ACT2 恥辱
ゴールデンウィークが明けた週の始まりだった。入学した時には満開だった桜の木は、青々とした葉を輝かせている。
俺・神喰了は超新星学園東京高等学校に通っている。
この学校の生徒は「ウィル」と呼ばれる――自らの意志を世界に顕現させて、武装するシステムをインストールされる。学園はその力を有する少年少女たちを育成する機関でもあった。学園内では、その能力値に応じてランクが付けられる。
俺の総合能力ランクはF。1年生の中では最低ランクと認識されている。この左胸につけられたワッペンが全てを物語っている。白地に「F」と黒の糸で刺繍が施されたものだ。
――しかし、俺は学校のランク査定では測られない能力を持っていた。
「おはよう、了君。それから、海堂君も」
俺と海堂が二人並んで歩いていたところを、後ろから声を掛けられた。
「おぉ! 小破魔じゃねぇか! 久しぶりだな」海堂が大袈裟に小破魔の肩を叩いた。
「おはよう。ようやく退院出来たんだな。ということは怪我の具合はもう大丈夫なのか?」俺は海堂の興奮を宥めつつ尋ねた。
「うん! もうすっかり元気になったよ」
相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべて頷く小破魔を見て、俺はひとまず安心した。
彼は先日同校の生徒たちから受けた暴行により、入院を余儀なくされた。そして、本日ついに退院に到ったのだ。
そう言えば、アイツらの停学が明けるのも今日だったか。
「よォ、神喰了ィ。久しぶりだなァ」
「あの時は、宮部クンをよくもやってくれたな……!」
噂をすれば……。
現れたのは金髪の生徒・山賀と、小太りの生徒・佐村だった。そう、彼らこそが小破魔を暴行し入院させた生徒本人らである。(宮部という生徒もいたが、彼は未だ休学中だ)
「それはこっちのセリフだぜ! あの時はよくも小破魔を……!」海堂が顔色を変えて、佐村に掴みかかろうとする。
「ちょっと、海堂君。落ち着いて……」
当の本人である小破魔は二人の間に入って仲を取りなそうとする。
「おい、待て、海堂。小破魔の言う通りだ。それじゃあ、お前も同じだ。それに……」
いつの間にか周囲には人というか野次馬が集まっていた。あまり良い目では見られていない。侮蔑の念が篭った目。中には好奇の視線を向ける者もいる。
「チッ……」海堂は舌打ちをして、手を離した。
「それで、何か用か」俺は出来るだけ落ち着いた声音で山賀に尋ねる。
「あぁ。今日は正々堂々とお前――神喰了に、1対1の勝負を申し込みに来た」山賀は極めて挑戦的な表情でそう告げた。
「な!?」
「えぇ!?」
海堂、小破魔がそれぞれ驚愕の表情を見せる。
野次馬たちも食い付いてきた。パンを貪る池の鯉か。
「俺は宮部クンの雪辱を果たしに来た。そんで宮部クンの負けを取り消させてやる」
山賀は続ける。
「ずっと、何か引っかかってたんだ。普通、交戦状態で、Bランク武装者が、Fランクの――それも丸腰の――人間の前に跪くなんて事態はありえねェんだよ。……お前、何したんだよォ?」
「あれは偶然だ。宮部が勝手に躓いたんだ。興奮状態だった宮部なら、他のことに不注意になったとしてもおかしくはないだろう?」
「じゃあ、何でお前は1歩も動こうとしなかった? 普通、逃げたりするんじゃないか?」
「それは、実際に武器を目の前にするとわかるが、体が動かなくなるんだよ。恐怖で」
「……まぁ、良い。この勝負を受けろ、神喰了。俺とお前が戦えば、全てわかるはずだ」
「おおい、了。まさか、受ける気じゃねぇよな? こんな勝負、する意味なんて無ぇしよ。引き受ける義理も無ぇよ」 海堂が苦笑い気味に尋ねる。
「良いだろう。受けて立つ」
また2人は同様に驚いた。「ちょっと、お前こそ、落ち着けよ!」 「そ、そうだよ」
「その代わり」と俺は条件を告げる。「勝負は3日後に、仮設地形闘技場で、衆人監視の下、行う。その方が、お前にとっても好都合だろう?」
「フッ、いいぜ。能力ランクが絶対的である事を大勢の前で証明してやる」山賀は鼻で笑って応えた。「じゃあな。楽しみにしてるぜ」
俺は笑いを堪えるのに必死だった。
何が、大勢の前で証明する、だ。
