作者の! 底辺の定義というエッセイを読んでコーナー
俺と! くろの! 他の作品にすがって生きて行こうのコーナーが・・今回はお休みです。代わって作者たる私の思ったことをだべりたいと思います。
底辺って言葉は、中々読者からの反応がない作品を書いている方々が、自分の立ち位置を揶揄して呟いたものだと思う。その立ち位置とは当然投稿サイト内に限定される。そしてそこには階層という概念が下地にあるはずだ。所謂ピラミット型のヒエラルギーだね。一番上が頂点。そして下に行くほど下位で且つ人数も多い。そのピラミッドの一番下にあたる部分が底辺だ。
このピラミッドが2段で出来ていたら分類は簡単だ。頂点と底辺である。でもその段数の基準を評価等の数値で考え出すと境があやふやになる。だって上は数万で下はゼロだからね。
数万段のピラミッドを分類するのは難しい。でも敢えてするならまず半分の高さで上下に分けると楽かも知れない。仮に頂点を6万とするなら3万と3万1の間が区分点だ。
でもこの分け方は実状に即していないと感じるだろう。だって評価点が3万の人だよ?全然底辺じゃないよね?これは数値のマジックだ。頂点の数値が飛びぬけているとこうなる。
では評価点値の半分ではなく投稿人数、または作品数の半分を割り出し、その数値を区分分けの境にしてはどうか?
例えば作品数60万なら30万が半分だ。そして頂点から1段ごとの作品数を数えていき30万作になったところを区分点とする。これだと区分点はかなり下の方に移るはずだ。何たって上位作品は数が少なく下に行くほど多くなるからね。
でもこの方法だといちいち数を調べなくてはならなくなる。しかも変動するんだ。まぁその変動値は微々足るものだろうけど。でも指針にはなるよね。一度調べれば当分使えるし。でも調べられないから無理か。なんせ60万だからな。運営側ならデータを持っているだろうけど私には無理だ。やろうと思えばデータは拾えるがそこまでやる気力は無い。
という事で評価数値による区分は明確には出来ない事になった。でも『底辺』という言葉は使われている。ではその根拠は何なのか?まぁ、ざっくり言って感覚に大きく依存しているのだろう。まず投稿後1ケ月経って、評価もブクマもゼロの作品は底辺作品と胸を張って言えるはずだ。PVも一桁なら完璧である。ではブクマが1つ付いた作品は?う~んっ、ちょっと底辺?ブクマが付いた以上底辺は名乗れない気がするんだが・・。でもみなさんは同じだよと言うかもしれない。
でもその判断も評価点が上がるにつれて即断しずらくなる。その妥協点が100なのかも知れない。感覚的に桁が2桁から3桁になるしね。でもこれだって人それぞれだ。ブクマが100になったからと言ってその作者は「ああっ、俺もとうとう底辺を脱出したな。」とは思わないだろう。99の人は「後1つっ!後1つで底辺脱出なんだっ!誰かブクマを付けてくれぇ~!」とは考えないはずだ。
その根底にあるのは『目くそ、鼻くそ』という、どっちもどっちという感覚だろう。彼らが目指しているのは頂点だ。常に目線は上を向いているのである。さすがにブクマ数が4桁の作家さんは自分を底辺とは言えないだろうが、気持ち的にはまだまだと思っているはずである。何たって目指すのは頂点だからね。この感情はブクマ数が100の人たちより強いかもしれない。だってもう少しで手が届くかも知れないんだから。
という事で『底辺』という言葉は人それぞれだと思うんです。自傷的に使う人もいれば、相手を侮蔑するのに使う人もいるでしょう。だから定義する事自体が意味のない事なんじゃないかなと、あるエッセイを読んで思いました。
でもここの人たちってランクとかレベルって言葉や概念が大好きだから、きちっと定義してあげると逆に喜ぶかもしれません。「いや~、やっとレベルゼロから1になれたよ。」とか「俺は既にレベル1000だ。もう雑魚モンスターは相手に出来ないな。」とかね。
悪くないでしょう?なんか冒険者になった気分になりませんか?
-お後がよろしいようで。-




