5 師匠の婚前交渉
ネイサンから脅された後、結局暗闇の中で話してもまともに話もできないという理由で、夜が明けてからもう一度会って話をすることになった。
急な展開ではあったが、ネイサンは帰還したばかり。
サウレンツ侯爵家で過ごす3日はゆっくり過ごせるようだが、王宮に移るとなかなか身動きが取れない程忙しくなるらしい。
元々孤児だったネイサンが、戦争で功績をあげ伯爵位を賜るというのであれば、それは忙しくなっても仕方のない話だ。
ネイサンが戻ってきたら力になりたいと思っていたのだから、ネイサンの下で働くというのは丁度良いのかもしれない。
―――でも結婚はしない方が良いと思うのだけどね・・
身支度を簡単に済ませ、ネイサンが訪れる前に使用人に茶器や菓子、招き入れる部屋の状況を女主人の如く指示していく。
今日は令嬢としてリットルン侯爵邸へネイサンを招く。
少ない使用人しかないからこそ、ラウレシアが仕事でいない今女主人代行として采配を振るわなければならない。使用人の数は三十人にも満たないが、それでも長年リットルンに仕えてくれている者たち。要領よく仕事をこなしてくれるので、アレクサンドラは随分助けられている。
***
「こんにちは、アレクサンドラ様」
「・・・・・ご機嫌麗しゅう、ネイサン卿―――どうやら貴族になるために、色々学ぶ必要がありそうですわね」
午後にやって来たネイサンは、昔と変わらず笑顔で挨拶をした。しかし、それは貴族の挨拶とはかけ離れており、これから伯爵位を賜る彼がどれだけ教育に力を入れなければならないかを物語っていた。
「・・・・何か変ですか?」
「・・・・案内します。まずは部屋へ参りましょう」
出迎えたのはエントランスだ。いかに侯爵家の使用人たちがしっかりしていようと、たとえ使用人たちと仲の良かった昔馴染みのネイサンであろうと、これから貴族になるネイサンは些細な振る舞いが醜聞に繋がり貴族として命取りになる。
元々彼を護ると決めていたのだ。醜聞になりかねない振る舞いは出来るだけ他のものに見せない方がいい。
アレクサンドラは用意してあった部屋へ案内すると、給仕が終わるのを見計らい使用人たちに席を外すように命じた。
「―――さて、ようこそおこしくださいました。ネイサン卿。数時間ぶりではありますが、サウレンツ侯爵家では問題はございませんでしたか?」
「はい、特に何も言われていません。―――・・ところで、なんでアレクサンドラ様はそんな話し方なんですか?」
「―――貴族だからよ」
ネイサンの問いにぴしゃりと告げる。
「―――貴族?・・・俺達の仲で、貴族とか関係ないでしょう?」
「何をおっしゃっているの!ネイサン卿はこれから伯爵位を賜るのでしょう。貴族然な口調は必ず学ばなければならないわ。―――教養面に関しては私が今後指導いたしましょう」
「本当ですか?!―――ありがとうございます!!」
「良いですか、貴方の立ち振る舞い、言動は全て貴族に視られできない事や失敗をすぐに噂で広めようとするでしょう。
少しでも粗をなくすためには話しすぎない事です。寡黙であればある程度胡麻化せます。流暢に話せるようになるまでは、なるべく寡黙でいてください」
「黙っていろってことですよね?・・・でも、対応しないとならない時はどうすれば?」
「えぇ、そうですね。ですから昨日の話、本題に移りましょうか」
「本題?」
「左様です、今朝がた、ネイサン卿は私を雇いたいとおっしゃいましたね?」
「―――はい」
先ほどまで呆けていたネイサンの顔色が変わり、神妙な面持ちで返事をした。
「お受けいたします。ネイサン卿が貴族の中でやっていけるよう、その時に応じて男女問わず変装して貴方の側で援護致します」
「変装?・・・・えんご?・・一体どういうことですか?」
「恐らくこれから貴族になっても、馴染むまでにはどんなに早くても一カ月は必要でしょう。
最低でも教養、王国史、王国内の貴族の把握、領地運営の学びは必要でしょう。それ以外にも貴族であればダンスも踊れなくてはなりません」
「・・・・お・俺に・・・覚えられますか?」
「覚えられるか?ではありません。―――覚えるのです!」
「――――!!」
はきはきと話すアレクサンドラの口調は貴族然なもので、今までネイサンが聞き馴染んでいた言葉使いではない。けれど、自信に満ち溢れネイサンを必ず掬い上げてくれるような眼差しと凛とした口調の中にも溢れる愛情はネイサンの心を昂らせた。
「私は教育係として貴方を指導しましょう。危険から身を護る護衛としても傍にいましょう。必要な催事に道央するパートナーとして、隣で支えましょう
私に出来る仕事はこれくらいの事です。―――どういたしますか?私を雇われますか?」
「勿論です!雇わせてください!!」
「――では、これからよろしくお願いいたします。」
「ありがとうございます!―――それじゃ結婚式はいつあげますか?!」
「・・・・はい?」
「え?・・・だから俺たちの結婚式ですよ」
先ほどまで厳しい口調であってもにこやかであったアレクサンドラの顔からは、表情が抜け落ちたかのように真顔になり思わずたじろいでしまう。しかし、ネイサンはそのようなことで結婚をなかったことにする気は一切ない。
「―――私が雇われるだけではだめですか?十分ネイサン卿の助けになると思いますが?」
「俺はアレクサンドラ様が、リットルン侯爵家の再興のためにギルドを辞めないと言っていたから、それなら雇うと言ったんです!あくまで結婚することが大前提です!」
「私にはわかりませんわ。なぜ没落寸前のリットルン侯爵家の私を娶ろうと頑なになるのです?」
「―――アレクサンドラ様が好きだからです!それ以外何もいらない!」
「・・・・私は貴方の足枷にしかならないわ。それでも結婚したいの?」
「アレクサンドラ様にとって結婚と家が強く繋がっていることはわかりました!―――でも、孤児の俺にはそんなことどうでもいいことなんですよ!貴族になっても変わらない!
