つよいひと
「大変お待たせいたしました。」
年末の繁忙期の忙しさなのか、苛立ちと上品さを含ませた声がまつりの顔をぐいと正面へと向けさせた。
バーゲンセールの長いレジに待ちくたびれて、スマホのフォトライブラリから過去に友人と撮影した画像をぼんやりと眺めていたところだった。
(ああ。わたし、今百貨店にいたのか。)
あまりにも待ち時間が長かったせいで、現実逃避で意識が今年の2月くらいまで飛んでいた。
「すみません、カード一括で」
「かしこまりました。ご自宅用でしょうか?」
「はい、そうです。」
20代後半に見える同い年くらいの店員は、一礼すると目も合わさずに受け取ったストールをすぐさま会計処理へと進めた。
まつりは、そのぶっきらぼうな対応も気にせず、バッグから1本のペンを取り出した。
自分のマイペン。持ち手は真っ赤な光沢のある艶っぽさを放っており、クリップは金色に輝いている。
クレジットカードの署名も、領収書の宛名を書くときも、「あー」が口癖の後輩くんにメモを書くときも、この「ペン」がまつりの必須アイテムだ。
レシートに署名を指示される前に、すぐにこのペンで書けるように、いつも準備している。
すると、先ほどまで会計処理で背中を向けていた店員が、こちらを振り向いてすこし頭をかしげた。
「失礼いたします。お客様。こちらの専用のペンでご署名をお願いいたします。」
「え?」
まつりは自分の必須アイテムを真顔の店員に拒絶されて、少し固まってしまった。
よく見ると、そこには電子版のメモパッドのような機械と、それと連動されているとわかる見慣れないペンがびったりと電子メモパッドのくぼみに収まっていた。
「フィットしてやがる」
「え?」真顔の店員はさらにお面のような顔に一本のシワをきざませてまつりの独り言に訝しげに反応した。
「あ、いえ、何でもありません。」
自分の手に一向にフィットしてくれない電子ペンで自分の名前を書いた。
電子版のメモパッドは、まつりが意図した文字とは全く違う方向性の字を画面上に表示した。
「ありがとうございます」店員は事務的にお辞儀をして、次の客に目線を移した。
紙袋をカウンターからガサッと下ろす。
なんだなんだ。どこもかしこも電子化し始めているのか。東京新宿の人混みの中をぬいながら、まつりはいつも自分が使っているペンが拒否されたことに対して感じた先ほどの違和感を何度も自分の中で反芻した。
そういえば、最近、モノにもインターネットが繋がって、その機械を使った人間のデータがどんどん会社に蓄積されていくとかいう得体の知れないシステムが、構築されているとかいう記事を立ち読みかなんかで読んだっけ。
「モノにインターネット?」
もしかしてさきほど書いた署名の字が汚すぎて、吉北まつりは頭のワルイ人間だとかあの、電子パッド開発メーカーに情報が蓄積されるのではないだろうか。
先日、取引先のカーディーラーの営業部長に「書いている字が頭悪そうだ」と説教されたばかりである。
あーこわい、こわい。まつりはあーだこーだ、年末の人混みの流れに負けないくらいの速さで、今年味わった仕事での苦い思い出を頭の中でぐるぐる回転させながら、目的地、「バーハビエル」へと入った。
「おう!まつり!早すぎるなあ!もうビール3杯飲んじゃったよ〜!」真っ赤な丸い顔がまつりの方を向いている。
「すみません、大倉さん。どうしても年末セールに欲しいストールがありまして、ちょっと寄り道しちゃいました。」
会って早々、すでに出来上がった大倉のテンションの高さに、まつりは少々引きながら、自分の腰よりも高いバーカウンターの席によじのぼった。
「どうしましょうねービデオ?」
人ごみの中を歩き疲れたまつりは、大倉に早速本題を持ち出した。
「ん?ああいうのはやっぱり、起承転結が大事なんかな〜」
「いや、映画作るわけではないので、ストーリー性はいらないかと・・・。」
「でもさ、最近の結婚式の余興やらサプライズ動画って凝ってるの多いよ〜」
友人、篠原・町田夫妻の結婚式を一ヶ月後に控えている。余興の幹事を任された篠原のバンドセッション仲間である大倉に、急遽動画撮影の案を一緒に考えて欲しいと、本日呼び出されたのである。年明けにくる仕事の忙しさと、一ヶ月後という締め切りに、果たして凝ったサプライズビデオを撮影することができるのだろうか。
「う〜ん。じゃあ、2人の馴れ初めをお面かぶって誰かがおもしろドラマっぽく演出するとかは?」
「い〜ね〜!それ!じゃあ、まつりちゃん、愛ちゃん役する〜?」
「これで決めちゃうの?早いなあ(笑)じゃあ、大倉さん、卓ちゃん役してくれますか?」
「ダメダメ!俺みたいなオッチャン!41歳がまつりちゃんと共演なんかしたら、体型の違いそれだけで会場沸いちゃう〜
オレ、そんな事で会場の空気、独り占めしたくない〜」
ウケ狙いで話しているのだろうか。特段おもしろくもなかったので、まつりは表情を変えずに、
「じゃあ、卓ちゃん役、大倉さんの友達で誰か紹介してください。」
「千源くんは?」
「は・・・」せんげんくん。
「いや、ダメです。」あからさまに今までの会話のテンポからズレてしまったまつりの反応に、大倉は目と眉の距離を離して
「ひょお!」とかよく分からぬ奇声を発した。正直うざい。
