06 テオバルト・ミュラー・ハーゼは未来に目を向けてみる
その日のテオバルトはギルドの資料室にルイーザといた。
「テオさん、そんなに本ばかり読んでいると目に良くないですよ」
こんなこと言ってくるくらいには仲が良くなったんだろう。本来であればここにいるのはベイセルなのだが、部下を失った報告をするために王都に行かねばならないということでベイセルの代打でルイーザが俺のサポート役として傍にいてくれている。ここから王都までは馬車で1ヶ月程度の距離らしい。日数を考えるとベイセルは王都にそろそろ着く頃だ。
司教が吊されてから1ヶ月が経過している。この1ヶ月の間のダイジェストはこんな感じだ。
・鉱魔石の大量売却による資金の確保
・初めての買い物
・ベイセル王都へ出発。(ベイセルが所帯を持っているということに気が付く)
・テオバルト武器屋でほぼ買い占め。(警備隊に怒られたのでほぼで済んだ)
・テオバルト鉱魔石大量売却によりギルドの資金が底を就いている事に気が付く。(受付はルイーザ)
・ギルド資金不足により運営停止。(ルイーザ説教される)
・大量売却により資金の切れたギルドに解雇されたルイーザを雇用する。(お手伝い&助手)
・法術の練習(全く効果無し)
・肉を焼く(上手に出来ました)
・知識の収集
・ギルドを活動停止に追い込んだということである意味有名になる。
・周囲の人間がテオバルトと言いにくいと通称テオになる。
といった具合である。他には森に入って化け物をかなりの数を駆逐したくらいだ。
テオバルトはこの1ヶ月の生活で日常生活における常識をかなりのところまで頭に叩き込めたと思っているが日々ルイーザには指摘される事が多い。まだ勉強不足という事らしい。ルイーザには家を買うべきだというアドバイスも貰っているが、こちらに来た当初であれば金にさえ問題なく買っただろうが多少なりと常識を学んだ為に交際している訳でもなく、さらに未婚で同居することを健気にも問題にしてしまい、未だに根無し草状態から脱出できていない。
ルイーザもテオバルトのことを嫌ってはいないが自分の生活がかかっているので生活基盤で一番のウェイトを持つ居住環境を確保しておきたいという思いが強い。一般人でテオバルトは羽振りの良い男として見られる。なお、マイアタルにはテオバルトという財布を狙っている女性が普通に潜んでいる。ルイーザも同じ穴の狢だが、ギルドを首になった理由が正直すぎたということから家を買う理由をテオバルト本人に直接言ってしまっているので他の女性より問題視されていないに過ぎない。テオバルト自身もルイーザを疑っていないので信頼関係は成り立っているような、いないようなという状況にお互い甘んじている。
テオバルトの変化は食生活にも及んでおり肉をそのまま生で食べる事もなくなり、鉱魔石を加工した火をつけるだけの火石を購入して自分で焼いて食べている程度には進歩した。生肉を食べているところをルイーザに見つかり、悲鳴を上げて逃げていったというエピソードもあるが、少なくないマイアタルの住民に迷惑をかけたので仕方なくと言ったところもかなりの割合であるのだが進歩したということだ。
法術については司教には特別に無料で法術の使い方を教えて貰っているが一向に上達しない。というか諦める事を勧められる程度の腕前だ。吊されたあと、教会で働く巫女達に「ハゲ」「役立たず」などと言われるようになったようだが、言われるようになってから肌につやが出てきており変な扉を開いたのかもしれない。新しい自分の内にある扉を開けるとはさすがは宗教関係者だ!と宗教関係者に殺されかねない事を考えていたりもしたが使えると火をおこす事が簡単にできるということから諦める事がなかなか出来ない。調味料は買うしかないのだが火で焼いたり炙ったりするだけで味関わるのだから諦めきれない。
ベイセルの所属していた防衛隊という組織があるがルイーザに説明された通りの志願兵と守護者と呼ばれる志願兵に毛が生えた程度の連中の組織だ。ベイセルが面倒を見ているという事も有り縁があると言えばあるのだがオーガを単騎撃破出来るような人間には近づきたくないらしい。認めてしまえば自分たちの存在意義がなくなるかのせいがあるのだから仕方がないと割り切ってお互いに距離を取って生活している。
「以前はこれより酷い環境で生活していたんだから問題ない。付き合うとお前の目が悪くなるぞ」
テオバルトは人との付き合いにおいてきちんと学んでいた。自分が思った事を相手に直接伝えると例外なく相手の機嫌を損ねる事になると気が付いた。ただ話し相手を抉ってしまうような話し方が問題なのだが気が付いていないしアドバイスをして貰える訳でもない。相手の機嫌を損ねないようにしている自分を<良いテオバルト>直接自分の意見を言う相手に対する自分を<っ素直なテオバルト>と使い分ける事にしている。<素直なテオバルト>で接する事が出来る相手は司教とルイーザくらいなので余り出番がない。一見思いやりを覚えたように見えるが多少の我慢を覚えたと表現する方が正しい。