俺はアレクサンドラ様が欲しいから結婚をしたいんです!」
―――はあぁぁぁ・・・
アレクサンドラは深い溜息を吐いた。
昨日も感じたが、ネイサンはアレクサンドラに強く執着している。それは生い立ちも原因なのだということはわかっている。
生まれたばかりで孤児院に預けられたネイサンは、8歳ころから得体の知れない連中に幾度となく襲われて来たらしい。
アレクサンドラとネイサンが出会ったのも丁度得体の知れない者たちに追われ、逃げている最中にアレクサンドラの乗ったリットルン侯爵家の馬車の前に飛び出したからだった。
当時のネイサンは10歳、アレクサンドラは14歳だった。
「連れて行ってほしい!」と懇願する必死なネイサンを見て、状況を察したアレクサンドラは快く受け入れ邸へと連れ帰った。
それからの5年は師弟関係を結んだ使用人としてネイサンはリットルン侯爵家に仕えたわけだが、彼がアレクサンドラと出会うまでの間、想像できない程大変な苦労をしていたのだろうことだけはわかる。
だからこそ、ネイサンはアレクサンドラを命の恩人のように思っているし、好意を隠そうともしないのだ。しかし、それは刷り込みのようなものと変わらない。
ネイサンはもう庇護されなければ生きていけないか弱い子供ではない。
自分の足で自分の決めた道を進んでいけるのだ。
幸いにも爵位まで賜るとのこと。これから先はサポートさえ整えば、より良い未来が彼には待っている。
―――どん底に落ちた私とは違うのよ・・・。
しかし、どんなに説得してもネイサンは頑なだ。
―――それなら私にできることは・・・決まっているわね
「わかったわ、結婚しましょう」
「本当ですか?!また覆したりしませんよね?」
「えぇ、私はしないわ。」
―――ネイサンが心変わりするのは別だけれどね
「ありがとうございます!!―――それじゃいつにしましょうか!」
「それは婚姻の話をしているの?」
「当然です!」
「―――それはまだ待ってちょうだい」
「――え?何故ですか?―――結婚しれくれるっていったじゃないですか!」
「言ったわ。でも、貴族は結婚の前に婚約するのよ」
「婚約・・・ですか?」
「そう。その婚約は、おおよそ1年とされているわ。―――でもね、私の両親にちゃんと認めてもらわないとならないのよ。」
「リットルン侯爵夫妻に・・・・」
「えぇ、私は家族を不幸にしたくないし、ネイサンにも幸せになってほしい。だから、ちゃんと紹介できるように、しばらくは恋人として付き合い、その後私の両親に挨拶をして婚約するの。―――それから皆で相談して婚姻の日にちを決めましょう」
「・・・・随分さきじゃないですか・・」
「私は結婚すると言ったわ!それなのに、結婚相手である私の幸せをネイサンは願ってくれないの?」
不満げな表情を隠さないネイサンに、アレクサンドラは強かに続ける。
「結婚は一生なの。勿論恋人期間中から私はずっと貴方の傍にいるわ。ただ結婚が数年後になるだけ。
婚約は数か月後で構わない。
婚約すればほぼ結婚したことと変わりないでしょう?」
「~~~~・・・わかりました・・それではまずは恋人で―――でも、婚約する日は決めましょう!」
妥協したネイサンに「よしっ!!」と、心の中で叫び拳を振り上げたアレクサンドラは想定通りに進む話に喜びを隠すのに必死だった。
「構わないわ、3か月先ならネイサンが日取りは決めて良いから。でも決めたらすぐに両親に挨拶するわよ?」
「わかりました!―――恋人・・・俺とアレクサンドラ様が・・幸せです!!」
黙ってさえいれば、大人の男性の色気まで溢れさせた美丈夫だろいうのに、喜びはしゃぐ姿は大型犬のようだ。―――しかし、アレクサンドラはもう一押ししなければならないことがあった。
「―――それで、一つどうしても譲れないことがあるの」
「・・・・・なんですか?」
「私―――ギルドは辞めるつもりないわ!」
「―――は!?」
先ほどまで花が咲き誇ったかのように浮かれていたネイサンであったが、アレクサンドラの一言で顔からは急激に表情が抜け落ちたのだった。




