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フラグの事が判明してからの私は、ずっと上の空で授業にも身が入らなかった。
それもそのはず、私は死の宣告をされて、それでも普段通りで居られるほど図太い神経は持ち合わせていなかった。
気がつくと、授業はとっくに終わっていたみたいでお昼休みになっている。クラスメイト達は既に仲のいい人同士で固まってお昼ご飯を食べている。
昼休みにはお弁当を食べながら勉強をするのがいつものパターンなのだけれど、今日はとてもじゃないけれどそんな気分にはなれなかったので、お弁当を持って席を立つ。
今日は、気分転換に屋上に行ってみようと思った。
この学校では、屋上は昼休み限定で一般に解放されている。たまには屋上でお昼を食べるのも悪くないかな。
屋上の扉を開くと途端に強い風が吹いてきて、髪を揺らすのが気持ち良かった。ちょっと風が出てきたみたいだ。
いつもなら昼休みの屋上は大勢の人がいるのだけれど、今日に限ってはほとんど人が居なかった。
私は深く考えずに、空いているスペースに座り、お弁当を広げた。
空はうっすらと曇っていた。そのおかげか、ここは教室よりもちょっとだけ涼しい。空に近いからっていうこともあったかもしれない。
最近は蒸し暑い日が続いていたので、少し嬉しくなる。
そう言えば朝のニュースで、大型の台風が接近してきていると言っていたことを私は思い出した。
なるほど、それで人が居ないのか、と納得。
それでも、こんなに気持ちいいんだから皆も来れば良いのにな。と思う。
私はお弁当を食べながら、生きるという事について考えた。
命は尊いだとか、一寸の虫にも五分の魂だとか、そんなことは小学校でも散々聞いた。不本意ながら、本当の意味で命の恩人になったこともある。それでも私は今まで、こんなに真剣に命について考えたことなんて無かった。
私が死んだらどうなるのかな。
多分、どうにもならない。
お葬式をして、何人かの親しい人達は、しばらくは皆悲しんだりしてくれるかもしれないけれど、きっといつかは忘れられる。
それで終わり。
……終わり?
私は終わるの?
そんなのは絶対に嫌だった。
これまで必死に勉強してきたのに、このまま何も出来ないで死んじゃうなんて、そんなのは報われなさすぎる。
そもそも、本当に死ぬのか、まだなんの確証も無い。
竹本さんも宮下も、実際には何も結果は出ていない。今のところは、ただ頭の上に変なものが立っているだけだ。だからただの勘違いで、何も起こらない可能性だってある。
そう思いたいのに、今朝鏡で何度も確認したこの旗は、なんだか言いようの無い説得力を持って、私に語りかけてきているような気がしていた。
私は、死ぬ。
なんとなくだけれど、私は、はっきりとその予感を感じてしまっているのだった。
不思議な気分……。
死を予感して、初めて生きていることを実感するなんて、まったく皮肉なものだ。人は誰でも、死への存在である。なんてことを言ってたのは誰だったっけ?
そうして屋上で風に吹かれながら、私は死について、延々考えた。
それでもやっぱり、結論なんて出るはずも無かった。
ふと見ると、いつの間にかお弁当の中身が空っぽになっていた。考え事をしている間に全部食べてしまっていたらしい。
気がついてみると確かにお腹は膨れていたけれど、何を食べたのかとか、どんな味だったのかとかは全然記憶に無かった。無意識でもちゃんとお弁当を平らげる自分の食い意地に、我ながらちょっと呆れてしまう。
せっかく早起きして作ってくれたお母さんに悪いことをしたなぁとちょっと反省。
私はため息をつきながらお弁当を片付けると、校舎の中に戻ることにした。いつまでもここにいても、またモヤモヤと考えつづけるだけなのは分かりきっていたから。
教室に戻って自習でもしていようと思ったのだけれど、困ったことに屋上に上がる階段のところに腰掛けて、二人組の女の子がお弁当を広げていた。
何の話をしているかは分からないけれど、キャーキャーと笑い声をあげていて、やたらと楽しそうだ。屋上から校舎に戻ってきた私にもまったく気付く様子がない。
このままじゃ通れないのだけれど、邪魔をするのも悪い。それに私は、同年代の女子は苦手だったので、躊躇してしまう。
どうしようかと思って迷っていると、話している片方の女の子の頭に旗が立っているのが目に止まった。
改めて見てみる。そこにいたのは竹本さんと佐々木さんだった。
竹本さんの恋愛フラグは、いつの間にそんなに成長したのやら、ちょっと見ないうちにさらに一回りくらい大きくなっていた。
その光景があまりにシュールで、吹き出しかけたのを私は必死で堪える。
