料理人ビゴーラ
「ビゴーラ、今日の夕食からルカルナ様のところに別の使用人用の料理も作って持っていってくれ」
執事が忙しそうに数人に料理の指示を出しているビゴーラに向かってカウンター越しに言った。
「わかったよ。ロンダ様がお連れになった掃除婦の分だね、今回は夜までもつのかねえ。せっかく作った料理を捨てなきゃならないなんてことになると作りがいがないからね。殿下だけで十分だっての」
「そうぼやくな、さっき見た時はまだ作業をしていたようだぞ」
執事がそういうと、ビゴーラは驚いた顔で料理の手を止めた。
「おや。初めてじゃないのかい?あの館に近づいて作業しだしたのは」
「ああ、ピオレが運んできた時は貧しい身なりをしていた子どもだと思ったが、根性はあるようだな」
「大体貴族の中から探そうなんていう考え方が間違っていたんだよ。そうかいじゃあ気合をいれておいしい料理を作るかな。顔もみたいし」
鼻歌を歌いながら料理に戻ったビゴーラはその後、夕食の用意を済ませると、こぼれないように蓋つきの容器に料理を入れ、木箱に詰めると軽々と持ちあげ厨房を出た。
その頃フォザリアは食材が腐った生ゴミの嫌な匂いと格闘していた。館の周りを背丈ほどの量で埋め尽くされていたのはどうやら生ごみばかりのようだった。その上に種が落ち草が生い茂っている部分もあり、館の扉部分がずいぶん低い位置にあると思ったのは勘違いだったのだ。
最近雨がほとんど降っていないせいもあって何層にも積み上げられている生ごみの水分は蒸発してしまっている様子だったが、いろんな食材が入りまじり強烈な異臭を放っていた。
「まったくなんて贅沢な食材ばかり使ってるんだろ、残して捨ててあるのもあるみたいだし、捨てるなら最初から作り過ぎなきゃいいのに。ここにある捨てられた食材でどれだけの子どもが生き延びられるはずだったと思っているんだろ。はあ、きっと貧乏人のことなんかみじんも考えていないんだろうけど!」
フォザリアはブツブツと文句をいいながら手際よく、散乱している生ごみを大きな布の袋に詰め込んでいった。すでにたくさんあった袋はなくなりかけていて、その代わりに生ゴミがたくさんつまった袋が一ヵ所に山積みになっていた。朝一番で焼却炉に生ごみを運ぶつもりだった。
「おや、入り口のドア付近の土が見えてきたんだね」
一心不乱にゴミを集めていたフォザリアは驚いて顔を上げた。そこに立っていたのは大柄で少し小太りな女性だった。
「!」
「あんたが新しく入った掃除婦かい?」
「はい、フォザリアっていいます」
「そうかい、私はこの城の第一調理場を任されているビゴーラってんだ。よろしく」
そういってビゴーラは手を差し出してきたが、手が真っ黒だったフォザリアは大きく頭をさげてお辞儀した。
「あっスープとてもおいしかったですありがとうございました。あんなおいしいもの食べたの初めてでした」
「おやそうかい、それは作ったかいがあったってもんだよ。今夜の料理も元気がでるようなものにしたから食べておくれ、まあ、こんな異臭のするところじゃあ食欲もわかないだろうけどね。どうだい、食堂へいかないかい?」
「いえ、お心遣いありがとうございます。私はここで大丈夫です」
「そうかいじゃあこれをあげるからこれで手を洗っておいで、せめて料理が冷めないうちにお食べよ」
ビゴーラはゴミが片付いている場所に手に持っていた大きな白い風呂敷を下に降ろすと、エプロンのポケットから紙に包まれた石鹸を手渡した。
「こっこれは石鹸ですよね。こんな貴重なもの使っていいんですか?」
「石鹸が貴重品だって。あっははは、あんたどんな場所で生きてきたんだい。ここでは必需品だよ、まあ本音を言えば、食べるなら食堂やきれいな場所で食べてもらいたいとこだけどね、ここを離れないっていうのが掃除の条件なら目をつぶるしかないね、せめて、手ぐらいはきれいにしないとね」
「わかりました。じゃあ遠慮なく使わせていただきます」
