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帰りのホームルームが終わると、私と、佐々木さん竹本さんの三人で一緒に下校した。
クラスメイト達ももうほとんどが帰ってしまっている。まだ学校に残っているのは、部活をしている生徒くらいだろう。
下駄箱に向かう途中、廊下の窓からグラウンドに目を落とすと、大きな掛け声を上げながらランニングをしている野球部員達が見えた。大粒の汗を気にする様子もなく、息を切らせながら走り続ける野球部員達。
これまで、お気楽に遊んでばかりいると思っていた彼等も、きっと本当は毎日を一生懸命生きているのだろう。ふとそんな風に思って、私は自分の心境の変化に我ながら驚いた。
帰り道では、通学路を外れて繁華街の方へと足を向けた。学校帰りに友達と寄り道するなんて初めてだったから新鮮な気分だった。
ゲームセンターに行って、友達になった記念にと三人でプリクラをとった。携帯電話にシールを貼られて、それが妙にくすぐったかった。
カラオケにも行った。私は二人が歌うのを聞いているだけだったのだけれど、それだけでも十分楽しかった。そうしたら竹本さんに無理やり歌わされて、子供のころによく聞いていた流行歌を歌ったら「古いよ!」と笑われた。
その後は駅ビルの近くにあるファーストフード店に入る。佐々木さんと竹本さんは慣れた様子で注文をすませたけれど、私は慣れていなくてやたらと時間が掛かってしまった。思い返してみると、こういう店に入るのだってもう数年ぶりだった。
窓際の席に着くとすぐに竹本さんを質問攻めにした。渋々竹本さんが話しだして、佐々木さんと一緒にそれをからかう。
そうして竹本さんを尋問したり雑談したりしていると、突然佐々木さんが窓の外を見ながら叫び声をあげた。
「あっ!!」
どうしたのかと思う間もなく佐々木さんはお店から飛び出して走っていってしまった。私たちは戸惑いながらも急いで後片付けをすると、その後を追いかける。
外に出ると、あたりはもう夜の空気に変わっていた。いつの間にか随分時間が経っていたらしい。本当に時間が早く過ぎたみたいに感じて私は驚いた。
仕事が終わり家路を急ぐサラリーマン。私たちと同じように学校帰りに寄り道をして遊んでいる学生達。呼び込みの声や、ティッシュを配る人。
街は活気に溢れていて、佐々木さんの姿はすっかり人混みの中に飲み込まれてしまっている。私たちはキョロキョロと周りを見回す。
口論する声が聞こえてきてそちらに目を向けると、なにやら人だかりが出来ていた。嫌な予感を感じて、人ごみを掻き分けながら近づいていくと、やっぱりその中心に居たのは佐々木さんだった。
佐々木さんはスーツ姿のサラリーマンと口論しているようだった。私たちは慌てて二人の元へ駆けよった。
「ちょっと、綾乃! なにしてんの!?」
「あっ、二人とも。見つけたんだよ! この人が川澄さんの妹と一緒に居た人だよ!!」
「えっ!?」
息が止まるかと思った。もちろん探し人が見つかったことにもだけれど、それ以上に驚くことがあった。
佐々木さんと向き合って困ったような表情を浮かべているそのサラリーマンの頭の上には、私と同じ、死亡フラグが立っていたからだ。大きさは私のものよりもずっと大きいけれど、それ以外は同じだった。
「なんなんだ、君たちは」
彼はいきなり現れた私たちに、明らかに煙たげな目を向ける。佐々木さんが言い聞かせるように反論する。
「だから、こないだの子のこと聞きたいのよ」
「そんなのは知らないよ! いいから離してくれ」
「嘘つくんじゃないわよ、中学生の子と一緒に歩いてたでしょ! 何してたのよ!!」
「ちょ、ちょっと竹本さん!」
竹本さんがけんか腰で男の人に噛み付くように言う。今にも飛び掛ろうとするのを、私は後ろから羽交い絞めにして止める。
「ひ、人聞きの悪いこと言うのはやめてくれ! 僕は急いでいるんだ、もう行くよ」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
さっきから、周りからはヒソヒソと揶揄するような声が聞こえてきている。このままじゃ不味い、なんとかしないと。
「とにかく、落ち着いてください!!!」
そう思って出した私の声は、思いがけず叫ぶようになってしまって、三人は驚いて私の方を見る。あんなに大きな声が出せるなんて自分でも驚きだけど。そのお陰で、皆落ち着きを取り戻したみたいだ。