この街で生活するにおいては<良いテオバルト>でいる必要があるので化け物相手はとても都合の良いカンフル剤になっているということもテオバルト自身理解している。しかしながら相手が求めているものが人当たりの良いテオバルトというのも如何なものかという思いも当然ある。常識を学んだ為に発生した葛藤でこの手の類いは自分にとって初めてのことでも有り他市署に困っている。女性に対しての不信感も自分を食おうとしている訳ではないと分かっているが稀に距離を取ってしまうのは仕方がないと思っていたりもする。
「方術習得に役立つような本はありましたか?」
「残念ながらまったくという感じだわ」
「これ以上の知識はマイアタルにはもうありませんよ。・・・あとは王都に行くしかないです」
これはここにある本から学んだ事であるがマイアタルが栄えている理由にもなる。防衛用の都市はその性質上この国にとって最終防衛ラインという意味合いを持つのだ。マイアタルが化け物の手によって陥落した場合はかなりの範囲がこの国の人間の行動範囲外になってしまう。それ故にこの国の中央である王や役人からその道のエリートが送られて最初の集落を作っている。その血を受け継ぐのがこの街の住人である以上大半の住民が専門職のエリート揃いというのは国にとって痛手であるが化け物に落とされるよりは有望な人材を各地にばらまく方がリスクが少ないという事らしい。大臣や貴族には不評のようだが仕方がないと黙認しているが文句だけは言うという状況を作り出したのだそうだ、
「興味がないな。自分には権力とかは必要ないし保身で身動きできなくなるような馬鹿になる気もない。俺はこの街で満足しているしルイーザやベイセルには面倒を見て貰っているからな。2人には感謝しているよ」
「私は今無職ですからね。この町の大半の人のような主流でもないですし」
主流は王都から派遣された者達の子孫でそれ以外は一歩引いている。買い物の時も街中での待遇も誤差の範囲だが気をつけてみれば気づける程度の扱いの違いがある。これはテオバルトにとっては余り見たくないと思っている事でもある。食べる物もきちんと有り誰でも一定の教育を受ける事が出来るのに自分たちであえて壁や溝を作ろうとするのは愚かしいと思っているからだ。
(この世界の奴らが地球で生きていたら全員処分だろうな)
普通に生きている事に満足できないやつには優しく接してやる必要がないのだが、テオバルトとしては自分の常識のなさからルイーザに職を失わせてしまった。ルイーザの今の立場を作り出したと思っている。街の住人に対しての対応が柔らかくなった理由の大半がベイセルとルイーザのためである事はルイーザが理解できるほどでもある。それ以外はルイーザのように自分以外の人物の生活を、人生を背負いたくないという理由である。できれば勘弁して欲しいと思っているわけだが自分が原因ということも理解できてしまうので投げ出したりも出来ない。最低限の生活の自立と人生の目標が出来るまでは、テオバルトが面倒を見る必要があると追わなくてもいい責任を自らの肩にかけている。
「正直に生きていきたいというのは悪い子度じゃない。俺は今の自分が正直に生きられないという事が分かっているから我慢できるがルイーザは違うだろう?この話は何回目だろうな」
「養って貰っているのでできる限り協力するのは当然ですけど、そう言って貰って嬉しいんですけど納得できない部分もあるんですよ。」
そんな事を言ってルイーザは笑っている。よく俺のような人間と信頼関係が築けるものだと思いながらもまんざらではない自分をもてあます。
「ベイセルが帰ってきたら本格的に活動を開始しようか。法術については司教に頼んでもどうにもなりそうにないし、接近戦であればもうオーガくらいなら片手間で済むしな。それまでお互いこれからの事について考えよう」
ルイーザが驚いたように目をぱちぱちしているがこれも当然か、俺が未来について話をする事が少ない事を理解しているからこその驚きだろう。
「じゃあ今日はこれからどうします?テオさんはもうここにある本で読んでいないものはないでしょう?」
「今日は家でも買いにいこうかね。いつまでも宿でってのはルイーザが居心地が悪い事の原因だろう?」
「そういう風に言われると返答に困りますよ。確かに宿での生活は居心地が悪いですけど、そうですねとも言いづらいです。一緒に行ってもいいんですか?」
「常識無しの俺じゃ満足に選べないといつも言っているだろうが。ルイーザが良いという物件を選んでくれないと全財産で家を買う事になるんだがな」
「今のテオさんの財産だとこの街の太閤の家でも買えますよ。貴族じゃないのが異常のという事を自覚してください」
「その稼ぎをギルドから渡していたのは誰だったか」
「私が悪いんですよ。でも規定通りに渡しているのにクビにするのってどうかと思います」
お互いに最低限の信頼関係を築く事が出来たからこそのテオバルトの提案だがルイーザは受けてくれたようだ。本に書かれているような感情が芽生える事はないだろうがいい友人になれるのであれば幸いだろうとテオバルトは考えている。条件反射のように自分が他者から受け入れ得られるはずがないと思っているからこその思考迷路から未だに抜け出せていない。迷路の中にいると気が付かない限り出る事が出来ないという道理に忠実にテオバルトは生きていた。