フォザリアはその受け取った石鹸で井戸の所に行くと井戸から水をくみ上げ手を石鹸でよく洗うと綺麗にすすいで、すぐに戻ってきた。それをみてビゴーラはそのもってきた風呂敷をほどき、中に入っていた箱の蓋を開けると、フォザリアに蓋つきの容器とパンを二きれとミルクが入った瓶を差し出した。その蓋つき容器の中にはステーキとその付け合わせの野菜が添えられていた。
「こっこれ本当に私が食べていいんですか?」
「ああ、ルカルナ殿下と同じ物をって言われているんでね」
「うわ~夢みたいだ。肉なんて初めてです」
フォザリアは目を輝かせながらそれらを受け取り放置されていた木箱を拾ってくると、さかさまにしてその受け取った食材を乗せ食べ始めた。それを見届けながら、その木箱に再び蓋をするときつく風呂敷で結び直し、再びそれを持ち上げ塔の反対側に歩き出した。フォザリアは不思議そうに後をついていくと、ビゴーラはちょうど真後ろに来ると上からぶら下がっている太い縄にその料理がはいった木箱を包んだ風呂敷ごと結ぶと大きな声を張り上げた。
「ルカルナ様、夕食をお持ちしました」
すると、夕暮れ時の為辺りは薄暗くなり始めていたので良く見えなかったが何かが窓から顔を出したように見えた。その瞬間ロープが引き上げられ、みるみるそれは上にのぼって行き、あっという間に館の最上階へと到達し、窓の中に箱が入っていった。フォザリアはそれをみあげながらたずねた。
「やっぱりこの建物の上にずっと住んでいるんですね。ルカルナって王子様が」
「ああいるよ、もう三年になるかねえ昔はよく笑って私の料理を褒めてくれたんだけどねえ・・・寂しいねえ。今日は気に入ってくれたようだけどね」
「今日はって?」
「ああ、嫌いなものがあると皿ごとあの窓から放り投げて捨てるんでね、本来ならそこに立っているとあぶないんだよフォザリア」
「捨てる?今出された料理を捨てるっていいました?」
「そうだよ、王族なんてそんなもんだよ、少なすぎてもだめ、いろんな種類の料理を少しづつ食べるっていうのが当たりまえだよ。ルカルナ王子の場合は好きなものしか食べない主義だけどね」
「なっなんて罰当たりな・・・」
フォザリアは信じられないというかのようにもう一度館の最上階を見上げた。
「あんた面白い子だね。確かに食べ物を粗末にするのは罰当たりだね。だけど、それが許されているんだよこの国の王族はね」
「許せない・・・食べ物が食べれなくて死んでいく子がたくさんいるっていうのに・・・」
フォザリアは小さな声でつぶやいた。
「それが世の中の格差ってもんだ。生まれでほとんど人生が決まっちまうのさ。王族は贅沢を許されている、だけどね自由がないんだよ。どちらが幸せなのかは私にはわからないけどね。どっちも生きるのは大変だってことだよ」
ビゴーラの言葉は頭では理解できたがフォザリアにはどうしても納得できなかった。華緒として生きた世界では飢えで死ぬ子どもは遠い国の出来事で、身近にはいなかった。だけどフォザリアとして生きた16年の間にこの目で何度も見てきたのだ、昨日まで生きていた子が朝亡くなっているという厳しい現実を、明日は我が身かもしれないのだ。なのにここでは贅沢が許されている、なんて不平等な世界なんだ。
「わからないわ。だからって食べ物を粗末にしていいことにはならない。食べ物には神様が宿っているのに。ただの好き嫌いや見た目の豪華さを演出するだけのためにこんなに大量の生ゴミとして処分するなんて食材に対しても、それを作った生産者にたいしても、料理人に対しても失礼だよ。私の前で嫌いだからって理由で捨てるような奴は誰であろうと許さないんだから」
「あっはっはは、気に入ったよ。あんた掃除で足りないものがあったら遠慮なく私にいいなよ。都合つけてやるから」
思いっきりフォザリアの背中を叩いて豪快に笑った。
「あっありがとうございます。ゴミを入れる袋が無くなってきたんですけど、暗くなってきたので、今夜はもう寝ます」
「そうかい、だけどどこで寝るんだい?確か条件では寝るのもこの境界線の中ってことになっているんだろ?一階の入り口はあの通りだから館の中には入れそうにないし」