山賀。俺はお前のことを少し勘違いしていたようだ。
お前はもう少し頭が回るものだと思っていたが、どうやら、とんでもなく愚か者らしいな。
2週間ほど前。俺は生徒会室に呼び出されていた。恐らくは先日の件に関係したことであると考えていた。その件に関して、事情聴取などは既に終えており、俺はただの目撃者扱いだったが……。
重厚な木の扉をノックすると、「どうぞ」と澄んだ声が返ってきた。
入室すると、中では1人の女子生徒が待っていた。
「ようこそ、生徒会室へ。そちらのソファに掛けておいて」 と明るく歓迎してくれたのは本校の生徒会会長である2年トップランカー天羽聖子だった。「お茶を淹れてくるから。少し待っていて」彼女は数少ないAランクの生徒である。
「お構いなく」
暫くすると、聖子は盆に急須と茶碗を載せてやってきた。丁寧な所作でお茶を淹れる姿は画になっていた。
「ありがとうございます」と折角なので1口頂いた。
聖子は対面のソファにようやく腰を下ろし、脚を揃えた。
「それで、僕を呼び出したのは、どういった用件でしょうか」
「まあ、まあ、そんなに急かさないで、お茶しながらゆっくり話しましょ」 と聖子は茶碗を手に取った。
「……」俺も彼女に合わせてもう1口啜った。
また暫く沈黙が二人の間に降りた。
聖子は音を立てずに茶碗を卓に置くと唇を開いた。
「さて、あなたをお呼び立てしたのは、少し気になることがあったからなの。大したことじゃないんだけどね……」俺は頷いて続きを促した。
「ちょっと前に、あなたと同じクラスの小破魔君が入院した件があったでしょう? その時に、暴行していた側の宮部君も入院することになってしまって、現状では学校生活に戻るのは難しいと判断されて、休学することになってしまったの」
「そうでしたか」 俺は神妙そうに頷いた。
「私、見ていたのよ。その現場を」
「は?」 思わず聞き返した。一体、どこで?
「失礼しました。それはどういうことでしょうか? 確か、あの時に現場にいたのは、自分を含め6人だけのはずでしたが……」
「あっ、その、ごめんなさいね。隠すつもりはなかったのだけど、私の能力で見ていたの。
あの時、学校の中を走っていた神喰君たちを偶然見かけて、ただ事ではなさそうだったから、私の能力で小さい監視の目をつけさせていたの。
そうしたら、遠目だけど、ちょうど宮部君があなたに斬りかかろうとする場面を見てしまって、助けようとしたんだけど、間に合わなくて……でも、あなたは普通に平然としているから驚いたわ」と聖子はここまで一気に喋った。
彼女の能力は、視覚を共有する浮遊体か何かを操ること、か。しかもそれで攻撃することも可能の線アリ……視覚拡張の亜種。生徒会会長という管理職には打って付けという訳だ。
「あなた……宮部君に何をしたの?」聖子の顔の影が濃くなったような気がした。
これが、彼女が俺に聞きたかったことか。非公式とはいえ、高ランクの者が低ランクの者に敗れることは相当不可思議らしい。この学園の生徒にとってランクは絶対的な存在なのだろう。
「いえ、僕はただ恐怖で固まっていて、宮部君が急に躓いた……というのは、もう通用しませんかね」
「……ええ」聖子は重々しく頷く。
「まあ、ちょっとしたマジックのようなモノですよ」
今度は俺が喋る番だった。聖子は続きを促す。
「本当に、宮部が足を躓くように小さな障壁を創り出したんですよ」
宮部は人生を躓いた。いや、既に躓いていたんだ。少しきっかけを与えたに過ぎない。
「えっ?」
「だから、上手くいったのはただの偶然です。偶然、彼が躓いた」
「そんな、子供騙しみたいな……」
「信じてもらうしかありませんね。僕はFランクですので、能力の発動速度や武装強度は彼に劣りますが、少し工夫をすれば、彼の足元を掬う位は出来ますよ。
必要最低限の能力行使で相手を戦闘不能にする。常識ではありませんか」
「そ、それじゃあ、彼が狂ってしまったのも、ただの偶然……?」
「はい。そうとしか言えません。確かに、彼が慢性的錯乱状態に陥ってしまっまたことは大変残念に思いますが、僕は正当防衛のため彼の足をかけただけですから」
