4話
その警備兵は人間族であった。
彼の上司は天兵、つまり天族である。
昼間の華やかな装備をつけた天兵の守衛業務と違い、夜間は人間による守備になる。
ほとんどの天兵は業務を終えて、繁華街の方にでも行っているのだろう。それは神領では日常である。
それはここ神の住む館『白光閣』でも同じ事だった。ゆえに彼はそれに不満は持たない。
ここを襲う無礼者は今までいなかった。だから気が緩んでいたのかもしれない。
目の間に黒いローブを着た大男が立っていた。
「うぁああ!!」
警備兵がいきなり現れた大男に驚愕する。
そんな彼に「よお」と男は気さくに挨拶する。
それはラールジャだった。
警備兵は壁に立てかけていた槍を慌てて取り、男へと穂先を向けた。
「何者だ! 貴様!」
「いや、俺はお客様だぞ? 俺と殺しあうか? それでいいのか?」
「こんな時間に客など聞いていない」
警備兵の顔が恐怖で歪む。
――客だと? こんな夜中にどう見ても怪しすぎる。
黒いローブを着て目の前に一瞬で現れた男。明らかにこの館に訪れるような身分には見えない。
むしろ、暗殺者といった噂にきくような闇稼業の者たちに見えた。
「俺は神だっていってんだよ。 お前は神を見たことないのか?」
ラールジャがおかしそうに苦笑する。
「な!? 馬鹿を言うな。 ここの神族は女神様だぞ! それに神様はお前のような恰好はしていない」
「その女神にお客人だ。俺が会いに来たとな。秘密の用事なんだよ」
ラールジャは目を光らせて周囲へと威圧を放った。
――ゾワッ
全身に鳥肌が立つ。警備兵の身体を不気味な波動が通り抜けていく。
「ほ……ほんとうに神様……? ゆ、許してください……」
あまりに驚いたのか警備兵は崩れ落ちてしまった。
男は呆然としている男を見て不快そうに「おう、入るぜ」といい白光閣の敷地に入っていった。
「まあ、死神だけどな」
そうニヤリと笑いつぶやいたが警備兵には聞こえていないようだった。
神に従っておけば安定した人生をおくれる。
従わぬ者は殺され、それに連なる者は罪人として扱われる。
警備兵は神に歯向かった者として死罪になる。
神族への恐怖、死罪への恐怖で崩れ落ちてしまうのも当然であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――ゾワッ
「ッ!? 一体何……」
ベッドの中で眠りについていた女があまりの不快な気配で目が冷めた。
彼女はエヴィア。ビーバルを中心とした地域を支配している神族である。
この街には彼女に縁ある百以上の天族の家がある。彼女はこのビーバルの女王のような存在であった。
寝起きでぐしゃぐしゃになった白くやや桃色に輝く髪。まだ少女でも通じるあどけない容姿を持つ女。彼女の成長はそこで止まっている。
もう何年生きてきたかも覚えていない。エヴィアは永遠に生きる神族として敬われて幸せに生きてきた。
愛する人たちと別れる事もあった。それでも彼らとの間の子どもたち、子孫たちは彼女に笑顔を向けてくれた。
だがそれも思い出になっていく。それももう慣れた。そういう時はまた恋人を作り、子供を作った。
その子たちがまたエヴィアを愛してくれる。怖いことはもはや無かった。領地に問題が起きたらその子たちが対処してくれる。
そうしているうちにかつて気高い志を胸にこの地に降りた神族エヴィアは何もしなくなっていた。
彼女は長らく感じる事がなかった恐怖を間近に感じ取ったのだ。
すると天族の側近がドアを開け駆け寄り、しゃがみ頭を下げる。
「エヴィア様! 神族を名乗る御方が当館を訪ねてまいりました」
「え? 本当に? そんな予定があったかな……」
突然の同胞の来訪に久々に驚いたエヴィアの丸い目が大きく開かれた。
――同じ神族とはいえ待たせるのは良くない。急いで迎えないと。
エフィアの眠気は既に吹き飛んでいた。
「エヴィアは着替えをするからメイドたちを呼んで。それまで応接間でその方の対応をお願い、お掃除はしているのかな」
「はっ!」
側近が下がり、「失礼いたします」人間のメイド達が入ってきて身だしなみを整え始める。
――こんな時間に何なのかなあ
滅多に感じる事のない不安な気持ちが不思議と彼女には新鮮だった。
ドォォォォン! バキィ!
白光閣全体が揺れて、何かが破壊された音がした。
メイド達は初めての出来事に恐怖で怯えている。
エヴィア自身も何が起きているのか把握できない。しかし彼女には思い当たる事があった。
――きっと誰かが同胞を怒らせたに違いない。
「うああああ!!!」
ドゴォオン!