そう言って一階の扉の前に山積みになっているゴミの山に視線を向けながらビゴーラがいうと、笑顔で返した。
「大丈夫です、同じ大きさの木箱がたくさんあったのであの上で寝ることにします」
フォザリアが指さしたのはゴミを回収して平らになっている場所に、木箱を並べただけのものだった。
「あんたまさか毛布もなしに外で寝るつもりかい?」
「はい、いつもそうでしたから。もう春ですから、全然平気です。この使用人の服もわりと暖かいですし」
どうやら本気で外で寝る気のフォザリアをみてあきれて返す言葉をなくしていた。ようやく正気になったビゴーラが言った。
「何をいってるんだい」
「あっ本当に大丈夫ですよ、ゴミ掃除をしていて大きな布を見つけたんです。多分ビゴーラさんが包んできていた風呂敷だと思いますけど、それがたくさんあったので集めて洗って乾かしてるんです。それを縫い合わせて、明るい内に、あの向こうに生い茂っていた雑草を刈り込んでおいたんです。まだ雨は多分振らないだろうから数日したらカラカラに乾くはずだから細かくしてつなぎ合わせた布の中にいれるといい感じの寝床になるはずですからまだまだ布は出てきそうだし、石鹸を頂いたので洗えばきれいになると思うのでご心配無用です」
「変わった子だねえあんた、だけど苦労してきたんだね。よしわかった、何も言わない。私は料理人だ、ここにいる間はお腹いっぱい食べられるようにおいしい料理を運んできてあげるよ。だけど、せめて雨が降った日はロンダ様側の館の玄関の軒下で寝るとかしなよ。あそこはまだ敷地内だろ」
ビゴーラそういうと離れた場所に建つもう一つの屋敷の方を指さした。
「ビゴーラさんはいい人なんですね」
「いい人か、そんな事言われたのは初めてだね。まっ必要なものができたら遠慮なくいいな」
そういった瞬間フォザリアはさっそくほしいものを言うことにした。この世界で生きるには遠慮をしていては駄目だということを学んだのだ。
「あっあのじゃあ・・・糸ってもらえたりしますか?私が持ってきていたのはもう少なくなってしまって。私お金今持ってないんですけど」
「ああ、布団を縫う糸か、裁縫道具は必要だね、わかった。明日の朝持ってきてあげるよ。あたしは裁縫は苦手でね、一度も使ってないから糸もたくさんあるはずだから好きに使ってくれていいから」
「いろいろすみません」
「いいってことよ、ここの掃除を引き受けてくれるんだからそのぐらいの協力はなんでもないよ。さあ、早く食べな。人間食べなきゃ力が湧いてこないからね。まっこの悪臭の中で食べても食欲はわかないだろうけど」
「そんなことないです」
フォザリアはその場に座り込んでパンとミルクを流しこみながら答えた。
「じゃあ食べたらそのまま置いといておくれ、明日回収にくるから」
「はい、ありがとうございました」
フォザリアは食べながらビゴーラにまた頭をさげて見送った。
その夜はフォザリアはその後はそのまま木箱の上に横になると自然と寝てしまっていた。朝になると、なぜか毛布が掛けられていた。足元には、立派な裁縫道具セットと共に置手紙が置かれていた。
【これはあんたにあげるよ。私には必要ないものだからね。その毛布はもう古くなったから捨てる用だってんでかっぱらってきたものだから安心して使っていいよ。一応きれいに洗濯はしているから虫なんかついてないから安心して寝られるよ】
フォザリアはその紙を読んで涙が流れてきた。であってすぐの人間にこんなに親切にしてもらった記憶など久しくないからだ。フォザリアはその裁縫道具と毛布を空いている木箱に大切にしまいこみ、自分のリュックと共に館の壁ぞいの隅に置き、ベッド代わりに使った木箱もきちんと隣の館近くに積み上げた。そして朝から焼却炉にゴミが大量に詰まった袋を運び入れ、再び空になった袋にまたゴミをかき集め始めた。朝食を運んできたビゴーラにフォザリアは何度も礼をいって頭をさげた。
そうしてあっという間に十日が過ぎ、天気が続いたのもあって屋敷の外回りに積みあがって悪臭を放っていたゴミの層がきれいに取り除かれ地面が顔を出していた。