聖子はしばらく黙っていたが、「それなら、もう一度、私の本当の目の前で、正式な勝負であなたが戦うところを見せて頂戴」やはり、自分の目で確かめたいと言うのか。
「……これは、僕の推測ですが、恐らく停学明けには彼らが僕に対して何かしらのリアクションをとります」
「報復……?」
「ええ。その時に証明してみせましょう。低ランクが高ランクを貪るところを」
「あなた、言葉遣いには気をつけなさいよ……!」
「すみません。調子に乗りすぎましたね」
「いいわ。その時には闘技場を使えるようにしてあげる。ただし、衆人監視の下に、よ。その勝負のことは全校に伝わるように手を回すわ」
「……楽しみですね」
「……ええ」
そして、現在に至る。六角形の闘技場の観客席には大勢の生徒が駆けつけていた。主に1年生だが、中には上級生の姿も見える。特等席では、天羽聖子が目を光らせているに違いない。
観衆達の声援は、主に俺の対面に立っている金髪の生徒に向けられている。ここに集まった者達はみな、俺がいたぶられ、弄ばれる情けない姿を期待しているのだ。高ランク者がその力を見せ付けて低ランク者を苦しめる構図を無意識に思い描いているのだ。
俺はまさに虎の檻の中に閉じ込められた兎。このサーカスにおいて、恐れ慌て逃げ惑う役目を背負わされたのだ。
その虎が煽る。
「お前は所詮はFランクだ。そのことを改めて実感させてやる」
「……」
「それでは今回の決闘のルールを説明します」 会場全体に響くのは、放送部の声だ。
「今回使用するフィールドは、架空草原! 所々に台地が存在する比較的フラットな地形となっておりまーす!
勝敗は、両者に取り付けられたウィルシステムが表示する戦闘意志ゲージが皆無になった場合に決せられます。相手の生命活動を停止させる攻撃は禁じます。
また、戦闘開始の合図までは能力の発動を禁じますので、フライングは失格負けとなりますのでご注意くださーい!
これらもぜーんぶウィルシステムが判断してくれまーす! 客席の皆様は、ゲージやら映像やらが表示されますあちらのスクリーンにも注目してみてくださいねー!
その他は何をやってもOKのフリールールでございまーす!」
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ、と会場が沸く。先程よりも増して声援や野次が飛び交う。
俺と山賀はフィールドの端の方にある開始所定位置まで移動する。
「それでは、Ready……」
俺は一応は身構える。
山賀は腰を低くして、屈んだ。
「Go!!!!」とアナウンスと同時に、頭の中で笛のような音が鳴った。ウィルシステムによる本当の開始合図だろう。
山賀英明は、開始の合図と同時に余裕の笑みを浮かべていた。普段からつり上がった目をさらにつり上げる。
目視では米粒のような大きさの神喰了に向かって、ゆったりと歩き出した。
「能力解放、意志顕現!」
すると、山賀の腕や脚、胸部が橙色に発光し出し、軽い装甲が顕れた。さらに、強い光が左腕と右手に発せられら、全ての光が霧散すると、左腕には丸い形状の盾と、右手には刃渡り30センチほどの剣が顕れた。
「山賀選手は早速武装を顕現し終えたようです。流石はCクラス! 非常にバランスのとれた武装です!」
「さてさて、どうやって料理してやろっかなァ……て、アレ?」
先程まで確認出来ていた神喰の姿が見えない。岩陰に隠れたのだろうか。別に良いと割り切る。どうせ神喰には大したことが出来ない、と高を括っているのだ。
しばらく、目を配らせていると、神喰の身体の一部らしきものが岩からはみ出ているのが見えた。
「隠れたって無駄だぜェ。さぁさ、早く出ておいでよ。遊んでやるからさァ」
山賀は岩の外を回り込んで、神喰に剣を突きつけた。
「って、アレェ?」
そう、そこに居たのは神喰では無い。
「ゔッ、右腕が、右腕が疼く……! くそぅっ、ダークエネルギーが暴走しちまうッ……! うアッ……! あぁぁぁぁぁ!!!」
黒の詰襟学生服を着て、右腕に包帯をぐるぐる巻きにした少年が座り込んで、苦悶の声をあげていた。すると突然立ち上がり、何やら叫び始めた。