「……え、えっと、ここじゃアレなんで、とりあえず場所を変えませんか?」
私たちは人ごみから逃れるようにして、路地裏に移動した。一本路地を入っただけで、驚くくらい人気が無くなる。道路沿いに設置されていたベンチに腰掛けると、それまで黙って私たちの後をついてきていたサラリーマンがため息混じりに口を開く。
「それで、一体なんなんだい?」
「だから──」
「待って。私が話するから」
このままじゃさっきと同じだと思って、竹本さんが話そうとするのを遮る。
「……分かった。川澄さんの問題だし任せるよ。由香が居ると話進まなそうだしね。適当に時間潰してるから、話終わったら呼んで」
佐々木さんはそう言って、まだ腑に落ちない様子の竹本さんをつれていく。二人の姿が見えなくなったのを見送ると、私は向き直ってまずは頭を下げた。
「すみません、いきなり」
「……いや、もういいよ。とにかく用件を聞かせてくれないか」
諦めたような大きな溜息をつかれて、私はますます恐縮してしまう。
「えっと、さっきも聞いたと思うんですけど、この間、貴方と中学生の女の子が一緒に居たと思うんですけど……」
「うーん……そう言われてもなあ」
顎に手を当てながら考え込む。
「……あの、この子なんですけど……」
私が希の写メを見せると、彼は思い出したように「ああ、猫の子か」と頷いた。私が問いかけるよりも早く、続けて、
「でも、この子がどうしたんだい?」
「……この子、私の妹なんです。それで、男の人と歩いてたって聞いて、その……失礼ですけど何か悪いことでもしてるんじゃないかって」
彼は私の言葉に、ようやく合点がいったという風に笑う。
「ああ、なるほどね。安心してくれ。やましい事は何も無いよ。ただの猫の里親探しだから」
「あの、さっきも言ってましたけど、その、猫って何のことですか?」
「あれ、知らないの? この子、河原で捨て猫の世話をしてるんだって言ってたよ。それで里親を探してて、僕はそれを引き取ろうと思って話をしていたんだよ」
「捨て猫……」
私が黙ってしまうと、それでもう納得したと思ったのか、彼は腕時計を見ながら立ち上がる。
「それじゃあ、僕は行くよ。もうあんまり時間がないんだ」
そう言ったとき、彼の頭の上のフラグがいきなり光りだした。フラグの事、すっかり忘れてしまっていた。私は慌てて呼び止める。
「あ、あの! 待ってください!」
「ん? まだ何か聞きたいことある?」
「いえ、そうじゃ無いんですけど……えっと……、そうだ。そんなに急いで、これからどこかに行くんですか?」
とにかく何とか引き止めないと。そう思って、出てきたのがこれだ。あまりに間抜けすぎて、自分でも呆れてしまう。
彼は面食らったような顔をしている。
そりゃそうだ。いきなりこんなこと聞かれても反応に困ってしまうだろう。
たっぷり五秒間は固まった後、答える。
「これから会社に戻るんだよ。今は、ちょっとだけ抜けだしてきただけなんだ。」
ばれたら上司に怒られちゃうから内緒だけどね、とささやくように付け加えて笑った。
「抜けてきた?」
「ああ。実は今日は娘の誕生日でね。さっき言ってた猫は娘へのプレゼントのつもりだったんだよ。最近仕事が忙しくて全然相手をしてやれてないから今日は早く帰りたかったんだけど、やっぱりどうしても仕事が終わらなくて。だから、せめてプレゼントは驚かせるようなことしたかったんだけどね……。まあ今となってはそれも無理そうだけど」
「……どういうことですか?」
「今日の夕方に引き取ることになっていて、そのまま家に猫を届けてから仕事に戻る予定だったんだ。それでさっき河原まで行ってきたんだけど、猫が居なくなっちゃったみたいでさ。しばらく一緒に探し回ったんだけど結局見つからないから、もう諦めて会社に戻ろうと思って。見つかったら連絡をくれるって言ってたけど、誕生日プレゼントとしてはあげられそうにないな」
彼は、まるで誰かに言い訳をしているみたいに、一息にまくし立てた。その間も頭の上のフラグは光り続けている。
娘の誕生日に帰れない、仕事を優先、プレゼント……。宮下から聞いた話に、そんな内容、あった気がする。
間違いない。フラグはこの事で立っているんだと確信した。
このままじゃ、この人は死んじゃう! なんとかしなくちゃ!!
