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私の、小さいけれど大きな過去

作者: メラルー

ふと、自らのトラウマを吐き出したくなったので、唐突に書いてみたくなった。

まぁ、トラウマと言っても、多くの人がきっと体験している話だけども。



一つ。私の親は、物心つく前から仲が悪かった。

三人兄弟の末娘である私は、いつも家族の怒鳴り声が怖くて堪らなかった。家族全員での旅行という体験もなく、首を締め合い殺し合おうとする親を見て、『自分が産まれたからこうなったんだ』とずっと思っていた。

自然と、いつ親が衝突するのだろうかと気を配りながら、同じ境遇にいて、歳が離れている二人の優秀な兄に依存するようになってしまった。



二つ。友達との仲が歪であった。

私の中学は綺麗にカースト制度が出来上がっていた。田舎ということもあり、より、それが強かったように感じた。私はカースト上位の友達とつるんでいたが、いつ下になるのかと恐怖しながら毎日を過ごした。

だから、嫌われない努力をした。何を言われても面白おかしく笑い、何を命令されても聞く癖がついた。冗談半分であろうと、聞かないと何をされるか分からなかったから、そうした。

その癖は、今でも残ってしまっている。



三つ。塾での虐め。

近くにある英語教室では、男子に虐められた。もっとも、クラスに女子が私一人だったこともあるのだろう。後ろから笑われたり、仲間はずれにされたり。でも、親は止めることを許さなかった。こうして、男子に対しての恐怖感が残った。



これがまず、中学の時のトラウマだ。

心の拠り所は、兄だった。兄しかいなくて、必然的にブラコンになった。

母親は殴られたせいで脳に後遺症が残り、私が高校に入ると同時に私を連れて家を出ていくことになった。

祖母や父親が母親の文句を言うのは、いつも私だった。『出ていくな』とすがり付くのも、私にしかしなかった。

それを、私は曖昧に誤魔化して、逃げるようにその家を出た。

兄二人は既に大学に通うために家を出ていた。なんだか、私だけが実家に帰ることが後ろめたい気がしてならなかった。




高校では、最初は居心地が悪くて仕方がなかった。

いきなりすむ場所が代わったことを、中学からの友達には曖昧に笑って受け答えする毎日。塾の男子もその学校に通っており、いつ虐められるのかと気が気ではなかった。



馴れない環境で、私はよく過呼吸をするようになった。



だんだんと、学校を休むようになった。

理由は、今でもよく分からない。学校が居づらかったのか、親への反発か、ただ逃げたかっただけなのか。

よく分からないけど、一時間もかかる道のりをたまに送ってくれたのに無駄にしてしまったことは、今でも反省している。



不登校がバレたあと、メチャクチャに怒られた。

その頃が一番荒れてた気がする。腕にはびっしりとリストカットの赤い線が蔓延り、過呼吸をして、オーバードーズ(薬を大量摂取すること)を何度もした。

リストカットをして、大泣きして、堪らなくなってオーバードーズをすると、体がダルく、頭が重くなる。でも、その不愉快な重みが、腕の痛みが、どうしてか堪らなく安心した。



高校2~3年の頃から、だんだんと学校に行けるようになった。

それは一重に支えてくれた母親と友達のお陰だった。

リスカをして死にたいと叫ぶこんな私でも、母親は泣きながら叱りつけてくれた。自分も凄く辛かっただろうに、叱ってくれた。

いまでも凄く感謝してる。

そして、久しぶりに学校に来た私を、何も言わずに仲間に入れてくれた友達にも、感謝してもしきれない。



でも、また問題が起きた。

これからの進路の事についてだ。

私は兄に依存していた。兄が私の世界の全てだと思っていた。兄が白といえば、黒も白になる。兄と同じことをするのが本当に正しいことだと、本気で思っていた。唯一、私と遊んでくれた家族だから。