「なに〜!?もしかして、まつりちゃん、千源くんと何かあったのかよ〜ん」
あれ、大倉さんのこの反応、もしかして知らないのか。
千源くんは、ずっと片思いしていたのだ。
だからその配役はないのだ。
ずっと片思いしていた。卓ちゃんの花嫁のことを。なのに、恋の勝負に負けた相手役を演じるなんて。サプライズの演技だからって、皮肉にもほどがある。
「いえ・・・私は何かあったのその部外者なので、特に何もコメントできないんですが、だからこそ言います。サプライズの出演者は他の人にしましょう」
「ええ〜!年末なのに、年越してまで、このわだかまり持ち越すわけ〜!?言ってよー!何があったのー!」
41歳大倉のビール臭い息攻撃をなんとか交わそうと、ふいと前にあったグラスの水を飲むふりをして顔を背ける。
すると、カランコロ〜ンと、バーハビエルのドアがゆっくりと開いた。
「あ・・・遅くなってすみません。」
能面のように皮膚の色素が白くなった千源くんが、ペタッとそこに立って現れた。
「千源くん」
「おー!千源!今さっき、まつりとお前の話しで盛り上がってだんだよ〜!」
ジョッキからビールの泡を飛ばしながら、先ほどのテンションとは2回りほどあげて大倉は千源を迎えた。
千源は大倉のテンションの高さに圧倒されてしまい、気持ち1歩下がったようだ。
「え・・・なんですか。ボクの話?」
切れ長の細い目を若干泳がせて千源くんは少し戸惑った。
まつりはすかさず大倉に、ビールの泡、床にこぼしてますよ!と怒って話題を逸らさせた。
「千源くん、動画作成とか、アプリケーションに詳しいでしょ?だから早く来て欲しいなー!って大倉さんと話してたんだ!」
「ふふ、そんなことで。」幸薄そうな顔で笑うと千源くんはいよいよ儚さがクライマックスだ。今晩降る雪に溶かされるのではないか。
「そうだ、なんか注文しない?私も頼んでなかったんだ」
メニューを千源くんの方へと向ける。
「うむ・・・」奈良の仏壇屋育ちの千源くんは、発言や物腰にどこか田舎っぽさが抜けてない。
「わたし、生ビールで」
「いいですね、でも僕、ちょっと寒いんでホットミルクにします。」
「ああ〜ん?」と大倉がまたビール臭い息を吐きながら、千源くんを攻撃しようとしている。
「ちょっと、大倉さん。息臭いのに大きい声で話さないでください。」
「・・・すんません」
大倉が少しバツの悪そうな顔で下を向いた。
ハハハと、千源くんが笑った。
「ナイスコンビですね〜」
「ええ〜そうかな〜」まつりが苦笑いする。
「さっきから、おっちゃん、まつりちゃんに怒られっぱなしで」
「怒ってないですよ。大倉さん、今日の本題忘れて、飲むのに没頭しそうで怖いんですよ。」
「ふうむ。今晩はこれくらいにしておくか!マスター!代わりにウコンの力、持ってきてくれ〜!」と、大倉は席を立って、奥のほうにいたマスターの前まで移動した。
奥の方で、雑用をしていた白髪の70代くらいの老人が、ニコリと笑いながらこちらを見て頷いた。
ステキな笑顔だ。
まつりは、初めて見たバーテンダーのその笑顔に、心惹かれた。私に、あのいつも使っている赤いペンをくれた、今は亡きおばあちゃんの笑顔と重なった。
笑顔のお礼を言えないまつりは、
「マスター、メモか何か、ありませんか?すみません。」と尋ねた。
「メモか〜・・・ごめんね、今切らしてて、コースターならあるんだけど」
「コースターですか。メモにするには勿体無いしな」
「いいですよ、コースターをメモの代わりにするお客さん、結構いるんで。」
「そうですか、じゃあ、頂いてもいいですか?」
まつりは、3枚四角型のコースターを受け取り、赤いペンを取り出した。
すると、千源くんが、「お」と反応した。
「ん?どうしたの?」
「いや、ステキなペンだなあと思って。かわいいですね。」
「それがね、さっき百貨店でこれで字を書こうとしたら、別の専用の電子ペンをお使いくださいって店員さんに断られちゃって・・・」
「あ、そうだんだ。最近は、iPadとかもあるし、筆記用具を使う場面、減りましたもんね」
「うん、しかもそういうので書くとますます字が汚くしか書けなくて困ってるんだ〜」
「なるほど。人も物もだけどさ、相性が悪いと本来持ってる能力発揮できなくなりますよね〜。機械って危険ですよね(笑)そういうのに職場で触れている自分が言うなって話ですが」
千源くんが、マスターに出されたホットミルクを、寒そうにして口に運んだ。
アイショウ・・・
千源くんは、きっとずっと片思いしていた愛に対して、自分の良さや想いを存分にアピールできなかったに違いない。
伝えたい・・・でも、人間それぞれが持っているフィルターみたいなもんに「自分」が通してもらいえない事ってよくある。
なんだか切ないな・・・でも、千源くんは篠原夫妻を祝うために今にも溶けそうな笑顔を浮かべて今日のこの41歳のうるさいオジさんと、真面目て可愛くない私の企画会に律儀に参加してくれた。
笑ってる人ってつよいひとだな。
私も、マスターのように、おばあちゃんのように、千源くんのように、自分の大事なもの、拒絶されても笑える人であろう・・・
まつりはニッコリと目を細めて、千源くんと大倉さんにコースターを1枚ずつ渡した。
「面白いサプライズビデオの考案、1人1案ね。」