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次の日は目覚まし時計よりも早く起きた。やっぱりそれほど気分が良い目覚めとは言えなかったけれど、ゆっくりと余裕を持って身支度をする。今日は朝ご飯もしっかりと食べた。
顔を洗った時に鏡に映ったフラグは、昨日となにも変わりがないように見えた。私はそれを無視して、寝癖を丁寧に直してから家を出る。外はどんより曇り空で、雨が降りそうだったので傘を持って学校に向かった。
一晩寝たことで、頭がだいぶ冷静になってきていた。希のこともフラグのことも、昨日よりは随分落ち着いて考えられるようになった。
いつもどおりに登校して、教室についたらいつも通りに授業を聞き、いつも通りに黒板の内容をノートに書き写す。
いつも通りの毎日。
ただ、いつもとちょっとだけ違うのは、必死になるのをやめた事だ。
これまでのように、ただひたすらに勉強だけをするのでは無く、のんびりとゆったりと退屈な時間を過ごす。
そうすると、いろいろな事に気付く。
この先生はずいぶん足が短いんだな、とか、隣の席の男の子が一生懸命ノートをとっていると思ったら実はラクガキをしている事とか、チョークの音だけが聞こえる教室の空気が、こんなに澄んでいる事とか。
そして、こんなに簡単な事にも、私は今まで目を向けて来なかった事。
別に自暴自棄になっているわけではない。
ずっと考えているのだけれど、どれだけ考えても死亡フラグに関する事は何も分からなかった。フラグが立っている以上、何らかの原因があるはずなのだけど、そんなものには全く心当たりが無い。もしかしたら、私の預かり知らない所でフラグが立ってしまった可能性だってある。
希の事だって心配だけれど、まさかずっと監視している訳にもいかない。今の私に出来ることなんて、ただ根気よく話をすることくらいしかないんだ。
つまり、今の私の状況を極めて冷静に、客観的に分析してみると、どうしようも無い。ということだ。
ならば、もう難しく考えるのはやめて、今は与えられた時間を精一杯過ごす事にした。不思議なことに、私はそれほど悲観してはいなかった。どちらかと言えば達観かも。
当たり前のことだけれど、人間誰だっていつかは死ぬ。そう考えれば、誰だって生きている時点で死亡フラグを持っているようなものだ。
それに希の事も。冷静に考えると、やっぱり希が悪いことをしてるとはとても思えない。これは身内に甘いって言われちゃうかもしれないけれど、今はちょっと多感な時期なだけで、いつかきっと時間が経てば仲直りできる日が来るはず。というか、そうでも思わないととてもじゃないけどやってられない。
だから今はとにかく、ジタバタしてもしょうがない。そんな風に思うことにした。
午前の授業が終了した。
いつも通り自習をしながらお昼を食べようと思っていると、佐々木さんが私に話しかけてきた。
「やっほー、川澄さん。お昼一緒に食べよー」
佐々木さんは珍しく一人だった。
「由香、上田君とお昼食べに行っちゃってさ。ひどいよねー」と言いながら、その言葉とは反対に表情は嬉しそうだ。私はもちろん拒否するわけも無く、お昼を一緒にすることにした。
佐々木さんは購買組だったので、二人で購買まで行った。お昼休みの弛緩した空気が、目的地に近付くにつれて、段々と殺伐としたものに変わっていくのを感じる。
空き教室を利用した購買部は、いつもながらすごい人だった。
この学校に通い始めて三年目になるけれど、私は今まで、購買部を利用したことは一度も無い。人混みが苦手なので、毎日欠かさずにお弁当を作ってくれているお母さんに心の中で感謝。
押し合いをする生徒達は皆殺気だっていて、私なんかが近付いたらすぐに跳ね飛ばされてしまいそうだ。
面食らう私に、じゃあ行ってくると一言だけ呟くと、佐々木さんは慣れた様子で勇敢にも人ごみの中に突撃して行った。私は邪魔にならないように待っていることにして、壁際に立って雑踏を眺める。
すると、そんな私に気付いたのか、横から誰かに話しかけられた。
「よっ、川澄ー」
私は振り返る。そこにいたのは宮下だった。
「川澄が購買にいるなんて珍しいな」
「まぁ、ちょっと付き添いでね」
「そっか」
宮下はそう言うと私の隣に並んだ。手には買ったばかりのパンを持っている。怪我をしている足でこの人ごみに入って行ったかと思うと感心してしまう。
宮下のフラグを見ると、昨日よりもちょっと大きくなったみたいだった。試合の日が近くなったから、それに合わせてフラグも大きくなったのだろうか。
「それにしても、川澄にお昼一緒に食べるような友達とかいたんだなー」
宮下はからかうようにそう言う。
「あんたねぇ……殴るよ?」
「ははっ、ごめんごめん」
私が拳を振り上げて殴るマネをしていると、いつの間にか戻ってきていた佐々木さんが後ろから私を呼び止めた。
「川澄さんおまたせー……ってなにしてるの?」
「あ、佐々木さん、おかえりー」
「……あれ? 宮下じゃん」
「佐々木? 川澄の友達って佐々木のことだったの?」
「……え? 知り合い?」
二人は知り合いだったのか……、知らなかった。けれど良く考えれば、三年間同じ学校に通えば、誰だって顔見知りみたいなものかもしれない。私たちは三人で顔を見合わせる。
その空気を打ち破るように、佐々木さんが言った。
「よし! 宮下も来なさい! お昼一緒に食べるわよ!!」
驚いている私たちをおいて、佐々木さんはさっさと歩いていってしまった。仕方なく私たちもその後を追いかける。
佐々木さんの後ろをついていくと、着いた場所は昨日の階段だった。私たちはそこに腰掛けてご飯を食べた。
宮下と佐々木さんはさっきから仲良さそうに喋っていて、私はたまに話を振られたら話すくらいだった。けれど、そんな二人を見ているのも楽しかった。
二人は二年の時に同じクラスだったのだそうだ。ということは竹本さんとも友達なのだろう。そういえば、竹本さんは上田君とお昼を食べているって言っていたけど、ほっておいて大丈夫なのかな?
