模範的道徳小説
「こんなところにいたんですか」
「また君か」
カラッとした空気の、良く晴れた一日だった。売れない小説家・手越光が、郊外のカフェの片隅でコソコソ小説を書いていると、彼の担当編集者・青山雫が姿を現した。上着を腕にかけた青山が汗を拭きながら、がっかりしたように肩をすくめた。
「書斎にいないから、〆切を苦にとうとう蒸発したのかと思って期待しましたよ」
「一体何を期待しているんだ」
「それ、原稿ですか?」
彼女が手越のノートパソコンの画面を覗き込むと、なるほど良く分からない、意味不明な言葉の羅列が暴れ回った謎の怪文書が作成されつつあった。青山が呆れた。
「『しゅばばばばば〜!! ちゅど〜ん!!』」
「やめなさい。音読するなよ恥ずかしい。まだ未発表の原稿だぞ!」
「先生……またそんな『斜に構えた中学生の妄想』みたいな小説書いて……人生楽しいですか?」
「うるさいな。他人の作風に口を挟むんじゃないよ」
手越が、正面に座った若き編集者を睨み付け、アイスコーヒーを啜った。店内はそれなりに混んでいた。きっとみんな外の暑さに耐えかね、逃げてきたのだろう。
「僕だってこうなりたくてなった訳じゃないんだ。気がついたらこんな作風だったんだ」
「先生。私、先生にはもっと意識の高い、情熱的な感動的な、道徳的な小説を書いてもらいたいんです」
「道徳ぅ?」
「たとえば『ヒーローもの』とか」
手越はしばらく斜め上の天井を見上げ、
「フン。道徳的なヒーローねぇ」
それから唇の端を奇妙に歪ませ、キーボードをカタカタ言わせた。しばらくして。
「こんな感じか」
「えっ。もう書いたんですか?」
青山が目を丸くして、差し出されたPCの画面を興味津々に覗き込んだ。
※
道徳的ヒーロー! 道徳戦隊・ドウトクジャー!
殴って解決! 蹴って成敗!
我らが正義の私刑執行人!
法律なんて関係ねぇ! お前は俺が裁く!
※
「どうだ? 道徳戦隊・ドウトクジャーは自分が悪と判断したものを問答無用で断罪するのだ。情操教育にピッタリだろう。この小説を教科書に載せ、道徳の授業で子供達に実践的私刑を学ばせよう。ひひひ」
「またそうやって……」
「必殺技は、そうだな……『道徳パンチ』!」
「道徳なのに……パンチ……?」
「『道徳キック』!」
「やめてください。道徳を攻撃技にしないでください」
なんて幼稚な大人なんだろう。青山は恥ずかしくなって、顔を隠すようにレモンティーを口に運んだ。
「すみません私が間違ってました。先生に『ヒーローもの』は無理です。もっと他のジャンルにしましょう」
「無理だと言われると余計書きたくなるが……良いだろう。何でも好きにお題を言ってくれ給え。僕に書けないジャンルなんて無いんだから。ハーッハッハッハァ!」
「じゃあ、たとえば『恋愛小説』とか?」
「『恋愛小説』? それって不倫とか歳の差とか身内とか三角関係とか、最終的に包丁持ち出してフラれた相手に突撃するような小説のこと?」
「いえ。もうちょっと爽やかな」
青山が首を振った。
「『余命3秒』的な?」
「3秒じゃドラマにならないでしょう。そうじゃなくて。もっと青春的な。道徳感のある恋愛を……」
「面白くないだろそんなの! せっかくのフィクションなんだから。読者は背徳感のある恋愛ドラマが観たいだろ!」
「そんなの先生だけです」
「そうか……そうかなぁ」
「先生。普段どんな小説読んでるんですか……」
「とても人には言えないような話ばかりだよ。ひひひひひ」
手越がやれやれといった表情で椅子にもたれかかった。
「フン。そもそも小説に道徳なんか求める方が間違ってると僕ァ思うね。大体、読書感想文なんてのも僕ァ嫌いだ。小説の感想なんて大っぴらにして何になる? あんなの、周りが欲しがってる答えを書いてるだけじゃないか。良いかい。小説ってのは、小説ってのは本当は背徳的で破滅的で冒涜的で。親にも友達にも言えないとても表では口に出来ない、エロ・グロ・ナンセンスに溢れた」
「はぁ」
「誰とも共有出来ない孤独や心の裡を、その小説を読んでいる間だけこっそり打ち明けるような。そうやって隠れて一人で楽しむもんなんだ」
「そんな退廃的な小説ばっかりじゃないと思いますけど……ついみんなに話したくなる、心が洗われるような小説だってたくさんありますよ」
「カーッ!」
「カーッて」
手越がわざとらしく腕をさする真似をした。青山がため息を吐いた。
「大体先生の話、いっつも重いんですよ! もっと軽〜く、明るく楽しくいかないと。いじめとか犯罪とか、そんな嫌なこと現実だけで十分でしょう?」
「オイオイ。だったら『ミステリ小説』なんてどう説明する? あんなの、書いてること殺人だろ?」
「待ってください。先生、それは読みが『浅い』です。確かに人が殺されていますが……ミステリーの本質は『道徳』なんです」
「なにぃ?」
青山が目を光らせた。
「『ああ、やっぱり犯罪に手を染めたらこんな目に遭うんだ、人を殺しちゃダメなんだ』っていう、そう言う道徳的な話なんです」