私は彼を止めようと、必死に説得する。
「そんな……、それならせめて帰ってあげたほうが良いんじゃないですか? 娘さん、きっと待ってると思いますよ!」
「……それはそうだろうけど、仕事を放り出すわけにもいかないんだ。これも家族のためなんだよ。仕方ないことなんだ。君にだってわかるだろう? もちろん、仕事が終わったらすぐにでも飛んで帰って祝うつもりだよ」
「でもっ──」
そのとき、サラリーマンの携帯電話が鳴りだした。
彼は素早く電話に出て話し始める。
話している内容からすると、どうやら電話は会社からのようだ。戻りが遅いので、その催促の電話だろうか。気勢を削がれてしまった私は、ただ黙ってその光景を眺めていた。
家族のため……。
彼の言ったその言葉が、頭の中で反響する。
私にもその気持ちは良く分かる。私だって、家族のためにこれまでずっと頑張ってきたのだから。
だったら、仕方ないって気持ちも分かるはず?
家族のためなら仕方ない。
……仕方ない? ……本当にそうなの?
私が考えている間にも、仕事の電話は続いている。このままじゃ、今すぐにでも会社に戻ってしまいそうだ。
私は、まとまらない考えを無理やり打ち切る。
今は考えている暇なんて無いんだ。とにかく、なんとしてでも止めないと!
私は自分でもビックリするくらいのスピードで、携帯電話を奪い取る。彼が驚いた顔で携帯電話を取り返そうとするのが、視界の端にゆっくり写った。
くるりと背を向けると、そのまま噛み付くみたいに受話器に向かって大声で叫んだ。
「今日はもう会社には戻りません! 今日は、娘さんの誕生日なので! それでは失礼しますっ!!」
そしてそのまま電話を切った。
これで大丈夫なはずと、私はほっと息を吐く。
彼は惚けたように私のほうを見ていた。
「君……なんてことをしてくれたんだ……」
一瞬の間があって、私はすぐに自分のしたことの重大さに気付いて血の気が引いてしまった。
そうだ。私はなんてことをしてしまったんだ! 咄嗟のこととはいえ、一人の人生を台無しにしてしまったのかもしれない。
「……す、すみませんっ!」
きっと、私なんかの想像もできないくらいの努力をして苦労をして、そうしてやっと手に入れた人生を、私はいま壊したんだ。
もうどんなことをしても償いきれないかもしれない。
私は目を固く閉じて、この後に来るはずの罵声を待った。
しかし、私の耳に聞こえてきたのは怒声ではなく、乾いた笑い声だった。
「はは、ははははっ」
「えっ?」
「いや、もしかするとこれで良かったのかもしれないな。君が正しいのかもしれない」
「あ、いや、でも、私……」
その反応があまりにも予想と違っていたので、私は戸惑ってしまう。
「凄いよ、君。普通できることじゃない。ははっ、なんだか吹っ切れちゃったな。スッキリした気分だよ」
「あの、本当にごめんなさい」
ようやく我に返って、私は必至で頭を下げた。
それとは反対に、彼はなんでも無いというように笑った。
「いや、良いんだ。気にしないで。うん、これも何かのきっかけかもしれないな。今から家に戻ることにするよ。今からならまだ間に合う時間だから」
そう言ったその時だった。
彼の頭の上から、バリンッ! とガラスが割れるような音をたてた。
慌てて旗に目をやると、その音と共に、フラグの支柱の部分が根元からポッキリと折れていくのが見えた。
そして旗は、最後に一瞬大きく光ったかと思うと、次の瞬間には蒸発するようにして消えてしまった。
「えっ?」
私が驚いているうちに、彼は「それじゃあ僕は行くよ。本当にありがとう」と言って、去って行ってしまった。
私は慌てて深々と頭を下げて、改めて謝罪の言葉を口にする。それでもやっぱり返ってきたのは感謝だった。
私が次に頭を上げた時、その姿はもう見えなくなっていた。彼がいなくなってから、私はベンチに座りなおすと、ぼんやりと考えはじめた。
何かがおかしいという気がした。
自分でやっておいてなんだけど、本当なら裁判沙汰になっていてもおかしく無いのに、こんなにうまくいくなんて……。そもそもこの広い街の中から彼を探し出せたのだって、よく考えると都合が良すぎる。
いや、それよりもフラグの事だ。
あのサラリーマンのフラグ。消えてなくなったという事は、フラグが回避されたということだろうか?
