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「硬煌玄斎沙猛庵霊舞光線!!!」
虚しく空を切る声と一瞬の沈黙、込み上げる虚しさに田中博久の顔面は齢70を超えた。
博久の実年齢は21歳、職業は学生、いや学生だった。生い立ちはとある田舎のとある貧相な家に無慈悲な期待を背負って一人っ子として生まれた。小中学は真面目に勉学に励みそれなりの成績を維持していたが、何を血迷ったのか高校では色恋に実りのない男子校に入学して自ら修羅の道を行った。正に外道であり、本能の道を大きく外れていたことは言うまでもない。
転機は大学受験である。度重なるストレスと現実逃避の成れの果てに彼は俗世の欲から外れた我こそが日本を牽引するべき現代のモーゼというべき存在なのだと曲解釈、否、妄想してしまっていた。その背景には中途半端な学力と環境の為の拠り所のない精神世界が原因であったのだと考えられた。
しかし神は預言者であった筈の彼を見放し、代わりに落第という愛くるしい試練をプレゼントした。
結果、博久はグレた。
これまで日課にしていた夕食後の皿洗いの放棄という細やかな反抗から始まり、遂には親が泣けなしの金で通わせてくれた予備校をサボるにまで到り、なんとも不良というよりは微妙な親不孝者という感じの無価値風男に成り下がった。
結局大学は上位国立落ちの受け皿で有名な某低俗大学に入学し、多少いる女をモチベーションに勉学への回帰を心に決めたのだった。
それから3年が過ぎ、博久は留年と孤独の狭間で又してもグレた。
女が出来ないからである。他にも単位を湯水の如く落とし、留年秒読み、年の差ボッチ継続と言った要素も有ったが、そんな物は博久にとってさして大したことでは無かった。女の問題は男の問題、男子校ではち切れん程溜まった男の欲が爆発したのである。
そして彼は日本の人口減少を引き合いに出し、性の有用性を説法を始めた。その相手は自分である。己が欲を肯定し来たるべきユートピアの顕現に向けて堂々と準備をしていたのだ。しかし、どんなに力説しようとも既に灰色と化していた彼の学生としての生活に再び、いや、一度も光が射すことはなかった。万年DTが関の山、、、悲しい奴である。
そんな博久の唯一のまともな趣味が小説を読むことであった。特に異世界ものが好きで主人公に自分を投影して妄想の世界を楽しんだ。あくまで主人公の無双する姿が至高であったので、理不尽に合う系の小説に興味はなく、冒頭3行でそれを読み取り、即切りをするスキルまで身につける程であった。これも単なる現実逃避に他ならないのだが本人に言ったところで暖簾に腕押しである。
ある梅雨明けの日、初夏が顔を出しリア充が活動を始める頃、博久はあいも変わらず小説を読みふけっていた。その日読んでいた小説は大学付属の、明治時代から創業する歴史ある図書館で偶然見つけた、掘り出し物のファンタジー小説であった。
表紙は色あせたのか元々の色なのか、他人の垢か、焦げ茶の、年代ものを匂わせる容姿をしていた。裏のページにはその本が出版された年代が彫られており、著者の名前は擦れて見えなくなっていた。中身は今では使われていないであろうフォントで、鑑定団に出せば中々の価値をつけて貰えるのではないかと思えるレトロな紙質であった。
博久はハイファンタジーの原点を発見したことに恍惚の(見るに耐えない)表情を浮かべていた。
しかし、読み進めるとある違和感を感じた。それはエルフや龍族などの今ではマンネリ化してしまったキャラクター達が、百年も前の、もしかしたらそれより前に書かれた小説に当然の様に登場していたことである。
『ひょっとしたら相当なお宝を見つけてしまったのではないか?!』
予期せぬ出会いに高揚し続きを読み進めていくと、文章が途中で途切れ、白紙のページへと行き着いた。
物語は人間と他種族が混生する剣と魔力の世界で、劣等種として見下されていた人間の地位奪還の為奮闘する主人公の孤独な戦いを描いた戦記であった。
白紙のページは丁度、主人公が深い傷を負い、夢半ばで倒れ、存在しない何者かに人間種の再盛を託したページで終わっていた。悲劇としてはある意味完結しているとも解釈出来るが、博久はその続きが気になって仕方が無かった。
博久の悲劇は次の瞬間、意識の途切れ、そして気づけば見知らぬ土地に1人取り残されていたのである。
ボッチの豆知識
『ボッチと陽キャは紙一重』って言うとどちらからも顰蹙を買うことができます。