私がそんなことを考えていると宮下が思い出したみたいに私に尋ねた。
「てかさ、二人はいつの間に友達になったわけ? こないだ会った時とか何にも言ってなかったけどさ」
「え? 昨日だけど」
「超最近じゃんっ!」
宮下は大げさに上半身を仰け反らせて驚いたリアクションをする。宮下には悪いけど、全然似合ってない。
私は昨日の出来事を宮下に話す。竹本さんが上田君を好きだって事と、フラグのことについてはさすがに省いておいたけれど。宮下は私の説明を聞きながら、いちいち感心したり、川澄にしては珍しいなんて呟いたりしていた。まったく、余計なお世話だよ!
すると、それを聞いていた佐々木さんが急に、そうだ! と言って手を叩いた。
「川澄さん、妹さんはどうだったの? 話してみたんでしょ?」
あ、すっかり忘れてた。特に進展が無かったとはいえ、せっかく相談に乗ってもらったんだから、ちゃんと報告しておかないとね。
「えっと、昨日話してみたんだけど、結局収穫無しって言うか……」
「そうなの?」
「うん……私の言い方が悪くて、怒らせただけになっちゃった。何か隠し事してるのは確かだと思うんだけど──」
「おーい、置いてくなよー! 妹ってなんの話だよ?」
宮下が恨めしそうな声で私たちの会話に割り込んできた。
「うるっさいなー、あんたには関係ない話よ!」
「佐々木ー、それは流石に酷いだろー……」
宮下は拗ねたみたいにそう言った。ほっておいてもいいんだけどあまりに可哀想なので仕方なく、最近妹の様子がおかしいことと、男の人と歩いていたのを目撃したということ。それと、昨日希と話した内容を二人に説明した。
宮下は、そんなことがあったのか……と呟いている。そういえば宮下とはちょくちょく話をするけれど、プライベートな話をしたのはこれが初めてだったかもしれない。さすがに妹がいることくらいは知ってると思うけど。
私が話し終えると、
「あちゃー、川澄さんそりゃまずいよ」
と佐々木さんは苦い顔だ。
「そうかなぁ……」
「もう一回ちゃんと話してみないとだねー」
「うーん、そうだよね」
私が曖昧に誤魔化すと、それまで黙って聞いていた宮下が急に強い口調で断言した。
「川澄が悪い」
「え?」
「そんな責めるような言い方したら、妹だっていい気がしないに決まってる」
「そ、そうだけどさ……」
「川澄が妹のこと信じてあげなくてどうするんだよ! そうだろ?」
「……はい……、その通りです……」
宮下の正論が心にグサグサ突き刺さってくる。ううぅぅ……。私だってそう思うけどさ、そんなに強く言われると、少しへこんでしまうじゃないかっ……宮下のくせにっっ!!
見るからに落ち込んでしまった私に、佐々木さんが慌ててフォローしてくれた。
「もーー! 宮下、あんたが責めるような言い方してどうすんのよ!」
「…………俺が悪いのか?」
「ほんっと女心ってもんが分かって無いわね。そんなんだからモテないのよ! 川澄さん大丈夫? こんなアホの言うこと真に受けることないからねー」
佐々木さんは私を庇いながら、宮下に向かってあっかんべーする。その優しさは嬉しいけど、やっぱり悪いのは私だと思う。
「宮下、色々心配してくれてありがとね」
私がそう言うと、宮下はふてくされたみたいに、
「悪かったよ」
とだけ言ってそっぽを向いてしまった。
そんな重くなった雰囲気を打ち破るようにわざと明るい声で、佐々木さんが何かを思いついたみたいに言った。
「そうだ、川澄さん、今日一緒に帰ろっか。由香も一緒に」
「……え? うん、いいけど」
「帰りに寄り道しようね。」
「それはもちろん構わないけど」
「それで気晴らししよ? それに……」
佐々木さんは、私だけに聞こえるように耳打ちして、
「それに、由香に上田君との事聞きださないとだしねー」
……それは確かに気になる。
「なんの密談してんだよー」
宮下のその言葉に佐々木さんは、
「あんたには関係ない話。乙女の秘密よ」
とだと言うと、ニヤリと笑った。