宮下の言葉を思い出す。
フラグは絶対では無い。宮下はそう言っていた。宮下の言い方を借りれば、フラグが折れる、ということ。
フラグには必ず原因となった出来事がある。
さっきのサラリーマンの場合、仕事が忙しくて娘の誕生日を祝えない事がフラグの原因になっていた。
そして、私の行動で娘さんを祝えるようになったから、原因が無くなってフラグが回避されたということだろうか?
つまり、発生源を取り除けば、フラグは折れる?
ということは、私も、死ななくてすむのかもしれない。
フラグが立っている以上、私にも何らかの原因があるはず。私のフラグの発生源は何だろうか。それをつきとめれば、もしかしたら解決方法も見つかるかもしれない。
私からの連絡を受けて戻ってきた佐々木さんと竹本さんに、さっきのサラリーマンとの話を伝える。一通り話し終えると、もう随分遅い時間だったこともあって、そのまま解散することになった。二人の家はここから近いらしく、一緒になって帰って行った。
一人になって、考えごとをしながら帰り道を歩く。私の心の中には、さっき二人に話をしながら思い出していたことがあった。
それは、猫のこと。
去年の冬の頃、私と希の二人は、近所の空き地で捨て猫の世話をしていた。
その猫は、希が見つけてきた。
ダンボールに捨てられていたその猫を抱えて、お母さんに飼いたいと頼みにいったけれどダメだと言われたらしい。
諦めきれないで泣きそうになっている希に、お母さんに内緒でこっそり飼う事を、私が提案した。
そして、まだ受験勉強が本格化する前だったこともあって、私も希に付き合ってダンボールで小屋を作ったり、餌を運んだり、一緒に世話をしていた。
名前も私が決めた。教科書から目に付いた名前を取ってメネラウス。略してメネちゃん。これは希からは大不評だったけど……。
けれど、世話を始めて二ヶ月ほどが過ぎたある日、いつも通りに小屋の場所に行くと、メネは突然居なくなっていた。私達は必死で探したけれど、結局見つけることはできず、そのまま諦めてしまったのだった。
それからも希は、暇を見つけてはメネを探しているみたいだったけど、私はちょうど三年生に進級して、勉強が忙しくなったこともあって、何時の間にかすっかり忘れてしまっていた。希も諦めたのだと思っていたのに。
河原で飼っているというその猫がメネなのかどうかは分からない。
けれど、どうやら希はまた猫を飼っているらしい。しかも、今度は一人だけで。
ずっと探していたメネを、ついに見つけたのか、それとも別の猫をまた拾ってきたのだろうか。
そうして猫のことを考えていて、私はふと思い至る。
もしかして、希が私にだけ冷たい態度をとるようになったのは、メネを忘れてしまったことを怒っているなのかもしれない。
そう考えれば、希の態度が急に変わってしまった時期とも一致する。
それから、これはまだ確信は無いけれど、もう一つ思い浮かんだことがあった。
ひょっとして、この私の頭のフラグは、希の事が関係しているんじゃないか。なんとなくだけどそんな気がしていた。
このところの悩みが一気に解決しそうな予感を感じて、私の足取りもついつい軽くなる。
希が非行に走ったわけでは無いことを知ることができたし、仲直りする糸口を掴めたような気がする。
とにかく、家に帰ったらもう一度話をしてみよう。河川敷の猫の事をきいて、今までの事を謝ろう。そして、また昔みたいに一緒に猫の世話をするんだと、私はそう決心した。
それにもう一つ。フラグが折れるという事が分かったのは、とても大きな希望だった。フラグが立っている原因はまだ分からなかったけれど、どうしようも無かった今までの状況から考えると、月面着陸にも負けないくらい大きな一歩だ。
これまでとは打って変わって、私は晴れ晴れとした気分だった。けれども私の気分とは対照的に、空は台風の影響ですでに荒れ始めている。
帰り道、ポツポツと降り始めた雨は、あっという間に土砂降りに変わった。急いで傘をさしたけれど、風が強すぎてほとんど意味を成さなかった。
私は慌てて、鞄の中身が濡れないように、家路を全力疾走して帰ったのだった。