そのまま、入り口のところで聞き耳を立てた。こういうの、ホントは良くないって思うけど、でも、やっぱり気になってしまったのは、二人が話している内容のせいだ。
「それで、なんで上田君をお昼に誘ってないわけ?」
「誘えなかったのー、なんかタイミング掴めなくて……」
「もー! 何やってんのよ! 何のためにさっき、気合入れて化粧直ししてきたと思ってるのよ」
「だって、なんか今更だし……」
二人は恋の話をしているみたいだった。
相手は予想通り、上田君。なかなか勇気を出せない竹本さんと、その相談を受けながらやきもきしている佐々木さん。
恋愛フラグの大きさは、竹本さんの気持ちの大きさを表しているのかな? 今朝はあんなに険悪だったのに、にわかには信じ難い。
それにしても、今更って言っても、まだ今日出会ったばっかりじゃないっけ……。
「そもそも向こうは私のことなんて、ただのガサツ女としか思ってないわよ」
「そんなこと言って、でも気になるんでしょ? だったらガツーンといくしかないじゃん」
「でも、そんな自信ないし……」
恋に悩む竹本さんはいつもの快活な様子とは全然違っていて、なんだか微笑ましい。
やっぱり今日の私は、精神状態がいつもと違っているみたいだ。なんとなく自棄になっていたということもあるだろうけど、昨日までの私だったら、絶対にこんなことはしなかったはずなのに。
「大丈夫だと思うよ」
気がついたら、私は竹本さんに声をかけていた。
二人は一斉に私の方を振り返る。
「えっ?」
「……川澄さん?」
佐々木さんは怪訝な顔を、竹本さんは明らかに嫌そうな顔をしている。プライベートな話を盗み聞きされていたのだから仕方ないんだろうけど。
私は改めて、言い聞かせるように竹本さんを励ます。
「その恋って、間違い無く成就するよ。絶対に」
私の言葉に、その場が凍りつく。
佐々木さんは呆気に取られて固まっているし、竹本さんは何かを考え込むような顔で黙り込んでしまった。
たっぷり十秒ほどの沈黙。それは私にさっきまでの無駄な勢いを後悔させるのには十分な時間だった。何と言って弁解しようか考えていると、それより先に竹本さんがポツリと言った。
「……じょうじゅって何?」
どうやら混乱のし過ぎで日本語が分からなくなってしまったらしい。
ってそんなバカな……。
すかさず佐々木さんがツッコミをいれた。
「何年日本に住んでんだよバカ! はぁ……、成就は叶うって意味だよ」
「なるほど!! ……ん? でもなんで?」
竹本さんは手をポンッと叩いて納得したかと思うと、すぐに首をかしげて不思議そうな顔を私に向けた。表情がくるくる変わって見ていて面白い。
「見てたら分かるもん。絶対大丈夫だよ! きっと、恋が一気に花咲くような、そんな出来事が起こるはず」
その言葉に竹本さんが満面の笑みを浮かべる。
「ホントっ!? なんか川澄さんにそう言われるとマジでそんな気がしてきたかも。ありがとーっ!!」
竹本さんは私の手をとって、ぶんぶんと上下に振り回す。こうやって感情を素直に表に出せるのはうらやましい限りだ。
「川澄さんは頭良いからねー」
佐々木さんはやれやれといった感じで、そう言った。竹本さんはその言葉に含まれている意味にも気付かずに、うんうんと頷いている。
確かに、勉強ができるっていうのは、こういう風に何かアドバイスした時なんかに、無駄に説得力があって便利だ。
って言っても、実際には頭が良いことと恋愛は何の関係もないと思うのだけど。
「でも川澄さんがそんなこと言うなんて意外だったなー」
ようやく落ち着きを取り戻した竹本さん。
「ガリ勉だからってこと?」
「あはは、そんなことないよ。」
「ただ川澄さんがそんなこと言うようなキャラだって知らなかったな。恋愛とか興味ないのかと思ってた」
佐々木さんも話に加わる。
そういえば、さっき宮下にもそんなことを言われたことを思い出した。
私って皆から見てどんなキャラなんだろう……。ただ勉強に必死で、目を向けてこなかっただけで、教科書が友達なガリ勉キャラだって、彼氏が欲しくなるときだってあるんだから。
「興味あるよ、もちろん。ただ今まではちょっとサボってただけ」
私がそう言うと、竹本さんは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「じゃあ、私達とは逆だね」
「えっ?」
「私達は勉強サボってるもんね」
そうして三人で笑い合う。
それでなんだか私は、肩の力が抜けてしまった。
そうだったんだ。こんなにも簡単な事だったんだ。
高校三年生の夏。
皮肉な事だと思うけれど、こうして、私に初めての女友達が出来た。