、お姉ちゃんに見せてくれる・・・・。
「でも大丈夫。オレが姉ちゃんを守るから!
だから困ったことがあったら、いつでも相談してくれよ!
オレ、困っている人の顔が大嫌いだからよ。
姉ちゃんにはそんな顔して欲しくないし。
オレと一緒で笑って欲しいし」
武瑠はさらに『にっこり』と、私を見て笑った。
本当に武瑠は『笑顔』が似合う。
と言うかこれ、もうどっちが『年上』なのか分からないよね。
まるで武瑠の方が『お兄ちゃん』みたい。
『武瑠を頼りたい』と、私は素直に思った。
だって、こんな私のために、力になってくれる弟なんだもん。
頭もいいし、武瑠なら私の『味方』になってくれる。
どんな時も武瑠は『前向き』だから、私を言葉で励ましてくれる。
でも武瑠はあと少しの命。
正直言って、武瑠は巻き込みたくない。
最後まで武瑠には『自分のため』に人生を歩んでほしいし。
最後まで笑って欲しいし。
・・・・って、そんなことを武瑠に言っても、納得してくれないよね。
武瑠も『悲しいお姉ちゃんの顔』を見て死にたくないと思うし。
どうせなら、『笑ったお姉ちゃんの顔』を見たいと思うし。
友達と一緒に笑う私を、武瑠も見たいだろうし。
だったら、ちょっとは私も頑張らないと。
嫌と言っても『明日』は来るし、世界は回り続けるから、私も前に進まないと。
自分に負けてられない。
『辛い』と言っても仕方ない。
「ありがと武瑠。お姉ちゃん、頑張るね」
「おう!なんかあったら、もっと相談しろよ!
姉ちゃん、オレがいないと何にも出来ない『ダメ姉ちゃん』だからな」
「『ダメ姉ちゃん』って言うな!
まあ否定はしないけど・・・・」
武瑠はまた笑ってくれた。
私も負けずと武瑠に『笑顔』を見せる。
と言うか私、いつの間にかまた笑っているし。
これも元気で明るい武瑠のお陰だよね。
今の武瑠、まるで私の暗い心を照らしてくれる、『暖かい太陽の光』みたい・・・・。
それから私と武瑠は、遅くまで仲良く話した。
お互い笑顔が耐えることなく、面会時間ギリギリまで言葉を交わした。
『ダメな姉ちゃん』とよく武瑠にからかわれたけど、『それでもいいかな?』って納得する自分もいた。
だって私、武瑠の言う通り『ダメな姉ちゃん』だし。
『何にも出来ないバカなお姉ちゃん』だし。
でも私には『しっかりした弟』がいるから気にしない。
私がダメな時は、武瑠が助けてくれるんだし。
武瑠がいるだけで、今の私はどんな辛いことがあっても『幸せ』だ。
だから、これならきっと『明日』も頑張れる。
明日も、乗り越えられる・・・・・。