だから、私は兄と同じ大学に行くのが正しいと思っていた。幸いにも、二人とも同じ国立大だ。家のなかでも、兄弟三人でという考えが強まっていた。だけど、不登校のお陰で私の点数は大幅に下がってしまっていた。

勉強したが落ちた私は、予備校に通うこととなった。友達はいない。でも、頑張らねばと思っていた私なのだが、予想外の事が起きた。




虐めてきた男子が、同じクラスにいた。




しかも向こうは5人。こちらは一人。クラスには殆ど女子はおらず、しかもその子達は同じ高校らしく既に固まってしまっていた。

毎日腹痛と戦いながらの生活で、ついに私はたまもや不登校になってしまった。

点数が上がらず、親に叱られる毎日。リストカットやオーバードーズからは抜け出せていたものの、私は『今年受からなかったら自殺する』と勝手に決め込んでいた。兄たちと同じではない他の大学など、考えられなかったのだ。

結局、センターの英語で転けて、私は死のうと思った。でも、祖母が泣きつき、母が無理矢理決めた専門学校という道があり、結局生き残った。なんとも弱い限りである。




それから。

私は、だんだんと自分の過ちに気がつくことが出来た。

逃げるという選択肢があること。

それは、自殺という選択ではないこと。

決して男だからと、みんながみんな嫌な性格をしているわけではないこと。

他の道を行っても、兄は私を見捨てなかったこと。

家族は、私が勉強ができないと分かっても見捨てないこと。

親も一人の人間であるということ。

誰かに嫌われても、世界が終わるわけではないこと。

人はまたやり直せるということ。

私は誰かに支えられて生きているということ。




コミュ障になり、たったの一年で女子とも話せなくなった私だが、今ではクラスのみんなとも友達になることができた。

なんとか、男子との会話も成立している。

兄離れも少しずつ出来るようになってきて、父親からの愚痴も受け流せるようになった。



これで終わりかというと、まだ終わりじゃない。

最近は、父親が母親に会わせろとうるさくなってきた。愚痴を言うのに会わせろと。きっと、家事をしてくれていた祖母も歳だし、家政婦がわりにしたいんだろうなと薄々は気づいている。まぁ、会わせる気など更々ない。


これからも、こういった問題事は増えていくのだろう。でも、私は妥協を知ったし、スルースキルも手に入れた。支えてくれる存在にも気がつくことが出来たし、人が優しい存在であることも思い出せた。

そして、私は元々、人といることが大好きだということも、新しい友達との関わりで思い出すことができた。

それに、『あの頃よりはマシだ』と思うことで、なんとか乗りきりたいと思っている。




心が弱い私の、どこにでもある、小さなトラウマ。

でも、これのお陰で成長できたのかなと、最近は思う。



それなりに幸せな今への戒めとして、ここに残しておきたい



ただツラツラと書いただけになってしまいました。

まぁ、母親や友達への感謝、人の優しさを忘れないために書いただけなんで、起承転結もあったもんじゃありませんが。

死ねば楽になれるって、本気で思ってました。でも、それは絶対に違うと思う。死ねば悲しむ人がいて、ずっとその連鎖は続いていく。

自棄にならないで、少し深呼吸をして、周りを見てほしい。

あなたの周りには、本当に敵しかいないだろうか。


ひよっこの私がいう言葉ではないかもしれません。でも、ちょっと言いたかったです。



あと、いつも中立の立場に立ち、母の唯一の味方でいてくれた、今は亡き祖父へ。家を出る母親の背中を押してくれてありがとう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本文コピー『死ねば楽になれるって、本気で思ってました。でも、それは絶対に違うと思う。死ねば悲しむ人がいて、ずっとその連鎖は続いていく。』←この言葉は、本当に乗り越えなければ言えないこと。そ…
2015/11/27 21:17 退会済み
管理
[良い点] あなたの文章、小説の世界観は、大変な境遇にあっても真っ直ぐで綺麗に感じます。 他者を故意的に傷つける文章がないのだな、と気づいたのはエッセイを読んでからです。 読んで楽しい作品をこれからも…
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