「だがしかし! このマウンテン・プレジャー・D・ヒーローライトが痛みに苦しむことは無い! 我は全ての苦しみを我が闇の力に変換し、蓄えることが出来るのだ! さあ、今こそ、その力を解き放つ時、来たれ漆黒の龍神よ! 巻き起こせ、粉塵を! 大悪魔アスタロトよ、我が力にひれ伏せよ!刮目せよ! 深淵を覗く時、後ろに気をつけろ!」
「ぬうわああああああああああああ!!!!!」
山賀は先程までの様子とは打って変わって、その黒の学生服を着た痛い少年を隠すように両手を拡げて上下させて、さらに反復横跳びを繰り返した。顔面が茹で上がったみたいに紅潮し、湯気が立っている。
「グフッ」 学生服の少年は山賀の腹部を殴った。
仰向けに倒れた山賀の耳元にささやき声が聞こえる。
「にんげんってなんだろう。にんげんはなんのためにうまれたのかな。なんのためにいるのだろうか。ひであき、やまが」
「ひぇえッ!??!?!」 背中がむず痒くなった山賀は肩を竦めるようにして飛び上がった。
「にんげんがにんげんをたべないのはなんでなんだろう。なんでろう。なんなんでだろう。なんでだろう。ざりがにはかにじゃないのかな。かにはやどかりじゃないのか。さるはにんげんだよね。そうだよね。」
学生服の少年はよくわからないことを延々と喋り続ける。
「ややややややめろよおおおおおおおおおおおお」山賀は声を震わせ、身体を震わせ、学生服の少年の口を必死に抑えるが、少年の声はより一層と大きくなって会場に響き渡る。
「もういい加減にしてくれよおおお、俺えええいえぇぇ」
そうである。学生服の少年とは、山賀の過去の姿であった。いわゆる黒歴史が今まさに山賀の目の前に展開されているのだ。しかも、大観衆の目の前にも。
「ああああああ!!! 見るな!! 見るなあ!! 見ないでくれえぇぇ!!!」
山賀の訴えは無念にも届かず、中学生時代の山賀は暴走を続ける。
「あのさ、アイコちゃん。俺と、口内細菌の交換しない?」
『きも』山賀の中で、アイコちゃんの辛辣な言葉がありありと蘇る。
「アイコちゃあぁあぁあぁあぁ!!!!!!」
山賀は自分の体を自分の腕で抱き締めるようにして、地面をころげ回って悶えた。……悶えた。草まみれになって、土まみれになって、叫んで喚いて転がり回った。
「おーっと! これはどういうことでしょうか!? 先程まで威勢が良かった山賀選手ですが、神喰選手の腹パンによろめいてしまいます!」
「あぁっ!! 神喰選手、このまま勝負を決めるつもりなのか!パンチとキックを様々な角度から連続で繰り出していきます!」
俺は開始同時の合図と共に、山賀の精神を支配した。
「あっ……あっ…………あぁっ……あ…………」
山賀はもう既に成す術なく、俺に一方的にやられているだけだ。
「山賀選手、このままやられてしまうのかぁー?!!」
今頃山賀の精神は恥辱の限りを尽くされていることだろう。弱り切った精神の高校生を嬲ることなんて、赤子の手をひねるよりも簡単だ。
俺は勝負を決するため、Fランクなりに最大の出力で能力を解放し、拳の一部分だけを瞬間的に武装する。
「おらっ!!!」
俺のアッパーカットを食らった山賀は仰向けに倒れ、動かなくなった。
頭の中にファンファーレが聞こえた。
ウィルシステムが俺の勝利を認めた瞬間である。
「か……神喰選手の、勝利ですっ!!!!」
1拍の沈黙の後、会場は歓声の嵐に包まれた。
「相手は油断しまくりにしまくっていたアホダラとはいえ、まさか、本当に勝つなんて……有り得ない…………」
天羽聖子は嘆息をついた。
神喰了はBランクの足元を掬い、Cランクを素手で殴り倒した。
「学校の規定するランク制度を全面から否定してくるだなんて、末恐ろしいわ」
こうして俺は山賀を返り討ちにした。あれ以来、学校で山賀の姿は見かけなくなった。
不登校になってしまったらしい。確かにあの黒歴史を暴露されてしまっては、学校に来る気が失せるのも理解できなくはないが、実際はその黒歴史について誰も見聞きしていないのである。
今回の場合、恥辱を味あわせてたのは山賀の精神内でだけなのだが、山賀本人はそれに気づいていないらしく、会場に集まった人間が全員自分の黒歴史について馬鹿にしているのだと、自意識過剰にも思い込んでしまったのだった。