再び破壊音が響く。今度は叫び声も一緒だ。
――あの声はうちの兵士だろうか? 面倒なことをしてくれたな。
エヴィアは部下の不始末に呆れた。自分が謝罪をしなくてはいけないからだ。
急いで化粧を終えさせて、そして応接間へと向かおうとすると自室のドアが吹き飛んだ。
「よう! お前が神族か?」
そこに現れたのは黒いローブを着て巨大な禍々しい槍のようなものを持つ大男の姿だった。
彼はエヴィアに手を振っていた。メイドたちはあまりの恐怖で声も出ない。
「エヴィア様!! お逃げください!」
兵たちが男の背後から剣で斬りかかるが――虚空に紫の分厚い光の帯が現れた。
横一閃。男が槍を振ったのだ。「話の邪魔だ」兵の身体が二つになり上半身が後ろに崩れ落ちる。
「ありゃ? 軽くしたつもりだったんだがな」
エヴィアは驚愕したが顔には出さない。別に怒ったわけでもない。
――ここの兵たちはこの街の人間の中でも特に武に秀でた者だった。それを一撃で。
彼女は神族ではあるがそのままの姿では武力はさほど天人とは変わらない。
「部下が失礼をしたね。それで用事とは? あなたと会ったことある?」
「いいや。初対面だ。へえ、結構見た目はいい女だな」
男はエヴィアを品定めするような目で見つめている。
――求婚の類かな? 容姿を褒められるのは慣れているけど神族に言われたことはないから……
神族同士の結婚は無いわけではない。ただ永遠を生きる彼らにはその期間はやがて飽きて終わる物なのだ。
――そういえば神族と結婚した事はなかったな……暇つぶしには良さそうかも
彼女は突然な桃色な出来事に期待で胸を躍らせた。
「ありがとう。あなたの目的はこのエヴィアかな?」
エヴィアは上目遣いで男を見上げる。
大男は結構整った顔をしているように見えるがフードでよく見えない。
「エヴィア? たしかお前はそう呼ばれていたな。俺の名はラールジャだ。そうだな。お前が狙いだよ」
男はそう名乗ると近づいてきた。「キャアア!」メイド達が恐怖で後ずさる。
「ラールジャ、エヴィアを抱くのは構わないけどこの子達が怖がってる。少し時間を貰えない?」
エヴィアはメイドたちを見て苦笑いする。
そしてベッドに座った。艶っぽい瞳を阿修羅に向け彼が来るのを待つ。
ラールジャはそれを見てキョトンとした。そして笑いだした。
「抱くだあ? 今の状況わかってるのかお前?」
苦笑したラールジャはエヴィアに武器を向けてきた。
「え? 何をするつもり?」
エヴィアは本当に困惑していた。彼がここで何をするつもりなのかさっぱりわからない。
――エヴィアをさらうつもり? それはそれで面白そうな気がするけど強引だなあ。
「お前を殺しに来たんだぞ」
「あははははは、あなた面白い事言うね!」
エヴィアはかつて誰にも言われた事のない冗談に大笑いした。
エヴィアは死なないのだ。死ぬこともできない。身体が切断されても一瞬で再生する。
ラールジャによる殺害宣言を聞きメイド達が叫び声をあげる。
――こいつらの方がまともだな。
ラールジャは本気でそう思った。
「わかった! そういう被虐的な嗜好が好きなんだね? 痛い演技できるかなあ」
「何いってんだお前」
さすがにラールジャの顔が引きつる。
ラールジャはこの女が心底気持ち悪いと思った。
でも抵抗しないから楽だと思った。
エヴィアはこれからどんな酷いことをされるのかワクワクしている。
口の形がvの字になり、目は好奇心で輝いている。
「じゃあな変態」
「え?」
紫の光が横に一閃。
次の瞬間、エヴィアの首は宙を舞っていた。
胴体から血が吹き出し、彼女のドレスを汚す。
メイド達が物凄い悲鳴をあげた。
そして床に落ちた首が回復しない事で更に絶望した。鮮血が水たまりのように広がっていく。
ラールジャはエヴィアだったものの完全な機能停止を確認すると方天戟を手にしたまま、白光閣に駆けつけた天兵たちの方へと歩いていった。
「フン、このままだとあいつが想像した『暗殺者』だからな。お前らの相手をしてやるよ!」
この日はじめてこの世界の神に、死が訪れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
丸メガネの男は冥府で空中に浮かぶ世界の様子を見ていた。
そしてその瞬間を見た。
「さすがだぁ! 仕事が早いねえ!」
ラールジャの戦果に大拍手である。その姿はまるでスポーツの実況中継を見ているようだ。
「何もおかしな事ではない。異常だった者が通常に戻ったそれだけだよね」
ニッコリと笑い、そして目の前に現れた炎を掴んだ。
そして愛しそうに顔を近づけて話しかける。
「おかえり冥界へ。 遅かったねえ。さあて、君はこれから裁判を受けてもらわないとねえ」
そして男の周りの空間が歪み姿を消した。