5話
――なんだ? 騒がしいな
天族のアヴィリは寝室のドアが激しく叩かれた事で目を覚ました。
こんな時間に彼を起こす事など滅多にあるものではない。
よほどの急用で無ければ眠りを妨げた者を処罰するつもりでいた。
「一体何の用だ……っ!」
ドアを開きそこに立っていたものが天兵であった事で事態の重大さを悟る。
「どうした? 何が起きた」
「はっ! 白光閣が何者かに襲撃を受けている模様!」
「なにぃ!?」
アヴィリは倒れそうになった。
白光閣は彼の母なる神の住む御殿である。そんな場所を狙う存在がこの街にいるとは思えなかった。
「守備兵は何をしておったのだ!? ――…この時間は人間兵か!」
――まさか守備兵が手引きした人間の反乱では……いやそんな筈はない。我らの統治は完璧であるはずだ。
「神を名乗る者の来客があった模様です。 アヴィリ様急いで救援を」
「神だと? 言われなくてもわかっておるわ、天装!」
彼の身体に銀色に光る防具があらわれた。
一瞬で天兵の装束となったアヴィリは壁にかけてあった剣を取ると館を出た。
――不老不死のエヴィア様なら死ぬ事は無いが他の神族にさらわれる事でも起きれば我々の立場がなくなる……!
既に部下は館の前に集合している。
天兵の美しい装備からは酒の悪臭がしていた。
「貴様ら報告は受けているな! 白光閣、エヴィア様の危機である! 駆けるぞ!」
彼らは単なる兵ではない天兵である。つまり天人が使う呪文を使うことができるのだ。
呪文を唱え始め、彼らの足元を風の渦が巻き始めた。
そして人間の走る速度とは比べ物にならない速度で白光閣へと向かっていった。
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天兵が白光閣へと向かうのを見て、アヴィリ宅の寝室の窓から外を見て祈る女がいた。
「アヴィリ様……」
するとドアが大きな音を立てて開かれる、そこには天人のきらびやかな服を着た女が立っていた。
「シンニー! ここで何をしているのかしら。 兵たちが帰ってくるまでに宴の準備をするのよ」
「旦那さまが心配で……」
「あら? 妾の分際でご立派な事ね。そんな事が心配できる御身分かしら? 人間のくせに身の程知りなさい。 夫はお前に心配されなくても無事に決まっているわ」
天人の女がシンニーの顔に扇を向ける
「しかし……白光閣が襲われるなど」
「くどいわよ。 はやく準備を手伝いなさい。お前は夫がいないとメイドと身分は変わらないのよ」
「くっ、失礼いたしました奥様!」
シンニーはそう言うと口を噛み締めて厨房の方へと向かっていった。
その後ろ姿を見て奥方と呼ばれた天人の女は扇を開き口を隠し、扇の裏でニヤリと笑う。
「ええ……所詮は今一瞬の妾、私たちは人間族とは生きる時間は違うのですからね。元々、メイドだったお前には厨房がお似合いよね」
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アヴィリが駆けつけた時には既に人間兵たちは壊滅と言ってよい状態だった。
それでも何とか状況を伝えようと向かってきた人間兵を天兵の一人が蹴りつける。
「お前ら留守番もできねえか? つかえねえな!」
「おい、やめろ。報告が先だ」
暴力をふるった天兵をアヴィリが静止する。
人間兵はその姿を見て助かったという安堵の表情になる。
「はーい。すみませんね」
天兵はニヤニヤしながら下がる
アヴィリは人間兵の胸ぐらを掴みにらみつける。
「お前、ここで何があった……?」
「アヴィリ様…‥神様が……討たれました」
「討たれ……なんだと!」
人間兵の言葉にアヴィリは激高した。
そして人間兵の喉を剣を抜き切り裂く。
「クハッ――…」
血が吹き出し周囲を穢す。
人間兵は首を抑えてじたばたと苦しんでいた。
アヴィリはそれを見下し「神は死なん!」と吐き捨てた。
「……母が死ぬわけがない」
しかし神が相手である。アヴィリも考え込む。
――どうせ神族同士がお戯れしておられるのだろう。しかし破壊活動や母がさらわれても困る。
「閣内に突入しエヴィア様を保護する。天兵続け!」
アヴィリは剣についた血を払うと部下と共に白光閣の閣内に突入した。
そこで見たものは死体……血……死体……血……崩れ落ちた壁。
廊下に続く人間兵の亡骸の列。胴体から真横に分断されている。
――襲撃した神族はよっぽど残虐な性格をしているようだな。
彼らの装備は天装とまではいかなくても天人族の技術の防具を与えたものである。
――戯れで殺されてたまるか。
ダンッ
アヴィリが音のする方向へ顔を向ける。
エヴィアの寝室の方から足音がした。
ダンッ ダンッ ダンッ
そこには黒いローブを着て大きな槍か斧のような巨大な武器を持つ邪悪な顔をした大男がいた。
「フン、このままだとあいつが想像した『暗殺者』だからな。お前らの相手をしてやるよ!」
「あっ!? あなた様は?」
「俺はなアスラのラールジャだ! 覚えておけよ天上人!」
「神ではないのか!?」
アヴィリが武器を構える。
――奴は魔か!? 神族や天人族ははあんな邪悪な気配はしない!
