作者の! 責任を伴わない願望コーナー
俺と! くろの! 他の作品にすがって生きて行こうのコーナーが・・今回はお休みです。代わって作者たる私の思ったことをだべりたいと思います。
続きが書かれなくなった作品の再開を望む声がある。理由はその作品がとても面白いからだそうだ。これは一見もっともな要望のように聞こえるが、天邪鬼に捉えると面白くない作品は別に書かなくてもいいよと言っているようにも取れる。・・取れない?そんな考えは私だけ?
まぁいい、どちらにしろプロの作品でさえ続きが出版されなかった事はままある。執筆の停止などこの投稿サイトに限った現象ではないのだ。しかし、読者側の再開要望はちょっと我侭にも思える。穿った見方をするならば『私の為に書けっ!』と言っているようにも取れる。いや、心根の優しい読者の方々がこんな言い方はすまい。多分『私たちの為に書き続けてください。』と上目遣いに懇願するのであろう。
ここ、『私たち』と言うところがポイントです。云わば個人の要望ではなく、居るかどうか判らない多数の意見なんだと話を大きくして脅しています。国会議員がよくやる手です。
『多くの国民が望んでいるんですよっ!』
はい、あの人たちにとって『多くの』というフレーズは二人以上の事です。決して国民の過半数などという大それた数字の事ではありません。もっとも、この言い方をするのは彼らだけではありませんけどね。民主主義においては数こそがチカラです。いや、共産主義ですらこの技法は使っていましたね。レーニンの所属派閥である『ボリシェヴィキ』は多数派と意味らしいですし。
さて書かれなくなった作品を惜しむ気持ちは理解できますが、残念ながらその感情は長続きしないでしょう。多分来年には忘れています。酷い人は次の月には気にも留めていないでしょう。ペットを亡くした人には新しいペットを与えよと言う理屈と同じです。別のもっと面白い作品を見つけたら、書かれなくなった作品の事なんか思い出しもしませんよ。
でも彼らには明日より今日。つまり今が大事なんでしょう。今が楽しければいいっ!この楽しみを妨害する者は例え作者であろうとも悪であると。他のモチベーションを維持している作家さんたちを例に挙げて、あんたもがんばんなさいよとけし掛ける。その元となる動機は自分が楽しみたいだけなんでしょうけど。
ちょっと辛らつに言っちゃいましたけど、これって普通ですからあまり気にしてはいけません。人気グループの解散時に『辞めないでっ!』って叫んでCDを買い漁る現象だって普通です。確かに新曲はもう出ないでしょうけど、あのグループって十分な数の歌を残してくれてますよね。
歌だけならCDで何時でも聞けるでしょうし、アイドルたちが消えていなくなる訳でもない。だけど叫ばずにはいられない。だってそれが普通だから。普通なんだけどやり過ぎると後で後悔するはずです。でもそれが恥ずかしいからなんやかやと理由をひねり出して自分の行為を正当化しようとする。これも普通ですね。
人の願望はきりがありません。そしてこの投稿サイトも自由過ぎて地雷がいっぱいです。一旦読んでしまった『言葉』は忘れたくても消えない事が多いです。だから反論してしまう。でもここでいい方法を教えましょう。それは上書きです。自分の嗜好に合った作品を読めばあら不思議。あんなに悩んでいた事がきれいさっぱり頭から抜け落ちますから。
でもそんな作品を見つけられる事はあんまりないんですけどね。私も見つけようとして新たな地雷を踏んづける毎日です。
-お後がよろしいようで。-




