打ち上げ花火を君と見ることができない
この十分間のあいだで、君への気持ちを伝えなくてはならない。
それが、さっき自分へ課したノルマだ。
君は僕の横で膝を抱えて、あと数分後に始まる打ち上げ花火を待っている。今は「黒」しか目に映らないその空は間もなく、君の心を奪うカラフルなものへと変わるだろう。
「ぷぅ~ん」という蚊の飛ぶ音が耳にうるさい。君の太ももにとまってその血を吸っても許されるあいつが、僕は憎い。
「あと何分? 」ガラス玉のような瞳を潤ませて、君が僕に訊く。
花火なんて、始まらなければいい。二人して同じものを待つこの瞬間が永遠に続けばいいのにと、僕は自分へ課したノルマのことなど忘れ、そんなことを考えていた。
額に浮かんだ汗が手の甲に滴り落ち、我に返ってポケットの携帯電話で時間を確認した。
「もう、始まるよ」
そう言った瞬間、額の汗が一瞬にして、冷たいものへと変わった気がした。
……また、あいつがきた。
大事なときに必ずやってきて、全てを台無しにする、あいつ。
そいつの名は、「尿意」。
グランドフィナーレのスターマインが、迫力たっぷりの音を響かせている。
その音を、小便器と向かい合いながら聴いていた。
僕の尿が奏でる「ちょろちょろ」という音は、花火の音に情けなくかき消される。
「ごめん!!」と突然叫んで走り去る僕の背中に、君は何も言葉を返さなかった。
追うように響き始めた打ち上げ花火の音は、僕を攻める刃物のように背中に突き刺さった。
君はどんな気持ちで、空に描き出された色彩を見上げているんだろう。
同じ方向を見上げる人混みの中で、ひとりきりで、寂しくて、きっとこんな風に思うんだろう。「別の人と来ればよかった」。
僕は本当に不甲斐ない奴だ。
早く君の元へ戻らないとと思うのに、便所から足を踏み出したのは、会場を離れる客の流れが落ち着きを取り戻し始めてからだった。
君はもうとっくに帰ってしまったに違いない、と肩を落とす僕の視界のはしっこに、見覚えのある白い布地が飛び込んできた。白地に、金魚柄。これは、君の着ていた浴衣と同じ……。
「大きい方ですか、小さい方ですか」
抑えた高い声がそう言い、顔を上げると、君がほっぺたを膨らませて僕を睨んでいた。
僕は冴えない頭で、この状況を整理し始める。君は、帰らずに僕を待っていてくれた。でもそれは、一言文句を言ってやろうとしているだけなのかもしれない。でも、とにかく……謝らないと!!
「ほんとにごめん!!緊張したら、トイレが近くなっちゃって、昔からなんだ!!あ、小さい方しかしてないけど……って、そんなことはどうでもいいよね……とにかく、とにかく……君が隣にいると思うと、緊張して、ドキドキして……」
どもりつつ話し続ける僕の前で君は、袂から何かを取り出した。
「小さい方が、好きかも」
そう言って君は、僕の前に取り出したものをかざして見せた。それは、数本束になった、線香花火。
「一緒に、やろう」
驚いた僕の顔を見てニカッと笑った君の顔は、打ち上げ花火なんかよりずっとまぶしくて、まともに見ることなんかできそうにないけど、今度こそノルマを達成するよ。
とりあえず、一緒に、コンビニにマッチを買いに行こう。
(了)