第7話:お姫様の休日
「デート、か⋯⋯」
駅前の巨大な時計塔のもとに向かう私は一人、大きく深呼吸をした。4月に入ったとはいえ、風にはまだ冷たさが残っている。
行き交う人々は皆、楽しそうな笑顔を浮かべている。週末の繁華街は幸せなエネルギーで満ち溢れていた。
ことの始まりは昨日の放課後――生徒会室で玲奈会長が真剣な顔でこう切り出したのだ。
『週末、私と出かけよう』
『え⋯⋯? な、何かの買い出しですか? 荷物持ちなら任せてください!』
『違う。デートだ』
『デ⋯⋯!?』
『恋人契約を結んだ以上、周囲にそれが「本物」だと印象付ける必要がある。それに恋人らしい振る舞いの練習もしておきたい』
会長の理論は断る隙がなかった。契約履行のため、魔除けの役目を果たすための予行演習。
頭では理解していても「デート」という響きに私の心臓は暴れてしまう。
今振り返ると私にとってのデートとはある種の労働だった。
美羽とのデートはいつも「お買い物」と決まっていて、私は美羽を引き立てるために地味な服を着て、美羽の買った大量の荷物を持ち、最後には「あ、財布忘れちゃった〜」と言われて支払いを済ませる。
私は美羽というお姫様にお仕えする従者で、それが私の役割だった。
(⋯⋯大丈夫。会長はそんな人じゃない。これは仕事なんだから)
私は自分に言い聞かせ、腕時計を見た。
待ち合わせ時刻の二十分前――初デートで遅刻なんて絶対に許されない。私は気合を入れて早めに来た。
はずだった。
「⋯⋯あ」
人混みの中でも、その人は一際輝いて見えた。
待ち合わせ場所の時計塔の前に、すでに彼女はいた。
氷室玲奈会長――今日はいつもの制服姿ではない。
シックなモノトーンのトレンチコートを完璧に着こなし、首元には上品なスカーフを巻いている。その佇まいは、ファッション誌から抜け出してきたモデルのようだ。
道行く人々が男女問わず彼女を振り返る。
「すげえ美人⋯⋯」「芸能人か?」というささやき声が聞こえてくる。
そんな注目を浴びながら、彼女はスマートフォンを見ることもなく、ただ静かに一点を見つめていた。
もしかして、もっと前から待っていたんじゃ⋯⋯?
「か、会長!」
私は慌てて駆け寄った。
私の声に気づいた会長がパッと顔を輝かせる。その表情の変化だけで胸がどきりとした。
「す、すみません、お待たせしてしまって! 私、急いだつもりだったんですけど⋯⋯」
「謝るな。私も今来たところだ」
会長は涼しい顔でそう言った。
でも、その頬は風の冷たさでほんのりと赤くなっている。きっと、私よりもずっと早く来て待っていたに違いない。
私なんかのために。
「それより、陽菜」
「は、はい!」
「⋯⋯その服、可愛いな」
会長のサファイア色の瞳が、私を頭の先からつま先までゆっくりと観察する。
私は今日のためにクローゼットの奥から一番まともな春物のワンピースを引っ張り出して着てきたのだ。
少し生地が薄くて肌寒いけれど、これに合うコートなんて持っていないし、精一杯のおしゃれだった。
「淡いピンク色が、君の柔らかな雰囲気に似合っている。⋯⋯とても、愛らしい」
「えっ、あ、う⋯⋯!」
不意打ちの褒め言葉に、頭が沸騰しそうになる。
「だが、少し薄着じゃないか? 今日は風が冷たい」
「あ、いえ! おしゃれは我慢って言いますし、大丈夫です!」
「⋯⋯だめだ。風邪を引いたらどうする」
会長はそう言うと私の手をとり、ぎゅっと握りしめた。
「手が冷たい。⋯⋯ショッピングモールまでは、こうして温めさせてもらうぞ」
「えっ⋯⋯あ、はい⋯⋯」
「さあ、行こうか。エスコートさせてくれ」
私がおずおずと手を預けると会長は指を絡ませた、温かい感触が私を包み込む。
従者ではなく対等なパートナーとして扱われている。その事実に、足元がふわふわするようだった。
◇
連れて行かれたのは高級ブランドが立ち並ぶショッピングモールだった。