「そんなの作品によるだろ。ミステリ作家なんて、毎日『どうやって人を殺すか?』しか考えてないよ」
「社会の模範じゃないですか」
「どこが!?」
「『内心の自由』の体現者です」
「ものは言いようだな」
彼女が一歩も引かなかったので、手越が挑むような目で青山を見つめた。
「じゃあ『ホラー小説』は? あれこそ道徳とは真逆だろ」
「ホラーっていうのはですね……描かれているのは、あれは『道徳』なんですよね」
「さすがに無茶だろそれは」
手越が笑った。青山は至極真面目な顔で答えた。
「幽霊っていうのは、死んだ人じゃないですか。『死』を忘れるな……メメント・モリ……そういう道徳的メッセージがホラーには込められているんです」
「こじ付けだろ! 適当なこと言うなよ」
それからも議論は平行線の一方だったので、二人は喫茶店を出た。いつの間にか陽が暮れ、辺りは人影も少なく、通りは薄暗くなっていた。
「あらやだ。もうこんな時間」
「近道しよう」
手越が大通りを離れ、さらに暗く細い、裏山の奥へ続く道へと入って行った。しかし、しばらく山道を登っても、一向に明かりすら見えてこない。
「先生、本当にこの道で合ってます?」
「おかしいな。確かに行きは、駅から真っ直ぐ山を突っ切ってきたんだが……」
真っ暗になった山道を、スマホのライトを頼りに恐る恐る歩く。すると突然、二人の前の茂みから、真っ白な服を身に纏った青白い女が飛び出してきた。
「恨めしや〜……」
「うぉっ!?」
「きゃあっ!?」
手越が驚いて腰を抜かしているうちに、女は煙のように姿を消してしまった。静まり返った夜の山の中で、手越と青山が顔を見合わせた。青山が唇を震わせた。
「先生……見ましたか今の?」
「あ、嗚呼。ありゃもしかして……」
「『道徳』ですね」
「違うだろ! どう見ても幽霊だったろ!」
「恨めしや〜……」
「うわっ!?」
今度はもっと近かった。二人の背後から、それも耳元から女の声が聞こえてくるではないか。手越が飛び上がった。
「また出た!」
「待ってください! 彼女は『人を恨んではいけない。人を恨み続ける人生は虚しく、浮かばれない。私は今浮いてるけど』という、そういう道徳的なメッセージを……」
「恨めしや〜……」
「良いから逃げるぞ! 道徳なんか今はどうでもいい!」
幽霊を背後に道徳を語り出す青山を引っ張り、手越は慌てて道を駆け上って行った。
「はぁ、はぁ」
「危なかった……」
二人はいつの間にか古びた一軒家の前に立っていた。とても人が住んでるようには見えなかったが、外の騒ぎを聞きつけ、老人が怪訝そうに顔を出した。シワクチャの、背の丸まった、河童と天狗を足して2で割った妖怪みたいなジジイだった。
手越と青山は妖怪・河童天狗にさっきの幽霊の目撃談を話して聞かせた。すると妖怪はたちまち目が険しくなり、怯えるように唸った。
「お前さんたち……もしかして壊したんか? 伝説の道徳を」
「伝説の道徳?」
「伝説の、祠のことですか?」
「そうじゃ」
ジジイが頷いた。
「山道の途中に、伝説の道徳が……お前さんたち、あの道徳を壊したんか?」
「道徳を壊したって、何かカッコいいな」
「先生、中学生みたいなこと言わないでください」
「何ちゅうことを……何ちゅうことを……あの道徳は、あの女を封印しとったんじゃあ」
「バカな」
「嘘じゃない。あれを見ればお前さんたちにも分かる」
そう言って妖怪ジジイは、一度奥に引っ込み、それから黒いビニール袋に包まれた、お弁当箱サイズの四角い物体を持ってきた。手越が目を細めた。
「それは?」
「これは『道徳のビデオ』じゃ」
「道徳のビデオ」
「普通のビデオだろそれは。呪いのビデオじゃないのか」
「先生、今時ショート動画ですよ」
「それはそれで嫌だな……『道徳ショート動画』」
「観てる人みんな道徳中毒になってるんですよね」
「道徳中毒」
ジジイがビデオを片手に話し始めた。
「このビデオを観たものは、皆1週間以内に同じ感想しか言わなくなる」
「道徳教育だ」
「『親に感謝』、『周りに感謝』、『世の中に感謝』」
「良いことじゃないですか」
「今時の者は何でもかんでも『共有』、『共有』。個人の感想や感情さえも『しぇあ』。挙句の果てに、自分とは違う感想を敵視する始末。じゃが、みんなが『面白い』としか言えない作品は、果たして本当に面白いのかのう? それって『裸の王様』と何が違うんじゃ?」
「…………」
ジジイに道を教えてもらい、二人は何とか下山することができた。駅のホームにて、手越が欠伸をしながらむにゃむにゃ呟いた。
「やれやれ。ひどい目に遭ったな」
「良いネタが出来たじゃないですか」
青山は少し疲れた顔をしてほほ笑んだ。
「だけど、私も今日は勉強になりました。結局どんな作品も……良いように捉えることも出来れば、悪いように捉えることもできる……そこに何を見出すかは読み手の受け取り方次第ってことですね」
「どんなまとめ方だ」
電車が来た。二人はそれぞれ家路に着いて、この物語は終わった。




