3話
神族が直接統治する領土。それを『神領』という。
神領を統治する神を頂点に、多数の天人族という貴族階級によって支配されている。
人間の王国にも王や貴族は存在する。彼らは広い人間領を統治する事を許可されているが天人族が最優先なのは変わらない。
巨大な王国を支配する者たちが領土の中に存在する都市国家に怯えているのがこの世界なのだ。
天領という独自の世界では誰からも咎められる事無く天族が人間族を好きにできる。
この街に住む人間は、神の所有物であり、無償の奉仕者であり、吠えることも無い従順な奴隷であった。
しかし彼らはまだ幸運である。神領は基本的に城壁で囲まれた首都しか栄えていない。
なぜなら神領とは首都の天族を満足させる為の領土。首都の城外は神族が直接見ることもないような罪人たちが暮らしている。
それが神領ではアタリマエだった。
石作りの街並みが並ぶ都市。
ただ石作りと言っても古いというわけではない。
建物には白く美しい化粧石が貼られ、その都市は夜であるというのに闇に飲まれてはいない。
天上の技術である無夜灯が街灯や店舗の照明として設置されている為だ。
この街は『ビバール』という。とある『神領』の首都にあたる街だ。
ビバール上空に黒いローブの男が浮かんでいた。ラールジャである。
その姿は夜空の闇に溶けている。ラールジャは街を見下ろし睨みつけていた。
――この街は城郭があるな……まあいきなり当たりとは思わんが……
そしてラールジャの姿が夜空から消えた。
ラールジャは一瞬で暗い裏路地へと降り立っていた。裏路地は異常なぐらい明るい表通りと対象的に人の姿は見えない。排水の流れる音がするぐらいで静まりかえっている。
この街で夜に出歩くのは天人族、天人族向けの店員ぐらいである。
天領に住む人間たちにとって夜は睡眠の時間であった。
――目撃はされなかったか。
ラールジャが裏路地を歩く、木くずや調理した後であろう生ゴミ等が散乱している。清潔とは言い難い環境だ。
ふと腐臭が漂い、さすがの彼も顔をしかめる。彼が腐臭がする方向に目を向けると息絶えた老婆が転がっていた。
――腐敗具合を見る限り死んだばかりじゃあねえな。腹に刺し傷がある。
それは人が行き交う路地にありながら、誰もがその死を無視しているような死骸であった。
――ここの住民はこの人間を殺した相手に対しての恐れがあるみてえだな。
「おい、その死体から離れろ、そして失せろ」
ラールジャに声をかけるものがいた。
彼が振り返ってみるとそこにいたのは薄汚れた服を着た中年ぐらいの男が睨みつけていた。
「この死体はお前の縁者か?」
「……馬鹿なことを言うな! そいつは死罪人だ。縁があれば罪人へと落とされる。それぐらいここに住んでいたらわかってるだろ」
「俺は観光客でな。そういうのには疎いんだ。悪かったな」
ラールジャはそう言うと死体から離れた。そして改めて男と向き合う。
「ああ、それでいい。観光客とは何だ? お前、ビバールの者じゃないな」
「ちっ、通じねえか。お前の忠告を聞いてやったんだ。答える必要はねえな」
ラールジャがやれやれと男を見る。男はこのフードの大男が自分たちと異なる場所から来た余所者であると察したようだ。前以上に警戒している。
「目的が何か知らんがここは上に逆らっては生きてはいけない」
「上というと貴族か何かか?」
男が何を言っているのだという顔でラールジャを見つめる。
「ここに来るまで見てきたはずだ。神領だぞ、ここは神様が住まう都だ」
「フン、やっぱりここに神がいるのか」
笑みを浮かべるラールジャ。男はこの大男がそれも知らずになぜこの街にいるのかわからない。
すると物陰でコトリと音がした。何者かがこの会話を聞いている。
ラールジャが鋭い視線を暗闇に向ける
「――誰だ。話を盗み聞きか?」
「えっ? ち、違う」
物陰から小さい人影が現れた。
それは幼い人間の子供だった。
衣服は清潔とは言えず、髪もボサボサである。
「とっ、父ちゃん…… その人だれ?」
「レア! ついて来ていたのか……」
「父ちゃん……婆ちゃんの所に行っていたんでしょ……一緒に行きたかった」
「……違う。お前は帰ってろ」
レアの父がラールジャから目を逸らし、そして近付こうとしたレアを追い払おうとした。
それをラールジャが遮って止める。何をする? レアの父はそう言いたげにラールジャを睨んだ。
「アレはお前の母親のようだな。どうしてああなった。」
「………俺たちは関係ない、赤の他人だ」
「父ちゃん! 何でそんな事をいうの!?」
「黙っていろレア……おいあんた……小さい子供のいう事だからな……もういいだろう行ってくれ」
レアの父はラールジャを凝視している。それは早く行動に移せという目だ。
しかしラールジャは去ろうとしなかった。
「……おい。レアといったな」
「な、何?」
「お前は神を見たことあるか?」
「神さま……? 無いよ? いやな天人は毎日見ているけどね……本当に神さまっているのかな」
レアが悲しそうな顔で俯く。神の凄さを毎日のように天人が褒め称えるのを聞いている。
しかしその輝かしい神の力は日々の生活が良くなるわけではない。
家族は人間向けの日用品を売っていた。そういう店に興味本位でやってくる天人がいる。
天人に近づいてはいけない。母はいなくなり、祖母も殺された。
神の輝きは自分に届いていない。そんな気持ちで暮らしているのだ。
「レアッ!!」
「んぐっ」
慌ててレアの父がレアの口を塞いだ。その顔は真っ青である。
そしてラールジャにひざまずいた。
「頼む、今の言葉は天兵には言わないでくれ……! まだ小さい子供なんだ!」
「フン、大人よりは素直に物事を言うから信用できそうだがな、おいレア」
「……何?」
「お前は婆ちゃんを殺すような嫌な天人はこの街からいなくなって欲しいか?」
「うん!」
「いいだろう。俺が叶えてやる」
ラールジャは簡潔なレアの答えに満足したのか見て腕を組み「フン」と笑った。
――宣戦布告の大義名分は手に入れたわけだ。良かったな。お前の言う悪い神たちがいるらしいぞ
ラールジャは一緒にこの世界に来た青年の事を思い出していた。彼の名前を尋ねるのを忘れていた事を今更ながら思い出し苦笑した。
レアはこの大男の言っている意味がわからなかった。
いや、あまりに現実離れしている言葉にポカンとしていていた。
ラールジャは固まっているレアの父の肩を叩く。
「それで神の住処はどこだ?」
「あんた何を言って……この街で一番大きな館だ……天人たちに逆らうのか? 死ぬぞ」
「ああ? 俺を誰だと思っている、俺はアスラ族だぞ」
邪悪な笑顔でそう言い残すとラールジャは跳躍して屋根に登った。あっという間に闇の中に消えた。
二人はその人間離れした力にあっけに取られていた。
――アスラ族……あいつ人間族じゃないのか……?
レアの父はハッと気がつくと大男が去った方を見上げているレアを急いで家に連れて帰った。
ドアを閉める時に遠くに見える母の亡骸を見て「すまん……」と唇を噛み締めていた。