煌びやかなショーウィンドウに私は怖気づいてしまう。
値札を見るのが怖い。私の全財産なんて、ここのハンカチ一枚で消し飛んでしまうかもしれない。
「陽菜、これを見てくれ。君に似合いそうだ」
会長は楽しそうに次々と服をピックアップしていく。
どれも上品で私にはもったいないほど素敵な服ばかりだ。
「ど、どうでしょうか⋯⋯私なんかが着ても、服が可哀想じゃ⋯⋯」
「馬鹿を言うな。君が着るからこそ、この服は価値を持つのだ。⋯⋯ほら、試着室へ」
半ば押し込まれるようにして試着をする。
鏡に映った自分は、まるで別人のようだった。
会長が選んでくれた白いブラウスとフレアスカート。
自分で言うのもおかしいけれど、いつもより少しだけ背筋が伸びて、可愛く見えた。
カーテンを開けると、ソファで待っていた会長が目を見開いた。
「⋯⋯思った通りだ」
「へ、変じゃ⋯⋯ないですか?」
「ああ。変じゃないどころか⋯⋯美しくて、直視できないくらいだ」
会長は少し顔を赤らめて、口元を手で覆った。
その反応が嬉しくて、私も自然と笑顔になる。
「店員、これをいただく。あと、先ほど見た靴とバッグもだ」
「かしこまりました」
「えっ!? か、会長、そんなに沢山!?」
値段も確認せずにカードを出す会長に私は慌てた。
美羽との買い物では私の財布が空になるまで買わされるのが常だった。だから誰かに「買ってもらう」ことへの罪悪感がすごい。
「いけません! こんな高価なもの⋯⋯私、お返しできません!」
「誰が返せと言った? これは私が君に贈りたいから贈るのだ。⋯⋯君を彩る権利は今の私にしかない特権だろう?」
有無を言わせぬ微笑みに私は口をつぐむしかなかった。
会計が済み、店員さんが大きなショッパー(紙袋)を三つ抱えて渡してくる。
「あ、私が持ちます!」
私は反射的に体が動いた。荷物を持つのは私の仕事。お金を出してもらったのだから、せめて労力で返さなければ。
それが私の存在意義なのだから。
「――だめだ」
会長の手が私の手を優しく、しかし力強く制した。
そして店員さんから素早く荷物を受け取り、自分の左手に持ってしまった。
「か、会長! 私が持ちます! 私、荷物持ち慣れてるんです! 力持ちじゃないですけど、これくらいなら⋯⋯!」
「陽菜」
会長は、まっすぐに私の目を見て言った。
「君の手は私と繋ぐためにある。荷物を持つためじゃない」
「え⋯⋯」
「君は私の恋人役だろう? 隣を歩く女性に荷物を持たせるような無粋な真似、私がすると思っているのか?」
そう言うと会長は空いている右手で、私の手をぎゅっと握り直した。
「さあ、次はどこへ行きたい? 君の手は私を導くためだけに使ってくれ」
その言葉に目頭が熱くなった。
荷物を持たない私の手、何も役に立っていないはずの手。
それなのに会長はこの手を「繋ぐため」だと言ってくれた。
私は会長の手の温もりを噛み締めながら小さく頷いた。
その手はどんな重い荷物を持つよりも、力強く私を支えてくれていた。
◇
買い物の後、私たちは休憩のためにカフェに入った。
アンティーク調の落ち着いた店内で、ふかふかのソファ席に通される。
メニュー表を開くと、美味しそうなスイーツの写真が並んでいる。どれも美味しそうだったけど値段を見てまたギョッとする。
「陽菜、何にする?」
会長に聞かれ、私は反射的にメニューから顔を上げた。
「あ、えっと⋯⋯会長は何にしますか? 私、合わせます」
これも美羽との付き合いで染み付いた癖だった。
自分の希望を最後に口にしたのはいつだったか。美羽が頼むものに合わせて、シェアできるようにしたり、一番安いドリンクで済ませたり。
「何でもいい」と言うのが一番波風が立たない正解だった。
しかし会長は静かにメニューを閉じた。
そしてテーブル越しに身を乗り出し、私の目をじっと覗き込んだ。
