「はじまり」
青く澄み渡った空。
ただただ暑い初夏の日に僕たちは一人の女の人に出会った。
少しずつ町にビルが増え始めた頃、殆どの公園ではボールを使ってはいけなかった。その中で
「木下公園」はこの辺りに唯一残ったボールを使うことができる公園だった。それなりの広さで緑のフェンスに囲まれたこの公園でボクは一人、ボールとグラブを持って壁当てをしていた。
兄弟はいない。友達は少ない。野球はいつも一人だった。
ドン、ドン
少しした頃から隣で音がしているのに気づいた。
ふと見ると、隣にもう一人ボクと同じような男の子が壁当てをしている。周りに人影は見えない。
― 一人じゃないよね・・・―
男の子がこっちを見た。
どうやらじろじろと見てしまっていたようだ。ボクは慌てて前を向いてまた壁当てをする。男の子もまた壁当てを始める。
「一緒に野球しない?」
いきなりだった。ボクと男の子が振り返ると女の人が立っていた。
ボールとグラブとバットを持った高校生位の女の人。
「一緒に野球しない?」
「ボクと?」
「いいえ。三人で」
―三人―
ボクはそっと横を見る。
男の子と目が合った。
「壁当てしてるよりいいでしょ。」
「うん・・・」
満面の笑顔を向けられたせいで思わずたじろいで声が出てしまった。
「じゃぁ君がピッチャーね。」
そういって、ちゃんと返事もしていないのにいきなりボールをボクに渡す。握ってみると違和感がある。
掌の中で回すとイチョウの葉の刺繍が入っている。
変わったボールだ。
「君はバッターね。」
男の子にはそう言ってバットを渡す。よく見るとバットのグリップも黄色のようだ。
「よし。私は守備ね」と言ってお姉さんは少し下がった。とりあえず、ボクと男の子は首をかしげながら距離をとってみる事にした。
「いくよー。」
ボクはボールを投げた。男の子がバットを振る。ボールは右側に転がった。
そこにお姉さんが走りこんできてパッと捕り、ボクに軽く投げ返した。
またボクが投げる。今度は高く打ち上げてまたお姉さんが捕った。
―いつの間にあんな後ろまで走っていたんだろう―
何球か後、ボクがバッター、お姉さんがピッチャー、男の子が守備になった。
お姉さんが投げた。ボクがバットを振る。
しかし、バットは空を切りボールは後ろのフェンスに当たった。
もう一度振るが
ガンッとボールはまたフェンスに当たった。
「はぁ。」
―当たりもしない―
ボクが落ち込んでいるとお姉さんが突然近付いてきた。
「ほぃ、バット持って、構える」
とボクの横に立つ。
「足はもう少し開く。ここはもっと伸ばして。
ほら、力は抜く。」
とボクの体を動かして構えをつくり離れていった。
「いくよー。」
お姉さんがボールを投げる。
「うわぁ」
ボクが慌ててバットを振る。
―当たった―
当たったと言うより掠った程度だったがそれでも初めての感触が手に伝わる。
次のボールは高く打ちあがった。男の子が落下点で構える。当たり前のように真下のグラブに吸い込まれるだろうと思ったそのボールは意外にも地上に落下していた。男の子のミスだろうがそれでも少しうれしかった。
その五球後、ボールはまた高く上がった。落下点で構える。しかし今度も男の子は落してしまった。
ボクが次に備えて構えるとお姉さんは開いた右手でボクを制した。
そして男の子に近付いて行く。
「いい?ボールをまずはよく見て。無理に捕りに行くんじゃなくて待っててあげて。慣れてきたら捕りに行っても大丈夫だから。」
そのような言葉を掛けつつお姉さんが真上に軽くボールを投げあげて何か練習をしていた。
それから、また打ち上がったボールが行ったが今度は危ういながらも捕ることができていた。
何球か後、僕が守備、お姉さんがバッター、男の子がピッチャーになった。
―グローブにもイチョウの刺繍だ。どこかのメーカーかな―
「ボールいったよー。」
「うわ」
考え事が吹っ飛んでしまうほどにお姉さんはすごかった。
カーン
ボールはどこまでも飛んで行った。
楽しかった。
男の子も笑っていた。
五時のチャイムが鳴った。
「もうこんな時間?ほら子供は帰る時間よ。」
お姉さんが言った。空がオレンジ色だ。
ボクと男の子は帰ることにした。
話しながら帰った。男の子はボクと同い年だった。
「木塚 シュン」と言った。
次の日も、その次の日もボクとシュンは公園に通い続けた。
お姉さんはいつも野球をしてくれた。色んなことを教えてくれた。
また、お姉さんは他の男の子にも女の子にも声をかけた。
「人数が多いほうが楽しいじゃない。」
野球は賑やかになっていった。
四人になってキャッチャーをするようになった。五人になって守備が増えた。
まだまだ人数は増えた。
「よし。三角ベースをしよう。」
そう言ってお姉さんはベースを一つ減らした野球の遊び方も教えてくれた。
ベースを書いてゲームができるようになった。
ボクは楽しかった。
打つことも、投げることも、時には落としてしまうことも楽しかった。ゲームをして勝負することも楽しかった。
たくさんの友達もできた。
足が誰より早いコウヘイ君。守備が一番にうまいリカちゃん。シュンはすごくボールが速かった。本当に毎日が楽しかった。
そんなある日。いつものように練習をしようと公園にみんなが集まっていた時だった。
「みんなー」
突然、ユウ君が走ってきた。
「どうしたの?慌てて」
「それが・・・。この公園がなくなるらしいんだ。」
「えっ」
どうやらユウ君はお母さんから聞いてきたらしい。その後に他の大人にも聞いて回ってきたのだと言った。
そう言われてみれば薄い色の繋ぎの服を着た大人を最近はよく見ていた気がする。
「そんな」
ボクはなんだか泣きたくなってきた。
「あら、どうしたの?」
そこにお姉さんがいつものように現れた。
「あの。えっと」ボクは困った。言葉がうまく出てこない。
「この公園」シュンが引き受けてくれた。
「なくなっちゃうって。」
ストッ・・・
お姉さんの手から銀杏のグラブが落ちた。
「・・・そっか。」
お姉さんがグラブを拾う。顔をあげる。
「野球やろう。」
笑っていた。




