作者の! 心が読んでしまう『詩』コーナー
俺と! くろの! 他の作品にすがって生きて行こうのコーナーが・・今回はお休みです。代わって作者たる私の思ったことをだべりたいと思います。
『詩』って、書いた作者の方はその背景や情景を思い浮かべられるだろうけど、読者にはちょっときつい。だって詩って地の文がないから。
もしも地の文 (説明文)が書いてあったらそれはもう『詩』じゃなくて私小説だ。しかも詩って大抵抽象的で装飾文のオンパレードである。
という事で一発で理解できなかった『詩』は解析する事になる。
詩を解析って、どんだけ冷めているんだ、私は・・。でも詩人の世界観が、語りたい事が、訴えたい事が判らないんだもん。じっくり読み解くしかないじゃん。
勿論、これは素人さん作品の場合です。本物の書いた『詩』は凄まじい。理解できる出来ないなんて関係ないです。読んだだけで自分では見たこともないはずの情景が頭に浮かんできます。絶対あれは視覚的魔術が施されています。文字によるサブリミナ効果ですね。
まぁ、だからと言って素人の詩は駄目かと言うとそんな事はありません。何言ってるか判らないことも多々ありますけど、人の心の内なんてそうそう理解できるものではありません。逆に出来たらちょっと嫌ですね。うわっ、この人私と同じかもしれないと思うとちょっと引きます。
勿論、詩にも書き方みたいなものはあるんでしょう。なんせ伝える為に文字を、言葉を使っていますからね。でも、詩で誤字脱字をやらかしたら、その恥ずかしさは小説の比ではありません。もう、それだけで愛を疑われます。特にキーボードで打ち込む人は要注意です。まぁ、このサイトには詩を進んで読む方は少ないでしょうからそれ程、恥さらしの被害は拡散しないでしょうけど。
詩って結構歴史があります。外国にだって勿論あります。外国の詩を翻訳される方ってすごいですよね。だって、『詩』ですよ?その言葉の意味の裏の裏まで知って日本語に直さなきゃならないんですもの。日本語で書かれていても難しいのに大したものです。
翻訳と言えば、外国の歌も大変でしょうね。メロディと歌声は感動的に素敵なのに翻訳された歌詞はなんかイマイチってことがよくあります。いえ、本当に日本語に訳すとその言葉なんでしょうけど、日本語の表現と外国語での表現方法の差が違和感を覚える原因なんだと思っています。
そうゆう点では、やっぱり日本語の歌っていいですね。何たって意味が判りますもん。でも早口すぎて何言ってるのか聞き取れない歌もあります。あれを聞き取れるのは少年、少女だけでしょう。年寄りは耳のセンサーが反応してくれません。
あっ、今笑ったあなた!あなただってなるんですからね!特にイヤホンで大音量を聴き続けた人は危ないらしいですよ。
さて、詩の話に戻します。この投稿サイトには敢えて詩を書きたいと思っている作者の方は少ないと思います。だって小説という別の表現方法があるのですから。わざわざ難しい表現方法に手をつける意味がありません。
短くて済むから書いてみようかなと思っている方がいらっしゃったら警告します。絶対後悔しますよ。もう、そんなのは中学生時代に経験しているでしょう?えっ、今が現役?あらら、それは失礼。がんばって書いてね!
や~っ、10年後が楽しみだ。
-お後がよろしいようで。-