「陽菜」
「は、はい」
「私が聞いているのは私の注文ではない。『君が』何を食べたいかだ」
真剣な声色――責めているわけではない。ただ私自身の意思を問うている声。
「でも、私なんかが高いものを頼むわけには⋯⋯」
「金の話はするな。カロリーの話もなしだ。今この瞬間、君の心が一番ときめくものはなんだ?」
会長の手がテーブルの上で私の手に重ねられる。
「私の顔色を窺うな。君のワガママを聞くのが今の私の楽しみなんだ。⋯⋯頼むから私に『君を甘やかす喜び』を奪わないでくれ」
そんなふうに言われたら、もう逃げられない。
私は恐る恐る、もう一度メニューに視線を落とした。
一番最初に目が釘付けになった写真――真っ赤なイチゴがこれでもかと積み上げられた、季節限定のパフェ。
「⋯⋯いちごの」
小さな声で呟く。
「ん? なんだ?」
「⋯⋯いちごのパフェが、食べたい、です」
言ってしまった。
一番高いメニューだ。わがままだって思われるかもしれない。
私がびくびくしながら顔を上げると、会長は――満面の笑みを浮かべていた。
それは今日一番の、とろけるようなデレ顔だった。
「よし! 店員、こちらの『特製あまおう尽くしパフェ』を二つだ!」
即決だった。
会長は嬉しそうに私を見る。
「言えたな、偉いぞ」
まるで子供を褒めるように、頭を撫でられる。
恥ずかしいけれど胸の奥がじんわりと温かい。自分の「好き」を口にして、それを肯定されることがこんなにも嬉しいことだなんて。
やがて運ばれてきたパフェは、宝石のようにキラキラと輝いていた。
スプーンですくって、一口食べる。
甘酸っぱいイチゴと、濃厚なクリームが口の中で溶け合う。
「ん⋯⋯おいしい⋯⋯!」
自然と頬が緩む。
思わず笑顔がこぼれた私を見て、向かいの会長も目を細めた。
「そうか、美味しいか。⋯⋯君が美味しそうに食べている姿を見るだけで、私も胸がいっぱいだ」
「会長も食べてください。溶けちゃいますよ?」
「ああ、そうだな」
会長もパフェを口に運ぶ。
静かな店内にカチャカチャというスプーンの音と穏やかな時間が流れる。
ふと気づいた。
私、美羽と一緒にいた時、こんなふうに心から笑っていたっけ?
いつも美羽の機嫌を気にして、美羽が食べるのを眺めて「一口ちょうだい」と言われて自分の分を差し出して。
美味しいと感じる余裕なんて、本当は一度もなかった気がする。
尽くすことが愛だと思ってた。
私が我慢して相手が笑ってくれるならそれでいいと思ってた。
でも⋯⋯。
(大切にされるって、こんなに温かくて⋯⋯涙が出そうになることなんだ)
目の前で微笑む会長を見ていると視界が少し滲んだ。
この人は私に「何かをさせる」ためにここにいるんじゃない。
ただ、私と一緒にいることを楽しんでくれている。
「⋯⋯ん?」
会長がふと動きを止めた。
そしてナプキンではなく、自分の指先を私の顔に伸ばしてくる。
「口元に、クリームがついているぞ」
親指の腹が、私の唇の端を優しく拭った。
ドキッとして固まる私をよそに、会長はその指についたクリームを、自分の口元へ持っていき――。
ぺろり、と。
赤い舌が、クリームを舐め取った。
「!!??」
私は思考回路がショートして、言葉を失った。
か、か、会長!?
今、何を!?
会長は妖艶な笑みを浮かべ、喉の奥で鳴るような声で囁いた。
「⋯⋯甘いな」
ボンッ!!
私の顔から、湯気が噴き出したのは言うまでもない。
「か、かいちょ⋯⋯っ! は、恥ずかしいです⋯⋯!」
「ふふ。恋人なら、これくらい普通だろう?」
「普通じゃないですぅ⋯⋯!」
からかうように笑う会長。
翻弄されっぱなしの私。
でも、そのやり取りさえもが、どうしようもなく幸せだった。
窓の外では夕暮れの街がオレンジ色に染まり始めていた。
今日という一日が、夢じゃなくて現実なんだと甘いクリームの味が教えてくれていた。