するとラールジャは奥の部屋を指差した。
「神はそこで死んでるぞ!」
「はあ、何いってんだてめー!」
先程、人間族を蹴った天兵が剣で斬りかかった。凶刃がラールジャを襲う。
彼は既に天装により全身鎧になっている。
それにも関わらず。
天兵は頭から縦に真っ二つになっていた。
空中に紫の光が稲妻のように縦に浮かび上がっていた。
二つに分かれた身体がグシャリと左右に崩れた。
「俺は正直なんだがな」
ラールジャは既に返事もできない姿と成り果てた天兵を見てニヤッと笑う。
あまりの衝撃的な光景に天兵たちが後退る。
――天装をも一撃だと……!
アヴィリは冷や汗をかいた。先に斬りかかっていたら彼は確実に死んでいた。
しかし彼は冷静さを取り戻す事ができた。
剣を構えつつ彼は情報を引き出そうとする。
「ひとつ聞きたい。アスラとは何だ?」
「あ? こっちにはいないのか。天上への反逆者、非天。それがアスラだ」
「アスラ、何が理由で反逆する? 神の軍勢に一人で勝てるとでも思っているのか?」
「その神が死んでしまえばお前らはただの天人族だろうが」
「………」
アヴィリは神エヴィアの死がハッタリだと思っている。
しかしこの眼の前のアスラを名乗る大男は天兵を前に怯む様子が一切ない。
それどころか既に天兵を一人殺しているのだ。
「アスラ、お前は何を望む、要望によっては見逃してやる」
「アヴィリ様!?」
天兵たちが驚愕してアヴィリを見る、しかしアヴィリはその非難の視線を無視し続ける。
彼らは死なない戦いをして生きてきた。今、死は目前にある。
「そうだな……俺も条件を出していいか? この街は俺が貰おう。そうすれば天人どもが出ていくのを見逃してやるよ」
「何を言うか!」
あまりに無茶な要望に天兵たちがラールジャを罵倒する。それを「うるせえな」といい方天戟を天兵の方に向ける。
「そこでちょっと待ってろ、動いたら全員殺すぞ」
「いいだろう。逃げるなよ」
アヴィリはアスラが逃げるとは思えなかった。
――母を連れてきて人質でも取るつもりか?
そしてエヴィアの寝室へと入っていくラールジャ。
すると寝室から「キャアアアアッ!!」と女の鋭い悲鳴が聞こえてきた。
――母の声ではない……するとメイドか……
天兵たちが思わず動こうとするもアヴィリに静止される。
そしてラールジャは女の首を持ってきた。
天兵たちはその女に見覚えがあった。
アヴィリは気が遠くなりそうなのを何とかこらえた。
その首はこの神領を治める神であり、愛する母の首であった。
「たすけてえええ! エヴィア様が殺されたあああああ!!!」
寝室の方よりメイドの叫びが聞こえた事により、この首が神の首であった事が確定された。
天兵が思わず後ずさる。神は不老不死。死んではいけない存在なのだ。
「受け取れ」
「!!!」
ラールジャは天兵たちの方に首を投げた。
天兵たちがそれ目線で追う。アヴィリが母の首を抱きとめた。
彼の鎧が震える。そして完全に彼女が死んでいる事を確認する。
何が起きたのかわからないまま死に、見開かれていた目は、彼の手で閉ざされた。
天装のヘルムの中でアヴィリは涙を流していた。赤子の時の以来の涙だったのかもしれない。
「母さん……おのれ……」
そしてこの目の前の反逆者を睨みつける。
ラールジャは「どうする?」という顔でアヴィリを眺めている。
――この街の天人族の命と引き換えてでもお前を殺してやる! 母と同じようにな。
彼の母の首を天兵にそっと渡す。
そして剣を構えて呪文を唱え、その刃に暴風を発生させる。
アヴィリはもう冷静ではなかった。